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20/30

20 傷痍軍人

            ◇



 ケンはアウグスト王子の護衛騎士になった。共にツインボウルズ戦で戦った騎士とは気心が知れている。だが遠征に参加していない多くの者には酷く疎まれた。休憩中や非番の日に、彼らはよく絡んできた。


「何が“黒狼卿”だ。人狼ぐらい、俺だって斬れるぜ」


「ちょっと顔貸せ。コラ」


 怪我をさせずに相手をするのも難しい。日に日に負傷者が増え、ケンは騎士団長に呼び出された。


「儂の管理が至らぬせいなのだが…。いっそ、お前に挑戦したい者たちに機会を与えてくれ」


「と言うと?」


「試合だ。トーナメントを勝ち上がってくれ。それで皆、納得するだろう」


 アウグスト殿下が許可したので、騎士団では急遽、武術大会が行われることになった。最初は内輪だけで行うはずだったが、噂を聞いた人々が観戦をしたがった。結局、王都で一番大きな闘技場での開催が決まった。



            ♡



 祝賀パーティーから半月が経ったのに、未だ定住権が認められない。人狼に殺された騎士の遺族が反対しているらしい。千鶴は遺族会に面会を申し込んだが、断られた。


「魔物と会う気はないってさ…」


 千鶴は歩きながらケンに愚痴を溢した。今日はハイテールに送る物資を買いに城下に来ている。農具や工具は王子が送ってくれた。たまには菓子やお茶などの嗜好品や、おもちゃ、化粧品といった娯楽品を贈りたい。非番のケンは荷物持ちでついてきてくれた。


「騎士団長に頼んでみるか? 遺族会に伝手があるだろう」


 いつだってケンは親身に考えてくれる。彼女は甘えたい気持ちを抑えた。


「ありがとう!もうちょっと頑張ってみる。ケンだって試合とかあるじゃない」


「1日だけだ」


 ギンもハクも最近はあちこちに招待されて忙しい。シエルは王子の研究に協力しているし。こうしてゆっくりと話を聞いてもらえるだけで気が晴れる。千鶴は食料品店での買い物を済ませ、玩具屋に行こうとした。


「旦那様。お恵みを…」


 路地に入ると、急に声をかけられた。地面に筵を敷いて座り、欠けた椀を差し出す男がいる。1人、2人ではない。20人以上の汚らしい男達が施しを乞うていた。


「!」


 千鶴は身を固くした。変色した包帯に松葉杖。皆、手足のどれかが無い。


「ケン。この人たちは…」


「傷痍軍人だ。…人狼か?」


 ケンは片膝をついて足の無い男に訊いた。男は頷いた。


「はい。去年、タウンフィールドで…」


「年金はどうした? 退役軍人会は?」


 騎士って国家公務員だよね。それが物乞いをしてるなんて。傷痍軍人達は怒りを吐き出した。


「そんなものは貴族にしか出ねぇ!平民の俺達は、何の会にも入れないんだ!」


「家族を食わせなきゃなんねぇのに!この手じゃあ!」


 右肘から先を失った男は、泣きながら喚いた。


(そうか。話を聞いてくれる人もいないんだ)


 千鶴は財布を出そうとして手を止めた。少しばかりのお金では一時凌ぎにしかならない。迷ったが心を決めた。


「おじさん。怪我した方の手、出して」


「何だと?」


 男は初めて千鶴を見た。髭ぼうぼうだから中年かと思ったけど、もっと若いかもしれない。


「今から治すよ。ちょっと痛いけど我慢してね」


 男の右腕を掴むと、ケンがおじさんを押さえてくれた。千鶴は一気に腕を再生した。


「ぐっ…!!」


 さすがは元騎士、叫び声を上げずに耐えきった。男の右腕は元に戻り、ついでに他の傷も治っていた。


「奇跡だ…」


 傷痍軍人達は呆然としている。秘密にすべきだった。でも見てしまったら、放ってはおけない。千鶴は次々と手足やその他の傷を癒した。


「つ…疲れた…」


 全てが終わると、クタクタの千鶴は筵に転がった。


「聖女様。何とお礼を申し上げれば良いか…」


 おじさん達は跪いて礼を言った。ボロい格好だが体格は良い。彼女は転職を薦めた。


「そんな福利厚生の悪い仕事、もうやめな。農民良いよ。ハイテール領で開拓団募集してるよ」


「ハイテールですか?」


「旅費が無いかー。あ!今度、闘技場で騎士団の試合があるの。“黒狼卿”に賭けなよ!絶対勝つから!」


 ケンもおじさん達も困ったような顔をしていた。治療も終わったし、帰ろうとすると、おじさん達に引き止められた。


「お待ちください!せめてお名前を…」


「あ、他にもいるの? えーっとね、今お城にいるんだ。門で鳥人族の千鶴を呼んでくれる?」


 千鶴は妖術でマジックペンを作り、筵に大きく名を書いた。渡せる紙がなかったのだ。おじさん達は泣きながら見送ってくれた。もう日も暮れかけている。2人は急いで残りの買い物を済ませると、城に戻った。



            ▪️



『鳥人族 チヅル』


 男達は筵に書かれた名を呟いた。


 軍を辞める時に貰った金は、あっという間に無くなった。誰も彼らを助けない。手足の無い元騎士達は物乞いをするしかなかった。剣に誓った誇りすら無くしかけていた時、聖女様が現れた。


「他の奴らも救っていただこう」


「そうだな。俺が知らせに行ってくる」


 王都に散らばっていた仲間と密かに連絡を取り、聖女様の存在を教えた。


「聖女様は大層お疲れだった。1日10人までとしよう」


 彼らは希望者を募り、毎日決まった時間に城門に連れていった。治った者には、むやみに奇跡を吹聴しないように言い含める。やがて“聖女の会”という名の慈善団体ができた。


 そのうち、貴族出身の傷痍軍人達も噂を聞いてやって来た。年金はあっても、妻子に去られ、酒に溺れて借金に苦しんでいた。“聖女の会”は彼らもチヅル様の下へ連れて行った。


「貴族? 何でも良いよ。はい、押さえて」


 チヅル様は誰でも治してくださる。時には第八王子殿下も同席し、痛みを和らげる魔法をかけてくださった。殿下は、


「平民出身者の扱いがそれ程までに酷いとは、知らなかった。すまなかった」


 とおっしゃり、身分を問わず、退役軍人の年金を検討すると約束された。“聖女の会”の会員は泣いて喜び、チヅル様への忠誠を誓い合った。



            ♡



 おじさん達は毎日仲間を連れてきた。始めは平民だけだったのが、貴族も来るようになった。着てるものが少し上等なだけで、髭ぼうぼうなのは変わらなかった。


 ある日、何とか侯爵夫人という上品な中年女性が訪ねてきた。夫人は、屋敷に来て息子の怪我を治してほしいと言う。人狼に顔を切り裂かれて引き籠もっているらしい。


「こんな顔では人前に出られないと…。婚約も破棄すると…」


 婚約者は嘆き悲しんでいる。どんな姿になっても大丈夫、あなたを支える。そう彼女が言っても、一歩も部屋から出てこない。夫人は涙を拭いて頭を下げた。


「お願いいたします。チヅル様」


「良いですよ。じゃ、今から行きましょうか」


 千鶴は夫人と一緒に侯爵邸へ向かった。物凄く大きくて豪華な屋敷だった。


「サルヴァトーレ!私よ!開けて!」


 令息の部屋の前で、夫人は何度も呼びかけたが返事は無かった。そこへ1人の令嬢が来た。赤味がかった金髪の美人だ。


「お義母様。その方が聖女様ですの?」


「そうよ。サルヴァトーレはまた食事を抜いたの?」


 廊下にあったカートの上には冷えた料理が載っている。令嬢は悲しげに頷き、千鶴に膝を折る礼をした。彼女が婚約者だろう。


「マルゲリータと申します。どうか、どうか彼の傷を…」


 潤んだ緑の瞳に深い情愛が感じられた。なんでこんな良い娘を捨てようとするのかな。千鶴は妖術で鍵を開けた。


「ちょっと息子さんと話してきます。待っててください」


 1人で部屋に入ると、中は真っ暗だった。昼間なのにカーテンを閉め切っている。


「…誰だ?」


「お母さんに呼ばれて来た治療師です」


 サルヴァトーレ氏はベッドに座っていた。千鶴は暗闇でも彼の顔が見える。左半分を斬り裂かれ、目も潰されている。でも右側は無傷だから、前髪で隠すとか、オペラ座の怪人風仮面とかで何とかなりそうなのに。


「帰れよ。治るわけがない」


(違う。治したくないんだ。理由は何だろう?)


 千鶴は部屋に漂う残留思念を読んだ。


『外が怖い。騎士なのに情けない。マルゲリータは強い僕が好きだったんだ…』


 彼は人狼戦のトラウマで引き籠もっていたのだ。記憶を消す妖術もあるが、心の傷は難しい。とりあえず顔だけ治すことにした。


「とにかくやります。少し痛いので我慢して」


「な…ガアアッ!」


 彼の顔は元に戻った。これ以上はご家族に委ねよう。千鶴は呆然とするサルヴァトーレ氏に声をかけた。


「貴方は恵まれてるよ。婚約者さんが待ってくれてるし。人狼もね、弱点とか分かって、勝てるようになったんだよ。詳しく知りたかったら、いつでも言ってね」


 千鶴は部屋を後にした。そして婦人と令嬢に、彼の抱えるトラウマを伝えた。おじさん達みたいにスッキリした治療はできなかった。それでも夫人はお礼を言ってくれた。


「ありがとうございます…充分でございます…」


 謝礼はお断りした。それより逃げた貴族騎士の奥さん達への説得を頼んだ。男だって辛い時は泣いて良いと思う。話を聞いてもらえるだけで、ずいぶん違うはずだから。


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