十三話
「鳴神さん!」
「叢雲。それとリリ。無事だったか……」
汚泥だらけの地面を歩いてくる二人を見て、雄斗は安堵の笑みを浮かべる。
雪菜が健在と言うことは避難させたリタや他の孤児院の子供たちは無事と見ていいようだ。
「……! その怪我」
「ああ、心配ない。今見つけたところだ」
息を呑む雪菜へ雄斗は右手に握っている左腕を見せる。悲鳴を上げる少女二人。
孤児院の方角へ向かっている最中に発見したのだ。正直、運がいいとしか言いようがない。最悪見つからなければ再生治療により数ヵ月の時間を要しただろう。
「色々聞きたいだろうが、ひとまずは避難を──」
雄斗が言った時、背後でひときわ大きい音が響く。視線を向けるとマリアとレストディアが互いの力をぶつけあっている。
黒と青。魔と聖。負と正。同じ水でありながら相反する性質を持つもの同士が激突し、大地を、空間を揺らしている。さながら二つの海の嵐が互いを飲み込まんとしているようだ。
「本気の神々と【異形王】との戦い。久しぶりに見ますけど、本当凄まじいです……」
「ああ。流石世界を守護する神様だ」
怯えるリリの頭を庇うような体勢の雪菜が言い、雄斗も頷く。
だが両者の戦うのを見続けていると雄斗の眉間にしわが寄る。マリアが徐々に押されているのだ。
同じくそれに気づいた雪菜も表情を厳しいものに変える。
(鳴神さん、マリアさんが……)
(ああ。このままだと負けるな。──本部や近隣の防衛組織へのエマージェンシーコールは続けているんだよな)
(はい。先程繋がりました。
でも未だに侵入した【異形種】の対応で手一杯。解決次第すぐに救援を送るので、そちらでできる限りのことをしておいてくれと)
(そうか。──あの野郎、どれだけの【異形種】を【アルゴー】に潜ませていやがったんだ)
リリを不安にさせないためか念話で二人は話す。
しかし二人の雰囲気を察したのか、リリの表情は少し元気がない。
(あの、鳴神さん。私が)
(やめとけ。掌握もできないお前や俺じゃ足手まといになるだけだ)
(でも、このままじゃマリアさんが……!)
(ああ。わかっている。──ちょっと【対話の場】に行って【万雷の閃刀】を抜いてくる。
何が起こるかわからないから、少し離れていろ)
(え? な、鳴神さん!?)
驚き、戸惑う雪菜。それにかまわず雄斗は目を閉じ【対話の場】へ赴く。
暗闇の中、視界に映る【万雷の閃刀】は切っ先を向けていた。そして刺々しい声音で言う。
「去れ」
「と言うことは俺がお前を抜きに来たことは察しているわけだ。話が早くて助かるな」
近づく雄斗。しかし【万雷の閃刀】は切っ先を向けたまま、こちらから遠ざかっていく──
「止まれ」
短く、鋭く雄斗は言う。すると遠ざかっていた【万雷の閃刀】の動きが止まり、音もなく暗闇に突き立つ。
これは驚くべきことではない。【神財】と意思疎通を図る【対話の場】は、所有者の精神世界の中にある。それゆえ【対話の場】の主の言葉は【神財】にある程度の命令権があるのだ。
「悪いが今は時間がなくてな。お前の我儘を聞いている時間はないんだ。抜かせてもらうぞ」
柄に手を伸ばそうとした時だ、【万雷の閃刀】が眩い閃電を放つ。それを見て雄斗は思わず、伸ばした手を止める。
放つ光一つの次元が違う、今までとは比較にならない光輝。神々が操るに相応しい至高の雷光。
「これがお前の本当の雷か」
「そうだ。──外の状況は知っている。だが今の貴様にこの雷霆を操ることはできぬ。わかるであろう」
「わかんねーよ。さて、引き抜かせてもらうな」
そう言って柄に手を伸ばした雄斗に、【万雷の閃刀】は仰天したような声を上げる。
「きっ、貴様! わかるであろう! 一年後ならばともかく今の貴様では操るどころか抜こうとした瞬間、雷霆に撃たれて自滅するだけだ!
まだ明の孫娘に【木花霊剣】を抜くことを試させたほうがマシと言うものだ!」
「あいつに自滅を強要できるか。俺がやるしかないんだよ」
「引き抜けば死ぬと言っているだろう!」
「このままじゃ何もしなくても俺は死ぬ。だからお前を引き抜きに来たんだ」
「マリア・プリマヴェーラが勝つ可能性もある!」
「マリアが負けてから引き抜いても遅いんだよ。──いい加減黙っていろ!」
しつこく言い募る【万雷の神刀】へ雄斗は怒鳴りつける。
「どうしても挑むのか……! ええい、我が身を顧みないところは昔と全く変わらん……!
もう好きにするがいい!」
「言われなくてもそうするさ。自分や仲間の命がかかっているんだからな」
もしマリアが倒された場合、雄斗たちにレストディアに抗う術はない。孤児院の皆共々、食われるか殺されるだけだ。
だからこそ今、【万雷の閃刀】を引き抜くことに挑むのだ。引き抜けなければ倒れるか最悪再起不能、引き抜けたとしてもおそらく時間稼ぎが精一杯。
しかしそうとわかっていてもやらなければならない。自分を、そして仲間と子供たちを守るために。
「最後かもしれんから聞かせろ。何故貴様そこまで死を恐れない。
この場にいるからわかるが貴様の死への恐れはほとんど感じないぞ。あの明でさえこれほどではなかった」
「死ぬのが怖くないわけないだろ。だけど、それ以上に怖いものやことがある。
それを目の当たりにするなら、まだ自分の命を懸けたほうがましと言うだけだ」
「貴様、それは──」
問うてきた【万雷の閃刀】に答えることなく、雄斗は一呼吸して柄に手をかけた。
そして次の瞬間、かつてない眩い輝きと暴れ狂う雷霆が雄斗の全身を包む。痛みは柄を握った時の一瞬だ。
(あ、駄目だこれ)
即座に失敗を確信する雄斗。周囲は全て雷で覆われており、さながら雷の溶鉱炉だ。すでに柄を握っている手の感覚がなく、体も顔と上半身の一部だけしか見えない。
【対話の場】から弾きだされる──そう思ったその時だ、どこかからかピキリと何かが割れる音が聞こえる。
そして直後、誰かの声が聞こえてきた。
(【掌握】への至り方? ははは、手にしたばかりであまりに気が早いぜ小僧)
聞き覚えの無い──否、懐かしい声だ。決して忘れない、今は亡き恩人の声。
雄斗に【神財】の扱いを叩き込み、剣を神の領域まで導いた男。同じ【神財】の担い手──
(【神財】との相性や付き合い方、いろいろあるが、何より大切なのは強い意志を持つことだな。
何者にも負けない──例え親兄弟恋人、相棒である【神財】にさえ譲れない否定させない確固たる信念。【掌握】に至った連中はみんなそんな馬鹿な連中だ──)
声と共に数々の画像が脳裏に浮かびあがってくる。どれも記憶にない、しかし過去にあったことだと不思議と確信する無数の一場面。
それらが雄斗に、この雷霆を収める手法を、思い出させてくれた。
「そうか」
大切な人を、仲間を守るために力を、剣を振るう。それが己の全て。何者にも譲れない絶対なる想い。
雄斗が常々思っていたことを改めて思ったのと同時、体を焼き尽くそうとしていた雷が掻き消える。
そして雄斗の手には【万雷の閃刀】があった。
「き、貴様。どうやって我を引き抜いた!?」
「雷の中にいる間、ちょっと昔のことを思い出してな。それを基にやってみたら成功した。
ま、何はともあれ引き抜けたわけだ。【万雷の閃刀】、お前さんの力の全て、借りるぞ」
「……引き抜いた以上、文句はない。好きにするがいい」
呆れや感嘆が入り混じった【万雷の閃刀】の声。
「一緒に戦ってくれ、相棒」
「……当然だ。我が雷霆と神威を再び世界に煌めかせよ」
【万雷の閃刀】の声を聞くと同時、雄斗は意識を戻す。
視界を開けると怒ったような泣きそうな顔の雪菜の姿があった。
「戻ってきたぞ。……どうした?」
「この状況で引き抜こうとするなんて、気が気じゃありませんでしたよ……!
それで、どうだったんですか……?」
「色々あったが引き抜けた。多分【掌握】に至れるとは思う」
無事【万雷の閃刀】を引き抜けたのに多分という単語がつく理由は、単純に現在の雄斗の状態を考えてのことだ。
体力、魔力とも底が近く左腕欠損。【掌握】に至ったことで以前よりも【万雷の閃刀】からの力の補充は強まっているが現状では焼け石に水。
【掌握】したとしてもおそらく一分が限界か。
(まぁいい。それだけの時間があればマリアなら何とかするだろう)
最悪何とかならずとも味方が駆けつける時間を稼げると思えばいい。そう心中で呟き、雄斗は言う。
「それじゃあ行ってくる。叢雲はリリとともに避難しておいてくれ。あとすまないが俺の左腕も頼む」
頷いた雪菜へ雄斗は左腕を渡し、神と【異形王】がぶつかり合う戦場へ目を向けようとしかけ、止まる。何か言いたそうなリリの顔が視界に映ったからだ。
むくれたような、泣きそうな顔のリリ。かつて幾度も妹が見せた表情を見て、雄斗は微苦笑する。
「リリ」
「な、なに?」
「今回俺は左腕が吹っ飛んだりと大変だった。というわけで怪我が治ったら料理を作ってくれ。腹一杯食べたいんだ」
キョトンとした顔になるリリ。おずおずと言った様子で話しかけてくる。
「……食べてくれるの?」
「そう言ってるだろう。頼むな。
──あと、あのゼリーも忘れるなよ。俺のより美味い物を期待する」
「……。うん、わかった。いっぱいいっぱい料理、つくるから。だから絶対、食べてね」
「もちろん。約束だ」
わしわしとリリの頭を雄斗は撫でる。以前と違い振り払われない。
帰ってくると断言はできない。だが雄斗としてはむざむざ死にに行く気は無い。
マリアを助け、レストディアを滅ぼす。改めてその想いを強くしながら少女の頭を優しく撫でる。
わずかだが元気そうな顔となったリリを見て雄斗は薄く微笑むと、彼女たちから距離を置き、【万雷の閃刀】を右手に掴む。
「雷よ。天を支配し、地を砕く至高の輝きよ。あらゆるものを屈服させる力の権化よ。我が元に集え」
心の浮かぶまま、言霊を口にする。それに導かれるように【神財】が放つ輝きは強く、激しくなる。
「汝は神も悪魔も畏怖させ、まつろわせる聖なる剣。いかなり困難も苦境も切り払う魔刃なり」
流れ込むかつてないほど莫大な量の魔力。【雲耀】で制御したうえでも体の内が圧迫され激痛すら覚えるが、雄斗は堪えて言霊を紡ぐ。
「万の雷霆を束ねし汝、その真価をここに顕現せよ。あらゆる障害を排除する雷霆、この世に二つとない至高の鋼をこの世に顕せ。我に勝利をもたらすためにーー!」
最後に【掌握】と付け加えた次の瞬間、【万雷の閃刀】よりかつてない量の莫大で眩しい雷が放射され雄斗を包み、変化を起こす。
眩い雷光は全身に黄金の意匠が入った鈍色の軽鎧へと姿を変えて雄斗の体に装着され、周囲には雷でできた四本の日本の刀剣が出現した。
「【万雷剣群】」
【万雷の閃刀】の【掌握】と同時に脳裏に浮かんだ名称を雄斗は呟くと、その場から跳躍。
一瞬で二十メートル近く飛んだ雄斗は周囲の雷剣の一本を左肩に接着させ、腕に変化させる。
雄斗は放電する義腕が問題なく動く野を確認すると、残った三つの刀剣の切っ先をレストディア二人の方に向け、発射と念じる。直後、思った通りに切っ先より砲撃のような莫大な稲妻が放出される。
今までの雄斗では放てなかった、広域を焼き尽くす雷光。頭上からのいきなりのそれにレストディアはマリアへの攻撃の手を止めて回避する。
雄斗は雷撃が着弾した場所へ降り立ち、後ろのマリアへ言う。
「一分時間を稼ぐ。あとは何とかしてくれ」
「鳴神君!? もしかして今のは……!」
戸惑いながらも問うマリアに答えず、雄斗は後方へ退避したレストディアへ突っ込む。今の雄斗は言葉をかわす時間すらも惜しい。
雄斗に気づいたレストディアは数えきれないほどの水の弾幕を放ってきた。【掌握】した今の状態でもダメージを受けるそれらに、雄斗は左右両脇に浮いている雷剣二本の切っ先を向ける。
(発射)
念じると同時、雷剣より放出された二つの莫大な雷霆。さながら龍の吐くブレスのようなそれを雄斗はレストディアのいる正面へ放つ。
二つの巨大な雷撃は水の弾間を蹴散らし【異形王】へ迫る。だがレストディアが左手から放出した巨大な水の塊は今の雄斗が放てる最大の稲妻をあっさりと弾いてしまった。
【掌握】状態の一撃をあっさりと散らされたものの、雄斗は落胆はしない。単純な神威同士のぶつかり合いならば、万全の状態でも勝てるとは思っていないからだ。
雄斗が雷霆を発射したのはレストディアの迎撃の弾幕を消すためと、【異形王】の懐に入るためだ。
「貴様……!」
(残り五十秒、付き合ってもらうぞ)
鬼の形相のレストディアに心の中で返答した雄斗は斬撃を見舞う。
雄斗の剣戟に対しレストディアは大剣で防ぎ、回避する。雄斗と距離を置こうとする。
だが雄斗は決して距離を開かせない。下がるたびに前へ前と進み剣を振るう。そして七撃目の斬撃が【異形王】の左腕を斬り飛ばし、切り口より発生した雷撃が左腕を消滅させる。
「ぬううっ!!」
歯ぎしりするレストディア。数秒後、消しとんた左腕は再び生えてくるが、その時雄斗はもう動いていた。【万雷の閃刀】が右から左へ動き、【異形王】の胴体を両断する。
今度は両断された下半身が消し飛ぶ。もちろん先程と同じく数秒経過したのち上半身の切断面から下半身が再生するが【異形王】の顔から怒りは消えない。
即時再生にかまわず雄斗が繰り出す斬撃がレストディアの体を切り裂き続けるからだ。
(思った以上の効果だな……!)
雄斗自身、眼前の光景に驚いていた。【掌握】状態ならば先程のように瞬時に再生されるようなことはないだろうと思っていたが、まさかこれほどとは。
【掌握】状態でも数秒で再生する【異形王】の再生能力も尋常ではないが、雄斗が一番驚いているのはダメージを与えているという手ごたえだ。再生されてはいるも確実にダメージはレストディアに蓄積され、消耗を強いている。
ただの剣戟でこれなのだから鳴神流を用いれば──
「がはっ!?」
そう思ったその時、雄斗の体の内部がきしみ、大量の血を吐き出す。内臓の痛みと掃き出した血の量で思わず攻撃の手が止まってしまう。
そこへ来るレストディアの一撃。雷化による攻撃透過もできないと直感で悟った雄斗は【万雷の閃刀】にありったけの力を込めて盾にした。
それでも受け止めた巨大な汚水の球体に吹き飛ばされ、田園を転がり続ける。
「がっ、ごはっ。ぐはぁっ!!」
痛みをこらえて立ち上がろうとするも喀血が止まらない。まずい、追撃が来る──。心中で焦る雄斗だが、レストディアの攻撃は来ない。
口元を抑えながら不思議に思い、しかし次の瞬間、総身が泡立つ。眼前に莫大な魔力の流れを感じたのだ。
「……!」
正面数十メートル離れたところに立つレストディアの背後に黒い巨人が出現していた。全てが汚水や泥水で構成された二十メートルは超えている巨体だ。
その巨人へ入り込むレストディア。すると巨人は両手をこちらに向け、その間に黒い渦を発生させる。
「【暴飲なる黒き波濤】」
巨人より響くレストディアの声を聞いたのと同時、緩やかに動いていた黒い渦が一気に弾け、高く大きな津波となってこちらへ迫ってくる。
削岩機のような全てを削り取る漆黒の波濤を見て、雄斗は背後に視線を向ける。マリアは強力な一撃を放とうとしているのか莫大な魔力を放ち、制止してている。そして動く様子が見られないところから、まだ発動には時間がかかるようだ。
(逃げることも、下がることはできないってわけか……)
心中でため息をついた雄斗は正面に視線を戻し、猛烈な勢いで迫る波濤を見据える。
約束した一分を過ぎるまであと十数秒、津波がこちらを飲み込むのはそれよりわずかに速い。
冷静に状況を分析し、雄斗は己がやるべきことのために【万雷の閃刀】を構える。
「雷は剣。天地を切り裂き貫く無双の刃。万の雷霆を束ねし汝は至高の鋼刃──」
心の内より湧き出た言霊を口にし、雄斗は残っている力をすべて【万雷の閃刀】へ注ぎ込む。
抜刀する姿勢から繰り出すは今の雄斗が放てる最強の一撃。鳴神流剣術、最強の一撃──
「【天地雷剣!】」
波濤との距離が五メートルを切ったところで放つ、雄斗の最高最強の剣戟。【掌握】状態で放たれた黄金の剣閃は大都市を一飲みにしそうな大津波を二つに両断する。
だが波濤の動きは止まらない。数秒経過して元に戻り雄斗やマリア、そして背後にいるであろう雪菜とリリ、孤児院の皆を飲み込もうと迫る。
それを見ながらも雄斗は動かない。いや、動けない。【天地雷剣】を放ったのと同時に【掌握】が解除されたためだ。
【掌握】状態による魔力、身体能力のブーストも解除され、さらに体のあちこちから血が噴き出す。意識を保っているのが軌跡に思える状態だ。
(一分、時間は稼いだ。マリア、後は)
頼むと心の中で呟き、波濤が眼前まで迫ったその時だ。雄斗の眼の前に眼を潰すような眩い輝きを放つ壁が出現、黒い津波を止めてしまう。
「……!」
【天地雷剣】に両断されて幾分か威力が落ちたとはいえ【異形王】の必殺の一撃を容易く止めるとは。
雄斗が目を見開いたその時だ、後ろから穏やかなマリアの声が聞こえた。
「鳴神君、時間を稼いでくれてありがとう。──あとはわたしに任せて」
思わず振り向く雄斗。すると視界には柔らかな光と水を纏うマリアと、彼女の背後に完全武装の女神の姿があった。
マリアのように軽鎧と剣を手にしている女神。そしてよく見ればその体は水と光により生成されている。
雄斗の視線に気づき、マリアがにこりと笑みを浮かべている。
その姿は以前雄斗を救った時のものと、全く同じ姿だ。それを見て雄斗は安堵し、自然と口元が緩む。
「豊穣を司りし水の女神であり太陽の加護を受けし光の戦乙女よ」
マリアの紡ぐ言霊と共に女神は手にした剣をレストディアと彼の背後にいる巨人へ振り上げる。
「遍く命を守るため、あらゆる邪悪を征伐するため、汝が秘剣を世界に顕せ」
掲げられた黄金と水色に輝く剣。莫大な水と光により生成されたそれが放つ圧は巨大な波濤と太陽が同時に【異形王】に向けられているように見える。
「幾千の生物を守護し、幾万の危機を打ち祓う、輝きに満ちる神聖なる大海原よ。命を穢す魔を打ち砕け!
【破魔なる水聖光剣】!!」
天より振り下ろされる女神の剣。それに対しレストディアの巨人も同程度の大きさを持つ黒い剣を造り出し迎撃する。
激突した二つの巨大な剣。しかし拮抗は一瞬。振り下ろされた水色と黄金の刃は黒の剣を粉砕し両断。
陽光の輝きを放つ聖なる水が黒に染まった魔水を叩き潰す。そして世界を揺るがすかのような凄まじい爆発が発生した。
「うおっ……!」
予想を超えた大きな爆発と音、そして目を開けていられない強烈な輝きに満身創痍の雄斗はひっくり返る。
そして後頭部が何かにぶつかり呻く。振り向けばいつの間にか、周りには結界が形成されていた。
「これは……?」
結界を見て雄斗は驚く。小さいが非常に硬く、爆発による余波を全て防いでいる。
発生した爆発は凄まじい。一瞬で巨大化しレストディアと背後の巨人を飲み込んだ。さながら核爆発のようだ。
しばらくして──と言っても一分程度だが──周囲を白く染めた白い煙が薄くなり結界も消える。
レストディアたちのいたほうに視線を向けると、先程まであった無数の水たまりや田圃はもちろん、刃を交えた【異形王】の姿も何もなかった。
視界に映るのは巨大なクレーターとその底にある変色した金属板──【アルゴー】の船体だ。
そして周囲を探り、敵意の欠片も感じないのを見て雄斗はようやく息をつく。
「終わり、か」
「うん。【異形王】レストディアは確実に討滅したよ。
鳴神君のおかげだよ、ありがとう」
いつの間にか近くにいた彼女の声音を聞き、雄斗は地面に倒れる。
そして心中に広がる安堵に呑まれるように意識を失った。
「鳴神君!」
頭から水たまりに突っ込むような態勢で倒れた雄斗にマリアは慌てて駆け寄る。
そしてその体に触れた時、ぞっとした。あまりにも生命の気配がしないその状態に一瞬、死人に触れているのではないかと錯覚したからだ。
「しっかりして……!」
すぐさま彼の体を横たえ調査する。水を使った数秒の診察でマリアは愕然とした。
体こそ左腕損傷以外の大きな怪我はないが、問題は体内だ。数えきれないほどの血管が破損しているし、あらゆる臓器の活動がほぼ停止しかけている。
(病院に運んでいたら間に合わない……!)
すぐにマリアは治癒の水で雄斗の体の隅々を癒す。だが雄斗が放つ死の気配は薄れない。
「どうして……!?」
ダメージを受けていた臓器や損傷した血管は全て直っているにもかかわらず、棺桶に片足どころか頭以外の体が入ったような状態の雄斗に混乱しかけるが、すぐに気づく。
酷使された臓器は治ったが、その臓器を動かすエネルギーが全くないのだ。車で言えばガス欠寸前と言った状態だ。
しかしよく考えれば当然だ。【異形王】レストディアはまごうことなき強敵だった。雄斗がそれと渡り合えたのは常に力を魔力を限界まで振り絞って戦っていたからだろう。
さらに片腕が損傷した状態での──いつできるようになったかはわからないが──【掌握】の使用。【万雷の閃刀】より注がれる膨大な魔力を扱うときにも残り少ない生命力を使用したのだろう。
(こうなったら直接生命力を注ぎ込むしか……!)
そう思い即座にマリアは実行に移す。ひび割れた雄斗の唇に自分の唇を合わせる。
自身の魔力と生命力を流し込む。十秒ほど時間が経過して唇を放し再度診察するが、まだ雄斗が棺桶からできていないと判断。
「……女は度胸!」
気合を入れるためにそう言って、再びマリアは雄斗に口づけ、魔力と生命力を体に注ぎ込む。
そして口づけによる魔力と生命力の供給を繰り返して一分ほど経過したころだろうか、弱弱しく動いていた雄斗の心臓や臓器にマリアが注いだエネルギーが行き渡り、本来の活動状態に戻り始めた。
「ふぅ……」
頭を上げて大きく息をつくマリア。その美貌に濃い疲労の影がある。
それも当然だ。彼女とて【神解】状態のまま本部周辺に多数発生した【異形種】やレストディアの眷属を倒したすぐここに駆け付け交戦。神威絶技をいくつも放ち奥義を使用、そして死にかけている雄斗に残り少ない魔力と生命力を譲渡したのだ。現在、もう剣を握ることさえ億劫な状態である。
改めて自分の膝に頭を置いている雄斗の様子を見る。先ほどまで潤いが一切なかった肌にはわずかではあるが艶が戻っており、内部の血管や臓器も本来の状態とはいいがたいが、正常に稼働している。少なくとも今すぐ死ぬことはない。
「お疲れさま、鳴神君。
そして、ありがとう」
遠くに見えるこちらに走ってくる雪菜とリリ。破壊されたとはいえ地下から感じるリタと孤児たちの気配。
全員無事なのは彼が命を懸けてくれたからだ。
マリアは微笑み、雄斗の頭を撫でる。そして本部の方角からこちらへ飛んでくるソフィアたちの姿を確認すると、無事を示すように手を上げるのだった。