6、勝負はじゃんけんにしませんか?
新たに取得した技能を試したり、他の使い方や他の技能と上手く組み合わせて使えないかと試行錯誤してみたり、実感してみたり、それを踏まえて次に取得する技能を何にしようかと思案したり。こういう事は結構好きだ。考えているだけで少し楽しい。その中で解った事や気が付いた事がある。あれから二日程してからだった。植物の名前が判る様になっている事に気が付いた。技能開放と技能レベルの影響だろうと考えられる。植物鑑定の技能だろう。まあセッテさんに聞けば良いんだろうが、答えだけを聞くのは何だかつまらない。緊急時以外はなるべく答えを聞くのは控えている。もしくは自分の考えた答えが合っているのかを確かめる時に聞く様にしている。いつもセッテさんは是か否で、否の場合は間違いを丁寧に訂正してくれる。ありがたい限りだ。
植物鑑定は一応植物ならどんな物でも鑑定できる。食べられる・食べられないの他に食べなくても良い物・食べない方が良い物も判別できる。そしてその植物の簡単な効果も教えてくれる。それが薬草の様な効果があるとか毒草であるとか。薬草ならほんの少し傷を癒やしたり毒の進行を遅らせたり、物によっては傷を治す物や毒を打ち消す物もあるようだ。毒草ならそれが致死毒なのか麻痺毒なのかみたいな事、遅効性か即効性かなどを教えてくれる。薬草も毒草もとりあえずアイテムボックスに放り込む。勿論乱獲などはしない様に心がけている。念の為、薬草類は多少多めに摘んでおいてはいるが。効果が低めの薬草を幾つか食べてみたが、不味くはないが少し苦目に設定されていた。まあ良薬口に苦しって事かな。
いざという時に薬草をモシャモシャ食べる訳にもいかないので、回復の為の技能は必須だろうと判断した。取得可能な技能の中から、兎の癒しという技能を取得した。ちょっとした切り傷程度なら瞬時に治せる。技能のレベルが上がればもう少し大変な傷も治せるようになるだろう。MPなるポイントを消費して使うことが出来る。つまり使用回数に制限がある。消費したMPは時間が経過すると徐々に回復する様だ。MPが魔法力なのか精神力なのか或いは両方かは分からない。この兎の癒しでは先日切れてしまった耳の傷口を塞ぐ事は出来たが完全に治す事は出来なかった。セッテさんによれば進化をする時に治す事が出来るらしい。暫くすればこの状態にも慣れるだろう。進化の時まであまり気にしないでおこうと思う。ちなみにHPという項目は無い。
これからの行動範囲拡大の為に必要だろうと、気配察知、消音歩行の技能も取得した。どちらもLv1なので効果の方は如何程かと思うが無いより絶対に良いはずだ。優先的にレベルを上げていくべきものだろう。この他にも気配を消すもの、他者の気配を察知するものが取得可能になれば優先的に取っていこう。それと合わせて逃走用の技能も、身体能力を向上させたり、姿を消したり出来る様な技能があれば取得していこう。
狐火・狐風の技能なのだが、ご想像の通りいわゆる魔法の様にMPを消費して火や風を操る事ができる。正確には狐火は小さな火の玉を、狐風はマウスピース位の風の刃を出すことが出来る。技能のLvが1なのかあまり威力が無く、使い勝手はあまり良くなさそうだと感じた。試しに技能のレベルを上げてみる意味を込めてやってみたがそれでもあまり効果を実感できなかった。『狐火だからです。兎と技能的相性があまり良くない為です。』とセッテさんが質問に答えてくれた。なるほど、技能的相性もあるのか。兎火なんてものがあれば同じレベルでももっと効果が有るのか。別にいいか、無いものは無いし狐火だって有って損はしないだろう。だって火や風が出るんだぜ。まぁ森の中で火を使うのはかなり難しそうだけどな。本当に緊急事態の場合だけにしよう。
方向感覚を取得した事で東西南北を簡単にだが意識できるようになった。この世界でも方角は東西南北なんだと思ったら、セッテさんの説明によると表現として俺に理解できる言葉に変換されているとの事。そういう事かと納得する。外国語を一度自分の国の言葉に直して理解するんだから結局同じ事か。一回分手間が省ける分、楽だ。そして方位が決まると今まで薄っすら頭の中に描いていた家周辺の地図が、北を上に修正される。不思議なものだ。これで前世が北半球の住人だった事が確定した。・・・まあ始めから日本人だった事は自覚しているが。家の裏手、あの大きい山の有る方が北だ。
技能獲得に消費したスキルポイントを貯める為に、意識的に木の実を食べる。家に帰って一日の終りにどれくらい増えたか確認するのがちょっとした楽しみになる。その日の行動で能力値が僅かだが上昇するのも嬉しい。訓練の結果が数字に反映されるのは単純にやる気が出る。
技能の効果の一つ一つはそんなに大きくは無いが、それでもその恩恵はやはり大きく行動範囲がかなり拡大した。勿論運動能力的にも向上している。それはそれとして行動範囲が広がると外敵に遭遇する機会も増える。あの狐程の相手には出会わないものの、何だかやたらと様々な生き物に襲われる様になった。どうやらこの今まで「動物」だと思っていたものは、俺を含め「魔物」と呼ぶようだ。何度目かの撃退、ではなく撃破に成功した時、技能・魔物鑑定を取得したので判った。そりゃあまあそうだよな、角のある兎や火や風の魔法?を使う狐が普通の動物であるはずは無いわな。むしろスッキリしたぐらいだ。只そうなるとますます気を付けないといけない事がある。普通の動物の、前世の常識は通用しないという事だ。思いも寄らない魔物がこの森にも生息している可能性があると思って行動しなければ。ライオンやマンモスやキリンに出会いませんように。遠くからでも見つけられるだろう、見かけたら逃げるべし。
襲ってきた魔物は蛇やら鼠やら栗鼠やら鶏やら、俺より遥かに大きい魔物ではなかった。かろうじて鶏が同じ位の大きさだった。襲って来るのはしょうがないとしても、少しおかしい気もする。明らかに俺の方が強者だと思われるのに襲いかかってくる。蛇や鼠は兎を襲う事もあるだろう。それでも野生の生き物なら自分より強そうな相手に襲い掛かるだろうか。どうも納得がいかない。っていうか何で栗鼠や鶏まで襲ってくるんだ。肉食の技能を持ってる兎の俺が言うのも何だが、栗鼠って草食じゃないのか、鶏って草食じゃないのか。俺だって後付だぞ、おかしいだろ。襲われる理由が全く解らない。まあ対応出来るから別に良いんだけど、こう多いと面倒くさい。気配を隠す訳でもなく近づいてくる。兎は格下の存在だと思われているのだろうか。その割には攻撃がお粗末なんだよな。この前の栗鼠なんか三匹で襲ってきたのだが、連携するでもなく闇雲に突っ込んでくるだけだった。木の幹を足場に木から木に飛び回り翻弄してるつもりだったのだろう。だがじっとしていると結局最後は俺に向かって一直線に飛びかかってくる。なので俺は飛んでくる栗鼠に角を向けると勝手に串刺しになる。なにせ一匹づつ飛んでくるので順番に勝手に角に突き刺さった。俺はほとんど何もしないまま事なきを得る。意味が解らない。せめて一度に三匹飛びかかってくるようなら苦戦もしたかもしれないが。蛇も気配は察知していたので放っておいたのだが、何も考えていないのか単純に大口を開けて飛んできたので上に跳び避ける。そのまま蛇の身体の上に着地し、押さえ付けて頭を角で突き終了。鼠と鶏も似たようなもの。別に強い相手に会いたい訳では無いが野生の生き物がこんなに知恵が無いとも思えないのだが。まあそのおかげでレベルも上がったが。倒した相手は勿論美味しく戴いている、命を無駄にしない様に。それに伴い蛇言語や鳥言語などを含む幾つかの技能を取得した。そして新たに取得可能になった林間跳躍、垂直歩行、木登りを取得した。
その日は行動範囲の拡大はお休みにして、木の実集めをしようと決めていた。毎日のルーティンを済ませ、先日水路を整備して家の側に作った水場で水を飲む。結構頑張った。整備に計5日かかった。その甲斐あってだいぶ便利になった。今日は南西の芳香胡桃の木が群生している場所へ行こうと出発。通い慣れた道でも、植物鑑定のおかげで新鮮に見える。能力値の上昇も世界を少しずつ鮮明にしてくれる。新しい体験だ。五感なんて歳と共に衰えていくものだったからな・・・。おっと、今の俺は生まれたばかり。成長期だってこれからだぜ。なんて事を考えていたら目的の場所に着いた。随分と運動能力も上がったものだと自分でも感心する。
今日は幾つ拾えるかなと辺りを見回す。1、2、3、4・・・8個。おお結構ある。二つばかりその場で食べる。うん、今日も美味しい。何時食べても、幾つ食べてもちゃんと美味しいのは凄いな。それだけで嬉しい。六つを回収し、今度はここから東にある三日月カシューナッツの群生地に向かう。まさに三日月の様に先が少し尖ったカシューナッツだ。これもなかなか美味しい。どうやら俺は木の実が好物の様だ。ここでは3個収穫した。拾い忘れは無いかなと軽く確認してその場を後にする。ここから更に東に少し行くともう一つ別の木の実の拾える場所がある。そこで拾えるのはピピタスと言う名前の木の実だ。ピスタチオみたいな名前で見た目もだいぶピスタチオに似ている。只この木の実、味はどちらかと言えばピーナッツに似ていて、なんと一番の違いは外側の殻も食べられるのだ。味も確かに美味しいがピピタスは何と言っても食感がとても楽しい。お気に入りの木の実の一つだ。ピスタチオと名前が似ているので、ごっちゃになりそうになる。今のところピスタチオ御本人に出会っていないので問題は無いのだが。ピピタスの木が生えている場所に着く。今日はついてる、なかなかの数が落ちている。つまみ食いをしながら一つ一つ拾っていく。その作業をしている途中で、右目の端で何かキラリと光る物を捕えた。ハッとして瞬時に警戒態勢を取りそちらへ身体を向ける。いや気配察知を怠った訳では無い、と言うより気配は無い。警戒しながら光を感じた場所に目を凝らす。そしてゆっくりそこへ近づいて行く。するとまたチカっと瞬く。そのおかげで場所を特定できた。目を細め更に近づくとその正体を見つけることが出来た。胡桃だ、それも銀色の。まるで腕の良い職人が技術を披露する為に金属で作った様な胡桃だ。鑑定をしてみる。理由は解らないが興奮する。銀胡桃、らしい。木の実だった。別にそんな事をする必要もないのに、辺りを見回しながらコソコソとその銀胡桃を拾いサッと回収する。残りのピピタスも急ぎ足でアイテムボックスに放り込み帰宅する。
家に着き、定位置に納まる。先程拾った銀胡桃を取り出し目の前に置く。何を思うで無く、じっとその銀胡桃を暫く見つめていた。ただ無心で。綺麗だなとか、良く出来てるなとか、硬そうだなとか、何の為にとか、どんな味かなとか、そんな事も考えていなかった。理解が追いつかなかったんだと思う。でもなぜか心を奪われたんだと思う。凄いな、ファンタジー。こんな物があるなんて。それでもこれは木の実。食べてみるべきだろうと結論を出す。特別な高級品を食べる時の様にちょっと緊張する。でも金属みたいな質感なので力を込めないと、と思う。スッと息を吸い思い切って噛みついた。
「かっっっ、た・・・。」
まるで歯が立たない。幸い金属を噛んだ時のあの不快な感じは無かったが。まさかこんなに硬いとは。今の俺では此奴を食べる事は出来ないのか。つまり能力値が足りないって事だな。咬力と齒・牙の値だろうな、必要なのは。〜力という項目の他に、毛皮、歯・牙、爪、角、骨の項目がある。毛皮と骨だけでも良いような気もするんだが。もしかしたら爪だけ金属の様な魔物もいるのかもしれない。まあそんな俺も、角の値がこの中では最も高いんだけど。ん?角ならなんとかなるのか・・・いや、胡桃が固定出来ない。非現実的だ、暫く保留だな。西側の壁に都合よく床の間の様になっている小さなスペースにちょこんと銀胡桃を飾る。殺風景だった部屋がこんなに小さなインテリアでも彩りが出る。それだけでも満足した様な気になる。その日から、一日一回銀胡桃を噛むのが日課に加わった。
肉食の技能を手に入れてから、ずっと試してみたい事があった。魚を食べる事ができるのだろうかと。少なくとも食べてみたいとは思う。水路の整備をした際、小川の下流に小さな池を発見していた。そこに小魚が泳いでいたのも確認済みだ。という事で本日は魚を獲りに行ってみる事にする。お出かけ前にいつもの準備運動をして、自宅の上から目的地の方を確認する。庭に戻り、取得した技能の使い勝手を確認する。春風草と芳香胡桃を食べ、一休みしてから出発した。
気配察知には今のところ反応は無い。道を進みながら、ふとセッテさんに聞きたかった事を思い出したので聞いてみた。
「セッテさん、ここって何かのゲームの世界?」
『否、否定します。』
「ありがとう、ちょっと確認したかっただけ。」
気になってただけだ。いわゆるこういうゲームをやる方では無かったので俺が知らないだけかと思っただけだ。やっぱり違う様だ。ゲームみたいなシステムがある異世界なのだと再確認しただけ。このシステムにも理由があるらしいし。きっといつか分かるだろう、それまで生きていられれば・・・。
水の気配が近づいてきた。音と匂いでも感じられてくる。そうそうあの大きな木が良い目印だ。方向感覚と帰巣本能の技能を所得してから木の幹に傷を付けなくなった。どちらもスキルポイントを使ってLv2に上げた。池は自宅の庭の二倍位の大きさがある。水は澄んでいて、泳ぐ小さな魚の姿も簡単に見つける事が出来る。底も直ぐに確認できる、そんなに深く無さそうに見える。よほどの事が無ければ溺れる危険は無さそうだ。小川がゆっくり流れ込んでいて、丁度その相対する位置ぐらいに流れ込んでくる幅より少し狭まって流れ出て行っている。池の周りは少しだけ拓けていて、森の中にしては木々や藪の間隔が広くなっている。草類も疎らに生え、白や黄色の小さな花もちらほら見える。日の光も差し込みとても良い景色だ。さて始めますか。
とてもじゃないが池の縁から捕獲するのは難しそうだ。始めからそのつもりではあったが、意を決して池へとゆっくりと入る。汚れた身体を洗う時に小川に入る事もあるのでそんなに抵抗は無いのだが、それでもやはり冷たさは感じる。
そこからは暫くの間、夢中になって小魚を追いかけ回した。予想通りだったが、全く上手くいかない。しかし水遊びをする子供の様に、ばしゃばしゃと池の中を跳び回る。我に返ったのは『技能・水泳を取得しました。』のお知らせを貰ったからだ。どうやらセッテさんによると、1時間半ほど池の中で水遊びをしていたらしい。今回はここらで終わろうと地上に上がる。水から出る際に急に身体が重くなる感覚を前世から考えても久しぶりに味わった。忘れていた童心を思い出し、無意識に口の端が僅かに上る。成果は二匹。まぁ初めてだし、しょうがない。慣れてくればもう少し捕れるようになるだろう。捕れすぎるのも良くない。もしかしたら魚が小さすぎるのかもしれないし。鮭ぐらい大きければ、この角が役に立つかもしれないし。ただなぁ・・・そうなるとまた川の主流を探さないと駄目だよなあ。狐に出会っちゃた地域なんだよな、行くならもう少し成長してからかなぁ・・・。
身体をその場でブルブルと左右に振り毛皮の纏った水分を払い飛ばす。水遊びは自分の想定より体力を奪われる、つまり疲れた。体力を回復させる為に池から二三歩離れた場所に腰を下ろす。ピピタスを3粒、三日月カシューナッツを一個、小魚を一匹取り出す。木の実には微量ながら体力を回復してくれる効果がある物がある。今手持ちで一番効果が高いのは三日月カシューナッツだ。ピピタスにもその効果はある。全て食べ終わり、池に流れ込んでいる方の小川に向かい水を飲む。流石に散々暴れまわった池とその下流側の水を飲むのは躊躇われたので、一応。たぶん大した問題では無いと思うが。もう一口と思い、小川に顔を近づけた時だった。あの目印の大きな木の下辺りで草の揺れる音がした。
緊張が走る。気配察知にも確かに気配を感じる。その気配を感じる方向を凝視する。何かいる。あちらも俺に気づいたのかゆっくりとその姿を見せる。一瞬、目を疑う。蟹?・・・ヤドカリか?バスケットボールぐらいの大きさの胴体に複数の長葱位の太さの脚と胴の長さの倍位の長さの鋏と思われるものがついている。色は水色だ。目が合ってしまった。どうやら気づいたのは同時くらいだった様だ。目が合って思う、やっぱり俺を襲う気らしいと。なぜだ、なぜこうも狙われる。兎は最弱生物という認識なのか。
魔物鑑定をしてみる。「鋼ガガガニ」と言う奴らしい。鋼ガガって・・・アレか、あのラグビーボールぐらいの鉄の塊みたいな木の実だよな。って事は、ヤシガニの類か。なんでそんなのがここに・・・あぁそうか、あの大きな木が鋼ガガなのか。え?鋼ガガガニって事はあの木の実を食べるの?どうやって、って言うのは野暮かな。その鋏、ですよね。困った。あんなのに挟まれたら、確実に真っ二つだな。すみませんが、勝負の方法はじゃんけんにしませんか。・・・なんてな。それだと逆に俺に有利過ぎるから却下だろうな。
馬鹿な事考えてないで対応しないと。さてどうするか。殻は硬そうだし・・・そのうえ何かお尻の方にくっついてるな。ああ、何だか判らないが魔物の頭蓋骨だね。あの蟹が狩ったのか?可能性は高いな。どちらにせよ警戒すべきはあの鋏、なにせあの鋼ガガを切断するんだろうからな。さっきから良く切れそうな鋏の開閉する音を小刻みにさせている。随分とご自慢のご様子だ。正面から突っ込む訳にもいかないよなあ。挟むじゃなくても、突かれても駄目だろうからな。あれ位の大きさならなんとかひっくり返すか、上から全体重を乗せて角で突くか。どちらかと言えば後者の方が安全か。だがまずは相手の様子を見る。
ヤシガニを支点に半円を描くように、その周りを左右に動く。多脚式は厄介だな、旋回性能も残念ながら悪くない様だ。隙を突いて攻撃するのも、下に潜り込んでひっくり返すのも難しそうだ。なるべく相手の間合いに入りたくない。やはり上から狙うか。一番近くの木を背に立ち止まる。動きを止めた事に少し警戒したのかヤシガニの方も動きを止め、正面から睨み合う。俺は体勢を少し低くして正面から突っ込むぞと挑発する。あのヤシガニにそんな感情があるのかは解らないが、鼻で笑ったかの様に見えた。いいね、好きなだけ馬鹿にして油断しろ。俺が一歩前へ跳び出すと、勢いよく突っ込んできた。掛かったと喜んだが、思ったより速いとひやりとする。着地と同時に思い切りバックステップで後方に飛び退き、空中で180度向きを変え背にしていた木の方を向く。真っ直ぐ木の方に進み、そのまま木を駆け登る。垂直歩行と木登りの技能の本領発揮。首を振り下を見て、あのヤシガニが真下に来た事を確認する。左右の鋏を振り回している。おぉおぉ、怒ってる怒ってる。木の葉がこの身体を隠してしまう手前で反転し、下を向く。脚に力を込め思い切り跳び出す。ご存知、白兎流格闘術・流星弾という名の体当たり。命中、命中したが右脇を貫いただけだ。致命傷にはならないようだ。全体重を勢いよくぶつけたおかげで、右脚を数本損傷させる事も出来たようだ。即座に刺さった角を引き抜き距離を取る。ヤシガニの怒りを更に煽ってしまったようだ。傷の事などまるで気にせず猛烈な勢いで突っ込んでくる。怒り心頭で痛みが麻痺してるのか、ヤシガニは痛覚など持ち合わせていないのだろうか。どちらにしても厄介だな。真っ直ぐ突っ込んで来るのを、右に左に躱す。避けては距離を取りを繰り返し、反撃の機会を伺う。策を練りながら逃げ回っていたせいで距離を取ろうと思って後ろへ跳んだら木にぶつかった。しまった、思ったより距離が稼げない。反射的に木を蹴り左へ跳ぶ。間一髪でヤシガニの突進を躱す。頼んでないのに冷汗が流れる。着地して距離を取る。気を引き締め直して眼前の敵に集中する。ヤシガニは俺を追い詰めたあの木に激突して、なにやらフラフラしている。ヤシガニでも脳震盪は起こすのか?いやそんな事はどうでもいい、隙が出来た。ここだ、と体勢を整え狙いを定める。視界が定まらないまま、覚束ない足取りでこちらへ向かってくるヤシガニに本日二度目の流星弾を放つ。
「あ。」と思った時には既に遅かった。ヤシガニも傷ついた脚で無理をしていたのが遂に限界を迎えたのか、急に力が抜けたようにその場にへたり込んだ。こちらとしても地面すれすれに跳び、相手に届く前に着地しては意味が無いので、ある程度の高度は必要になる。つまり俺は凄い勢いでヤシガニの上を通過してしまった。眼下をを通過するヤシガニをみて千載一遇の好機を逃したかもしれないと奥歯を噛む。次の瞬間着地をしなければと思考を切り替え、着地地点を視界に納めようと前を向く。すると今度は眼前に鋼ガガの太い幹が迫っていた。このままでは頭から激突すると思い、咄嗟に身体を捻る。なんとか正面衝突は回避できたものの、身体の右側面から背中にかけてを勢いそのままに幹に対して真一文字に強打した。衝撃のあまり一瞬呼吸が止まる。そしてその形のまま地上へ落下する。高度自体は高くはなかったので幸い二次被害は無かった。それでも受けてしまった衝撃は小さくは無くすぐには立ち上がれない。ヤシガニの方は使い物にならなくなった脚を使わずに立ち上がりこちらへとゆっくり向かってくる。このままではまずいと、無理矢理にでも立ち上がろうとした時だった。
何かが上から下へ視界を通過した。その直後、ドスンと低く大きな音とズンという重い振動。そして目の前に黒鉄色のラグビーボール大の塊が現れた。突然の出来事に何が起きたか理解するまでに数秒の時間を要した。鋼ガガの実が落下した様だ。それも今の今まで俺を追いかけ回していた鋼ガガガニの上に。
『レベルが上昇しました。』Lv36
『スキルポイントが90加算されました。』
どうやら俺が幹に激突してしまった事が要因の様だ。完全に胴体が潰れてしまっている。こうなってしまうと何だか少し可哀想な気もするが、そうも言っていられない。俺だって生きる為に必死だ、生き残った方が勝利と言い聞かせる。今回もなんとか生き残ったとホッとする。これが何処ぞの大名様や将軍様みたいのじゃなくて良かった。まあそんなのがここにいたら森が森で無くなってるか。そして最後は運を味方に倒した強敵に手を合わせる。その直後右後方で、先程と同じ音と振動がする。思わず「ヒッ・・・。」と悲鳴を上げ、冷汗が流れるのを感じる。当たらなくて良かった。
・・・待て。一気に9も上がった、だと?そんなに差があったのか・・・良かった、生きてて。早急に魔物鑑定の技能のレベルを上げないとな。たぶんレベルを上げれば相手のレベル位は調べられる様になるはず。それ以外の対策もしないとな・・・。帰ってからゆっくり一覧を見ながら考えよう。
兎の癒しで少し傷を回復し、鋼ガガガニと鋼ガガを二つ回収して帰る。
この時回収した鋼ガガガニの鋏が、大活躍する事になる。武器としてではなく、道具として非常に役に立つ。生活が一つ向上したと言って過言ではないだろう。これは素晴らしい拾い物だった。