39、一兎を追うものは
「にぎゃぁぁぁぁっ。」
俺は今、この世界に来て何度目かの一番の恐怖を感じている。そしてそういう時は何時も全速力で森を走り回っている。全力疾走する俺の頭の上をトウオウが笑いながらついて来る。
「のわっ。」
目の前を風刃が通過する。風刃に限らず、俺の前後左右を火球やら氷弾やら石礫やらが飛び交う。それらをなんとか躱しながら、走り続ける。不用意に留まると捕縛系の法術が襲ってくるので、休む暇もありゃしない。俺は全力の快速と蛇行走で森の中を駆け抜けながら心の底からこう叫ぶ。
「どうしてこんな事になったんだぁぁぁぁっっっ・・・・。」
そう・・・どうしてこんな事になったのか。
先日から道具作りを始め、サイの鎖に鉄の塊の様な重さと硬さをした松笠を取り付けた鎖分銅の他、幾つかの遠具を作ってはみたが結局、やはりまずは素材を加工する為の道具が必要という結論に至った。だが道具に拘る必要は無いのだという事も皆のと会話で気が付いた。技能の中に道具の代わりになるものが存在する可能性を見出した。勿論、それが加工する為の道具を作る事を目的としたものでもかなりありがたい。そんな技能を探し始めようとした時だった。
ここでロックから衝撃の告白をされた。「僕、錬金術、使える。」という、危なく顎が地面に着いてしまうのではないかという程の驚くべき事実を告げられた。トウオウに聞いた話では、錬金術という技能は存在する筈だが、その取得可能状態への解放条件は全く分からないという事だった。錬金術が取得できればかなり技術が、文明が進歩するがどうすればその取得条件を満たせるのか、これからそれを調べようとしていた矢先の話である。まぁ、この時の段階では錬金術にどんな事ができるかも定かでは無かったが。そしてロック曰く「僕も使い方が分からない。」との事だった。そりゃそうだ、とも納得した。そしてもう一つ納得した事があった。ロックが一緒に行動する時、色々なものを観察していた理由が判明した。錬金術に使える素材・・・と言うより使えるものは無いか探していたのだと。そしてロック自身が錬金術がどんなものか良く判らないので、植物を中心に観察していたのだ。うん、錬金術はどちらかと言うと金属的な要素が強い。使えそうな物は植物の中には無さそうだよなぁ。しかし此処はファンタジー、全く無いとは言い切れないが。どうやら直感で何か「もの」に対して使用するものなのらしいという事は感じていたとの事だった。・・・恐るべし、野生の勘。
とまぁ・・・そういう事で、我々は思わぬ手段を手に入れたのと同時に方針の変更をする事と相成った。変更と言うより追加と表現したほうが正しいか。一つ、ロックと一緒に錬金術の使い方を解明する。一つ、できればロックから錬金術を教わる、及びロックを経由して錬金術の技能の取得を試みる。取得条件の解明でも可。一つ、錬金術に使えそうなものを探す、主に金属や鉱物、それに類する又はそれに替わる何かの探索と採取。ただなぁ・・・鉱物といえば山なんだよなぁ。森には無さそうだよな。それに現段階でここから見える山に近づくのは危険だと思われる。ま、まぁ、あくまで偶然手に入れた追加要素の様なものだ・・・あまり拘り過ぎないようにしよう。という事である。
それで色々考えた結果、何だか急に色んな事が起きて良く判らなくなってきたので、本日は難しい事を考えるのを放棄する事にした。なので全く別の事をしようという結論に至った。こういう時は身体を動かすのが一番。些か体育会系の考え方だが。
で、何をするかと言うと、子供達の訓練を兼ねた追いかけっこをしようという運びになった。この提案にヤクモは「それは良いかもしれません。」と結構乗り気に賛成してくれた。ジュウザとサイは歓声を上げ、ハクは「これはいい機会です。」とやる気を漲らせ、ミナは真剣な表情になり、ロックは両の拳を顔の前で握り鼻息を小刻みに出し入れしながら飛び跳ねている。フタバもノインの角の上で「楽しそう。」と言いながら小躍りしている。・・・そんなにか。
大会規定。
・俺対子供達。俺に誰かが直接、腕・足・角以外を触る事が出来たら子供達の勝利。開始地点から自宅に無事帰還する事ができれば俺の勝ち。
・範囲は基本的に東の森。北・西・南の森には近づかない事。
・子供達の引率兼指揮にヤクモ。但し、ヤクモは指揮のみで直接的な攻撃や法術を緊急事態の場合を除き禁止。
・スーアンは周囲の警戒と子供達の俺以外の外敵からの護衛。
・ノインは審判。
・モモカは救護係。万が一、怪我をした場合の為。
・トウオウは俺の護衛。三回だけ助力可能。
・子供達は法術を含む殆ど全ての技能と道具の使用可。但し著しく森に被害を与える事は禁止。
・子供達に回復の為に使用する木の実を計五個づつ支給。回復はこれを使用する事。これ以外は禁止。
・俺からの攻撃はしない。但し迎撃はする。
・あくまで直接の接触で勝利。捕縛系の法術での拘束では勝利にはならない。
・日没したら問答無用で終了。
俺はノインに出会った場所の近く、森の東の端に移動する。開始地点に到着した旨をノインに伝える。今回審判を務めるノインに思念伝達で一度中継し、ノインに全体に報せてもらう方法を取った。勿論、緊急時を除き。俺が直接子供達と交信するのを防ぐ為である。俺が子供達の情報や作戦を手に入れられないように、そしてその逆も。ヤクモと子供達間での使用は可。
ノインから「子供達も配置に付いた。」と報告が来る。「それじゃあ、そろそろ始めようか。」と俺が応えると、ノインは俺を含めた全員に試合開始を告げた。
俺は東の端に沿うように北上する。子供達が相手とはいえ、流石にこの場から最短距離で家に向かうような事はしない。そんなに簡単にいく筈は無い。ハクの策略がある以上油断する訳にはいかない。ましてや、ヤクモが指揮をするとなると尚の事だ。ヤクモは基本的には口を出さない、改善点を指摘したり、何か聞かれたらそれに答えるに留めると言ってはいたが。それも最終的に子供達が全員ヤクモの指揮下で戦うという選択を自分達でするかもしれないから、ヤクモ戦術が無いとは言えない。だからこそ一度北側へ迂回してから目的地に向かう。
全速力とは言わないがそれなりの速度である程度北上し、少しづつ森の中に入っていく。こちらにも優秀な頭脳があると思っていたのだが、「ボクはあくまで護衛だから。助言はしないよ。」と話し相手以上の役に立たない事が判明した。ま、それでも充分ありがたいが。それにこの南瓜の近衛も俺に助言する必要は無いと思っている節がある。どいつもこいつも俺を買い被り過ぎな気がする。そしてこの頃はまだ平和でした。
俺は思ったより早く発見された。おそらくこれは偶然に近い。森中を闇雲に走り回っていたジュウザに出くわしてしまった。ジュウザの性格を考えれば、こいつが一番危険だった事を忘れていた。おそらくこの性格を込みでジュウザを自由にさせていたのだろう。この上ない遊撃だよ。でも何で俺が北側から来ると思っていたのか。・・・いや、ジュウザに「何で」とか無いだろうな。トウオウも「何故だ。」と言いながら笑っていた。理屈の通じる相手じゃ無い事を改めて認識したよ。おのれ、天然眼鏡蛇め。くそぅ、大自然から大分逸脱して養殖眼鏡蛇になったと思ったのに。・・・まぁ、悪い事では無いんだが。
それはさておき、この偶然の出会いに驚いたのは俺とトウオウだけではなかった。俺を発見したジュウザの方も目と口を開けるだけ開いて絶句している。俺はこの隙を突いてジュウザの後方へ回り込み尻尾を掴む。「あ。」というジュウザの声が聞こえたが、そんな事はお構いなし。そのまま持ち上げて、日課よろしく・・・いや、それより少し強めに振り回す。「わわわ・・・。」という悲鳴は無視です。いつもはふわりと放り投げるのだが、今回は力一杯・・・とまでは言わないが、安全を考慮して南側へとなるべく木々の間を通すつもりでぶん投げる。
「あるじぃぃぃぃ・・・・・・。」
と、遠退く叫びを置いてきぼりにして俺は更に西側へと移動を再開する。
「相手がジュウザで助かった・・・。」
「そうだねぇ。他の子だったら、真っ先に居場所を報せていただろうねぇ。」
「だな。ま、ロックは分からんが。」
「ははは、確かに。」
それでも、いくらジュウザでも体勢を立て直したら、俺を発見した事を皆に報告するだろう。早いとこ、この場所からなるべく離れないとな。トウオウと談笑していたこの頃もまだ平和でした。
暫く西側へ移動し、進路を南側へと向ける。あまり西側に行き過ぎると危ないからな。そこから少し南へ進んだ時だった。北東からもの凄い速さで近づく気配を感じ取る。
「え、マジか・・・。」
「おや、発見されたみたいだね。誰かな。」
気配に弾かれた様に走り出す。この速さで移動できるのは誰だ。ジュウザでない事だけは確かなんだが。ハクは高速で追尾する様な戦術を取るとは思えない。・・・などと考えながら走っていたが、遠くの木々の間を・・・ではなく木から木へ跳弾する様に飛び移りながら近づいて来る白い影が目の端に写った。できたばかりの兎角槍を手に持った美しき白い蛇が。
「ミナか・・・。」
「これは凄い。」
林間跳躍か・・・速いな。俺は元が人間だから違和感は無いが、ミナはつい最近二足歩行になったばかりのはずだ。こんなに早く順応できるものなのか。子供だから吸収力・適応能力が高いのか、才能か。驚き関心している場合ではない。逃げなければ。ミナは基本的に近距離戦闘、法術や魔法による遠距離の手段は少ない筈だ・・・筈だ。ただミナは手の内を隠している節がある様に見受けられる。俺の言っていた事をちゃんと実践しているという事だ。良くも悪くも、素直で頑なだ。取り敢えず距離を取らないと、走れ俺。っていうか、マジで速い・・・追いつかれるぅぅぅ。久し振りに本格的な冷や汗が。
「ほらほら、イッスンの。追いつかれちゃうよぅ。」
くそぅ、この賑やかしの南瓜め、楽しんでるな。ちょっとした文句のつもりで睨みつけようと視線を空飛ぶ南瓜に向けた時だった。俺の後方から空を切り裂く音と共に近づく気配を察知する。地に着いた右足を軸に向きを反転させる。槍を突き出し、自分自身がまるで一本の槍の様になって、やや上方から突っ込んで来るミナを視界に捉えた。左足を後ろに引き腰を落とす。迫り来るミナと目が合う、良い目だ。だが、少し本気過ぎる気がする。身体を少し右へとずらす。俺の左を通過するミナの槍の柄を左手で掴み、そのまま相手の力を利用して少し後方へ引く。空中とはいえ、虚を突かれたミナは体勢を崩す。身体を左回りで回しながら右手で槍を掴み、更に回転しながらミナごと槍を横薙ぎで水平に振る。来た方向に帰る分には危険は少ないだろう。360°回転した所で手を離して放り投げる。切なさじゃないけど、Uターンだ。
「き、やぁぁぁっ・・・。」
というミナの珍しい悲鳴が遠退くのを聞きながら、俺は思い出を振り切る速度で走り出す。悪いなミナ。一応、ノインにミナを北側に放り投げた旨を報告した。「承知した。」とのノインの返事に一安心。それでも速度を落とさない。
この直後だった。流石ミナだ、俺を発見した時点で皆に連絡していた様だ。まだ大分距離は離れているが俺を包囲する様に布陣している事が気配で感じ取れる。何処に向かうかと思案し始めた時、俺に向かい弧を描き旋回しながら飛来する物が。
「飛刃旋斧。」
ーー《白兎流格闘術・影技・飛刃旋斧》ーー
何処からともなく声が聞こえる。この声は・・・サイ、だな。視界にはその姿は無く。気配も結構遠い。しかし、何処のゲッターだよ。誰だ、サイにこんな事を教えたのは。・・・まぁ俺だが。斧は円盤の様に回転しながら旋回している。速度はそんなに速く無く、方向もずれているようだ。このままこの場にじっとしていれば問題無いか・・・ん?あれ・・・少し軌道が変わってないか。
「マジかよ・・・俺の気配を捉えて軌道修正してるのか。」
精密では無いものの、これはヤバい。慌ててその場に伏せる。見とれて躱すのが遅れるところだった。
「あっぶねぇ・・・。」
俺の上を斧が通過するのを背中に寒さを覚えながら待つ。斧はそのまま、おそらくサイの元に帰っていった。サイに斧を与えたのは不味かったかもなぁ。それに恐ろしい技術だな。
「って、サイは・・・ミナもだが、俺を殺す気なのか。」
「あはは。本気という事だろう。イッスンに相手をしてもらえるのが嬉しくて張り切っているのだろう。」
思わず苦笑いをトウオウに返す。喜んでもらえるのは悪い気はしないが。それでも、ちゃんと貰っちゃったら死んじゃうんだけど、俺。加減というものが無い気がする。ヤクモがいて怒られたりしないのだろうか・・・いや、ヤクモだからこそかもなぁ。ヤクモの俺に対する評価が少し大袈裟なんだよな・・・ふぅ。
サイ式トマホーク・ブーメランをやり過ごして、移動しながら包囲網の何処を抜けるかと思案していた。が、その直後から複数の方向から複数の種類の法術が俺に向かって飛んできた。そこからである。休む暇が無くなる程の猛攻が始まったのは。その原因がミナに発見された事にあるのは考えるまでもない。
そして現在、である。
「おい、そこの魔王。笑ってないで、少し手伝え。」
生まれて一番なのではないかという激走をしながら、笑いながら高速で追従している南瓜に悪態をつく。
「いやいや、まだ大丈夫だよ、イッスンの。頑張れぇ。ほら、急がないと捕まっちゃうよぉ。」
こいつ・・・もしかしたら子供達より楽しんでるのでは。
法術による攻勢が始まった時点では、俺も余裕をかまして手や足を使って砕いたり払ったり、いなしたりしていたが、現在はそれどころではない。ただ逃げるのに徹している。それでも跳んだり身体を自分でも驚く方向へ捩ったりしながら。昔の俺ならまず無理だっただろうな。何だか思い出したら、肩やら腰やら膝やらが痛い気がしてきたよ・・・。気の所為であってくれ。
「くそうっ、今忙しいんだ、邪魔すんなっ。」
藪から不意に跳び出しこちらに直進して来た、突撃猪を出会い頭に左に蹴り飛ばす。これで三匹目・・・。
「いやぁ、白い兎は大変だねぇ。」
「あんなのお前がなんとかしてくれても良いだろぅ。」
「ボクは基本的には傍観者だよ。自然の摂理に介入はしないよ。」
「何処が自然の摂理なんだ。兎だから狙われるなんて、理不尽だ。」
「おお、真理に近づいたかもしれないねぇ。」
「この野郎、先に真理に近づけてやろうか。」
「ほほぅ、やってみるかい、イッスンの。」
「・・・勝てる気がしないから、やめとくよ。」
「そうかい。ボクはそうでもない気がするけど。」
へぇ・・・社交辞令って訳でも無さそうだな。意外だ。
「不思議かい。たぶん一対一ではボクの方が多少不利だよ。」
「なるほど。トウオウは敵が多い方が得意なのか。」
「たぶんね。」
魔界でずっとそんな戦いを強いられていたという事か。いかに魔界での生活が、少なくともトウオウにとっては過酷なものであったのかが垣間見える。そんな中を潜り抜けて来たのだ、強くもなる訳だ。トウオウの戦い方に興味が無い訳では無いが、自身がきっと話したがらないだろう。戦いに塗れた生活が嫌でこちらに来たのだから。いざとなったら戦うと言ってくれているし、それで良い。そしてそんな機会が訪れない方が良いはずだ。頑張ろう。
だが今は逃げ切り家に辿り着く方を頑張らなければ。少しづつ家には近づけてはいるのだが・・・何だか上手く何処かへ誘導されている様な気がしてきた。かと言って、その誘導の裏をかく方法も思いつかない。どの時点から相手の術中に嵌っているのか見当もつかない。仕方が無い、こうなったら力技だ。相手の策を食い千切ってやるぜ。全く自信は無いけどな。それに俺が勝手に策だと思ってしまっている可能性もあるしな。取り敢えず・・・この包囲の何処を抜けるか、だ。できればロックとサイは避けたい。ロックはとにかく近寄られると厄介だし、サイははっきり言って一番読み辛いからなるべく対峙したくない。第一希望はハクかな。近寄られたくないはずだからだ。フタバは近づくのは容易じゃ無さそうだし、できれば射程にすら入りたくない。まあ、既に射程圏内には入っていしまっているだろうが。それでもこれ以上フタバの狙いやすい範囲に無策で近づくのは自殺行為だろうな。ジュウザは比較的扱いやすいが、決して能力が低い訳ではない。きちんと正面から対峙すればちゃんと厄介だ。それでも眼鏡蛇のくせに性格が真っ直ぐなのが戦い易くはあるが、根性があるからとにかくしつこいんだよな。子供特有の感じも否めないが。相手の意表を突くなら、追撃隊のミナをという選択肢もありか・・・。やってできない事はないだろうが、それは少し子供達に悪いような気がするな。確かに戦場はそんなに甘くはないだろうが、今回はその選択は無しにしよう。そういうやつはまた別の機会に。
・・・という事は、ハク又はジュウザ狙いに絞って良さそうだ。ジュウザは面倒くさそうだが、翻弄するのは難しく無さそうではあるし、振り切る事も出来そうだ。でも本命はハク。やはり近づければかなり此方に利がある。多少危険でもやってみる価値がある。どの道この包囲網を抜けられなければ俺に勝利はない。子供達におじさん(0歳)の本気を見せてやる。
集中して気配を探る。後方から近づくミナの気配。俺だってただ逃げ回っているわけじゃない、気配を消すために技能を駆使している。勿論最大限ではないが。それでもやはり少し距離が離れると探るのが難しい様だ、少し慎重に移動しているようだ。いい具合に困ってくれているみたいで何より。それ以外は・・・俺を半円状に囲むように配置されている。向かって右から、ジュウザ・・・サイ、フタバ、ロック、ハクの順番かな。くそぅ、なかなか上手く配置しているな。ジュウザが一番端で、おそらく俺がロックを狙うのではないかという算段なのだろう、サイ、フタバ、ハクがすぐに援護に向かえる陣形。俺の狙いはハクだが・・・これだと最悪ロックとミナに挟まれる可能性がある。そこまで考えていたのかは分からないが、かなり嫌な配置だな。どの場合でもミナで挟撃する事は想定してるだろうが。
「にしても、これって俺がかなり不利だよな。」
「今更何を言っているんだい、イッスンの。」
返す言葉が見つからない。俺が大会規定を決めたんだよな。いやなにが不利って、俺の身体を何かが掠めるだけで俺の負けだもんな。この白くて可愛らしい毛の先が眼鏡蛇の尻尾の先が触れただけでも勝負あり、だ。耳と尻尾は無しにすれば良かった・・・今更だが。ええい、とにかく一番左のハクだ。狙いを決めて速度を上げる。
「おお。勝負に出るのかい。」
「そうだな、ここが勝負所だな。」
「ボクの出番はあるかなぁ。」
「よく言うよ。」
「出番が無い方が良いんじゃないのかい。」
「そうとも言うが、出番があっても嬉しいかな。」
「ふむ。なるほど、分かる気はする。」
「よし、捉えた。」
ハクを発見した。まだ姿を見つけた訳では無いが、居場所は捉えた。・・・ハクはまだ俺に気が付いていないか。なるべくならこのまま接近して掴んでぶん投げたいが。そんなに上手くいくだろうか。もう少しで姿を捉えられそうな距離で速度を落し、木の陰に身を隠し気配を最小限に抑える。・・・いた。
ハクは集中して気配を探りながら、何やら呟いている。あれは思念伝達で皆に指示を出しているのだろう。今回はやはりハクの作戦だったようだ。一度此処で全体の気配を探る。なんだこれ・・・少しづつ包囲が狭まっている。俺の居場所が発見された訳では無さそうだが、ある程度当りを付けているのか。
『ハクは凄いね。』
トウオウも感心したらしく、そして現状を加味して思念伝達でその驚きを伝えてきた。
『そうだな。ちゃんと理に適った戦術だな。これを自分で考えたのか。』
『ヤクモの教えもあるかもしれないが、それにしても、だね。』
俺は黙って頷く。もし仮にそうだったとしても、ヤクモも何処でという疑問も湧く。どちらにしてもヤクモもハクも恐るべき知力だな。俺みたいにセッテさんみたいな無敵の補佐官がいる訳じゃないのだから。『恐れ入ります。』俺は頼り過ぎかな。『否、否定します。』セッテさんは優しいな。何時もありがとうございます。『恐れ入ります。』
木の陰から木の陰へ細心の注意を払いながら素早く移動しながらハクへの距離を詰めていく。まだ気が付かれていないようだ。だが、子供達から距離を取って戦況を見つめているヤクモにはどうやら俺の位置は特定されているようだが・・・。それでも静観に徹しているみたいだが。無論、ノインは全ての状況を把握しているようだ。ノインはともかくヤクモは本当に優秀だなぁ。遂に俺が背にしている木を挟んでハクという所まで接近した。気配をほぼ完全に消しているトウオウも息を殺している。・・・にしてもこの南瓜の魔王様は気配を消すのが上手いな。すぐ近くにいる俺でさえ気配を感じ取るのが難しい程だ。姿が見えているのに、まるで透明になってそこに存在していないかの様だ。
細く長く、そして静かに息を吐く。吐き終わり息を止める。目を閉じる。さあ、この勝負の終わりを始めようか。目を開くと同時に勢い良く息を吸い込み、背にしていた木を回り込むように飛び出す。
「痛っ・・・。」
その瞬間、左の足の先が何かひどく硬いものに勢い良く打つかった。つまり、豪快に躓いた。そのまま空中に投げ出され、弧を描き、地面に身体の正面を全て打ち付ける形で落下した。
「むぎゃっ。」
「ぎゃあぁぁぁぁぁっ。」
俺の叫びとハクの絶叫が同時に響いた。すぐに立ち上がりハクを捕まえようと思ったのだが、それよりも左の爪先に走った激痛に耐えきれず、両手でその左足を掴み右足だけで飛び跳ねる。
「いっ・・・た・・・。」
あの箪笥の角に強打した時のやつを久々に思い出した。いっそ意識が飛んでくれればとさえ思う。トウオウは気配を消すのも忘れ、落下して腹が千切れんばかりに笑いながら転げ回っている。今回は致し方なし。俺も逆ならそうなる。にしても痛い。驚きすぎて硬直しているハクに・・・と思ったのだが、どうしても俺の足に大打撃を与えた元凶が気になりそちらに目をやった。
「何だ、あれ。・・・いてぇな、くそぅ。」
そこにあったのは、森の中には似つかわしくない色の黒味掛かった光沢のある塊。・・・茸か?あまりに気になったので、はくんの方ではなく、その茸らしきものの方へと近づく。そして屈んで手を伸ばしだ。
「植物捕縛、連鎖捕縛。」
調子を取り戻したハクの捕縛術が俺を屈んだ姿勢のまま固定した。ハクの「やった。」という嬉しそうな声を出した。
「ハク、待て。」
近づいて来たハクにそう声を掛けた。声が真剣なものだったのを感じ取ったハクはその場に止まった。
「え。」
「あぁ、悪い。勝負はハク達の勝ちで良い。ちょっと状況が変わった、此処で勝負は終わろう。」
「は、はい。」
『ノイン、皆に終わりって伝えてくれ。』
『おや。まだ勝負はついていないように思うが。』
『俺の負けだ。ちょっと妙なものを発見した。それを調べたい。』
『ふむ。勝負を放棄する程の発見か。』
『まだ、かもしれないってところだ。』
『相解った。皆に伝えよう。』
『ああ、頼む。』
だが、少し遅かった。ハクに取り敢えずこの捕縛術と解いて貰おうとしていたのだが、俺に向かって凄い速度で直進してくる奴がいた。
「ロック、ちょっと待て。終わりだ、おわっ・・・へぶっ・・・。」
「え。」
間に合わなかった。俺の顔面に最大速度の勢いを乗せたロックのドロップキックが炸裂した。「終わり。」と言われて、気を利かせて捕縛を解除してくれたのだけがなんとか間に合った。お陰で俺は蹴飛ばされる事が出来た。もう少し遅かったら力が逃がせられず、首があらぬ方向へ曲がっていたかもしれない。ロックの直撃を受けた俺はそのまま近くの木に激突して止まった。
「良い蹴りだったぜ、ロック・・・。」
薄れゆく意識の中で「ごめんなさい、師匠ぅぅぅっ・・・。」というロックの叫びが聞こえた気がした。そしてもう一段階大きな笑い声が上がったのは確かに聞こえた。