四話
(でかっ)
眼前に見える武家屋敷を見て、雄斗は心中で驚く。
実家である鳴神家も武家屋敷だが目の前のそれとは大きさが全く違う。パッと見て屋敷の塀は高さ三メートルを超えており、長さは百メートル以上はありそうだ。
「さ、入ってくれ。今日からお前さんたちが滞在するところじゃ。
実家のように自由気ままにふるまってくれて構わんからのう」
そう言って先導するのは明だ。小さく鼻歌を歌いながら木でできた大きな扉を開けて中に入っていく。
ここは帝都郊外近くにある叢雲家本宅だ。【高天原】にいる間、雄斗たちは基本、ここで寝泊まりをすることとなった。
本来【高天原】政府が用意していた宿に泊まるはずだったのだが、明が唐突に「ウチに来い」と言って、それを帝が了承してしまったのだ。
当然晴之やヤマトタケル、タケミカヅチたちが注意したが彼はそれをすべて聞き流した。
国のトップたちを平然と無視する姿を見て、さすがにまずいと思ったのだろう。マリアやグレンたちが遠慮しようとしたが、
『大丈夫。こいつらは儂の孫弟子、ひ孫弟子みたいなもんじゃ。
偉大なる【七英雄】の一人であり大師匠である俺の意向には逆らえん。それにそれほど無茶なことでもないし明人──帝も了承したからのう』
かっかっかと笑って言う明に帝は微苦笑。騒ぐタケミカヅチたちを諫め、改めて明に雄斗たち【アルゴナウタエ】の世話を命じたのだった。
(叢雲明……。なんというか噂通りの、いやそれ以上に問題がある人かもしれない)
剣士のはしくれとして雄斗も明のことは知っている。雄斗と同じ【ムンドゥス】の日本出身で呪術剣士だった。
紆余曲折あって当時のタケミカヅチと肩を並べて戦い、彼の死後に発生した【万雷の閃刀】を振るい【異形種大戦】を終結に導いた剣聖。
【七英雄】最強の剣士であり【異形種大戦】時代、全世界の英雄、神々を含めても三指に入るほどの実力者だったとか。そして大戦後も【ムンドゥス】や各世界にて活躍し、また幾人もの高名な剣士、武人を育てた、まさに生きる伝説──
と言う英雄の一面を持つ一方、それとはかけ離れた様々なスキャンダル的な逸話もあるのだ。
曰く、とある神の意見に真っ向から反論し、剣で従わせた。
曰く、弟子の女を寝取り、自分の愛人にした。
曰く、ある問題解決のために犯罪組織と結託して騒ぎを起こした。
曰く、とある【異形王】を倒すため、無辜の民をおとりとして使った。等々──
(一部の書籍は英雄と言うより梟雄のような描写もあったなー……)
そう思いながら彼の後をついていく。門をくぐり見えたのは三十メートルはあろうかという小石でできた道とその先にある大きく立派な、年季の入った屋敷だ。
広々とした庭。道の右脇には鮮やかな緑色の葉をつけている立派な巨木、反対側には鯉でも生息していそうな感じの広い溜池がある。
(ほあー……)
視界に移る建物や広々とした庭を見て雄斗は心中で大きく息を吐く。
外を見た時も思ったが中にある建物や庭も鳴神家のそれとは比較にならない。叢雲家はさながら大名屋敷といった感じだ。
「お帰りなさいませ大旦那様、若様、お嬢様」
「ああ、帰ったぞ。陽司たちはどうしておる?」
「旦那様はお弟子の方とお稽古中です。奥様達は雪菜様とそのお仲間さまたちの夕餉の用意をしておられます」
「舞香は手伝っていないのか?」
「舞香お嬢様はお出かけになられました。【甘露】にて雪菜お嬢様の好物を買いに行くと仰っておりました」
屋敷の入り口に立っていた初老の女性と会話をかわす明。
雄斗が誰だと眉根をひそめたその時、明はこちらに振り返る。
「紹介するな。こいつは風祭礼子。我が家叢雲家の使用人頭だ。
何か用事があれば、遠慮なく言ってくれていい」
「初めまして【アルゴナウタエ】の皆さま。風祭礼子と申します。ご滞在の間、何かお困りのことがございましたら遠慮なくお申し付けください」
、
小さく頭を下げる礼子。綺麗なその動きや雰囲気はまさしく、使用人頭と言う立場に相応しい。
物音立てず歩く彼女や雄斗たちの手荷物を持つ使用人たちに先導されて、雄斗たちは泊まる部屋まで案内される。
「しっかし、話には聞いていたが、まさかここまで昔の日本に似ているとは」
使用人の一人が淹れてくれたお茶を一口飲み、一息ついて雄斗は言う。雄斗たちがいるのは畳がいくつも敷かれた広い部屋だ。
明たち叢雲家の人間がそろうまで、ここで待っていてほしいと言われたのだ。
そして格好も日本の温泉旅館できるような和服だ。部屋に置かれていたものであり皆と共に着替えたのだ。
(明治、いや大正時代にタイプスリップしたんじゃないかって思うな)
雄斗がそう思うのは無理もない。この屋敷もそうだがここまで来る途中、車から見えた街の建物のほとんどは木造と煉瓦で作られており、行きかう人々も和服と洋服が半々といった様子だった。
それはまさしく歴史の勉強で学んだ日本の明治、大正時代の街並みそのものだった。
「その気持ち、よくわかるよ。わたしも初めて【オリュンポス】や【ユグドラシル】に行ったときは中世ヨーロッパに来たんじゃないかって思ったからね」
「俺は逆に【ムンドゥス】に来たら、建物の高さや【ユグドラシル】とは全く違う街並み、文明の発展や人の多さに圧倒されたな」
「確かに。魔術や神々に関しては後れを取っている【ムンドゥス】だが、科学技術の一点ではどの世界も圧倒している。
特にテレビジョン、洗濯機、冷蔵庫、自動車。これらは多元世界の人々の生活を一変させた。まったく素晴らしい品々だ」
雄斗と同じくお茶を手にしたマリアとラインハルト、グレンが言い、用意されたお茶菓子を遠慮なく咀嚼するルクスとソフィアが続く。
「だがまぁ科学文明ではまだまだ差があるけどな。
今ではお互いの世界の文明を取り入れているとはいえ俺たちが【アルゴナウタ】で当たり前のように使っているPCやクーラーといったものは、ごくごく一部の都市や裕福層に限られているからな」
「田舎は昔のまんまのところが多いよね。まぁそうするだけのお金や人員がないからだけどテレビジョンなどの機械は魔術でも代用できるし」
談笑する仲間たち。ちなみに叢雲家にいるのは雄斗を含めた七名だ。
ニコスや他の【清浄なる黄金の聖盾】の面々は【高天原】が用意した港近くの施設に泊まっている。いつでもアルゴーを動かせるようにだ。
最後の和菓子を雄斗が咀嚼し、お茶で一息ついた時だ。廊下側のふすまが静かに開かれる。姿を見せたのは和服姿の雪菜だ。
「あら雪菜ちゃん、綺麗ね」
「うん。よく似合ってる」
「あ、ありがとうございます」
マリアとソフィアの誉め言葉に雪菜は困ったような顔をしつつ、頬を赤く染めて礼を言う。
淡い桜色の和服を身にまとっている雪菜。桜色が放つ可愛らしさと、微かな儚げな雰囲気が純大和撫子の姿を持つ彼女に見事にマッチしている。
「皆さん、大変お待たせしました。祖父や父がお待ちです」
雪菜に先導される雄斗たち。そして案内された部屋に入ると宴会でも開けそうな大広間に出る。
そしてその部屋の上座には胡坐をかいた明の姿がある。その右手前には明に似た中年男性に雪菜に似た顔立ちの黒髪の女性、狐の耳と尻尾を生やしたクールそうな表情の女性の姿がある。
皆を案内した雪菜は明の左隣にいる晴之の隣に腰を下ろす。
「【アルゴナウタエ】の諸君、ようこそ我が家【叢雲家】へ。
俺の右手側にいるコイツは俺の息子の陽司。現叢雲家当主でもある」
「皆さん初めまして。叢雲陽司です。いつも娘が世話になっています」
明の紹介とともに頭を下げる陽司。明の息子という割には、ガキ大将のような雰囲気の父親とは正反対の物静かで穏やかな壮年の男性だ。
明ほどではないにしろ、彼もまた剣士の業界では有名人だ。【万雷の閃刀】の二代目所有者でありあの【崑崙大戦】を始め、いくつもの異形や逸話を持つ偉人だ。
また短い期間ではあるが【アルゴナウタエ】にも籍を置いていたことがあるという。雪菜が【アルゴナウタエ】にいるのは祖父だけではなく、父のこともあったせいなのかもしれない。
「こちらは私の妻たちです。黒髪は晴之、雪菜の実母である結女、狐人の女は雪菜の異母姉である舞香の母、美月です」
陽司の紹介に妙齢の女性二人が会釈し、雄斗たちも頭を下げる。
二人の妻を持つ雪菜の父だが、これは珍しいことではない。多元世界における代々神々を継承してきた名家の者は、複数の女性と婚姻することが多く、法的にも認められている。
ちなみにルクスも現在、二人の女性と交際している。休日の時に数回ルクスと共にいるところを見たことがある。当人や仲間たち曰く、仲良くやっているそうだ。
「私の娘はもう一人いるのですが、今は出掛けているので──」
「雪菜! 帰ってきているの!?」
突然開かれた襖。視線を向けると、そこには美月に似た狐人の美女の姿があった。
しかし似ているのは外見だけだ。物静かな美月とは正反対な陽気で溌溂とした空気を持っており、雪菜を見るや、まるで太陽が輝いたかのような眩しい笑顔を浮かべた。
「ね、姉さま?」
「雪菜ー!」
驚く雪菜へ抱きつく狐人の女性。
そのあっという間という動きに思わず雄斗は目を丸くする。
「ああ雪菜、私の可愛い雪菜。一年も経っていないのに見違えたわね。
こんなに強く、可愛らしくなるなんて、姉さまは嬉しいけど、悪い虫がよりついていないかとてもとても心配よ?」
「ね、姉さま。落ち着いてください」
「雪菜、それは無理よ。愛しい愛しい私の宝物であるあなたに半年ぶりに会ったのよ? この胸の高ぶりを抑えることなんてできるはずもないわ!
さぁ、今日は姉さまと一緒の部屋で二人で寝ましょう。話したいことがいっぱいあるの。あなたから聞きたい話も沢山──っと!」
流れる水のような勢いで言葉を続けていた彼女はいきなり首を横に振り、晴之が放った空気の弾丸を避けてしまう。
背後、それも不意打ちと言う一撃を事もなさげに回避した雪菜の異母姉を見て雄斗は目を丸くした。
一方、雪菜の異母姉は一瞬で剣呑な顔つきになり、晴之を睨む。
「晴之。いきなり何をするの。私と雪菜の感動の再開と抱擁を邪魔するなんて。いくらあなたが兄でも許さないわよ」
「舞香、雪菜と半年ぶりに会えてうれしいのはわかったが、ここにいるのは僕たち叢雲家の家人だけではない。自重するんだ」
「何よ、偉そうに。……あら、そういえばそうね。この人たちは何かしら?」
「僕や雪菜と共に、例の一件の解決のため高天原へやってきた【アルゴナウタエ】の人たちだ。朝、話しただろう……!」
「そうだったかしら? まぁいいわ。
──初めまして、【アルゴナウタエ】の皆さま。私は叢雲・九玉・舞香・アメノウズメと言います。
名前の通り、当代のアメノウズメを務めております」
初登場時の陽気な様子から一変、舞香は晴之の隣に正座すると会釈する。
文句のつけようがない綺麗で完璧なふるまいに、彼女の登場で乱れに乱れていた場の空気が一瞬で引き締まる。その姿はまさに武門の令嬢と呼ぶにふさわしい。
だが雄斗が、仲間たちは彼女の態度よりも名乗りに驚いていた。アメノウズメ。日本神話に登場する踊りの女神。つまり彼女はマリアやグレン、そして晴之と同じ神の一柱──
「兄姉二人が神様なのは、さすがに驚き」
「叢雲の御父上である陽司殿も優れた剣士だったが、まさか子供二人がそれに並んでいるとは……」
「英雄の家に生まれた人間が神になるのは珍しくねぇ。しかし一つの家から、それも同世代に二人なんて稀も稀だぜ」
普段無表情なソフィアが目を丸くし、グレンは感嘆の息を漏らす。ルクスは何が嬉しいのか、微かな戦意を含んだ笑みを浮かべている。
「ところで、そこの君が鳴神雄斗君なのよね?」
「え? あ、はい」
何故か突き刺すような口調で舞香は尋ねてくる。先程まで垂れていた狐耳がぴんと立っている。
舞香は目を細め、じろじろとこちらを見る。そして不機嫌そうに鼻を鳴らし、言う。
「……ふーん。なるほど。晴之がただの人間──それも十代の子供相手に引き分けたなんて、何かの間違いかと思っていたけど。どうやらそうじゃないみたいね」
「まだ疑っていたのかい……?」
「当然でしょ。ただの人が軍神と互角の剣技を持つなんて滅多にあることじゃない。普通に考えれば信じられないわ。
お人好しの晴之が無意識に手加減をしたのかと思っていたけど、この佇まいを見るにそうじゃないことはわかったわ。【万雷の閃刀】に選ばれるのも納得ね」
武人の顔で言う舞香に雄斗は小さく頭を下げる。
性格は晴之や雪菜比べてアレだが明の血を引くものらしく、武人を見る目はあるようだ。
「ただこれだけは言っておくわ。──雪菜に手を出したら命はないと思いなさい」
「はい?」
「ね、姉さま!? いい一体何を!??」
舞香の素っ頓狂な発言に雪菜は顔を赤くし、雄斗の舞香への感心が彼方へ吹き飛んでいく。
「雪菜、あなたに悪い虫がつかないか、私はとってもとっても心配なの。
あなたが【アルゴナウタエ】に行くと決めた時、お爺さまが「将来の相手が見つかるかもしれんのう」なんてふざけたことを言ったせいで、姉さまはちょっと暴れてしまったでしょう?」
「あの時の暴れっぷりは、少し体に堪えたのう」
「屋敷の三分の一を破壊するのがちょっとなのか……?」
笑みを浮かべ懐かしそうに顎を触る明。冷ややかな眼差しで異母姉妹へ突っ込む晴之。
舞香はそれを聞いていないのか、泣きそうな顔で雪菜に語りかけている。
「私としては一緒に【天津衆】に所属して、お父様のようなしっかり者の人と結ばれて欲しいのよ。
時々、【アルゴナウタエ】でちゃらんぽらんなお爺さまやヘタレの晴之のような男にちょっかいを出されたりしないか、心配になるの。あなたは私みたいに押しが強くないし」
「は、はい……」
【アルゴナウタエ】の面々からは困ったような、彼女の家族からは冷たい眼差しを向けられているが、舞香は全く意に介さない。
この周りを気にしない強引なやり取りはまさに明のそれと同じだ。雄斗は小さく嘆息しつつ思う。
「……ねぇ雪菜。【高天原】に戻ってこない?」
「……姉さま!?」
「『外の世界で経験を積み成長したい』。あなたが言ったその言葉通り出発前に比べて、人としても武人として成長したのはわかるわ。
でも【高天原】でも【天津衆】でも同様の経験はできるのではないかしら? 【アルゴナウタエ】ほどではないにしても【天津衆】も【次元の狭間】や他の多元世界への遠征は行っているわ。
それにあなたは私や晴之ほど心が強くない。過酷な任務で心を病んでしまった人を私もよく知っている。あなたがあのようになってほしくはないし、心に傷を負ったあなたを見るのは私も家族も悲しいわ」
真摯な姉の言葉に雪菜は眦を下げてしまう。否定したいが、姉の言うこともいくらか肯定できるところがあるため口に出せないといったところか。
「舞香さん。申し訳ありませんがそれは了承できません」
うつむいた妹へ舞香がさらに言葉をかけようとした時だ、マリアが割って入った。
舞香は鋭い視線をマリアへ向けるも、見つめられたマリアは微笑を崩さない。
「……あなたは確か【輝水の女神】」
「はい。マリア・プリマヴェーラ・アナーヒターです。
──さて、先程の続きですが、雪菜ちゃんを【高天原】に帰還させることはできません」
「どうしてかしら? 雪菜の手がどうしても必要というわけじゃないでしょう?」
「確かにそれはそうです。ですが舞香さん、雪菜ちゃんが【高天原】に戻る場合は二通りしかありません。
一つは戦えなくなった時。そしてもう一つは、彼女自身の意志で故郷に帰ると決めた時だけです。
わたしも彼女の部隊長であるグレン君も、雪菜ちゃんからそう言った言葉は聞いていません。ですので雪菜ちゃんを【高天原】に帰還させることは、できません」
マリアの言葉にグレンも優しい笑みを浮かべて頷く。
「マリア殿の言う通りです舞香殿。
雪菜さんは私の大切な仲間であり我が部隊【戦火を切り裂く閃剣】の重要な戦力。いなくなられるのは困ります」
グレンが率いる【戦火を切り裂く閃剣】は【清浄なる黄金の聖盾】に劣るとも勝らない戦士を揃えた部隊。
その中で雪菜は総合力でば一番下だが、戦闘能力という一点では互角。そして剣技のみならば彼女に勝てる者はいないのだ。
マリア、そしてグレンの言葉に背を押されたのか、雪菜は顔を上げ、舞香に言う。
「姉さま、ごめんなさい。私はまだ【アルゴナウタエ】で頑張っていたいんです。
姉さまの言う通り私はまだまだ弱いです。でもだからこそ、【アルゴナウタエ】で頑張って、一人前と誇れるぐらいには強くなりたいんです。
お爺様や姉様たちといつか、並び立てるように」
「……雪菜」
妹の言葉がよほどの衝撃だったのか、舞香は唖然とし、悲しげな表情となる。
それを見て雪菜が再び表情を曇らせた時だ、パンと軽快な柏手の音が響く。
「舞香、雪菜もこう言っていることだしこの辺にしておきなさい。
これ以上【アルゴナウタエ】の方々の前で話すのも失礼だろう」
両手を合わせ陽司が言い、再び手を叩く。すると右側の襖が開かれる。
その奥には宴会を行うような広々とした部屋があり、礼子を始めとした幾人もの使用人たちの姿がある。
そして部屋の中央には、雄斗たち人数分の【高天原】の料理が置かれている膳がある。
「妻や使用人たちが腕によりをかけて作りました。【高天原】の料理と酒、存分に堪能し、任務への英気を養ってください」
「ありがとうございます。では遠慮なく、いただきましょう!」
陽司にそう答えたグレンが近くの善に腰を下ろす。それにマリアや雄斗たち、そして叢雲家の人たちも倣う。
強引に話を中断させられた舞香は不満そうな顔を見せるも、嘆息して引き下がる。
「【アルゴナウタエ】の英傑の活躍と【高天原】の平和と無事を願って、乾杯!」
陽司の音頭とともに始まった食事会は終始何事もなく和やかだった。
明が騒いでは雄斗やルクスにからみ晴之が暴走した祖父を諫める。陽司はグレンやラインハルトと談笑。ソフィアやマリアは美月、舞香とゆったりと──時折マリアと舞香は雪菜の話題で張り合っていたが──した様子で言葉をかわしあい、雪菜と結女母娘はそれらを眺めながら静かに親子の会話を続けていた。
礼子達使用人たちも食事会の様子を見て酒の追加や新たな料理を運んできてくれた。おかげでちょうどいい具合に腹は膨れ、【高天原】の美酒も堪能できた。
明がいびきをかき始めたところで食事会はお開きとなり、雄斗は用意された部屋で早々に布団に入り、あっという間に眠りに落ちる。
【高天原】への──数年ぶりの多元世界への移動疲れや帝との謁見時の緊張、頼光との戦いなど。様々な要因が重なっていたからだ。
しばらくして尿意を感じた雄斗は起きて厠へ向かう。そしてその帰り、縁側で一人いる明の姿を発見した。
「おう、目が覚めたのか」
「明さんこそ。それよりもまた酒を飲んでいるんですか?」
「おう、夕餉の残り酒よ。こいつは中々飲めない美酒だからな。
結女たちが隠す前に月を肴に飲めるだけ飲んでおこうと思ってな」
そう言う明の手元には数本のとっくりがあり、その横には横倒しになったそれらがいくつか転がっている。
「酒好きなのは結構ですがもう年ですし、ほどほどにして方がいいと思いますよ」
「はっ。これだけ長く生きたんじゃ。もう命を惜しむこともあるまいて」
「あなたはそうかもしれませんが叢雲たち家族はどうでしょう。叢雲はもちろん、なんだかんだ言いつつ晴之さんや舞香さんもあなたのことを慕っていますし」
食事会の時、酔っ払い過剰に騒いでいた明へ説教やらをしていた二人だが、言葉や態度からは親愛が感じられた。
「家族を悲しませる行いは、控えたほうがいいかと」
「はっ、小童が。【七英雄】たる儂に説教か。
……じゃが、後継の言葉ならば仕方がない。今日はこの辺にしておくかの」
そう言って明は一本だけを残し、残りの酒瓶を遠ざける。
そして手にしているお猪口の中身を飲み干し、空を見上げる。
雄斗もそれに倣うと、視界には見事な満月が映る。【ムンドゥス】と同じ淡い黄金色に輝いている。
「鳴神の」
「はい」
「その、なんじゃ。……雪菜の奴は、【アルゴナウタエ】で何事もなくやれておるのか」
「? ええ。特に問題があるようには思いませんけど」
「そうか……。ならばいいのじゃが」
雄斗の言葉に明は小さく息をつく。
安堵したその顔はどこにでもいる、孫を思いやる祖父の姿だ。
宴会の席で雪菜に意地の悪い質問などをしていたが、彼女のことを心配してのことなのだろう。そんな英雄の心情を悟り、雄斗はかすかに微笑む。
「陽司に晴之もじゃが、あれも儂の剣才を濃く受け継いでおる。
しかし冬華に似て根が真面目過ぎる──思いつめるところがあっての」
「それはまぁ、確かに」
先日の怪我の一件を思い出し雄斗は頷く。
すると明は空を見上げていた眼差しを雄斗に向けてきた。
「その様子じゃと何かあったようじゃの。何があった?」
「え、ええと」
明の食いつくような、突然の豹変ぶりに驚く雄斗。
思わず先日の一件を話すと明は悩ましそうな息をつく。
「そうか、未だその点は治っておらんか。
とはいえ言って治るものでもない。仕方がないのかもしれんの」
「あんな叢雲は初めて見たのでびっくりしましたよ。
何かそうなった理由でもあるんですか」
「……。冬華じゃろうな」
かすかな沈黙の後、呟くように明は何者かの名を口にする。
冬華。それを聞き雄斗の脳内にある情報が浮かび上がる。
「冬華? 確か明さんの」
「ああ、儂の妻じゃ。……数年前に亡くなったがの」
そう言って明は懐から一枚の写真を取り出す。
定期入れのようなケースに入っている色褪せた写真。そこに写っているのは一組の若い男女だ。
粗野な男性と雪菜が少し大人っぽくなった美女が写っている。
男性が明、美女が冬華──明の妻であり雪菜の祖母なのだろう。
「雪菜は冬華に懐いておった。舞香が羨むほどにの。それ故に冬華が亡くなってからは一年近く塞ぎ込んでおった。
それ以来儂ら身内や親しい友人らが傷つくと、酷く動揺するようになってのう」
「それは……。心の病、というほどじゃありませんが厄介な問題ですね」
「ああ。全くじゃ。こればかりは神や神具、神財でも易々と解決できんからのう」
そう言ってお猪口に口をつける明。
雄斗としては何とかしてやりたいと思うが解決策は頭に浮かばない。
一年近くふさぎ込む原因となったほどの心の傷。下手に干渉すれば雪菜を潰しかねないからだ。
しばし明は無言でお猪口に酒を注ぎ嚥下する。手にしていたとっくりが空になったのか、遠ざけていた酒瓶のそばに置く。
「そういえば雪菜から聞いたがお主、過去の記憶を失っておるそうじゃな」
「ええ。ごく短い期間ですがそうみたいです。その間は【万雷の閃刀】を今よりも上手く扱っていたようですが」
話を変えた明に雄斗は何も言わず合わせる。
「どうして俺が【万雷の閃刀】を入手したのかも、その記憶の中にあるみたいです」
「ふむ。どうやら何者かが意図してその間の記憶を封じたのは間違ないようじゃな。どういう理由かはわからぬが」
【アルゴナウタエ】の面々と同じ意見に雄斗は頷き、改めて話す。
このことは【異形王】レストディアとの戦いの後の精密検査で判明したことだ。
そして詳細な検査の結果、その記憶は巧妙に隠されており、神々でもどこがおかしいのか判別するのは難しいという結論が出ていた。
「記憶を取り戻すには神や神具、神財使いの力で何とかするか。または【万雷の閃刀】を盗んだ主犯である【物欲王】と聞くのが近道なんですが」
「【物欲王】か……。とはいえあ奴は動くときは動くが、動かん時は動かんからなぁ」
嘆息する明の言葉に雄斗も憂いの表情で頷く。
【物欲王】の行方に関しては【アルゴナウタエ】に所属してからずっと追っているし、【アルゴナウタエ】にも調べてもらっている。
だが全く、少しも、情報は入ってこない。不審に思ながら【物欲王】について調べたところ明の言う通り、何かを盗むときはあらゆる手段を使い動くのだが、そうでないときは現在のように沈黙し続けている。
もちろん彼に何かを盗まれた世界や組織はずっと彼を捜索しているが、それらから発見されたという情報は一つも聞かない。
「……少し儂の伝手を当たってみよう。もしかすると記憶を取り戻せるかもしれぬ」
「それはありがたいですけどいいんですか。
検査では神様でも俺の記憶の封印を解くのは苦労するらしいですけど」
「かまわん。儂と息子に次ぐ【万雷の閃刀】の担い手であり、雪菜が何かと世話になっておるようじゃしな。
これぐらいはどうということはない」
「……ありがとうございます。ではお言葉に甘えさせてもらいます」
雄斗は小さく頭を下げる。正直、ありがたい。
封じられている記憶が蘇れば【万雷の閃刀】をもっとうまく扱えるようになるかもしれないし【神威絶技】を生み出す大きな足掛かりになるだろう。
また個人的に自分の記憶が弄られているというのは気分がよくはない。思い出せるなら思い出したい。
「ところでお主、それだけの剣碗をどうやって身に着けた。結構な死線を潜ったのではないか?」
「まぁあなたに比べるべくもありませんが、覚えている限り両手に収まりきらないぐらいは死ぬかと思いましたね」
問うてくる明の横に雄斗は腰を下ろし、自分について話しだす。
それに応じるかのように明も大戦の逸話や【万雷の閃刀】に扱いについて語る。
しばし静かにのんびりと語り合っていた二人だが、ボーンというどこかの部屋にある時計の音が響くのを聞き、話をやめる。
「結構な時間、付き合わせたの。もう休むがいい」
「はい。それでは失礼しますね。……明さんはどうするんですか」
「儂はもう少し起きておく。今夜は月も綺麗だしの」
そう言って黄金に輝く満月を見上げる明。どうやらまだ考えること、思うことがあるようだ。
邪魔をしないよう雄斗は一礼して部屋に戻り、すっかり冷たくなった布団に入り込むのだった。
次回更新は5月16日7時です。




