10 第八王子
◇
戦地に行く日が来た。ケンは臨時の隊長として新兵を率いる。案内役はあの事務官だった。
「世話になった。では」
「武運を祈る」
教官に挨拶をして出発した。ケンは肩にチヅルを載せ、ハクに跨った。すぐ横を従者に扮したギンが行く。シエルは上空を飛び、後ろには鎖と鍬を携えた100名の兵士。僅か1週間の訓練だったが、どれも精悍な顔になっていた。
道々、馬を並べた事務官が戦況を教えてくれた。
「昨年の大敗で街を2つ、取られました。今はそれを取り返そうとしている所です」
「戦をしているなんて、村では誰も知らなかった」
「徴兵していませんでしたから。もう田舎にも噂が届く頃でしょう」
ケンは教官から国軍の現状を聞かされていた。人狼によって兵を減らされ、貴族の私兵と傭兵頼みだそうだ。
「指揮官は確か、第八王子殿下だったと思います」
まだ10歳ながら、総司令官を務めている。王家で唯一の魔法使いらしい。ケンはお飾りだと思っていたが、現地で一行を迎えたのは第八王子その人であった。
♡
領都を出て5日目に戦場に着いた。まず事務官のおっさんとケンが大きな天幕に向かった。すると中から小学生ぐらいの男の子が出てきた。赤髪赤目の可愛い少年だ。金の房や宝石が沢山ついた軍服を着ているから、この子が第八王子だろう。
「!」
大鷲を見て驚いている。事務官がケンを紹介した。
「ウエスト伯爵領より罷り越しました。こちらは隊長のケンと申す者でございます」
「よろしく頼む。見事な鷲だ。後で見せてくれ」
「御意」
偉そうな口調だ。少年が手を差し伸べると、ケンは跪いて恭しく口付けた。騎士みたい。少年は千鶴にも手の甲を近づけた。彼女はチョンと嘴でつついて真似した。
「利口だな!早速ですまないが30分後に軍議を開く。そなたも出てくれ」
「承知いたしました」
少年は供を連れて去っていった。後ろを見たら続々と援軍らしき一団が到着している。ケンが呟いた。
「歩兵を出迎えるとは。大した王子だ」
事務官はこれで帰るらしい。ケンに挨拶をすると、声を落として言った。
「…あなた方の訓練内容を王子殿下はご存知です。私がお知らせしました」
ケンは無言で事務官を見た。
「捨て駒などと言って、申し訳ありませんでした」
おっさんが頭を下げた。そんなに悪い人じゃなかった。ケンは赦した。
「良い。事務官殿の立場では仕方がない」
「あなたに召集令状を送ったのも私です。実は…」
なぬ。千鶴は羽を広げかけたが、ケンに押さえられた。
「それも分かっている。俺の妻が美しすぎるんだ」
(きゃーっ!!!)
彼女が悶えている間に、事務官は再び頭を下げて帰っていった。そこへギンが呼びにきた。
「軍議が始まるってさ」
◇
司令部の天幕には、各貴族領の私兵を束ねる者、傭兵隊長、国軍の騎士などが集まっていた。上座に第八王子が座っている。隣には参謀らしき初老の騎士がいた。ケンは入り口近くで立っていた。チヅルは興奮していたのでギンに預けてきた。
「本日到着した者も多い。まずは現状の説明をしよう」
参謀が机の上に広げられた地図を棒で示した。隣国に奪われた街の1つ、タウンフィールドだ。
「ここを奪われたのが昨年11月。雪解けを待って反撃作戦を開始したのが、3週間前だ。今日まで敵は籠城を貫いている」
第八王子が立ち上がり、椅子の横にある台に登った。
「許せ。卿らのように大きくないのでな。…昨年の戦は満月の晩であった。恐らく人狼の能力は月の満ち欠けに左右される。つまり、敵は満月を待っている」
(本当だろうか?)
(あくまで推測だろ? 食料が尽きれば白旗を揚げるんじゃないか?)
弛緩した空気が流れはじめた。王子が声を荒げた。
「今夜が満月だ!敵は来るぞ!我々を蹴散らしたら、次は隣の街が陥ちるだろう。いつかは卿らの故郷に届く!何せ28日ごとに月は満ちるのだからな!」
「!」
とたんに将たちの顔が引き締まった。第八王子は着席した、参謀が今夜の作戦を述べた。
「月の出と共に奴らが来ると仮定する。第1波は歩兵が食い止める。抜けたものを傭兵部隊に任せる。その間、我々国軍と各領兵は街を制圧する。城門は殿下の大魔法にて破壊予定だ。何か質問は?」
傭兵隊長らしき大男が手を挙げた。
「歩兵はどれくらい集まったんだ?」
無礼な物言いに、参謀は眉を顰めながら答えた。
「100だ。ウエスト伯領以外の到着が遅れている」
「それっぽっちじゃ、すぐ喰われちまう。割にあわねぇ」
正直な男だ。おまけに給料の値上げをちらつかせている。すると第八王子がケンを指差して言った。
「彼に策があると聞いた。もし歩兵が1匹も止められなければ、上乗せをしよう。だが半分以上の足止めに成功したら、無しだ。もちろん歩兵にも褒賞を出す」
傭兵隊長は胡乱そうにケンを見たが、それ以上は何も言わなかった。軍議は詳細な指示を伝達して終わった。
◇
「隊長。打ち合わせがしたい」
ケンは傭兵隊長を呼び止めた。向こうもそのつもりだったようだ。隊長が訊いてきた。
「どんな策だ?」
「見てもらった方が早い。来てくれ」
2人は司令部の天幕を出た。すぐにチヅルが肩に降りてきた。隊長はギョッとして剣を抜きかけていた。
「すまない。俺の鷲だ」
「デカいな…」
歩兵に与えられた天幕に着いた。ダン、オルとウィルを呼んで訓練を再現してもらった。随分と上達している。
「なるほど。これなら案外生き残れるかもな。お前ら」
隊長が捻くれた賛辞をくれた。3人の歩兵は笑った。
「最後は本物のイノシシやらクマ相手にしたんですよ!」
「死ぬかと思ったよな!」
「どっから連れてきたのか、未だに謎だよ!」
ギンが生け取りにしたのだ。どうやったのかはケンも知らない。3人を下がらせて、ケンは傭兵隊長に懸念していることを伝えた。
「恐らくとどめは刺せない。皆、ただの農民だ。二足歩行の生き物を殺すのを躊躇うと思う」
「ああ。だろうな。それはこっちで殺る」
「申し訳ない」
「良いって。…お前は違うだろ?」
ケンは曖昧に微笑んだ。隊長はニヤリと笑って去った。作戦開始まであと数時間となった頃、彼は家族を自分の天幕に集めた。
♡
敵は人狼だ。日本には狼男がいないので、千鶴には今ひとつ想像できない。月が出るまでは人間なのだろうか。変化できるなら妖術を使いそうだが、物理攻撃しかしないと言う。ケンは家族に役割を振った。
「俺とギンは危なそうな組を助けてまわる。頼む。ギン、ハク」
「分かった」「お任せください」
少年従者と白い小馬は頷いた。
「チヅルとシエルは偵察だ。上空から敵の動きを見て、知らせてくれ」
「はい。お父さん」
小鷲は素直に承知した。だが大鷲はしゅぴっ!と片羽を挙げた。
「隊長!質問です!」
「何だ」
「妖術での敵の排除は、どこまで可ですか?」
千鶴は暴れる気満々だった。
「できれば魔法は隠しておいてほしい。まあ、バレない程度だ」
「了解です!」
「お前たちが強いのは知っている。だが油断するな。俺の一番は、お前たちだ」
(そうか。向こうは殺すつもりでやってくるんだ)
千鶴はぶるっと体を震わせた。妖同士で本気の戦いは滅多にしない。でも彼が優しく言ってくれた。
「無理しなくて良い。歩兵を助けてやってくれ」
やがて月が出た。一家の、初めての戦いが始まった。




