21 黒狼卿
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武術大会当日、王都最大の闘技場には多くの人が詰めかけていた。入り口には賭けの予想屋が立ち並び、貴族も平民も大いに盛り上がっている。千鶴達は最前列の客席に座った。
「“黒狼卿”は大穴だよ!優勝なら1000倍だ!」
賭け屋が声を張り上げている。だがケンに賭ける者は少ない。憤慨した千鶴は1万ディネロ分の賭け札を買った。配当は1千万ディネロになる。
「それしか買わなかったんですか?」
ハクは何万ディネロをつぎ込んだのやら、分厚い札の束を見せびらかした。元手は貴族の若者に貢がせた宝石だろう。お金に興味の無いギンは、出店で買い込んだ食べ物をひたすら平らげていた。シエルは王子と貴賓席にいる。
『私は100万賭けたぞ』
王子が念話で自慢してきた。10億ディネロも儲ける気だ。
やがて試合が始まる時間になった。闘技場のアリーナに予選を突破した32人の騎士が並ぶ。審判は試合のルールを説明した。
「意識を失ったり、立てない場合、負けとする。降伏も許す。こちらで継続不能と判断したら止める」
4回勝てば決勝だ。対戦表を見ると、ケンの第一試合の相手は“神速の双剣”という二つ名の男だった。数組の試合が終わり、黒い鎧をつけたケンと背の高い男が出てきた。
「“神速の双剣”対“黒狼卿”、始め!」
ゴワワーンと銅鑼が鳴らされた。ノッポは両手剣を構えたが、次の瞬間、その身体が壁に激突した。そのままズルリと地面に落ちる。鎧の腹部は凹み、壁には罅が入っていた。
審判が駆けつけて、倒れたノッポの首に触れた。
「意識喪失!よって勝者、“黒狼卿”!」
「何が起こったんだ?」
観客達は呆然としていた。開始の合図から3秒も経っていない。ケンが胴に一撃を与えたのだが、人間には速すぎて見えなかったようだ。失神したノッポは担架で運び出されていった。拍手も歓声も無く、静まり返ったアリーナから、ケンは歩み去った。
「嘘だろ…。“神速の双剣”は王国で5指に入るんだぜ」
とんだ番狂せだ。黒狼卿とは何者だ。人々が情報を交換する間も試合は進み、再びケンの出番が来た。第二試合の相手は巨大な男だ。棘だらけの鉄球がついた槍を持っている。
『何あれ?』
千鶴は王子に訊いた。
『モーニングスター。“剛腕卿”の得物だ。当たれば死ぬ』
王子は爽やかな名前を教えてくれた。しかし巨人がそれを使う間もなく秒で倒されると、観客達はもう黙っていない。罵倒やブーイングの嵐をケンに浴びせた。
第三試合は鎧も顔も傷だらけの男だ。武器は長剣。彼もまた人気が高いらしく、一際大きな声援が飛んだ。
「行け!“不死のブルータス”!やっちまえ!」
千鶴達も負けじと声を張り上げた。
「頑張れケン!ぶっ飛ばせ!」
すると闘技場の上の方からもケンへの応援が聞こえた。元傷痍軍人のおじさん達だった。嬉しくて手を振ると、ビシッと胸に手を当てて敬礼してくれた。
“不死のブルータス”は試合開始直後に剣を折られた。だが諦めずに組み手に持ち込もうと突進してきた。ケンは奴の手首を掴むと地面に投げつけた。華麗な一本背負いが決まる。
「ブルータス…お前もか…」
観客はがっくりと項垂れた。第四試合の相手が棄権を申し出たので、ケンの不戦勝。決勝進出となった。最後の相手は“隻眼の餓狼”という一番人気の男である。
千鶴とギンは用意した花束を持ってアリーナに下りた。優勝が決まった瞬間に渡そうと、網が張られた柵の手前で試合を見守った。
◇
「決勝戦、“隻眼の餓狼”対“黒狼卿”!始め!」
合図と共にケンは走り出した。向こうも同じく長剣。2人は激しくぶつかった。ケンが飛び退いて間合いを取り直すと、隻眼の騎士が言った。
「農夫上がりと聞いたが。本当か?」
「ああ。ついこの間まで鍬を振るっていたよ」
「信じられんな」
突如、凄まじい速さの3段突きが襲ってきた。ケンは本能だけで避けた。今のは危なかった。
“隻眼の餓狼”は王国一の剣士だ。さすがに強い。隙を狙って睨み合っていた時、何かが迫るのを感じた。
「!」
客席前方から放たれた矢だった。ギリギリ避けたが、後ろでギンの叫び声が聞こえた。
「チヅルっ!」
振り向くと、彼女が倒れていくのが見えた。ケンは咆哮を上げて隻眼の騎士に襲いかかった。卑怯者が何かを言ったが、もう聞こえなかった。
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「待てっ!俺じゃない!」
“隻眼の餓狼”は、打ち下ろされた剣を受け止めた。手が痺れるほどの重い一撃だ。二合いと持たずに剣が跳ね飛ばされ、胸に衝撃を感じた。怒り狂った黒狼の拳は鎧を貫通していた。審判が慌てて中止を命じた。
「黒狼卿!終わりだ!もう立てない!」
黒狼は隻眼の騎士を離すと、客席に向かって走った。人間離れした跳躍力で前列に跳び上がる。そして弓を持って震える男を捕まえてアリーナに戻ってきた。
「お前が命じたのか?」
男を地面に投げ出し、黒狼が怒りに満ちた声で訊いた。隻眼の騎士は倒れたまま首を振った。
「そうか」
黒狼は片手で男の首を掴んで吊り上げた。男の顔がみるみる赤黒く変色していく。
「止めろ!ウルフスレイ卿!」
アウグスト王子が制止したが、彼は無視した。本気で殺す気か。誰もが息を詰めて成り行きを見守った。
◇
「ケン!」
背にチヅルが抱きついた。ケンは持っていたモノを落とした。
「うえーんっ!顔に傷がついたぁー!」
「見せてみろ」
振り向いて確認すると、額に小さな切り傷ができていた。よほど痛かったのか。彼女の大きな目は涙で濡れている。ケンは優しくチヅルの額を撫でた。
「大したことない」
「本当?」
「ああ」
途端にチヅルは笑顔になった。審判が思い出したように宣言した。
「優勝者、黒狼卿!」
「ウオオーッ!」
大歓声と外れ札が舞い落ちる中、彼女とケンは手を繋いで仲間の下に戻った。ギンが花束を、ハクが月桂冠をくれた。後でアウグスト殿下に叱られてしまったが、この日以降、ケンに絡んでくる騎士はいなくなった。
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武術大会で千鶴は大儲けした。そのお金でハイテールの開拓村にせっせと物資を送った。世界中から狐人族が集結して、いくら家を建てても追いつかないのだ。驚いたことに、未知の種族からも移住の打診がきた。
「兎人族、鹿人族、魚人族…人魚のことかな? 海無いじゃん。どこに住むのさ?」
ギンは報告書を読みながら首を傾げた。王子と3人でハイテール領の開発会議中だ。
「淡水なのかな…」
千鶴も悩む。先日、学術院と魔法士団が『人語を話し、人化する種族は魔物では無い』と発表した。彼らはどうなのだろう。
「今日の御前会議で、定住許可が下りるか否かが決まる。受け入れは結果次第だ」
王子は書類に“未決”と書き込んだ。すると、部屋のドアがノックされ、王子の部下が入ってきた。
「おめでとうございます!下りました!」
「やったー!」
待ちに待った吉報だ。千鶴は飛び上がって喜んだ。どうやって手に入れたのか、王子は議事録の内容を教えてくれた。
「アリタリア侯爵が反対派を説得したらしいな」
「誰?」
聞き覚えがない。王子は呆れたように言った。
「息子の顔を治しただろう」
千鶴はやっと思い出した。
「ケンが優勝したのも大きいぞ。王国最強の男を敵に回す者はいない」
「代表はあたしとギンだよ?」
「奴が予想屋を殺しかけたのを忘れたのか? 結果的には黒狼卿夫妻の宣伝になったが、私は肝が冷えたぞ」
王子はジロッとこちらを睨んだ。大会の後、公衆の面前でやり過ぎだ!とケンはお説教されていた。
「あれはアイツが悪い。番を傷つけられたら、怒るのは当然だ」
茶菓子を頬張っていたギンが口を挟んだ。千鶴も同感だ。あの男は、予想が外れた腹いせにケンを狙ったそうだ。ゲスめ。一発殴っておけば良かった、と言ったら、王子は驚いていた。
「ケンを宥めるために、一芝居打ったのではなかったのか?!」
「違うよ。本当に痛くて驚いただけだよ」
「チヅルは馬鹿力のくせに痛がりだからなー」
ギンに揶揄われた。王子は頭を振ると、話題を変えた。
「我々と常識が違うのは分かった。お前達に移住希望種族の審査を任せる。大まかで良いので決まり事も考えろ。ルールを守れない者は受け入れない」
確かに。多種多様な人種が仲良く暮らすには必要だ。千鶴とギンは、本格的にハイテールの開発に取り掛かった。
それから数日後、王様がお茶会に呼んでくれた。




