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守るべき場所(1)

 長針と短針が重なり合う正午――第6セクターの最下層にあるパベル教会の時計塔から、時刻を知らせるオルゴールの音色が響き渡った。

 立ち止まって聞き入る者、まるで気づかず通り過ぎる者。それらを横目に、俺は礼拝堂に足を踏み入れた。

 ステンドグラスを通る人工的な明かりが、鮮やかな色をまとって、祭壇のそばに置かれた巨大なパイプオルガンを照らしている。

 響き渡る音に耳を傾けながら、訪れる市民達を、右の列の最後尾席に座って眺めている男がいる。

 足首まである黒革のロング・コート。

 真鍮製しんちゅうせいの武骨なゴーグルに、羽やビーズの装飾がジャラジャラとついたトップ・ハット。

 目の覚めるような赤いスカーフ。そして、ワカメみたいなチリチリの髪。

 彼が待ち合わせの相手【久遠くおん・ジェノ・ユキト】。今は隠居生活で余生を楽しんでいるが、元情報屋であり、俺がこの裏稼業を始めるきっかけを作った男だ。

 今年六五になったばかりだが、この爺さん、精神的にも肉体的にも異様なほど若い。コウに負けず劣らずの女好きで、女を切らしたことがないと、耳にタコができるほど自慢話を聞かされたことを、その後ろ姿を見る度に思い出す。


「ご無沙汰しております」


 その横顔を見ながら、彼の左隣に座った。

 もみあげと繋がった顎髭あごひげ、ピアスだらけの耳が真っ先に目に留まる。相変わらず痛そうだ。

 そんなことをふと思いながら観察している俺を、振り向いた久遠さんのビリジアン色の左目と赤い右の義眼がとらえた。


「少し見ねぇうちに良い顔になったな。リョウジの野郎は元気か?」

「えぇ、煩いくらいに。つい最近、第32セクターにある花屋の、マリアって女性と付き合い始めたそうですよ」


 それを聞くや否や、チッと舌打ちをして、なにやら面白くなさそうだ。その反応を見るに、付き合っていたララという雑貨屋の娘とは上手くいっていないらしい。


「あんまり知りたくねぇ情報だな。こっちはやっと口説き落とした女に逃げられたっていうのによ」

「どうせ久遠さんが二股かけたんでしょう」

「まぁ、そうとも言うな」


 悪びれる様子もなく、ケケッと低く喉を鳴らしながら、俺に小さな包みを差し出した。

 タータンチェックの布で四角い何かを包んでいる。畳まれたそれを指先で摘まんで開くと、バスケットの中に詰められたサンドイッチが入っていた。


「行きつけのパン屋が新作を出してな。美味いぞ」

「いつもすみません。では、遠慮なく」


 一つ手に取って、ガブリとかぶりつく。スモークチキンとチーズ。レッドオニオンのスライス、ソースはトマトとマスタードか。

 しばらく、パンと野菜の噛み砕く音が沈黙を埋めていく。

 シャキ、シャキ、ゴクリ。


「新聞社にお前や設計図のことをもらしたのはリズ本人だ」


 話すぞ、なんて前置きもなく、久遠さんは唐突に話し始めた。これもいつものことだ。最初はこの話し方には戸惑ったが、付き合いが長いこともあってすっかり慣れてしまった。


「やはりそうでしたか」

「お前の過去を晒せば、耐えられなくなって渡すと考えたらしい」

「そもそも、俺は設計図を持っていないんですけどね」

「真実はそうなのかもしれないが、少なくともリズは信じちゃいない。だからこんな妙な行動を起こしたんだろう」


 ふと、久遠さんの視線が逸れた。何を見ているのかと視線を追えば、俺達が座っている席と隣の席の、間にある通路だった。

 そこへ、礼拝に来ていた子連れの母親が近づいてくる。手を引かれて歩く小さな女の子に、久遠さんはニッと笑って手を振った。女の子は恥ずかしそうに手を振り返し、母親のスカートに顔を埋めて通り過ぎていった。


「これで俺が動かなかったら、リズはどうするつもりだったんでしょうね」

「おそらく、標的を変えるだろうな」

「まさか、ロロさんやコウ?」


 久遠さんはこくりと頷いた。


「他の情報屋を使って調べさせているらしい」


 皆の顔が脳裏を過った。お世辞にも大っぴらにできる過去ではない。特にコウだ。

 【首都シュオル】と【蒸気の街ホロカ】のちょうど中間に、【レラ】という名の商業都市がある。代々、そこをシマに貿易から不動産業、表には決して出ない裏の仕事まで。あらゆるものを牛耳り、操っていたのが國嶋家だと言われている。コウはその首領ドンの息子だ。

 久遠さんの手伝いをしていた頃、コウのことは何度か耳にしたことがあった。本人はその稼業から足を洗ったし、縁も切ったと言っていたから詮索はしないようにしている。もちろん、こちらから聞こうとも思わないが……マフィアの首領の息子――その肩書は、一生消すことはできない。

 ほとぼりが冷めるまでと、アンナ婆ちゃんには話したが、この様子だと店を続けられるか定かではない状況だ。


「それから、お前のオヤジさんな。遺産はもちろん、機械心臓カルディエの設計図をリズに渡すこと、相当嫌がっていたらしいぞ」

「一応、リズも父さんの息子なんですけどね」

「血が繋がっていればいいってもんでもねぇだろ。親子だろうと相性ってもんがある。数年前、〝俺が作り上げてきた物を、あいつに渡すのは我慢ならん〟と、知人にこぼしているのを、酒場の店主が聞いていたそうだ」


 その言葉通り、父さんはリズを機械心臓カルディアの製造には一切関わらせず、余命わずかと宣告されても自らで造り続けていたそうだ。

 決意というか、意地というか。頑固ともいうべきか。一度決めたことを曲げないところは父さんらしい。だが、そのおかげでとばっちりを食っているのは少々迷惑だ。


「どうしてそこまで毛嫌いしていたんでしょうか。俺がヴァンフィールド家を継げるわけがないし、結局リズが継ぐことになるんですから」

「あのリズってガキ、相当評判悪いぞ。オヤジさんの気持ち、俺も多少は理解できる」


 ちょっと待てよ、と話しながら、久遠さんは伝書盤エピストラを俺に渡した。通信機アステリに差し込み、記録されていたリズの写真が画面に映し出された。

 両脇に数人の女を侍らせて、酒場でだらしなく鼻の下を伸ばしていたり。老人の胸倉を掴んで脅していたり。

 それ以外にも、リズの母親の写真もあった。これもまたリズ同様に、若い男と腕を組んで、山のように買い漁った品を護衛に運ばせて、宝石店から出てくる姿が写っている。

 名前は確か、ルチアナだっただろうか。母さんから「綺麗な人よ」と聞いてはいたが、確かに綺麗だ。リズほどの大きな子供がいるとは思えない。ただ、その腹の底に隠した黒さや気の強さはしっかりと顔ににじみ出ている。

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