25 脱出
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千鶴の世話をする侍女たちは催眠魔法で操られている。鶴が普通の人間に見えるらしい。小さな頭を櫛で梳かしたり、羽をタオルで拭いたりする。更には、
「さあ。綺麗にしてアントニウス殿下をお待ちしましょう」
と言って、首にジャラジャラと宝石をつけさせた。ダチョウも狂っている。鶴相手に愛を囁いてくるのだ。瞳孔が開いた目には何が写っているのか、もう不気味を通り越して怖い。
「父が結婚を認めてくれたんだ。式は早い方がいいね。来週、神殿で行う事になったよ」
嘘つけ。勝手に決めるな。
「同時に即位する。君は王妃になるんだ。全ての令嬢が羨むよ。ああ、気持ちがいい!」
何がだよ。全然良くないよ。
「貴族の女なんて大嫌いだ。母上みたいにお高くとまって。裏では私を笑ってるのさ」
学園の話? 平民の娘がどうのこうのって。
「あの娘の優しさは本物だったんだ…君もだよ。身分が違うと、泣く泣く断ったろ? でも最後には応えてくれた。嬉しかったよ…」
一体どんな物語を刷り込まれたのか。ダチョウはうっとりと鶴の脚を撫でた。鳥肌が立つ。
「アウグストは死んだよ。君の娘も引き取ろう。もう執務の時間か。ごめんね、また明日」
奴は名残惜しそうに帰っていった。千鶴はげっそりした。あのネロという魔法使いは天才だ。この状況から逃げられるなら、魂を売り渡したくなる。
城中の人間が支配されたのか、まともな者もいるのか。王子とシエルは逃げられたのか。牢の外の状況がさっぱり分からない。
(ケンは? もしかして、あたしが人質になって困ってる? それともダチョウと結婚するって話を信じてる?)
鶴の目から涙が零れ落ちた。たった一つ、逃げる方法がある。でもその勇気が出なかった。
◇
ケンはアウグスト王子に王城への潜入を願い出た。一刻も早くチヅルを救い出さねばならない。鳥人族も同行を望んだ。だが殿下は許さなかった。
「脱出した魔法士によると、魔法で多くの者が洗脳されているそうだ。ケンを取り込まれては困る。それに鳥人族。お前達は雛を人質に隷属印を押されたではないか。女王を盾に脅され、同じ轍を踏まないと、なぜ言える」
「しかし…」
レゼルの言葉を、殿下は遮った。
「今、1万という膨大な数の人狼がこちらに向かっている。彼女が戻った時にハイテールが無くなっていても良いのか?」
「…」
「城の中に味方はまだいる」
アウグスト殿下は密書をケンに見せた。騎士団長からだった。国軍はアントニウスに従うふりをして、こちらと呼応する時を待つ。参謀長と神速の双剣が密かに牢のチヅルを逃す、と書いてあった。
「あと1日待て。スッラ領兵が王都に着いたら国軍が決起する。良いな?」
結局、抗えなかった。ケンはあてがわれた天幕で家族に説明した。人間に変化したギンは、
「…でも、行くだろう? ケン」
と訊いた。ケンは頷いた。殿下には申し訳ないが、こればかりは従えない。
「だがハイテールが失われるのも困る。だから、人狼を削る」
「では今すぐ出ましょう。人狼は既に隣のデイフィールド領に来ています」
白馬は外に出た。するとシエルとレゼル、鳥人らがいた。
「お父さん。私たちも行く」
娘が硬い声で言った。ケンは首を振った。
「殿下をお守りするんだ。チヅルは必ず助け出す。ハイテールを頼む」
「お父さん…」
彼は娘を抱きしめるとハクに飛び乗った。白馬はすぐに空へと舞い上る。そして銀狐を従えて東へと駆けて行った。
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眠っていた千鶴は体を揺すられて目が覚めた。暗い牢の中に誰かがいる。
「しーっ。静かに」
男の声で注意されたけれど、そもそも声が出ない。男は小さな声で自己紹介をした。
「オレ、味方。“神速の双剣”って呼ばれてる。ケンの友達だよ」
武術大会でケンが対戦したノッポだった。
「チヅルさん? 本当に? 鷲って聞いてたんだけど。人違い、いや鳥違いかな。フフッ」
寡黙な感じだったのに、お喋りな男だ。でも助けに来てくれたんだ。希望が湧いてきた。
「警護兵とかは洗脳されちゃってるけど、騎士団は全然平気。やっぱダメだね。三流兵はさ。スッラ領兵も足止めくらっちゃって。ありゃダメだ。もうすぐ参謀長が牢を制圧するからさ。その隙に…何? 脚? ああ。これ取らないとか」
話が長い。千鶴は嘴で足枷を指した。ノッポはそれに気づいて、鎖に剣を当てた。
「とりあえず切ろうか。後でゆっくり外せば良いんじゃない?…あれ? 変だなー」
何度も剣を打ちつけるが、切れない。そのうちに外が騒がしくなってきた。バンっと扉が開いて、灰色の魔法使いが入ってきた。続いてダチョウも兵を引き連れてきた。
「殿下。裏切り者が妃殿下を連れ出そうとしています!」
灰色はノッポを指差した。
「おのれ!捕えよ!」
ダチョウが命じると兵達がノッポと千鶴を取り囲んだ。
「参謀長閣下ってば何やってんだよ。全然タイミング合ってないじゃん。閣下が押さえてる間に、俺がチヅルさんを逃すって打ち合わせしたのにー。やっぱ年なんだ。認知機能がアレなんだ。引退すべきじゃないかなぁ」
ペラペラと喋りながら“神速の双剣”は両手剣を振るった。あっという間に、兵達は利き手と両足を斬られて倒れた。殺してない。浅く、でも動けない程度に手加減をしている。
「ネ、ネロ!奴を倒せ!」
ダチョウは灰色に命じた。ノッポは双剣の切っ先を灰色に向けた。
「アンタを殺れば終わりじゃん」
「まあな。“神速の双剣”が相手では勝ち目がない。退散するとしよう」
灰色はダチョウを盾にするように背後にまわった。第一王子は驚いたように後ろを見る。その胸に剣が生えた。
「え?」
背中から刺され、第一王子はどさりと倒れた。灰色は牢から姿を消していた。だが大声で兵達に命じる声が聞こえた。
「アントニウス殿下が殺されたぞ!“神速の双剣”と鳥人族の女王が犯人だ!奴らを逃すな!」
「汚い!やり方が卑怯!クソ、逃げなきゃじゃん」
ノッポは灰色を罵るとダチョウの首筋に触れた。
「生きてる。残念!お助けする時間がございません、殿下」
千鶴は迷った。今が脱出する最後のチャンスだ。でも死にかけているダチョウを見捨てて良いのか。
(こいつが全ての元凶だ。死んでも全然構わない…むしろ死ね…)
ダメだ。できない。千鶴は首を瀕死の男に伸ばした。嘴がギリギリ届く。
「どしたの? 本当は殿下が好きだったの? ケンかわいそう」
アホか。ひたすら眠って溜めた霊力で数秒だけ封印を押し退け、ダチョウの傷を塞いだ。これで死にはしない。そして嘴を足枷の上で何度も動かした。
「ええ? 斬るの? 良いの? オレ、ケンに殺されない?」
千鶴は頷いた。妖術で傷口を凍らせればいい。外がどんどん騒がしくなる。急げノッポ。
「ああ!ごめん!」
ノッポの剣が鶴の脚を切り落とした。
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チヅルちゃんの脚を切り落とした瞬間、綺麗な声が嘴から聞こえた。
「ありがとう!」
自由になった鳥は大きく羽ばたいた。すると壁がぶち抜かれて穴が空いた。
「じゃあね。このお礼は現金で良い?」
「お礼なんて要らないよ。仕事だし。でもどうしてもっていうなら可愛い子を紹介してよ」
双剣は真剣に頼んだ。騎士なんて出会い無いし。鳥人族は美人だらけって聞いたし。
「子持ちでも良い?」
「良いよ。あとケンに言っといてよ。マジで殺されるから」
「あいよ」
鳥は穴から飛び立っていった。だが上昇する前に地上の兵が矢を放つ。あのネロって神官が、殺せ殺せと叫びまくっている。
「チキショウ!可愛い子ちゃんの紹介が!」
アイツやっぱ殺そう。“神速の双剣”は穴から飛び降りた。洗脳された兵士を適度に斬り、射るのを妨害しつつ、灰色頭を探したが、見つからなかった。逃げ足の早い奴だ。チヅルちゃんは何とか逃げたようだけど、結構矢が刺さってた。大丈夫かな。
「アントニウス殿下を確保した!撤退だ!双剣!」
参謀長閣下が呼んだ。騎士団は王城の奪還に失敗したらしい。味方を斬るのに躊躇してるからだ。ぬるい。第一王子は奪取できたけど、まだ第二から第七王子が向こう側だし、全然ダメ。“神速の双剣”は口から流れ出そうな文句を呑み込み、撤退した。




