10、これまでとこれからと主殿。
朝目覚めた時、見慣れぬ風景に少し戸惑いを覚えたがすぐに状況を理解した。昨日この身に起きた激動の一日の事を思い出した。まさかこの私が何者かに仕える事になるとは思ってもみなかった。それも兎に。頭に一本の角を持ち、我々狐の言葉を解する強き白い兎だ。
私と同じ白い狐の両親のもとに生まれた。そして妹が生まれた。妹と言っても半年程しか離れていない。父も母も優しく、そして時に厳しくこの自然の中で生き抜く様々な術を私と妹に教えてくれた。獲物の捕り方、身の隠し方、強敵の見分け方、火や風の技の使い方など。とても幸せな時間だった。
だがある日、両親は帰ってこなかった。常々両親は「私達が帰らない時は、自分達の力で生きるのだぞ。」と言い聞かされていた。そんな日が来るとは思っていなかったが、いつかこんな日が来る様な気もしていた。そこからは妹と力を合わせて生きてきた。父と母の教えを守って。
木の根に覆われた岩の部屋の中を見渡すと、肝心のこの家の家主である我が主殿の姿が無い。だが気配は近くに感じることが出来る。どうやらこの家の周りを、主殿が「ニワ」と呼んだ場所の外側をぐるぐると回っている様だ。しばらくすると帰ってきた。目を覚まし頭を持ち上げ外を見ていた私に気が付き「おう、起きたか。おはよう。」と声を掛けてくれた。
「おはようございます、主殿。」
私の挨拶に主殿は苦笑いをしている様に見える。何か主殿の気に障る様な事をしてしまったのだろうか。
「良く眠れたか。普段と寝床が違ったと思うけど、大丈夫だったか。」
思い過ごしだったのだろうか、わざわざ私を気遣った言葉を掛けてくれている。
「疲労も手伝って、特に問題も無く。むしろこの場所のおかげか普段よりぐっすりと。」
「そいつは何よりだ。」
そう言って主殿は、あの不思議な宙に浮く四角い板の術を使い、そこから木の実をバラバラと取り出す。それを当たり前の様に半分私に渡し、食べるように促す。
「身体の具合はどうだ。」
「昨日よりはだいぶ良さそうですが、まだ所々痛みます。」
「そうか・・・まあそうだろうな。じゃあ今日はここで大人しくしとけ。食い物は俺が取ってくる。」
思いもかけない提案に「そういう訳には参りません、己の食い扶持位は・・・」と言ってみたのだが「今日は大事をとって休め。」と返ってくる。「きちんと休んで身体を回復させろ。生きて妹に会うんだろ、これは命令だ。」との言葉に「はい、分かりました。」以外の言葉が言えなかった。
「顔の傷が残っちゃったなぁ。今の俺の力じゃ治せなかった、ごめんな。」
木の実を食べながら、申し訳無さそうに私に謝罪した。この傷は私の至らなさが生んだ結果だというのに、気にしておられるのか。その傷を思わず左前足でなぞる。
「目は見えてるよな、大丈夫だよな。」
更にそんな気遣いをして下さる。全く、なんという方だ。
「特に問題はありません。この傷も特に気になりません。自分では見えませんし。」
「そうか。」と言って木の実を一つ口に運んでいた。
「先程は外で何をなさっていたのですか。」と今度は私が聞いてみた。
「朝の出かける前の日課・・・準備運動みたいなものだ。」
「準備運動・・・なぜそんな事をしているのか聞いてもよろしいですか。」
主殿は少し考えてから、
「日々自分の成長と調子を確かめているんだ。自分の事をちゃんと知る事が、できる事とできない事をちゃんと判断する事が生き残る確率を上げると思ってるからさ。」
「なるほど・・・。」
やはり勝てぬ訳だと改めて思う。常に己の力量をほぼ正確に把握しているのだ、それだけで取るべき行動の迷いが減る。私も見習うべきだろう、私も主殿の様になりたいとこの時初めて思った。
主殿は木の実を食べ終わると「それじゃ、ちょっと行ってくる。」と言って立ち上がる。「いいよ。」と遠慮をされたが庭の入口まで着いて行き見送った。その際に「帰って来たら、色々説明するからな。」と付け加えた。そういえばそうだったと思い出した。「はい。」と頭を下げた。
主殿を見送った後、取り残された私は庭を見渡す。何とも心地良い場所だ、差し込む日の光も通り抜ける風も傷を癒やしてくれている様にさえ感じる。今の身体の調子を確認しようと、主殿から学んだ事を早速実践してみる事にする。勿論、主殿に言われたように無理はしない。ゆっくりと歩く。歩きながら昨日の主殿の動きを思い返す。素早く正確なあの動き、己の力量を理解しその力を最大限利用した技の数々。その技をこの身に受け死線を彷徨ったにも関わらず、その素晴らしさに憧れを抱かずにはいられない。どうすればあの様な事が出来る様になるのだろか。私に同じ事が出来るとは思えないが。何にしてもまずは、今の自分が何が出来るかを一つ一つ確認する事から始めよう。考え事をしながら庭の縁に沿って三週程歩いた。やはり万全ではない事は確かな事が解った。特に左の後脚の損傷は大きいようだ。引き摺る様にしている、まだ痛みの残るこの左後脚を見ても悔しさなど微塵も湧いてこない。むしろ誇らしくさえ思う。この傷を負った自分自身にではなく、主殿の事を。
主殿に言われた通り無理をせず、ゆっくりと歩きながら今朝目覚めた場所へと戻って行く。その場に伏せじっとする。先程主殿に戴いた木の実を食べる。私は主殿に出会ってから戴いてばかりだなと、溜息を一つ付く。命を救って戴き、仕えるべき主を戴き、食料を戴き、そして何より「名前」を戴いた。私には勿体無い程の「ヤクモ《八雲》」という立派な名前を。まあ、強烈な一撃も戴いた訳だが。私はこの御恩にどう報いれば良いのだろうか、報いる事が出来るだろうか。溜息がまた一つ。
「溜息を一つ付くと、幸せが一つ逃げるぞ。」
不意に声がした。少し驚いて顔を上げると、柔らかに微笑みこちらを見ている主殿がいた。全く気が付かなかった。呆気に取られた顔をしていたのだろう。主殿が「どうした。」と聞いた。
「全く気配を感じなかったので、少し驚いてしまいました。」
「そうか。それは良かった。」と笑った。
「どういう事ですか?」
「居心地が良いみたいで安心したよ。」
そう言われてみれば・・・。自分でも思ったよりこの場所に安心しているのだと気が付く。ここの持つ不思議な力の影響なのだろう。
「今日の成果の一部だ。今日は豊作だ。」
主殿は笑顔で木の実を取り出して、並べて見せてくれた。まるで親に獲ってきた獲物を自慢気に見せる子供の様だ。私も父や母に褒められたくて良く獲物を見せびらかしたものだ。そんな事を思い出し目を細める。
「どうした、嬉しそうな顔して。」
「あ、いや、幼き日を少し思い出しまして・・・」
そう言うと、主殿は笑い声を上げた。そして、
「確かに、そうだなぁ。じゃあ褒めてくれ。」
と、悪戯ぽく笑った。楽しそうに笑う主殿を見ていると、私まで心が軽くなる様だ。
「それでは、これ以上無い位褒めちぎるとしましょう。」
「俺が悪かった、止めてくれ。」
主殿の収穫してきた木の実を食べながら、主殿は昨日私が名前を戴いた時と、主従の誓いを立てた時に起きた事についての説明をゆっくりと、そして丁寧にして下さった。各種機能が開放され、その機能が使用可能になった事。そしてその使用方法。機能を呼び出す為の文言は、聞き慣れない言葉ではあったが、普段あまり使わない言葉の方が良いのではないかとの主殿の助言もあり、主殿と同じ物にした。技能の取得方法や主従の絆による加護の恩恵。主殿の説明は非常に解かりやすかった。その途中に何度も「大丈夫か?」「解らない事は無いか?」と気遣ってくれた。
一通り説明が終わると、主殿は立ち上がり水を飲みに行った。結構長い時間が経っていた様だ。戻ってきた主殿は、
「とりあえず、もう一回外に出てくる。ゆっくりしててくれ。」
と言って踵を返し、出かけて行った。私は一息ついて立ち上がり、水を飲みに行った。まるで既にその場所に決められているかの様に帰って来てこの身を納める。木の実を一つ二つ噛りながら、自分の能力や技能そして現在取得可能な技能をゆっくり確認する。確認していると解らない事柄が幾つか見つかった。主殿が戻って来たら聞いてみる事にしよう。
・・・どうやら途中で寝てしまっていたらしい。気が付くと主殿が帰って来ていた。少し離れた所で何か作業している様だ。
「お帰りでしたか、失礼しました。」
「あ、起こしちゃったか。悪い。」
「いえ。で・・・何をしていらしゃるので?」
「これか、鋼ガガガニを解体してるんだ。食うか?」
「いえ、今日はもう充分戴きました。」
「そうか。」
その解体作業が終わるまで、主殿の姿を眺めながら待っていた。作業を終えるとアイテムボックスと言う技能を使い、解体した鋼ガガガニだったものを収納した。そして振り向くと、その一部を口に咥えていた。そこが主殿のお気に入りなのだろう、その場所に移動してちょこんと座る。
「色々と自分で確認していたのですが、幾つか伺いたい事があるのですが。よろしいでしょうか。」
「ん、何。」と口をモグモグ動かしながらこちらに顔を向けた。
「この特異能力とは何でしょうか。」と質問すると、主殿は眉間に皺を寄せた。
「え、なにそれ。知らないんだけど。」と言ってその後少しの間、目線を少し上げブツブツ言っていた。そして「今の俺にはまだ使えない機能らしい。」と答えてくれた。
「では、どうしましょう。」
「そうだなぁ・・・何が起こるか分からないから、俺が使えるようになるまで保留しておくのが無難かなぁ。」
「承知しました。」
主殿にまだ使用出来ない機能があるとは。という事はまだ私より前の成長段階だというのか、その事実に驚く。
「それでは、この異空間収納とはなんでしょうか。」と次の質問に話題を移す。主殿は少し考えてから
「ヤクモの能力と技能を一度見せて貰っていいかな。勿論、嫌ならいい。本来は誰かに見せる物じゃ無いからな。」と言った。
「私は一向に構いませんが・・・。」と素直に応じる。
「悪いな、ありがとう。じゃあ替わりに俺のも見せるよ。」とご自分の能力を見せてくれた。主殿の能力を目の当たりにし、驚かされる。総合的な能力を見れば確かに主殿の言う通り私の方が優れているものが多い。だが一部の能力の値が飛び抜けている。脚や耳の能力もさることながら、精神力と特に運の値が異常な程高い。技能に関してもそれぞれ満遍無く高いLvである。それに加え、口笛や暗算など私ではその技能を取得している意味を理解できないものまである。きっと今の私には及ばない深いお考えがあるのだろうと感心する。そして技の多彩さにも。これで短期決戦を決断する程種類が少ないと言うのだ、どれ程ご自分に厳しいのだろうか。私など狐火と狐風の二種類しか無いというのに。これだけで、これをほんの少し使いこなせているだけで他の魔物より優位に立てていると思っていた自分が恥ずかしい。
主殿は私の能力と所持技能を見ながら、また何事か聞き取れない程小さな声で呟いている。それ以外にも「へえぇ。」とか「なるほど。」とか「いいなぁ。」とか言っていた。私の技能を見て何か参考になる様な事があるのだろうか、いやこれで何か得る事が出来るのが私と主殿の差なのだろう。主殿は「ありがとう。」と言って一歩離れた。
「異空間収納は、俺のアイテムボックスと同じ様なものだけど、中に収納したものが通常通り時間経過するらしい。」
「つまり、劣化、腐敗すると。」
「だな。俺のも全くしない訳では無いみたいだけど。」
と教えてくれた。しかしなぜそんな事を知っているのだろう。何処でそんな知識を得ているのだろうか。本当に計り知れないお方だ。
「主殿の技の多彩さには驚きました。これでなぜ短期決戦を望まれたのか疑問です。」
私の疑問に苦笑いしながら答えてくれた。
「それはな、見せ方の違いや特定の条件下で使ってるだけで、実はほぼ同じ流星弾だからだよ。実質三種類位しか無いんだよ。」
「なるほど。そういう事ですか。」
見せ方が違う・・・それだけで相手にとっては別の技、別の技能に見えるという事か。それだけで相手は考える事が増えるという事か。参考になる。
「だから言ったろ、こんなのはヤクモくらい考えるやつじゃないと意味がないぞ。考えないやつには通用しないぞ。」
そうか・・・相手を見極めてからでないと意味をなさないと。
「ところで、ヤクモ。何かこれから、やりたい事や目的・目標みたいな事はあるか。」
主殿のその質問に思考が止まる。私の中にその問いに対する答えを持っていない事に、私自身が戸惑う。考えた事も無かった。
「ただ・・・妹と変わらず幸せに生きていく事に必死で・・・。考えた事もありません・・・。」
「そうかぁ、そうだよなぁ。でも何かあるんじゃないのか。あの北に見える山にいつか行ってみたいとか、この森の外側に行ってみたいとか、その逆にこの森を全部見てみたいとか。もっと強くなりたいとか、こんな事が出来る様になりたいとか。」
「そうですね、もっと強くはなりたいとは思いますが・・・。」
「そうか、今は無いか。ま、そのうち見つかるかもしれない。見つかったら教えてくれ、良ければだけど。協力するよ。」
今日一日を生き抜く事以外考えた事も無かった。確かにこれから主殿と共に過ごせば、そのうち見つかるかもしれない。いや、たぶん見つかるだろう。そんな予感みたいなものが微かにある。ゆっくり探していこう。あまり真剣に捉えると、また主殿に「考えすぎだ。」とお叱りを受けてしまいそうだ。
「ありがとうございます。ゆっくり考えてみます。」
そう言うと、主殿は微笑んで頷いた。
「それでは、主殿は何かあるのでしょうか?」
「俺か。俺は・・・獣神になろうと思って。」と答えた。
「主殿は神になるおつもりなのですか。」
驚きがそのまま言葉になって外に出た。まさかその様な事をお考えになっていたとは。私とは思考の規模が違いすぎる。だが私の言葉に、主殿は笑い声を上げる。
「そうじゃない。それくらい強くなりたいって事さ。」と楽しそうに言った。
「なぜそんなに強くなりたいのですか。神と戦うおつもりですか。」
この質問に主殿はまた笑う。
「違うよ・・・いや違わないかもしれないな。もし神様とやらがいるのなら、文句の一つも言ってやろうと思ってな。その為には俺も同じ位にならないとな。」
神に挑むというのか、何とも途方もない話だ。
「主殿はこの世界に何か不満でもあるのでしょうか。」
「全く無いと言えば嘘になるが、そんなに不満は無いよ。俺にとっては過酷だけどな。でもそうじゃないんだ、何かそれぐらいの目標があった方が楽しいと思ってな。それに俺にとって獣神は不屈の象徴なんだ、だからそんな風になれたらいいなと。」
「なるほど、そんな強さをと。いいですね、良い目標だと思います。」
そして主殿は少し照れ臭そうに私の方を向き聞いた。
「俺は獣神になれるかな。」
私はその問いに不思議と何の躊躇いも無く答えが出た。なぜそう思ったのかは良く解らない。主殿を見ていると、それが決して間違いでは無いと思える。その姿が既にこの目に見える様な気さえする。そんな思考が一瞬で駆け抜ける。目を瞑りゆっくりと一呼吸する。自分でも驚くほど落ち着き確信に満ちた声で答える。
「なれると思います。」
その後、お互いの姿が見えなくなるまで、様々な事を語り合った。私は能力の事や技能の事に関する疑問や助言を、主殿は私の今までの事やこの森やこの世界の事を聞き、お互いに丁寧にそして自分の考えや推察を混じえながら答えた。なんと楽しく心躍る、そして充実した時間だっただろう。生まれて初めて感じるものだった。家族との、妹との時間が幸せで無かった訳ではない。それとは違うもっと別の種類の、今まで感じた事の無い幸せを感じていた。
私の答えた知識は父や母に教わったものをそのまま伝えたに過ぎない。主殿は私より多くの事を経験し、私より多くの知識をお持ちだろう。それにも拘わらず、私の言葉に「なるほど、そうか。」と興味深げに相槌を打っていた。これが私と主殿の器の大きさの違いなのだろう。
余談だが、技能の話をしている時、一覧を眺めながら話していた主殿が突然両前脚で顔を覆い「ああっ。」と声を上げワナワナと震え始めた。その理由を尋ねると、どうやらずっと欲しいと思っていた技能がその一覧に有り、それを今まで見逃していた事に気付いたとの事らしい。なんとも面白い方だと微笑ましくも思った。
それから二日程、主殿の家でゆっくりと傷を癒やした。勿論主殿の気遣いと言い付けがあった為だ。万全に近い状態せなければ、単独での行動は許可できないとのお言い付けだった。その甲斐あって概ね回復した。だが主殿曰く、勘を取り戻すまで少し時間が掛かるだろうと。だから暫くの間は共に行動する様に言われた。その優しさに感動を覚える。主の後に着いて歩いていると「兎の威を借る狐だな。」と笑っていた。正確には「虎の威を借る狐」という言葉があるらしい。あまり良い意味で使われる言葉でもないらしい。気にするなとも言っていた。勿論主殿に悪意が無い事は判っている、楽しそうに笑っているので私も気分は良い。他にも兎と狐はずる賢く嫌われ者にされがちだと言っていた。私が心外だと腹を立てると、良いじゃないか優秀だと嫌われるものさとまた笑っていた。本当によく笑う方だと思う。そしてその笑っている主殿が私は好きだ。
主殿は草や木の実の採れる場所や川など、住処周辺の主要な場所を案内してくれた。各地を周っている途中に、何度か襲われた。そのどれもが我々に比べ、こう言っては何だがかなり弱い部類だった。栗鼠、鼠、蟹、猪、鹿。こんな環境で今まで生き抜いて来ていたのだ、強くもなるはずだ。私ですら今までが嘘の様に能力が上昇していく。今までレベルなどという意識は全く無かったからそう感じるだけかもしれないが。
そんな中、主殿が種族進化をした。何でもようやくレベルが上限に達したらしい。既に何時でも種族進化自体は出来たらしい。だが能力値次第で進化できる種族の種類が増えるかもしれないから、レベルが最大になるまで保留していたらしい。そこまでお考えとは、流石だと思う。私も種族進化は主殿に習う事にしよう。そして主殿の進化に立ち会えた事を嬉しく思う。
全身を光り輝かせ進化を終えた主殿の姿は進化前と大きな差は見受けられなかった。身体的な大きな変化は無かったが、耳と腹部の傷跡がすっかり無くなっていた。進化を果たした主殿は、特異能力の機能が開放されたと言った。その中から法術を取得した。私は既に所持している能力だ、どうやら狐火や狐風などの技能を任意で取得するのに必要な能力の様だ。法術の類を使える様になった事をとても喜んでいる様子だった。そして新たに取得可能になった技能の中から早速、兎の雷を取得していた。何の迷いも無く、それを選ばれていたので、
「なぜ雷を選ばれたのですか?」
と聞いてみた。すると、
「獣神って言ったら、やっぱり雷でしょ。」
と、とても嬉しそうに鼻から何度も息を勢いよく出し入れしながら答えてくれた。・・・ちょっと何を言っているのか良く判らないが、とても満足しておられる様子なのでそっとしておこう。「はい、そうですね。」と笑顔で応じた。
主殿とこれからの事を話した。まずはこの森の行動範囲を拡げたいとのこと。その為に現在の住処以外に幾つか拠点を確保したいという事。贅沢を言えばこの場所の様な不思議な力が働いてる場所が望ましいが、それは極めて難しだろう。もしあったとしてもそこを住処にしている者がいた場合、無理やり奪う様な事は望まない。いわゆる一般的な魔物の住処の様に不思議な力が働いていない場所を確保するにしても、何か対処法を考える必要がある。それを解決する様な技能があるかもしれない、と計画を話してくれた。それをひとまず当面の目標にしようと。私に異存はない。
主殿と出会い、名前を戴いたその時から、私の生きる世界の景色が変わった。ただ生き抜くだけの世界ではなくなった。それは私にとって不幸な事ではない。勿論簡単な事では無いだろう、この先幾度も苦難に見舞われるだろう。だが主殿と共に歩めば、きっと大丈夫だろうと自信を持ってそう思える。主殿に戴いたヤクモ《八雲》の名に誓おう。主殿の一歩後ろでいい、決して離れぬようついて行こう。この命が尽きるまで。そして私は顔の傷をそっと撫でた。