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コンバラリア(1)

 着ていたコートを脱ぎ、俺は一軒の店のドアをくぐった。

 チリリンと響く優しい呼び鈴と、ほろ苦い珈琲の香りが出迎えてくれる。穏やかな気持ちにひたっていた、矢先――


「紅茶らぁ? なに言っれやがる、酒だ、酒ぇ!」


 店内の穏やかな空気が一瞬にしてき乱された。

 フロア中央にあるカウンター席に、中年男がどっかり座っている。ふんぞり返って、そのまま椅子ごと倒れるのではないか。そう思うほどに偉そうな態度だった。

 男は整備士なのだろうか。くたびれた手袋と工具箱が、放り投げるようにカウンターに置いてある。

 常連はもちろん、一度や二度訪れた客だとしても、だいたい顔は憶えている。だが、その男の顔は一向に思い出せない。記憶にないということは、初めて来た客だ。

 何やらわめき散らしているが、呂律ろれつが回っていないところを見ると、相当酔っているらしい。おそらく、酒に酔ってフラフラ歩いていたところに、ちょうど明かりがついていたこの店を見つけて、立ち寄ったといったところか。


「フランちゃん、おかえりなさい」


 入口に近いテーブル席に、常連のアンナ婆ちゃんが座っている。カウンター席の男をチラチラ見ながら、俺に手招きをした。


「婆ちゃん、うるさくてごめんね。ゆっくり本も読めないよね」

「いいのよ、私のことは。でも、他のお客さんがね……かれこれ一時間近く、ああして騒いでいるから」

「そんなに……大丈夫、すぐに対処するから」


 荷物をその場に置き、暴れている男を睨みつけた。

 ここは俺が経営している【古書喫茶コンバラリア】。このホロカの街で唯一、紙の本が読める喫茶店だ。

 〈黒の革命〉と呼ばれた大戦が終結して百数十年。荒廃した大地は未だ蘇ることはなく、世界の大半が乾いた砂漠に覆われている。この【ヒノモト国】――そしてホロカがある北の大地【トーチカ】も例外ではない。


 資源不足から電子化された本が主流になって、高価な紙の本はもはや消えつつある。そんな中で、古書喫茶なんて店を構えていられるのは、大の本好きで収集家だった父さんのおかげだ。

 固定客もついて、ようやく経営も軌道に乗り始めたというのに……。いくら客であっても、さすがに見過ごすわけにはいかない。


「は、離してください!」

「俺は客だぞ? 話の相手をするのも仕事だろう?」


 どう対処すべきか様子を窺っていた矢先、男は従業員のレイリに目をつけた。

 レイリは男性客の人気が非常に高い。銀色に近いプラチナブロンドもトルマリン色の瞳も、透き通るような白い肌も、目が離せなくなるほど惹きつけられる。どうやらそれは、この男のお眼鏡にも適ったらしい。


「あまり、触らないでください!」

「さ、触るなだと? お前ぇ、俺を馬鹿にしてんのかっ」


 拒絶され、男はいっそうレイリに迫った。

 腹を立てて自ら帰ってはくれないかと期待したが、そう思い通りにはいかないらしい。

 他の席にいる客達も不安な様子で見つめている。張り詰めた緊張感はこの店に不要だ。即刻排除するに限る。


「お客様、その手をお放しください」


 言葉は丁寧に、だが態度は強引に。レイリの腕を掴んでいる男の手を、思いっきり叩き払ってやった。男が怯んで手を離した隙に、レイリを素早く背後へ隠した。


「フラン! お帰りなさいっ」

「ただいま、レイリ。妙な人に絡まれたみたいだな」

「おいっ、てめぇは何だ、何様だ!」

「申し遅れました。当店の店主、和泉フランと申します。お客様、大変申し訳ありませんが、他のお客様の迷惑になりますので。どうぞお帰り下さい」

「あぁ?」


 この言葉が癇に障ったらしく、男は声を低めて立ち上がった。

 おそらく威嚇いかくしているつもりなのだろうが、漂う酒の臭いと、真っ直ぐ立っていられないほどフラフラしているせいで、その威力は大分半減している。怖さの欠片すら感じられない。


「ここでのひと時を乱す者は、もはやお客様にあらず。即刻お帰り願います」


 それを合図に、背後にいたレイリ、同じく従業員のコウとロロさんが男を包囲する。ただならぬ空気を感じ、男は確実に怯んだ。

 レイリはともかく、コウとロロさんに関しては初見で圧倒されることは間違いない。

 見惚れるほどの美貌にもかかわらず、身の丈190を超える長身のコウと、60歳とは思えないほど筋骨隆々、真鍮製しんちゅうせいの武骨な眼帯をつけたロロさんに見下ろされて、怯まない者などいるものか。


「当店自慢の従業員です。外まで見送らせますので、お好きな者をお選びください」

「う、うるせぇ! 俺は帰るつもりはねぇっ」


 カッとなり、男は俺に掴みかかろうとした。寸でのところで、横から伸びてきた義手が男の腕を掴まえる。


「そこまでだ、おっさん」


 カウンター越しに身を乗り出しているのは、同じく従業員のリョウジ。ロロさんに負けず劣らずの強面で、声は程よくハスキー。威嚇するには十分だ。

 男はリョウジに睨まれて、ごくりと喉を鳴らした。


「おっさん、ちょっと調子に乗り過ぎだな」

「あぁ? 誰が調子に――」

「うるさいって言ってんの、聞こえねぇのか?」


 語気を強め、手首をクルリと捻った。

 義手の上半分が開き、内蔵された銃が男の鼻先に突きつけられる。強気だった表情も一瞬で青褪あおざめ、強張った。


「お、お前、客に銃向けていいと思ってるのかっ!」

「ん? おかしいな。どこに客がいるんだ? なぁ、フラン」

「どこだろうな。俺には見えないよ」


 レイリ、そしてコウとロロさんに目配せをする。

 さっきまでしおらしくしていたレイリの表情が一変。猛犬かあるいは獅子か。唸り声をあげ、今にも喉笛を噛み切りそうな形相で素早く男の背後に回り込み、腕を捻り上げた。


「いっ! う、腕っ!」

「はい、はい。オジさん、しっかり立って下さいね」

「このクソ野郎がっ。汚い手でわしのレイリに触りやがって!」


 コウは怯んで座り込んだ男の襟元えりもとから服の中に手袋を押し込んでやると、首根っこを掴んで立ち上がらせる。食ってかかろうとする男に、ロロさんが有無を言わさずお姫様抱っこで店の外まで運んでいく。


「リョウジ、警察に連絡を」

「もうしておいたよ。ほら」


 と、リョウジが入口を指差した。ロロさんがドアを蹴り開けた丁度そこへ、2人の警官が駆けつけた。

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