31、夢が叶った日
ボクには夢がある。ほんの些細な、小さな夢。でもきっと叶う事は無いと思っていた。自分だけじゃどうにもならない夢。ボクの夢は・・・。
ボクが産まれたのは、いわゆる「魔界」と呼ばれる世界。そこは闘争に塗れた世界。常に土埃と血の臭いが大気を満たしている世界。晴れの日は極めて少なく、空は何時も灰色の雲がその殆どを覆っている。世界そのものが灰色に染まっているのではないかと錯覚してしまいそうな世界。
分類は魔族。気が付いた時にはもうボクは戦いの中にいた。望んだ訳でもないのに。ただ移動しているだけで、魔界獣やら魔族やらに不必要に喧嘩を売られる。初めは生きる為に戦っていた。ボクだって別に死にたくはない。降り掛かる火の粉を払っているうちに、ある程度の相手には問題無く勝てる様になっていた。それでも魔界獣も魔族もボクを襲うのを止めてくれなかった。それを返り討ちにする度に強くなっていった。ボクの気持ちを置いてけぼりにして。
ボクは精霊や妖精に近い存在の様で、特に食事をする必要が無い。木の実や果実を食べる事も出来るが、基本的には大気中に漂う魔力や霊力の様なものを常に吸収している。だから生きる為に戦う、食事をする為に戦うという事はしない。自分の命を守る為に戦っているに過ぎない、生き延びる為に戦っている。それも今となっては、余程の相手でない限り命の危険を感じる事も無くなった。
ボクはこの魔界があまり好きじゃなかった。
戦う事も好きじゃなかった。本来魔族は闘争にその身を置く事を良しとする生き物だ。魔界獣に至っては、その闘争本能に手足が生えている様な生き物だ。だからそうじゃない自分は本当は魔族じゃないのではないかと疑った事もある。でも自分の姿を水面にでも写して確かめて見れば、疑いようもなく魔族である事を思い知る。どうしてボクは魔族なんだろう。
産まれてから200年位たった頃には、なるべく魔族も魔界獣もいない所を探して魔界中を旅した。でもそんな場所はこの魔界には何処にも無かった。たとえその気配が少ない場所を中心に滞在していても、襲って来る奴を倒し続けていると、闘争の気配を嗅ぎつけて次々と集まって来た。そうなるとまた別の場所に移動する。そんな事の繰り返しだった。出来る事ならこの魔界から逃げ出したかった。そんな生活が150年位続いた。
そんな旅の途中、数こそ少ないがボクと同じ様な魔族に出会った。その誰もがボクと同じ様に戦いを避け隠れる様に生活をしていた。なんだか仲間が出来たみたいで嬉しかった。そしてその出会った魔族達の全てが強者だった。その中の灰色の猫の魔族と特に仲良くなった。鍔が広く天辺が尖り白い羽が一本付いた黒い帽子を被り、腰に刀身の細い剣を下げた二足歩行の猫だ。彼は戦う事自体はそんなに嫌いじゃないらしいけど、意義の無い、意味の無い戦いが嫌いだと言っていた。ボクには良く解らない感覚だけど、何か信念の様な、誇りの様なものを感じ取ることが出来た。少し羨ましくも感じた。そして敬意を抱いたと思う。口が少し悪い猫だけど。
気が合ったのか、色々な話をした。お互いの夢・・・みたいな事を話したりもした。少しの間一緒に旅もした。ほんの二三日程度だったけど。すぐに分かれて旅をしたけど、年に一回ぐらい旅先で偶然出会った。お互いに「まだ生きてたか。」と笑いあった。それから別れてから起きた出来事を報告して、情報の交換をした。この魔界で初めて楽しみが出来た。年に一度のささやかな楽しみが。
何度目かの再開の時に、その灰色の猫がこんな話をした。
「知っているか、南瓜の。この魔界の外に出る事ができる穴があるらしい。」
「それは本当かい、灰猫の。」
思わず何時もより少し大きな声が出てしまった。だがそれも仕方なの無い事だ。もしそんなものがあったらと、ずっと思っていた事だったから。
「ああ。どうやら空間だか何だかが歪むんだか捻れるんだかしたものらしい。」
「酷く曖昧だねぇ。」
「仕方ないだろう。吾輩にもよく分からんのだ。」
不満気にその灰猫は言った。これは申し訳ない事をした。彼も噂程度の情報だが、良かれと思ってその情報をボクに伝えてくれたのに。
「すまない、灰猫の。教えてくれてありがとう。」
「あぁ、いや・・・。」鼻の頭を掻いた。「どうやらそんなに大きなものでは無いらしい。」
「なるほど。・・・それのある場所の情報はあるのかい。」
彼には悪いと思ったが、どうしても気持ちが抑えられずに言葉にしてしまった。ボクの大切な唯一の友に嫌われてしまっただろうか。300年以上も生きているのに、何とも幼稚な事だと自己嫌悪をする。
「正確な場所の情報は今の所、得ていない。」
当たり前のようにボクの質問に答えてくれた。
「そうかい・・・、それは残念だ。」
「だが、決まった場所に存在しているものと、突発的に発生するものがあるらしい事までは判った。」
「なんと。素晴らしい。」
これからのボクの旅の目的が出来た。
「礼を言うよ、灰猫の。探してみようと思う。」
「そうか。ならば、吾輩がもし見かけたら貴様に報せてやろう。」
「ありがとう、灰猫の。・・・何か礼がしたいのだが。」
彼は少し考えて、首を横に振った。
「いや、構わんさ。・・・その代わりと言ってはなんだが、その時は吾輩も同行しても良いだろうか。」
「それは問題無いが・・・君はそれで良いのかい。君はこの魔界が嫌いな訳では無いのだろう。」
「まぁそうだが、単純に興味があるのだよ。魔界以外の世界に。」
「そうかい。ならば、もしそんな事があれば。」
「吾輩も行ってみたいが、そこに知っている者が誰もいないのもつまらないと思ってな。」
なるほどと納得する。魔界の外の世界に興味があるという事には少し驚いたが。おそらくこの灰猫はボクより知り合いが多いだろうに。それなのに共に行こうとボクを誘ってくれたのは、素直に嬉しく思う。
「ボクも君と一緒なら心強い。」
灰猫は「よく言う。」と笑っていた。ボクとしては、あながち冗談でもないつもりだったんだけど。・・・これが魔界で彼と会った最後の機会になった。
灰猫と別れて二年程の月日が流れた。その間に再びその灰猫殿に出会う機会は訪れなかった。一口に魔界と言っても、かなりの広さがある。おそらく全部を周りきるには後三年は掛かるだろう。だけど300年以上も生きていると二年も三年もほんの僅かな時間だ。特に問題は無い。それにその「穴」のようなものは、全部で幾つあるのかも分からない。実物を見た事もなければ、どういう形状や見た目をしているものかの情報も持ってはいない。それを探しているのだ、簡単に見つかる訳はない。ただ探しているという事が、ボクに希望を抱かせてくれるので、今は二年前程気が滅入らなくなった。
そんな中、その日は突然訪れた。此処が何処だかは分からないが。魔界の地名などボクは興味が無いのでよく知らない・・・地名が存在するのかも知らないが。そこは森の入口といった風の場所だった。魔界の木々が不規則に並んでいる所に、不自然にその向こう側が何かに遮られて見えない空間があった。始めは目の錯覚かと思った。よく目を凝らし観察すると、縦長の楕円が外側から内側へと絶えず渦を巻いている「穴」のようなものが地上から少し離れた高さに浮いていた。
その時自分が何を考えていたのかよく覚えていない。・・・おそらく殆ど何も考えていなかった。ただ思考を停止したまま、その深く暗い夜の様な色をした穴らしきものを眺めていた。嬉しいとか遂に見つけたとかいう感動は、その時には湧いてこなかった。あまりに突然の発見に感情が追いつかなかったんだと思う。それにそれは、あの灰猫殿が教えてくれた魔界の外に繋がる穴である確証は何処にも無い。それでもその「穴」らしきものが、そうであると予感した。そうであると思いたかったボクの希望がそうさせただけかもしれないが。
実際はほんの少しの時間だったと思うが、体感では酷く長い時間それを見つめていた気がする。見つめていて思った。どうやらボクの身体は容易にこの穴を通り抜けられそうだ。左右にゆっくりと頭を振り、近くに何者の気配を感じない事を確認する。再びその穴に視線を戻し見つめる。今すぐにでも飛び込んでしまいたい衝動を堪えながら。ずっとこの魔界から逃れたいと思っていたが、それでも逡巡する理由もある。共に行こうと言ってくれたボクの唯一友と呼べる彼がこの場にいない。それがどうにも決断を鈍らせる。ただこの穴が何時までも此処にある保証は無い。そう思うと迷っている時間はあまり無いかもしれない。そして次の機会が何時訪れるかは分からない。そうさ300年以上も生きているんだから五年や十年ぐらいと思わなくもない。だけどたった一つを見つけるのに二年掛かった。魔界中を探し回って、だ。殆ど情報など無いまま今日発見出来た事は偶然だろう。今を逃したら次の機会は訪れないかもしれない。そう思えばこそ迷う。
身体の洋燈の中の灯が迷いに同調する様に揺れる。
「灰猫の・・・。すまない。それでも・・・ボクは・・・。」
灰色の雲が覆った空を見上げ呟く。そう呟いたが、まだ迷いが消えた訳じゃない。それでもこの機会を逃したく無いという想いの方が勝った。
「灰猫の。生きていたら、また会おう。」
今度はきちんと言葉にした。せめてもの友への惜別に。帽子の向きを整え、外套の襟を正し、右手に持った角灯の握りを確かめる。そしてゆっくりと穴の中へと進んでいく・・・。
一瞬眼の前が暗くなったかと思った次の瞬間、ボクは森の中にいた。まず初めに、明るいと思った。そしてその森の緑色が目に飛び込んできた。それだけじゃない。空の青さも、雲の白さも、色とりどりの花の色も、大地の土の色さえも、その全てが今まで自分が見ていた世界が色が無かったのではないかと思える程色鮮やかに見えた。まるでボクの心にさえ色が灯った様に感じる。取り巻く大気も魔界より一段も二段も澄み渡っている気がする。産まれて初めて血と砂埃の臭いが混じっていない自然の香りにも圧倒される。大袈裟では無く、生きていて良かったと思えた。あまりに心が踊ってしまい、森の中を何も考えずに、気の向くまま飛び回ってしまった。すり抜ける木々も、眼下を流れる川の水も、遠くから聞こえる鳥の声も、身体全部で感じる風もその全てが新鮮で心地良くて。幸せという感情が溢れて零れ落ちてしまいそうだった。
それから世界中を見て回った。森の中、火山、長い海岸、海の向こうに浮かぶ島、城や街の跡、砂漠、四本も横並びになって流れ落ちる滝、氷雪の大地、草原、大きな湖、幾つにも枝分かれした渓谷・・・。この目に映るもの全てが興味深く、好奇心が尽きること無く湧き上がって来た。この世界の「魔物」は「魔族」のボクには、余程の事が無い限り襲い掛かって来る事は無かった。一部の魔物や魔界獣は見境無しに獲物を襲うので、それはやむなく相手をした。それでも魔界にいた頃に比べれば、無きに等しい数だ。だから各所を心ゆくまで飽きること無く見て回ることが出来た。そして気が付けば、260年程の月日が流れていた・・・。
この世界へ来た時に初めに出てきたこの森に、何度目かは忘れてしまったが、帰って来た。暫くの間この辺りを拠点にしていたのもあって、なんとなく帰って来たという気になる。この森の西側にその穴がある。その穴は、常に存在する方の穴らしい。この穴はあまり身体の大きなものは通り抜けられないらしいので、この世界を圧倒できる様な強力な魔界獣は此方に来られない。それに意思を持ってこの穴に入る魔界獣はいないようで、極稀に何者かから逃げて来たか、迷い込んだかのものが来るに留まっているみたいだ。ボクの様に魔界から逃れてくる変わった魔族は、絶対数が極めて少ないので殆ど無いと言って良いだろう。
この世界はどんなに見ていても飽きない。見る度にその景色を少しずつ変化させる自然の力に何時も驚かされる。劇的に変化する事は少ないが、何時見ても発見がある。それだけで楽しい。何も無くたって充分楽しい。
さて今日は何をしよう。何もしないで、優しく吹き抜けるそよ風に乗って漂うだけでも良いかもしれない。ボクにとって何もしないで良い時間こそが幸せなのだから。争う事も戦う事も狙われる事も逃げる事もしなくて良いなんて・・・。こんな素晴らしい事があって良いのだろうかと思う事もある。・・・んん。なんかこの森の雰囲気が少し変わった気がする。特に東の方からその気配がする。不快な気配では無いから、気にする必要は無さそうだけど。でも気にならないと言ったら嘘になる。その理由を調べに行こうかなぁ。やっぱりこの世界は楽しいなぁ。
この森の変化の原因を調べて、何かしようというつもりは無い。基本的には只の傍観者、観察者に徹する事にしている。知りたいだけだ。興味本位だ。さあ、今日は何を発見できるだろう。楽しみだ。・・・だけどこの日発見したものがボクの生き方を大きく変える事になった。
東の気配のする場所を目指して、海で見たあの水面に揺れる海月とかいう魔物・・・生き物みたいに風の波にぶら下がってゆっくりと移動する。目的に向かう途中で魔物の群れの気配を察知する。・・・奇妙な気配だ。直感に近い感覚だったと思う。その奇妙な気配に興味を引かれた。なぜその気配を奇妙だと感じたのか、それが知りたくて。自分の気配を消し、気付かれない様に慎重に近づく。いた・・・あれだ。
発見した魔物の群れを見て、目を疑った。微かに「あっ。」と声が出そうになって慌てて、左手で口を手で押え動きを止める。気付かれてはいないだろうか。気配はほぼ全て消してあるはずだ。・・・たぶん大丈夫。何事も無かった様にその魔物の群れが移動し続けているのを見て、安堵する。慎重に後を追おう。
いや、それにしても一体どういう事だ。狐と蛇・・・眼鏡蛇かな、と兎と梟が一緒に行動してるなんて。しかもその顔に傷のある白い狐は尻尾が三本もあるし、眼鏡蛇は尻尾が文字がいっぱい書いてある、本とかいうやつに書いてあった魔法の杖みたいになってるし。あの梟は森の叡智、若葉梟だよな。まだだいぶ若いが。それだけでも驚きなのに極めつけはあの角の生えた白い兎だ。兎ってだけでも珍しいのに・・・実際ボクも初めて見た。それなのにあの灰猫の友の様に二本の足で歩いている。兎ってそういう魔物だったのかな。その挙げ句に、何か長い棒の様な物を持って歩いている。あれは・・・竹の先の方かな。その先端に何かの蔓が付けてある。色から察するに、あの朝顔の蔓かな。その蔓のもう片方の先には何か白い物が付いてる。魔物の骨を・・・加工した物かな。嘘だろ、魔物が道具を使うだけでも信じられないのに、加工したのか。という事は兎が担いでいる棒は、おそらくその兎が作ったという事か・・・。ボクの思考が追い付かない。いや考えるのは後だ、今はこの興味深い群れを見失わないようにしないと。余程高揚して冷静さを欠いていたのだろう、彼等を鑑定するのをすっかり忘れていた。一つも見逃すまいと集中していた。
暫く歩き川辺に近づいた所で立ち止まった。どうやらこの群れは川を目指していたらしい。一体何をするつもりなのだろう。白い兎は何処かから小さくて細い枯れた木の棒みたいな物を取り出して、それを口に咥えた。あれはアイテムボックス!?また声が出そうになる。何なんだあの兎は。興味深すぎて笑い声が込み上げて来る。こんなに必死に堪えた事は無い程に我慢している。気を抜いたら右手に持ってる角灯を落としそうだ。震えて音が出ないようにしないと。・・・あれ。あの兎、今ボクの事を見ていなかったか。・・・気の所為かなぁ。
川の縁に座った。竹の先から伸びる蔓の先に付いた骨の欠片を川の中へ入れた・・・。本当に何をしてるのか解らない。若葉梟は兎の足の間に納まってる。狐も眼鏡蛇もその近くでゆったりと休み始めた。何をしているのか分からないが、興味深い。ボクも近くの木の枝に身体を引っ掛けてその様子を伺う。
暫くの間じっとしていたお陰で、落ち着き冷静さを取り戻してきた。そしてここまでの事を思い返して、驚くべき事に気が付いた。あの兎達が会話をしていた事に。そりゃ群れを為しているのだから、会話ぐらいはするだろう。だがその内容だ。・・・正確にはその内容もだが、ボクにとって重要なのはそこじゃない。時々解らない言葉を使っているのかと思ったが、途中でそうじゃない事に気が付いた。どうやら「名前」を呼んでいるであろう事に。その事実を、推測ではあるが気が付いた瞬間、全ての思考が一旦停止した。ボクにとっては時が止まったのと同義だった。
ボクには夢がある。ほんの些細な、小さな夢。この世界に来て「本」を呼んで知った、その時に出来た夢。
「名前」が欲しい。
ボクだけの名前が。自分で考えた事もあった。でも違う。それは誰かに付けてもらうもの。だから自分だけではどうにもならない。きっと叶う事の無い夢・・・だと思っていた。
だがあの魔物達はそれぞれに名前を呼び合っている。誰が付けたのかは判らないが、きっと誰かが付けたに違いない。この中にはいないかもしれないが名前を付けた誰かがいるはずだ。もしかしたらボクも名前を付けて貰えるかもしれない。もう殆ど諦めていた、いや・・・もう忘れていた夢が叶うかもしれない。そう思ったら自然と彼等に近づいていた・・・。
「あぁ・・・。」と溜息をついて困った顔をした兎が座ったまま此方を向いたのを見て、自分が無意識に近づいていた事に気が付いた。しまった。ボクは魔族。自分から関わりを持つ事はしないと決めていたのに。
「君は何をしているんだい。」
動揺を隠すみたいに取り繕った質問をする。それに何をしているのかも気にはなっていたから、適当な質問でもないが。
「何か用か。」
おや、話が噛み合って無い。兎は怪訝そうな顔をして此方を見た。もしかして誰かと話す事が久し振り過ぎて、ちゃんと喋れていなかったか。
「君は何をしているんだい。」
気を取り直してもう一度同じ質問をする。あれぇ・・・今度はちゃんと言えたと思うんだけど。兎は眉間の皺を更に深くして、立ち上がった。おかしいな、なんでだろう。・・・あ、そうか。ボクは魔物の言葉は理解できるけど、魔物の方は魔族の言葉が解らないのか。ボクは慌てて左手を開き前に突き出す。咄嗟に「ちょっと待って。」と言ったが、通じる訳が無い。これには兎もだが、白い狐も眼鏡蛇も警戒を強めたのか、体勢を整えた。あぁっ、違う。ボクは更に慌てて、両腕を左右に振る。それに合わせて首も大袈裟に左右に振った。あぁ良かった・・・これは伝わった様だ。今一度、左手で待ってくれと合図をすると兎が眉間の皺を消して頷いてくれた。ボクは大慌てで技能取得の画面を開き、目的の技能を探す。ええと、ええと、何処だぁ・・・えっと・・・あ、あった。魔物言語の技能を最大限で取得する。ふぅぅぅ・・・。
「・・・これで、大丈夫かな。」
そう言って狐達の方を見ると眼鏡蛇と兎も合わせて頷いた。良かった。・・・梟は兎に抱えられて寝てる。
「大丈夫だ、分かる。・・・で、何の用だ。」
兎がそう答えた。
「あぁ、いや、すまない。あまりに奇妙で珍しかったので、つい声を掛けてしまった。」
ちょっとだけ嘘をついてしまった。全部嘘では無いけど。
「ああ・・・だろうなぁ。」
苦笑いをしながら兎が答えた。思い当たる節はあるようだ。次に何と話そうかと少し考えたが、せっかく我慢できず声を掛けてしまったんだ。正直に聞きたい事を聞こう。
「一つ聞いても良いだろうか。君達はお互いに名前を呼んでいる様に聞こえたんだけど、合っているかな。」
「あ、あぁ・・・そうだな。俺はイッスン。ヤクモ、スーアン、フタバだ。」
兎がそれぞれを指し示して、紹介してくれた。やっぱりだ。名前があった。
「という事は君達に名前を付けた者がいるって事だよね。」
つい、言葉に興奮を乗せて出してしまった。でも良いんだ。
「あぁまぁ・・・俺が、付けたんだけど・・・。」
そう言って、それがどうしたのだという顔をしている。・・・この兎が、イッスンと自分の事をそう呼んだこの兎が。この兎は自分で自分に名前を付けたんだろうか。それとも他の誰かが・・・。そんな事は今はどうでもいい。
「そうか、そうなんだ・・・。」
出口近くまで来ている言葉を外に出すのを躊躇する。この期に及んでボクは何を躊躇っているんだ。夢が叶うかもしれないのに。こんな機会はもう二度と無いかもしれないのに。いやたぶんもう二度とこんな機会は巡っては来ない。だから迷うな、ボク。駄目なら諦めよう。だから言え、ボク。
「なあ、イッスン。ボクに名前を付けてくれないか・・・。」
言えた。声は自分でも震えていたと思う。でも言えた。
「・・・それは構わないけど。なんでか聞いてもいいか。」
その答えに、涙が出そうになる。ぐっと堪える。ちゃんと答えなきゃ。嘘偽り無く正直に。
「ボクの、夢なんだ。名前が、欲しい。ボクだけの、名前が。」
イッスンを見ると真剣な目でボクを見ていた。そして、「そうか、わかった。」と微笑んで頷いた。
その後「ちょっと考えるから、待ってくれ。」と言って、ボクを眺めた。その間ボクは色んな感情が心の中を飛び交って、なんだか良く判らない状態だった。
「なぁ・・・それって、角灯?洋燈?」
イッスンはボクの右手に持っているのと身体を交互に指さして聞いた。
「ボクは洋燈だよ。」
と答える。イッスンは「ありがとう。」と言って腕を組み、右手で自分の顎を触りながら少し上を向いて「南瓜」とか「洋燈」とか呟く。組んでいた腕を解き、右手て右耳の付け根を擦りながら更に考える。
それからどれくらいの時間が過ぎただろう。実際にはそんなに長い時間じゃなかったんだと思うけど、ボクにとっては凄く長い時間に感じられた。600年も生きてきたのに。それに比べれば、ほんの一瞬程の時間なのに。
ーー「トウオウ《燈王》、なんてどうだ。」
イッスンが発したその響きに稲妻に撃たれた様な強い衝撃を感じた。勿論、気の所為だと思うけど。それでも大袈裟でなくボクにとっては、魔界で戦った時に食らった雷魔法より強烈だった。
「気に入らないか。」
衝撃に打ち震えていたボクの態度が不満を表現していたのか。
「違う。それが良い。トウオウが良い。」
早口で満足した気持ちを伝えた。頭を高速で左右に振り、その後光速で上下に振った。首がもげなかったのは奇跡かもしれない。
「そうか。それなら良かった。じゃ、今からトウオウだ。」
「ああ・・・ありがとう・・・。」
そう礼を言うと、眼の前が初めてこの世界に来た時に感じた時より更に世界が輝いた様な気がした。・・・後で聞いたんだけど、この時ボクは実際に光っていたらしい。でもこの時ボクは嬉しさのあまりそう感じていたんだと思っていた。
「ありがとう、イッスン。何かお礼がしたい。ボクにできる事なら何でも言ってくれ。」
夢を叶えてもらったんだ、その興奮のままボクは言った。
「うぅん・・・。お礼ねぇ。俺は別に今特に無いんだよな・・・。」
「そういう訳にはいかない。絶対に叶う事の無いと思っていた夢を叶えてもらったんだ。頼む恩返しをさせてくれ。」
「そう言われてもなぁ・・・。」
イッスンはそう言って、ヤクモとスーアンの方をそれぞれ見たがどちらも困った顔を返しただけだった。
「どうする、フタバ。」
イッスンは両腕で抱えていた小さな若葉梟に声を掛けた。
「主たま、どうしたの。」
「あのな、トウオウがお願い事を聞いてくれるんだって。何か無いかな。」
フタバは目を半開きのままボクの方へ首を回した。
「・・・トウオウは一緒に住むの?」
え?ボクが一緒に?
「フタバはトウオウと一緒に暮らしたいのか。」
「うん。家族、家族。あたちと一緒。」
突然過ぎて気持ちも思考も追い付かない。
「だとさ。どうする。」
何も答えが出てこない。ボクが何でもするって言ったのに。どうしたら良いんだろう。
「何なら、ヤクモ達みたいに俺の従者になるか。」
イッスンは笑いながらそう言った。それはたぶん冗談のつもりだったんだろう。でもボクは・・・。
「わかった。そうしよう。」
イッスンはこれ以上開かない位目を開き「え。」と言い、ヤクモとスーアンも驚きの表情のお手本の様の顔になっていた。フタバはイッスンの腕の中で翼をばたつかせて喜びを表現していた。
この日ボクは「トウオウ」という名前を貰った。夢の叶った日。そしてイッスンと主従になった。ボクに仲間が・・・いや、産まれて初めて家族ができた日。600年以上生きてきて、一番嬉しかった日。夢が叶った日。




