十九話
桜の花びらが見える。薄桃色に白、紅。様々な色の花弁が風に乗って周囲を舞っている。
そんな花びらが舞う、周囲に様々な桜の木が植えられているここは桜園。帝都郊外にある【高天原】屈指の桜の名所だ。
【高天原】はもちろんムンドゥスや他世界に生息している桜の木々も植えられており、観光名所としても名高い。
必要最低限の身なりで雪菜はここを歩いている。しかし幻想的ともいえる周囲に目もくれず、暗い瞳のまま歩を進め、ある場所に到着する。
「……」
園内の奥の奥にある樹齢数百年の巨樹。雪を思わせる真っ白な花びらを生やしたこの桜の木の名前は雪桜。【高天原】発祥の桜の木の一つであり夏に咲く事でも有名だ。
ひらひらと舞う花びらが雪菜の頬に触れる。雪のような一瞬ひんやりとした冷たさを感じる。この冷たさと白一色の花びらから雪桜と名付けられたのだという。
昔、この樹の前で祖母から聞いたその話を思い出し、雪菜の目じりに薄い涙が浮かぶ。それを拭い雪菜は巨樹に向かって頭を下げる。
「ごめんなさい、お祖母様。やっぱり私は駄目でした」
この巨樹は雪菜と亡き祖母と思い出の場所であり二つの約束を交わした場所だ。一つは幼かった雪菜が祖母に祖父祖母のような無辜の人々を守れる人になると誓った場所だ。
そしてもう一つ、祖母の死に落ち込んでいた雪菜が立ち直り、改めて祖母のような人間になると約束した場所でもある。
だがその約束は果たせなかった。あの頃よりずっと強くなった自分。しかし先の武蔵との戦いでは雄斗と共に彼を止めることもできず晴之に守られ、半死半生の傷を負わせる始末。
その事実は雪菜の性根を叩き折ってしまっていた。
巨木の根元に腰を下ろす。そして雪菜は懐より小さい小箱を取り出した。
鮮やかな緑色の色彩の小箱だ。元々は祖母のものだったが幼いころ、雪菜がねだって貰ったものだ。中には雪菜の宝物が詰まっている。
そしてそれを木の根元に穴を開け、土で包む。
「さようなら……」
そう呟いて雪菜は踵を返す。
もうここに来ることはない。いや来る資格はない。祖母との約束も果たせず、またしても大切な人が傷つくのを見ているだけだった無能で無力な自分には。
そう思いながら一歩を踏み出そうとしたその時だ、巨大な魔力が桜園──いや、雪菜に近づいてくるのを感じた。
俯いていた視線を上げる。すると分厚い雲を突き破った稲妻が雪菜の目の前に落ちた。
いや、稲妻ではない。稲妻かと思ったそれは火花を全身より迸らせている雄斗だ。
「こんな所に居やがったのか、この馬鹿が……!」
「鳴神、さん……」
滅多に──というよりも、初めて自分に向けられた雄斗の憤怒の表情。
それを見て思わず雪菜は一歩後退する。
「ど、どうしてここに……!?」
「お前の部屋に会ったアルバムを見てな。【万雷の閃刀】からここがお前の婆さんのお気に入りの場所と聞いたてな。
婆さんを敬愛するお前がもしかしたらいるかもしれないと思ってきたわけだ。
まさか本当にいるとはな。助かったぜ相棒」
大きく息をつくと、雄斗は【万雷の閃刀】を呼び出す。
「礼はいい。それよりもさっさとすべきことをしろ」
相変わらずそっけない口調の【万雷の閃刀】に雄斗は苦笑。
そしてこちらを見据え、口を開く。
「どうしてここにいるのか、なんで屋敷を黙って抜け出したのか、色々問いたいことはあるがひとまず安心した。
──さぁ、帰るぞ。皆を心配させた説教はその後だ」
苛立ちのこもった声に応じそうになるが、雪菜は口元を結び、首を横に振る。
「……帰りません」
「あん? どうしてだ」
「私はあの家に、叢雲家にいる資格がないんです。
だから【宗像ノ宮】に向かいます」
【宗像ノ宮】とは【高天原】にある女人だけの寺だ。
様々な事情を持った女性が俗世と距離を置くためここにやってくる。いわゆる尼寺だ。
「その年で出家するってか。晴之さんのことを気に病んでいるんだろうが気が早すぎるだろう。
晴之さんの怪我は重傷だが一ヵ月もすれば完治すると聞いている。落ち込むのはわかるが──」
「怪我の度合いじゃないんですよ……!」
説得するような、落ち着かせるような雄斗の声を雪菜は叫び、打ち消す。
再び目じりに浮かぶ涙。それを拭わず雪菜は雄斗を睨みつける。
「私は無力です。お祖母様を亡くした八年前も、今も。
確かにあのころに比べて強くはなりましたが、肝心なところでそれが発揮されないようであれば無力と変わりありません。
鳴神さんの力にもなれず、兄さまをあのような目に合わせてしまった。少し何かが間違えでもしたら二人とも死んでいてもおかしくなかった。
私が弱かったせいで、二人を危機に曝したんです……!」
何もできなかった。ただなすすべなく嬲られただけだ。
もしも、雪菜の剣技が神域に達していたら。もしも、雪菜が【掌握】ができていたら。結果は違ったものだっただろう。
「私の家族は皆強くて立派な人です。でも私はそうじゃなかった。
肝心な時に味方の足手まといになるだけのお荷物。──もう嫌なんです。私のせいで誰かが傷ついたり死んだりするのは……!」
一輝にそう言い切って雪菜は大きく息を吐く。
静まり返る周囲。少しして雄斗は厳かな声で言う。
「決意は変わらないのか」
「はい」
「俺たちにはお前の力が必要だ。それでも俺たちの前から去っていくのか」
「私なんかがいても何も変わりませんし、いると邪魔にしかなりません。皆さんを危機に曝してしまいます」
「……。そうか、わかった。
好きにしろ。皆には俺から言っておく」
「最後までご迷惑をかけてすみません。よろしく、お願いします」
深く頭を下げて、雪菜は歩き出す。
雄斗の顔は見れない。心底情けないが顔を見る勇気がない。
「ああ。そうだ叢雲」
通り過ぎた時、聞こえる雄斗の声。──そしてその直後に感じた殺気。
反射的に雪菜は体を前に倒してそれを避ける。耳に響く風切り音。
振り向けば【万雷の閃刀】を振り下ろしている雄斗の姿があった。
「……! い、いきなり何をするんですか……!?」
「いや、油断させたところで不意を打って気絶させて連れ帰ろうとしたんだが。そう上手くはいかないな」
小さく息をついて雄斗は言うと、刃のように視線を細めて【万雷の閃刀】の切っ先をこちらに向ける。
「甘えるなよ馬鹿が。そして思い上がるな。
俺も晴之さんも、お前のせいで怪我したなんて欠片も思っていない。
がたがた言わず一緒に来い。どうしても行くなら俺を叩き伏せてからいけ」
言葉と同時に振るわれる剣。二撃目まではかろうじてかわせたが三撃目の袈裟切りは回避できないと判断。
雪菜は反射的に【木花霊剣】を呼び出し雄斗の剣戟を受け止める。そしてその衝撃を利用して後ろに大きく後退する。
しかし逃げることはできなかった。全身に雷をまとった雄斗が一瞬のうちに背後に回り込んだからだ。
「逃がさねぇよ」
「鳴神さん……!」
「もう一度言う。どうしても行くなら俺をのしてからにしろ。
何もかも放り捨てて出家するならそのぐらいのことはできて当たり前だろうが。
それとも口だけか? もしかして可哀そうな自分を止めてほしいとか思っているんじゃないのか?」
雄斗の揶揄するような口調と蔑むような顔。
明らかに馬鹿にした態度。挑発されていると解っても雪菜は【木花霊剣】を強く握り、構えた。
「私は本気です……!」
「そうか。なら俺に打ち勝って見せろ!」
手招きする雄斗に雪菜は全力で挑む。
剣技はもちろん神威絶技を駆使した猛攻。しかし雄斗はそのことごとくを回避し迎撃してしまう。
「どうした。俺はまだ【掌握】すらしていないぞ。
神威絶技を使えない俺程度なら今のお前でも互角、やり方次第では倒せるだろう。何を手を抜いている」
「……これが私の全力です。どうして鳴神さんはこんな弱い私が必要なんて言うんですか!?」
「弱いなら弱いなりに使い道はある。ヨルズ神との戦いのようにな。
俺やお前が思い浮かばなくてもマリアやグレンが何とかするだろう」
雄斗が放つ神域の剣技。雪菜は神威絶技を使用しても圧倒され、追いつめられる。
数ヵ月の使いで自分の手の内はほとんどバレている。だとしても彼はそのほとんどに完璧な対応をして即座に反撃してくる。
(これは使いたくなかったけど……!)
雄斗の言う通り手を抜いて──気遣って止められる相手ではない。
あらゆる手を使う。そう決めると雪菜は防御の姿勢を取り、魔力を貯め始める。
繰り出される雄斗の剣戟をひたすらかわして防御して時間を稼ぐ。
「これ以上時間を使うのも無駄だな。もう終わらせるか」
こちらが手を出してこなくなったことに業を煮やしたのか、雄斗はそう呟く。そして次の瞬間、雪菜の目の前から彼の姿が消えた。
そして雷光をまとった彼が背後に出現し、剣を振り下ろしたのを雪菜の心眼は捕らえた。
防御、回避も不可能。だがこのような一撃を待っていた。雄斗が勝ちを確信する瞬間を。
(今!)
雪菜が念じた瞬間、足元の草むらが爆発的に成長し雄斗の体に絡みつく。
そのわずかな隙に雪菜は全貌に反転。身を翻し、緑の蔦が絡みつき、剣を振り下ろした態勢で固まる雄斗に【木花霊剣】を向ける。
「【豊沃嚥下】」
神威絶技の名を告げた次の瞬間、雄斗の足元が地面に盛り込む。いや、正確には飲み込まれているのだ。
「これは……!?」
慌ててその場から離れようともがく雄斗。しかしそれらの抵抗は全く意味をなさず、あっという間に彼のひざ下まで地面にめり込んでいく。
神威絶技【豊沃嚥下】。指定した対象を地面に強制的に閉じ込めて動きを封じる技だ。
もっとも雄斗やマリアのような格上相手にはほとんど使用しない。そもそもこの技は相手の動きを止めなければ使用できず、使用したとしても神や英雄、優れた術者に神具の所有者相手ではあっさりと解呪されることが多いからだ。
またこの技は大地に呑まれた相手を大いに危機に曝す。土の中に入った当人は当然ながら呼吸ができない。また完全に土の中に捕らわれれば一日は出てこれない。当然閉じ込められた相手は様々な手を打つだろうが、そもそもこの技に捕らわれる程度の相手だ。数時間は土の中にいることになる。
雄斗ならば【万雷の閃刀】のサポートもあるため命の危険こそないだろうが、術者としては二流であり神威絶技も使用できない彼は最低数時間、下手をしたら半日はこの桜園の地面に閉じ込められるだろう。
「こんな別れで残念ですが、さようならです鳴神さん──」
沈み込む雄斗の雪菜がそう言った時だ、キンッと何かを切り裂く音が響く。
そして直後、腰まで沈んでいた雄斗の動きが止まり、雷を迸らせた雄斗が土砂をまき散らして地表に降り立った。
「ふぅ危ない危ない。まさかこんな厄介な手を持っているとは。やるじゃねぇか」
「……どうして」
こちらを褒める雄斗に対し、雪菜は戸惑った声を返してしまう。
理解できない。雄斗が脱出できるはずがない。例え【掌握】に至ったとしても。
【豊沃嚥下】は相手を土の中に閉じ込めるといったシンプルな技。それ故に吸い込み閉じ込める力は強力だ。単純な魔力放出で脱出できるほど束縛する力は弱くない。神々や【掌握】した神具、神財保有者ならば可能だろうが──
「何をしたんですか」
「これのおかげだろう。出発する前に渡されたお守りな」
「ふざけないでください。そんなお守りで神威絶技の束縛を破れるはずがありません……!」
雄斗が懐から取り出した小さなお守りを見て雪菜は強く言い返す。
確かに魔力の残滓が感じられるがあんな小さいお守りで破られるほど雪菜の【豊沃嚥下】は安くない。
「ま、別にどうでもいいだろう。 ──ん?」
眉を顰める雄斗。彼の視線が雪菜ではなく下に傾く。
雪菜もそれを追い、大きく目を見開いた。土に汚れたそれは先程雪菜が埋めた小箱だ。
「小さいが魔力を感じるな。なんだこれ?」
手を伸ばそうとする雄斗。雪菜は反射的に動き【木花霊剣】を振るう。
受け止められる斬撃。しかし次の瞬間雪菜は身をかがめて小箱を拾い、雄斗の後方に下がる。
「お前のだったのか。しかし雪桜の根元に埋まっているのはどういうことだ?」
「鳴神さんには関係ありません……!」
「冷たいな。まぁいいか。
さて叢雲、さっきも言ったが終わりにするぞ」
そう言って雄斗は右腕に雷をまとわせ突きの姿勢を取る。
直後繰り出される雷光の刺突。鳴神流雷刀術二ノ剣、紫電牙だ。
とっさに【木花霊剣】を構えて刀身で受け止める。しかし衝撃は殺せず雪菜は吹き飛び巨木に激突。地面を舐める。
「がっ……!」
「これでよし。さて、帰るとするか」
雄斗の足音が聞こえる。
雪菜は痛みと痺れが残っている体を無理やりに起こし、【木花霊剣】を構える。
そんな雪菜を見て雄斗は憐れむような眼差しを向ける。
「叢雲、いい加減にしろ。
これ以上お前の我儘や弱音に付き合っている暇はない」
「何ですか、我儘や弱音って……!」
「出家するだの自分のせいだの言い訳に決まっているだろうが。
そもそもだ、たかが身内が傷ついたぐらいでくじける程度の覚悟しかないのなら剣を握るんじゃねぇよ。
舞香さんに【高天原】に戻って来いと言われた時、お前はなんて言ったか覚えているのか」
そう言って雄斗は小さく微笑む。
「あのマイペースで人の話をろくに聞かない、ウザくて推しが強い人に良くも言い切ったものだと感心していたんだぜ俺は。
俺はもともと、俺の妹と同い年にも拘らず【アルゴナウタエ】で立派に務めを果たしているお前さんのことは尊敬していたが、あの光景や冬華さんの墓前でのお前の決意を聞いて、改めて尊敬し直したよ。
──それが、兄貴が腕を失い重傷を負っただけでこの有様か」
笑顔から一転、失望した顔の雄斗に雪菜は下唇を噛む。
このような物言いをされるのは仕方がないが、彼に言われると想像以上にきつい。
「自分をかばった人が傷つく。それも身内なら途方もない痛みなのは嫌というほどわかる。
ああすればよかった、こうすればよかったと何十、何百回と思い、無事な自分の存在が恨めしく、呪わしく思うだろう。
だがな、それでもだ、逃げる、立ち止まるという選択を俺は選ばなかったぞ。
何もしなければ、その人が俺をかばった意味を無駄にしてしまうと思うからだ」
「……!」
雄斗の言葉に雪菜は圧倒される。彼の言葉や声音はただならぬ説得力が感じられたからだ。
そして確信する。彼もかつて自分と同じようなことがあったのだと。
その痛みに耐えて今、ここにいるのだと。
「どうして晴之さんやお前の祖母がお前を庇ったかなんて俺は知らない。想像することはできるが当人じゃないからな。
だからお前ができることはその行動の意味を考えること、無駄にしないことだけだ。
逃げれば、何もしなければ何も変わらない。だが行動を起こせば何かが変わるのだから」
「そうやって行動を起こして、より多くの人が傷ついたらどうするんですか……!?」
「知らん。自分で考えろ。
ただ俺は何があっても立ち止まる気はない。俺はもう自分の生き方を決めている。この剣を大切な家族のために振るうとな。
まぁ今は諸々の事情で【アルゴナウタエ】にいるが、これも家族の元に帰るためだからな」
そう言って小さく息をつき、雄斗は静謐な表情で問うてくる。
「叢雲、お前が考えて考えた末、今の答えを出したと胸を張って言うのなら俺は剣を収めてやる。
お前の胸の中にある答えは本当にそれなのか? 今一度、考えてみろ」
心を揺らすようなその表情に雪菜が押し黙ったその時だ、突然周囲が闇に閉ざされる。
そして足元から音もなく一本の剣──雪菜の相棒が姿を現した。
次回更新は6月27日 7時です。




