7、勝負は階級制にしませんか?
鋼ガガガニの鋏を鋏として使うのは現段階では不可能・・・ではないが非効率的というか超面倒臭い。なので鋏を分解し二本のナイフ型にした。左右で計四本、入手した。このナイフは本当に優れ物で、鋼ガガの実が簡単に切れてしまう程の業物だった。ただちょっと蟹臭い。これを使えばあの銀胡桃も簡単に割ることも出来るだろう。だがあの銀胡桃は自分の能力を確かめる為の基準に使おうと思っている。ナイフは主にハンターよろしく魔物を解体するのに使用するつもりである。後、鋼ガガの様に硬い殻の木の実を割るのに使う事になるだろう。ただちょっと蟹臭い。ちなみに現在の俺では銀胡桃は割れない。鋼ガガよりは割り易いはずだと思うのだが。
今の俺ならおそらくあの時の狐ぐらいなら対応できるだろうと思い、行動範囲拡大計画を再開する事にする。勿論油断は禁物だが。少なくとも鋼ガガの木にさえ気をつければその実を主食にしているであろうあのヤシガニに出会う確率は減らせるだろう。しかしあの鋼ガガガニのレベルが俺より高かった理由が何となく解った。鋼ガガの実を一つ食べたらレベルが2上昇した。鋼ガガの実を見つけたら即座に回収、ヤシガニもどきに見つかる前にその場を離れよう。奴が先にそこにいたら近づかない。と自分の中で簡単な決め事をして出発する。本日はあの日狐に・・・と言うよりは己の判断が招いた事件で断念せざるえなかった、川探しをしようと思っている。今思い返しても、よく生きて帰れたなぁと思う。
この異世界に生まれて56日。日数が正確に分かるのは能力値にどういう訳か年齢の項目があるからだ。かれこれ前世で言えば二月程過ごした。にしてもこの世界には月という区切りは無いのだろうか。もし何か不都合が出そうならセッテさんに聞いてみる事にしよう。今日までに何度も通った道を進む。いつもと変わらぬ見慣れた景色に、心が踊る事は無いがやはりどこか安心する。この道は安全だと確信が持てるのも大きな要因だろう。小川で水を飲み上流へピョコピョコと跳んで行く。因縁の地を横目に更に小川を逆上る。するとご自慢の耳に、今までより多くの水が流れている音が届き始めた。間違っていなかった・・・まぁ小川に沿って移動しているだけだから、どうやっても間違いようが無いんだが。主流が近づく、まだ開けた事の無い扉を開く時の様に少しワクワクする。おっと、油断は禁物だと出掛ける前に自分で言い聞かせたじゃないか。俺にとっては未踏の地だ、警戒しなければ。同じ轍を何度も踏む訳にはいかないからな。
木々と茂みの間を掻き分ける様に抜けると、辿って来た小川の三倍程の幅のある川が現れた。これくらい川幅があれば、鮭とはいかなくても鮎位の大きさの魚がいそうだな。視界にはまだ捉えられてはいないが。集中して探したいところだが今回は初めてだからとにかく警戒だ。もしかしたら魚を探す為の技能もあるかもしれない。そう言えばこの世界の魚は俺を襲わないのだろうか。可能性としては零では無いよな。頭からがぶりなんて事は無いよなぁ・・・。少なくとも鮎位の大きななら丸呑みにされる心配は無さそうだが。
おそらくこの川も支流だろう。辿れば合流する場所があるはずだ、そのうち行ってみるか。とりあえずまずはこの辺りを調べてからだ。この場所までの安全をある程度確実に確保出来る様になってからだな。あとこの世界の魚が俺を襲うのかを確かめないとな。捕って食うつもりが逆に食われてたら意味がない、慎重にいこう。今後の方針を思案していると、眼下の水の流れの中を何か細長く黒い影が移動するのが見えた。いた。その黒い影を首を回して目で追う。一つ気が付いた。気配察知には引っ掛からない。この技能魔物にしか反応しない。じゃない、魚は察知出来ないらしい。という事は、魚は魔物では無いらしい。少なくとも今目の前を通過したアイツは。ヤシガニは魔物なのにな。分類がよく解らないな。そういえば昆虫の、虫の類は、蝶やバッタは魔物じゃ無いんだよな。ここまで出会っていないだけかもしれないけど。蟹は蜘蛛の仲間だよな確か・・・。ま、分からんものは分からん。それよりも魚を探す技能があるかもしれない、後で探してみよう。
一回見つけると、目が慣れるのか近くを通過する魚を見つけられる様になった。鮎だろうか鱒だろうか結構泳いでいる。これなら俺でも捕ることが出来そうな気がする。流石に熊みたいに前脚で掬い上げる事はできそうもない。この流れの中に入って捕るのはちょっと無理がありそうだ。やはり角兎たる俺の最大のアイデンティティーであるこの角を使うのが良さそうだ。上手く捕れる様になるまでには、ある程度練習が必要だと思うが。ということで練習のつもりでやってみる事にする。川の縁に立ち、水の流れに逆らって泳ぎその場に留まっている魚に狙いを定める。息を殺して間合いを計る。二三度試してみたが、俺の呼吸を読まれているかの様に避けられる。思った通り簡単じゃない、簡単じゃないが慣れてくればなんとかなりそうな気もする。こちらも何か良い技能があるかもしれない。今日はこれくらいにして帰ろう。帰り道で食料を少し確保しよう。
帰る前にちょっと川の上流の方に視線を向ける。思ったより近くに合流する所がありそうだ。下流の方にも目を向けてみる。結構遠くまで続いている事だけは分かった。もう少し遠くを見る事が出来たらなと思った時、そうだと思いつく。木の上から見れば良いんだと、近くの木に登る。乗っても大丈夫そうな枝に立ち景色を眺める。視点が高くなり確かに遠くまで見える様にはなった。だけど森の中なので意外と木々が視界を遮り思ったより見通しが良くない。残念。さて今日はこの辺でと木を降りようとした時だった。
突然に何かに押さえ付けられた様な感覚に襲われ、身体の動きが鈍った。辺りを探る。どうやら他の魔物に直接捕えられた訳ではない。急に重力が増えたのか、空気が重くなったのか、どちらの可能性もある。そしてこれが何者かの技能の可能性がある。気配察知の技能を最大出力で発動させる。発動させた事を後悔したくなる程の戦慄が走る。気配のする方へ小刻みに震えながら首を回す。どれくらい離れているのだろうか、かなりの距離があると思われるが、それでも大きいと判る黒い塊を見つけてしまった。その黒い塊には顔があり、その赤い目が明らかにこちらを向いている事が確認できる。十中八九アイツの何らかの技能である事は間違い無さそうだ。魔物鑑定をしなくてもアイツが何であるかは検討がつく。それでも何かの足しに、相手の事を知らなければ対処のしようもないと魔物鑑定をする。・・・やっぱりか、こうならないように立ち回っていたつもりだったんだけどなぁ。
ある日、森の中で、俺は、出会ってしまった。熊さんに。赤目熊。熊さんなんて可愛いもんじゃない。索敵能力が高過ぎないか、これじゃモリノーク・マサーンだ。勘弁してくれ軍曹。既に見つかってしまっている以上、とにかく逃げなければ。声を出し気合を入れると、不明の技能を多少撥ね退けたのか先程より身体が動くようになる。
『技能・威圧軽減を取得しました。』
威圧軽減。助かった。威圧だったか。
「セッテさん、その威圧軽減、今のポイントで幾つまで上げられる?」
『最大でLv7まで可能です。』
何か他に必要になるかもしれない、少し残しておこう。
「Lv5まで上げてください。」
『承認しました。技能・威圧軽減がLv5に上昇しました。スキルポイントを500消費しました。』
身体がかなり動くようになった。まだ動きが鈍いのは威圧を全て無効化出来ていないのか、緊張で身体が強張っているのかは判断できない。だがそれくらいの差でしかない、充分だ。木を駆け降り熊と距離を稼ぐ為に、向かって来るであろう方向と逆に駆け出す。勘弁してくれよ、何で俺みたいな兎を狙うんだよ。こんなに小さな兎、腹の足しにならないだろう。鮭の方が俺より食いでがあるだろ。
一心不乱に走っていたが、後方から徐々に近づいて来る大きな気配を感じる。気配と一緒に音と振動も伝わって来る。走りながら首を後ろへ向ける。流石に木を薙ぎ倒しながらではないが、藪や茂みはあって無いようなものとして直進して来る。速い、そういえば熊って時速60kmで走れるんだっけ。思い出して、「ひぃっ。」と悲鳴を漏らし冷汗を流しながら前を向く。どうしていつもこんな目にと、泣き言がよぎる。俺が何したってんだ、くそう。後頭部と背中に圧力の様なものを感じ始める。始めにあった距離はそろそろ無きに等しい状態だ。この距離をこんなに簡単に詰められてしまうのなら、このまま逃げ続けても逃げ切れる可能性は極めて低そうだ。無駄かもしれないが、闘った方が可能性が高そうだ。0.5%が2%くらいになるだけかもしれないが・・・。でも四倍だ。そう腹を括って立ち止まり、振り返って待ち構える。追手と対峙する前に地形を簡単に確認しておく。強者と解る気配が、俺が動きを止めた事を察知しているのだろう、走るのを辞めゆっくりと近づいて来る。目の前の藪が何の抵抗もできずバキバキと音をさせて左右に割れ、赤目熊が目の前に姿を現す。
でかい。一体俺の何倍あるんだ。体格差があり過ぎるだろ。体長は3m50cmはあるだろうか。でかすぎる。何が赤目熊だふざけんな、こんなの俺からしたら赤カブトだろ。頼むぜ、ファンタジー。俺は何処ぞの流れ星じゃ無いんだぞ。こちとら抜刀する牙も持ち合わせちゃいないんだぞ。まあなんとか甲斐の忍犬の真似事ぐらいは出来るかもしれないが、真似事でどうにかなるとも思えないんだが。せめて階級制になりませんかね・・・そうですよね、野生は何時でも無差別級ですよね。あぁ、分かったよ。やってやるよ、ワイルドライフ。俺が只の兎でない事をお前の魂に刻んでやる。たとえこの俺がここで命尽きようとも、二度と兎を襲いたく無くなる様にしてやる。俺、Lv39。赤目熊、Lv58。・・・無理かも。
赤目熊は身体が大きい分、小回りが効かないだろう。なるべく死角に周り込んで攻撃するのが定石だろう。一撃必殺を狙わず、少しづつ削るしか無いだろう。林間跳躍を使い熊の後方に回り込む。熊に角を向けて跳ぶ。これを何度も繰り返していく。的が大きいので思ったより攻撃が当たる。それでも熊の方もただ棒立ちに成ってこちらの攻撃を受けている訳もなく、身体を捻り回避行動をする。回避行動のつもりは無く、なるべく早く俺の方へ向き直っているだけかもしれないが。確かに致命傷になるような攻撃は通っていないし、今負った傷を気にしている様子も無い。やはり俺の攻撃などかすり傷程度でしか無いのだろう。熊も見た目通りで、攻撃は大振りで回避は落ち着いて対応すれば容易だ。一撃でも貰えば終わりなのは間違いないが。
このまま死角に回り込む攻撃を続けても自体は好転しないかもしれない。熊の方も徐々にだが慣れてきた様にも思う。反応速度が上がり、対応が早くなってきた。少し攻撃の選択肢を増やす事にする。林間跳躍で次の木に跳び移り、少し上に駆け上がる。そこを始点に上から下への弾道で攻撃に変化をつける。上から攻撃し、回り込み低く跳ぶ。選択肢が増えた事で先程より翻弄出来ているようだ。続いて足周りに攻撃を集めて、相手の機動力を奪おうと考える。その策を実行するにしても、今のかすり傷程度程度では決め手を欠く。何処かで思い切らないと、全く効果が無さそうだ。それでも慎重に機会を伺う。攻撃の中に、流星弾を混ぜ始める。どうしても溜めが必要な為、多少危険はある。熊が力一杯振る腕を集中して見極め掻い潜る。
状況を打開出来る程の攻撃を決められないまま時間が過ぎる。時間と共に疲労もしてくる。赤目熊の方は、身体の大きさに比例しているのだろう、まだ余裕がありそうに見える。あんなに全力で方向を変え、腕を振り回しているのに。やはり何処でも構わないから、能力を削ぐ様な、機能を奪う様な一撃が必要だ。
「セッテさん、何か良い案はありませんか。」
『提案、鋼ガガの実を使用するのはどうでしょう。』
「推奨じゃないんだ。ってどう使うの。」
『上から落とすのはいかがでしょう。』
落とす。どうやって、持ち上げる事も出来ないんだぞ。あ、アイテムボックスから出せば良いのか、熊の上で。いけるかもしれない。凄いなセッテさん、流石。直ぐ様一番近くの木の幹を垂直に駆け登る。熊は木を登れたはず、木に近づいてきたのを確認して熊の真上の位置へその場からもう少しだけ距離を稼ぐ為に上へ跳ぶ。アイテムボックスの口を下に向けて開き鋼ガガの実を取り出す。異空間からその姿を現した鋼ガガの実は、久し振りに思い出したかの様に重力に引かれ降下を始める。赤目熊は俺を見上げ、左腕を俺の昇って来た木に掛け余った右手を振り回している。落下し始めた鋼ガガの実を追い駆けその上に飛び乗る。このまま自由落下では当たる直前で避けられるかもしれない。だから力を加えて速度を上乗せする。ここだ、と左右両方の後脚を最大限畳み力の限り下方に押し込む様に蹴り出す。
ーー白兎流格闘術・影技・重下鋼弾砲ーー
蹴り出した反動で真上に跳び上がる。技に名前を即興でも付けたのは、その方が只の攻撃よりほんの僅かだが補正が掛かる事をセッテさんに聞いていたからだ。影技と分類したのは、道具を使う事が前提の技故に格闘術の正道とは一線を画すと考えたからだ。ま、完全に自己満足だけどな。
上昇した俺の真下から、鈍くて重い音と同時に悲鳴とも咆哮とも判らない声が響く。無事命中したらしい。熊はその場にうつ伏せに倒れている。鋼ガガの実は左右の肩甲骨の間に納まる様に乗っかている。どれ程アイツに傷を負わせる事が出来たか判らないが、おそらく骨折、最低でも骨に罅が入っただろう。鋼ガガの実がどの辺りに当たったのかは見ていなかったので判らないが。だがあの赤目熊が動きを止めているこの状況、絶好の追撃の機会。体勢の上下入れ替え、頭を、角を真下に向ける。自分の頭の後ろに身体の全てを隠す様に一直線にし、空気抵抗を極力減らし急降下する。このまま角で突くという選択もあったが、体勢を元に戻し思い切り四本の脚で踏ん張るように熊の背中の上の鋼ガガの実の上に着地する。「ぐうっ」と短いうめき声が聞こえたが思ったより効果は無かったかもしれない。鋼ガガの実を回収し、熊の身体を伝い先程と同じ木を再び駆け登る、全速力で。前回よりは少し低めの位置だったがアイツが立ち上がる前にと、幹を蹴り飛び出す。鋼ガガの実を取り出し、同じ手順を繰り返す。二発目の重下鋼弾砲は左の肩甲骨の下辺りに命中し、その砲弾は地上へと転がり落ちた。それでもまだと、熊の背中に着地して木を駆け上がる。今度の砲弾を自分に変えて、幹を蹴り背面で飛び出す。
ーー白兎流格闘術・月面宙転流星弾ーー
あの獣神にあやかって。身体を流線型に折り畳み急降下する。歯を食いしばり、来るであろう衝撃に備える。ドンという音と、それこそ分厚い肉にぶつかったと解る衝撃が兎の小さな額から全身へと伝わる。手応えあり。その直後、バキッと何かが折れる音がする。根本2cm程を残して角が折れた。これぐらいは想定内だ、慌てる事無く角再生の技能を使う。
『技能・即時角再生を使用しました。残り使用回数は5回です。』
再生回数をスキルポイントを使い増やしておいた。最大で6回。想定としては5回までは即時に再生させる、最後の1回分は予備というか保険のつもりだ。角は赤目熊の左の腰辺りに命中した。折れた角は刺さった場所にそのまま残っている。棘が刺さったのとは比べ物にならないであろう痛みに、身を捩り声をあげている。俺は少し距離を取り、次の一手を考える。あまりアイツに時間を与えずに畳み込みたい。もう一度同じ様な機会が訪れるとは限らないからな。溜めの体勢を取り狙いを定め、跳び出す。狙い通り右の内腿に命中した。刺さった角をその太腿を足場に跳び、引き抜きその勢いを利用し再び距離を取る。
痛みの影響もあるのか、鋼ガガ砲の衝撃による痺れが取れて来たようで、遂に体勢を立て直した。だいぶ力を削ぐことが出来たはずだ。そう願いたい。だがこちらに向き直った赤目熊の目が、痛みと怒りで更に鋭く赤く光っている。頭に血が昇り冷静さを完全に失っている。闇雲に腕を振り回し襲って来る。避ける事はさほど難しくは無いが、こうも闇雲だと今度は近づくのが難しい。回り込もうにもなかなか隙が無い。このまま相手の体力が尽きるのを待つのは少し現実的じゃない。身体の大きさから考えても俺の方が体力的にはまだ不利な可能性がある。どうにかして間合いの内側に入り、攻撃する機会を狙った方が良さそうに思う。何か一瞬でも怯ませる事が出来れば・・・ある。あるぞ、相手に決定的な被害を与える事はできそうもないが、牽制には使えそうな技能が。
「狐火!」
暴れ熊の顔目掛け放つ。威力はLv2で。実はLvを4まで上げてみたのだがレベルによる効果の違いが感じられなかった。とにかく今回は威力よりも回数を重視して使用する。それでもバレーボール程の火の玉が飛んで行く。顔に火の玉が当たり、虚を突かれ混乱している。概ね成功。素早く頭の真下辺りに滑り込み、喉元を目掛け渾身の力を込めて跳び上がる。今の俺にはこれしか無い、虎の子の白兎流格闘術。自分の顔を両手で交互に払っていて上半身が左右に揺れて的がずれ、左の肩口に突き刺さる。思ったより浅い、威力が足りなかったか。狙いが外れた事は多少残念だが、外れた訳では無い。もう一度だと切り替え、刺さった角を抜こうとした。だが赤目熊も走った痛みに反射的に右手を振り下ろす。角の刺さったままの俺の左側の腹を抉り、角だけをその場に残し右側へ弾き飛ばされた。俺の腹から血飛沫が舞う。かつて無い激痛が走る。これが大したもので地面にギリギリで叩きつけられず、なんとか着地出来た。流れ落ちる血を止めようと、全力で兎の癒しを使う。折れた角も再生させる。
傷は一応塞がったが、傷跡は消えなかった。きっちり爪四本分の跡が残っている。構うものか、血は止まった、まだ生きている。相手が痛みに悶えていてくれたおかげで、回復の時間が取れた。・・・そろそろ決着をつけよう。もう余力も手段も持ちそうもない。次の一撃を確実に急所に当てよう、全力で。出し惜しみは無しだ、全部使う。狐火を最大出力で使うのは良いとして、問題は流星弾の方だ。今のままでは若干威力が足りない。これ以上威力を上げるにはどうしたら・・・。そうか。
意識をこちらに戻した赤目熊が構える。どうやらかなり疲弊しているようで、闇雲に襲うのを辞め狙いを定める様に間合いを計っている。さあ、終わりを始めようか。自分に喝を入れるのと、威嚇と挑発の意味合いを全部乗せで咆哮する。赤目熊は少し驚いた様な反応をしたが、すぐ呼応するように咆哮し、その身をこちらへ進める。思惑通り釣れたらしい。間合い入ったと思ったのだろう、勢いよく右腕を俺に目掛けて振り降ろす。来ると分かっているものを躱すのは容易だ、その腕を振り降ろした赤目熊の懐へ飛び込む。入った懐で真上を向き覆い被さっている赤目熊の頭部を狙い、最大出力の狐火を発射する。大玉の西瓜程の火球が赤目熊の顔を包む。炎上する頭部を両手で押さえ天を仰ぎ咆哮する。その様子を己の安全を確保しつつ、離れすぎない距離を取り見つめる。暫く踊るように悶えていたがなんとか鎮火してホッと一息をつく。動きが止まるこの瞬間を待っていた、最大限力を溜めながら。弾かれた様に跳び出す、溜め込んだ力を全て乗せて。跳び出しその直後に身体を角を軸に思い切り回転させる。
ーー白兎流格闘術・螺旋流星弾ーー
鈍く重い音が全身に伝わる、そして本日何度目かの角の折れる音がする。閉じていた目を開けると、狙い通り命中した事を確認できた。赤目熊は喉に突き刺さった俺の角のせいで、声にならない断末魔を上げ仰向けに倒れた。
『レベルが上昇しました。』Lv51
『スキルポイントが110加算されました。』
全身の力が抜け、その場にへたり込む。今回もなんとか生き残った。一気に11も上がった・・・。これだけで壮絶だった事を実感する。
『アイテムボックスの収納可能個体の容量が更新されました。』
そういえばそんな制度があったな。ちょっと忘れてたよ。
『レベルが規定値に達しました。種族進化が可能になりました。種族進化をしますか?』
「進化?ちょっと待って。今じゃなきゃ駄目なやつですか?」
『否、否定します。』
「あぁ良かった。後でゆっくり考えます。今は保留でお願いします。」
『了解しました。何時でもお呼び下さい。」
助かった、慌てて適当に選びたくないからな。家に帰ってゆっくり考えよう。
またしても奪ってしまった命に頭を下げる。この命も無駄にはしないように回収する。勿論、鋼ガガの実も忘れずに回収する。今回大活躍だったな。まさかこんな使い方するとは思わなかったよ。
「セッテさんのおかげで助かったよ。ありがとう。」
・・・返事がない、ただの屍のようだ。
『否、否定します。屍ではありません。』
「こっちは反応するのか!」
『生きていると定義するのも難しいですが。』
「確かに。・・・とにかく、ありがとう。」
『お役に立てたのなら、なによりです。』
体力を回復する為に数個の木の実を食べる。薬草も二つ程食べ、傷を負った腹を見る。傷は塞がっているが傷跡は残っている。綺麗に俺の綿毛の様な毛が引っ掻いた爪の本数と同じ本数分無くなっている。ちょっと自分で擦って、まぁ良いかと思う。色々な事が頭の中を駆け巡るが何一つまとまらない。おそらく何も考えていないのと同じ状態なのだと思う。疲れてるんだろうな。一息ついて少し落ち着いた。さあ帰ろう。勿論角は再生させる。
帰り道、気配を察知・探知する技能の向上もだが、自分の気配を消すような技能も早急に取得しなければと思う。一時的にでも気配を隠せるものでもあれば助かるのだが。他にする事もあまり無いので、暇さえあれば一覧を眺めてはいるのだが。今回のレベルアップで開放された技能もあるだろう、帰ったら早速確認してみよう。そういえばと、全然別の事だがふと気になってなんとなくセッテさんに聞いてみた。
「兎の俺でも獣神に成れるかな。」
『是、肯定します。可能性は0ではありません。』
「ははっ・・・いいね。じゃ目指して見ようかな。」
口角を微かに上げる。足取りも心なしか軽くなる。我が家まであと少し。