二十話
「……。う」
目を開けるマリア。いつの間にか自分の体は砂漠に横たわっている。
すぐに状況を思い出し体を起こそうとするが軽く身を起こした瞬間、全身に激痛が走り、小さく苦悶の声を上げて再び砂漠に身を委ねる。
(一体何が……)
つい先ほどまで戦っていたというのに今は何故か倒れており、しかも全身には体を動かすことさえ億劫に思える激痛がある。
一体どういうことなのか。痛みに耐えながらゆっくりと体を起こす中、記憶を探る。
(そうだ。【降魔と暗黒を祓う聖女王の進撃】を発動した後、爆発の中から白と黒の衝撃波が飛び出してきたんだ。
空間そのものを切り裂くようなそれにわたしとシャフナーズは障壁を張って……)
十数秒ほど時間をかけて起き上がるマリア。周囲を見渡すとすぐ近くに砂の大地に突っ伏しているシャフナーズの姿があった。
すぐに駆け寄り容態を見ると小さく呻く。気を失い自分同様ボロボロだが生きてはいるようだ。
「……う。マリア。生きていたのね」
「お互いにね。それにしても今のはグラディウスの……いや、そんなことよりも鳴神君は」
視線を遠くに向け、マリアは大きく目を見開く。
雄斗は自分から五十メートル離れている場所にいた。自分以上のボロボロな姿であり【掌握】も解除されている。
だがその傍には白と黒の刀を手にしたグラディウスの姿があった。
「鳴神君っ!」
反射的に【邪悪を引き潰す神馬の蹄】を放つマリア。
だがグラディウスは迫る水の神馬を見向きもせず、剣の一振りで消滅させてしまう。
「何だお前たち、生きていたのか。
ああ、安心しろ。鳴神雄斗は無事だ」
そう言いグラディウスは軽く手を動かす。すると仰向けに倒れている雄斗の体が浮き上がり、マリアたちの傍にやってくる。
「酷い……!」
沈痛な表情となるシャフナーズ。雄斗の様を見たマリアは声もない。
遠くから見て酷い状態だとわかっていたが間近で見るとその様子がよくわかる。【アルゴナウタエ】製の強化服の大半は消し飛び、体にも無数の傷跡がある。
五体満足ではあるが生命の気配がほとんどしていない。ほぼ死体だ。
すぐさま雄斗の治療に入り、しかし魔力が尽きかけている自分では十分に癒せないことを悟る。
このまま放置すれば彼は──マリアが青ざめた時だ、
「全く見事なものだ。俺の天地斬を避けられないと瞬時に悟るや、即座に迎撃のための攻撃を放った。
鳴神雄斗に感謝しろ。もしそれがなければお前たちの命はなかっただろう」
そうグラディウスが言うと同時、頭上に漆黒の渦が出現。マリアたちに碧色の水が降り注ぐ。
しかしマリアにはこれが水ではなく聖薬エリクシールであることがすぐに分かった。滴り落ちるエメラルドグリーンの液体を見たことと、体の傷が瞬時に癒え、魔力が回復したからだ。
エリクシール。傷ついたもののダメージや傷、魔力を即座に全快してしまう聖薬の異名を持つ最高峰の万能薬だ。
神代の時代に生み出された物であり製法は明らかにされているが作るのは非常に困難な一品だ。マリアのような大地の女神の力が必要であり、また数々の貴重な材料が集まって生み出すことが可能となる。
「今回はこのぐらいにしておこう。一瞬とはいえ俺に本気を出させたことは見事だった。
次に相まみえる時まで、もっと腕を上げておくよう鳴神雄斗に伝えておけ」
そう言って背中を向け立ち去っていくグラディウス。マリアはただそれを見送る。
戦おうという気はもう微塵もなかった。雄斗に無理を言って、そして三人が協力してこのざまなのだ。
どうあがいても今は勝てない。その事実を突きつけられ、心が折れてしまっていた。
シャフナーズを見ると、彼女も心底悔しそうな顔をしており、刃のような眼差しで立ち去るグラディウスを睨んでいる。
だが自分と同じく突き付けられた現実に戦意を挫かれたのだろう。顔を俯き、砂地に拳を叩きつける。
「ぐ……」
「! 鳴神君、大丈夫!?」
目を覚まし起き上がろうとする雄斗を見て、思わずマリアは体を抑える。
「体力はないのに体のダメージはなく魔力も回復している。……グラディウスの仕業か」
「動かないで! 傷は癒えてもグラディウスの攻撃を受けた体には休息が必要なんだよ。
今は安静に──」
「お前、何悠長なことを言っているんだ、目の前に敵が、仇がいるんだぞ」
咎めるような眼差しを向けてくる雄斗。
それを見て、思わずマリアは視線を逸らす。
「……今のわたしたちじゃ、どうあがいてもグラディウスには勝てないよ。
わたしたちの目的は果たせなかったけどグラディウスは満足して去ろうとしている。悔しいけど──」
「さっきの一撃を受けて心が折れたか。──情けねぇ」
吐き捨てるような一言と共に、雄斗はマリアの手を払う。
「昨日あれだけ食い下がるのだから何が何でもグラディウスの奴を倒すつもりだと思っていた。
だがこの程度の戦いであっさり膝をつく程度の想いだったのか。お前もシャフナーズも。
お前たち二人のために命を懸けた先代のアナーヒターも浮かばれないな」
「……!」
「何ですって──!」
雄斗の物言いにマリアは気色ばみ、シャフナーズは眉を吊り上げる。
だが剣の切っ先のような雄斗の眼光に見据えられ、気圧される。
「なぜファルナーズ様がお前たち二人を命を懸けて守ったと思う。
自分の後継であり家族同然のお前たちを守りたかったのもあるだろうが、それと同じぐらいこう願っていたはずだ。
自分では倒せないグラディウスを、いつかお前たちが倒してくれることを。
だというのにたった一度や二度の戦闘でビビッて戦意を失うなんて、情けないにもほどがある」
「誰がビビったって言うのよ!」
「相手が無防備に背中を向けているのに震えて何もしないのが証拠だろうが」
痛みに表情を歪めながらも立ち上がる雄斗。
それを見てマリアは再び彼を抑えようとするが、
「鳴神君! 安静に──」
「うるせえ。戦意喪失した奴はさっさと下がってろ。俺は戦う」
「やめなさい! 今度こそ殺されるわよ!
今は勝てなくても命があればいつか再戦することだって──」
「その”いつか”までに一体どれだけの神や英雄が死ぬ羽目になるんだ」
叱咤するような雄斗の声音に、マリアは黙り込む。
「お前たちの言う通り強くなって再び戦場で相まみえるのもいいだろうさ。グラディウスは無辜の民には手を出さない。【異形種】として見れば限りなく無害だ。
だが俺はそれまでに犠牲になる神々を許容できない。そいつらにだって普通の人々と同じように家族が、愛すべき人がいるだろう。
お前たちにとってのファルナーズ様のように」
雄斗はゆっくりと体を起こし、体の状態を確認するように首を鳴らし、両手を幾度も開閉する。
「世界を守る責任と力がある。神々と一般の人々の違いはそれだけだ。
そして俺たち魔術師が、神々が力を振るうのは【異形種】を始め、様々な脅威にさらされる人々を守ること。
そしてそれには、神々も普通の人も関係ない」
雄斗の言葉を聞き、マリアは大きく目を見開く。
そうだ、彼の言う通りだ。どれだけ大きな力を持っている神であっても、最強と言われる存在であっても。
一人の人間として考えれば一般の人と同じだ。尊敬する多くの神々も守るべきもの、守りたい人がいる。
マリアとてそうだ。リタや孤児院の子供たち。雪菜たち【アルゴナウタエ】の同僚。レイリやルリ、シャフナーズ、【アヴェスター】の方々。──そして雄斗。
そんな人たちがこの先、グラディウスと戦い敗死するようなことがあれば、マリアは今日見逃したことを一生後悔するし、死ぬまで己を呪うだろう。
「お前たちは下がれ。俺は一人でもグラディウスに立ち向かう。
お前たちがビビって戦わないのも、強くなって再戦するというのを俺は止めない。──だから俺の邪魔をするな」
手元に【万雷の閃刀】を呼び寄せた雄斗はしっかりと握り、立ち去るグラディウスに視線を向ける。
あれだけやられたというのに微塵も戦意が衰えていない。マリアはその意志の強さに心から感服する。
そして、自身も覚悟を決める。
「……わかったよ。もう止めない。
でもわたしも一緒に行くよ」
「戦えるのかよ」
「鳴神君を見ていたら恐れなんてどっかに行っちゃったよ。
ただ、一つ確認してもいいかな」
「何だ?」
「”あらゆる脅威から人とその営みを守る”。当然それに鳴神君本人は入っているんだよね。
守り手たるわたし達が安易に死ぬことはそれだけ一般の人たちを守れないことでもあるよ」
「当然だろ」
即答する雄斗。しかしマリアは内心でため息をつく。
どう見ても考えていないのがまるわかりだ。彼は力ある表情を見せているが、そこには死を覚悟したというよりも、命を投げ捨ててでも止めるといった空気しかない。
どうあっても止まりそうにない彼に説教して力づくでも止めたい。だがそんな無駄なことをしている時間も余裕もない。
(シャフナーズ様。あれを使います)
ファルナーズのような一人前ではない、未熟な自分ではおそらく本領を発揮できない。そう言う理由でアナーヒターを継承してから一度も使用しなかった絶技。
今でも完全にできる自信はない。だができるできないではない。やらなくてはと言う断固たる決意が雄斗を見て心に宿った。
グラディウスを倒すため。そしてそれ以上に、目の前の勇敢であり自分の命を軽々しく扱う馬鹿を生かすために。
「シャフナーズ、お願いがあるの。
今からある絶技を使うから使用した後、あなたの魔力を譲渡してくれない?」
「……! あんた、まさか”あれ”を使用する気なの!?
やめなさいよ! ”あれ”は博打みたいなものよ!」
「でも勝つ可能性は上がるよ。わたしはアナーヒターとしてこの戦いに力を尽くしたいの。
お願い、力を貸して」
そう言ってマリアは頭を下げる。
しばしの時を置いて、絞り出すような声でシャフナーズは言う。
「……わかったわ。時間もないし、さっさと始めなさいよ」
「ありがとう。シャフナーズ」
「お礼なんて言わなくていいわよ。アナーヒターとしてやるべきことをやるだけなんだから。
……叔母様に姿が重なって見えるようじゃ、もう何も言えないわね」
「? シャフナーズ、何か言った?」
「何でもないわよ。さっさと始める!」
「うん。──ありがとう、シャフナーズ」
怒鳴るシャフナーズに再び礼を言ってマリアは雄斗の体──心臓のあるところ──に触れる。
「なにをする気だマリア」
「神威絶技【天稟を顕す輝聖水】。これをわたし達二人に使用するだけだよ。
これは使用した当人の潜在能力を一時的に目覚めさせる絶技なんだ」
かつてファルナーズもグラディウスとの戦いのときこれを使用し──一時的でありシャハブたち三人がかりではあったが──あのグラディウスと互角に渡り合っていた。
ただこの絶技はシャフナーズが言った通り博打的な意味も大きい。潜在能力を目覚めさせるといっても使用する魔力量に比例するし、才能がない人、成長しきった人にやってもさほど効果はない。
マリアは生来達人並みの剣才はあるが雄斗たち神域に達するほどではないし、雄斗もすでに剣聖──武の終着点にいる。
自分たちの潜在能力はどれだけ残っているのか。どこまで効果を引き出せるか。全く分からないのだ。
だが──
「無窮なる聖なる大河よ。赫赫たる光を放ちし太陽よ。我らに眠りし力を導け」
自分はともかく、雄斗はまだ伸びしろがあるように思える。彼の剣の腕は初めて会った時も凄かったが今はさらに研ぎ澄まされており底が見えない。
正直なところ自分が知る最高峰の剣士──ラーマ達──と同等か、それ以上と思うときもある。
「万物を内包し流れる川の如く、勇ましい戦士の力を導け。天地を遍く照らす輝きよ、猛き勇士の才覚に光を当てよ」
彼ならばいずれあのグラディスに匹敵、いや届きうる。そう思うから、一か八かのこの絶技を使用すると決めたのだ。
「命を司る、太陽の使途たる我が与えし聖なる加護を持つて、汝らの力を世界に示さん!
ああ、天稟溢れし武士よ。その力を以てあらゆる障害を打ち砕け。天下泰平をもたらすために!」
言霊と共に完成する【天稟を顕す輝聖水】。マリアより放たれし輝く水が二人を包み込む。
「鳴神君、どんな感じかな」
「特段変わった様子は──いや、そうでもないか」
すぐに変化を察知する雄斗にマリアは微笑む。
さすがは剣の天才。自身の変化にこうも容易く気付くとは。
マリアも変化したことに気づくがハッキリではない。とはいえ多少なりとも効果はあったらしく、いつもよりも周囲がよく見え気配の敏感になっている。
「さっさとグラディウスを追うぞ。このままだと逃げられるからな」
「うん。それじゃあシャフナーズ、行ってくるね」
「……ええ。しっかりやってきなさい」
シャフナーズに見送られマリアたちは駆ける。
立ち去ろうとしていたグラディウスが見えると同時に二人は跳躍。彼を飛び越えて前に回り込む。
「やれやれ。俺としてはもう腹一杯なんだが」
「何言ってやがる。元々お前が強引に戦いを挑んできたのが原因だろうが」
「わたし達はあなたが満足するまで付き合ったんだ。あなたにもそうしてもらいます。拒否は認めないよ」
ややうんざりしたような顔のグラディウスに雄斗とマリアは剣を構える。
【天稟を顕す輝聖水】にて才能が引き出された今、対峙するだけでグラディウスの強大さがいつも以上にわかる。
全く強さの底が見えない。今まで対峙した相手の中で文句なしに最強。今の自分でもあっさりと一蹴されるだろう。
だが、隣にいる今の雄斗と一緒なら、決して悪い勝負にはならないはずだ。
「仕方がない。手早く済ませると──」
言葉の途中で激突音が鳴り響く。雄斗が斬りかかり、グラディウスが黒刀で受け止めたのだ。
驚いている【異形王】に構わず剣を振るう雄斗。彼が繰り出す閃光としか思えない斬撃に対し、グラディウスもまた同じ剣速の剣戟を放つ。
「ほう、何をしたのか知らないが随分腕が上がったな。お代わりとしてはちょうどいい塩梅だぞ」
「あいにくだが満腹で済ませる気はねぇよ」
「わたし達はあなたのお腹を破裂させるつもりでここに来たのだから」
雄斗の言葉を引き継ぎ、マリアも仕掛ける。
眼前で繰り広げられる綺羅星が輝くが如き剣閃の結界。普段のマリアなら手が出せないそれを今のマリアは何とか見切り攻撃を放つ。
雄斗が放ついくつかの斬撃がグラディウスの体を傷つける。深手ではないが浅いというほどではないそれを見て、グラディウスは微笑む。
「素晴らしいな鳴神雄斗。当代のアナーヒターも別人のようだぞ!
これなら本気を出しても問題ないな!」
喜色円満な笑みを浮かべマリアたちと斬り合うグラディウス。その剣速や動きがさらに上がり、形勢はすぐに相手に傾く。
グラディウスが放つ漆黒の剣界に先程まで渡り合っていた雄斗でさえ圧倒される。マリアも間近にいるというのに相手の挙動がはっきりと見えず防御に専念せざるをえなくなる。
(これが、グラディウスの本気……!)
自分はともかく、潜在能力を覚醒した雄斗でさえ圧倒される。
この超常の剣技こそが幾人もの神や英雄を倒してきたグラディウスの神技。数年年もの間、最強の座にいる怪物の実力──
「本気の俺にここまで食い下がるか。これほどの高揚感は明と戦ったとき以来だ!
愉しい、愉しいぞ! ──だが、俺の腹を破裂させることはできないようだな!」
強烈な一撃を受けてマリアたちは吹き飛ぶ。すぐさま体勢を立て直すが膨大な魔力が渦巻く、大上段に刀を構えたグラディウスを見て足を止める。
掲げた刀の色が白と黒に代わる。そして放たれている魔力と戦意の圧によって空間にさえ歪みが発生する。
「この天地斬で今度こそ、此度の決闘の幕を引こう。
ふふふ、今度は癒しはしない。鳴神雄斗よ、死んでくれるなよ?」
高まるグラディウスの魔力。大地が怯えるように震撼し、晴天の空と太陽も隠れるような暗雲が覆う。
それを感じ怯むマリアだが、今更後には引けない。覚悟を決めて残りの魔力で全力の【海原を支配する龍帝】の発動をしようとした時だ。
グラディスと同じように雄斗が【万雷の閃刀】を大上段に構えたのだ。
(マリア、俺がグラディウスの斬撃を相殺する。
その一瞬の隙にお前は全力で懐に入ってあいつを斬れ)
(迎撃って……どうする気なの!?)
(簡単な話だ。同じ空間斬撃の神威絶技をぶつけて無効化するだけだ。
今の俺ならやれるだろう)
雄斗の言葉にマリアはわずかに迷い、しかしそれを振り払う。
迷っている暇はない。それに潜在能力が解放されている雄斗ならあの一撃すらもどうにかできてしまうかもしれない。
根拠はない希望的観測。しかしマリアは眼前の敵に匹敵する圧を放つ雄斗の姿を見て覚悟を決めた。
【海原を支配する龍帝】の発動を辞めて【黎明に導く青剣】に切り替える。膨大な水が瞬く間に刀身に宿るのを感じながら、マリアは盾を消して二人と同じく大上段に構えた時だ。
(マリア)
シャフナーズの声が脳裏に響い、あることを伝えてきた。
次回更新は9月23日 夜7時です。




