三十七話
「ヴィルヘルミナ……」
ジョンたちトップとの話の最中、突如怒りの声を上げた彼女。
周囲の騒めきや静止しようとする同僚を振りきり、荒々しい足音を響かせてヴィルヘルミナは雄斗の目の前にやってくる。
「あんな提案を上げるジョン様たちもだけどそれ以上に雄斗、あんたがこんな馬鹿だと──いや。
こんな意気地がなく情けない男だとは思わなかったわ!」
「なんだと……!」
「だってそうでしょ! いつまでも昔のことを引きずって自分は戦いしかない、自分なんかどうでもいいって酔っている自己陶酔野郎じゃない!」
まるで雄斗の内心を読んだかのようなその言葉に雄斗は大きく目を見開き、絶句する。
一方、発したヴィルヘルミナは気まずそうな、そして少し申し訳なさそうな顔になり、声のトーンを下げる。
「この間マリアさん達から聞いたわ。昔あんたに何があったのか、そしてどこまでも自分を卑下する理由もね。
大切と思っていた人の、大事な人を守り切れなかったことが原因だってね。──本当にふざけた理由だわ」
「お前に何がわかるー!」
最後の言葉に我慢できず雄斗は立ち上がり彼女を睨む。
しかしヴィルヘルミナは一歩も引かず真っすぐ視線を雄斗に向けて、言う。
「完全にとは言わないけどわかるわよ! 私だって父さんを始め、幾人もの戦友を亡くしているわ。
大切な人を守れなかった過去や無力感、自分を責め呪う気持ちはこの場にいる誰もが一度は経験したことよ!」
ヴィルヘルミナの言葉を聞いた瞬間、雄斗の脳裏に浮かぶマリア、雪菜、シンシアの顔。
「それでも周りの人達は前に進んでる。それがどうしてかわかる?」
「……彼らは俺と違い、立ち直るだけの強さを持っていたからだろう。俺はそうじゃなかっただけだ」
「違うわよ。どうしてわからないの……!
生きること、前に進むこと、幸せになることが、何よりも死者への供養になるからよ。彼らがそれを望んでいるからよ……!」
「それは生者が決めつけた楽観論だろう! 死者の全てが生者の幸せを願うことなどあるものか!」
ヴィルヘルミナの言葉に雄斗は怒鳴り返す。
死者が生者の幸せを願うことはわかる。だがそれだけがすべてなら無念、怨念、恨みと言う、死者が正者を憎むような言葉がどうしてあるのか。
「じゃあ聞くけど、もし父さんが今のあんたを見たらどう反応するのよ! 喜ぶと思うわけ!?
賭けてもいいわ。父さんは間違いなく「いつまで昔のことを気にしてんだ」とか言って殴りかかってくるわ。
あんたのおじいさんも、シンシア姫の護衛の方もそうよ。二人は死の間際、恨み言の一つでもあんたに言ったの? そんなことはなかったでしょう?」
「……!」
雄斗の言葉を真っ向から叩き落すかのような、ヴィルヘルミナの強い声に雄斗は息を呑む。
そして脳裏に過ぎる彼らの最後。確かに、彼女の言う通りだ。
浮かべていた表情は違えど、誰も怨恨の言葉は口にしなかった。手に駆けたヘンリクでさえ──どうしてかは未だわからないが──微苦笑を浮かべていたのだ。
「【戦欲王】との戦いのとき、私はあんたが割って入らなければ多分死んでた。
そしてあの時、私が思ったのはシンジや友達、そしてあんたの事よ」
「……俺の?」
「撃退した後に、その、謝罪したでしょ。そのことよ。
あんたに嫌われてるかもしれないけど、私が今、あのことをどう思っているのか、はっきり伝えておきたかったの」
「馬鹿を言うな。俺がお前を嫌うなんてことがあるわけないだろ。【クレタの魔宮】でどれだけ助けられたと思っているんだ」
閉じ込められた【クレタの魔宮】は、その名の通り魔宮だった。
時間が経つにつれて無限に変化し出口も見つからない。迷宮の怪物たちもランダムで襲ってきて心休まるときも無い。
そんな状況でも雄斗が【万雷の閃刀】の【掌握】までできるようになったのはヘンリクとヴィルヘルミナ二人の存在があったからだ。
ヘンリクは雄斗の力を鍛え強くし、ヴィルヘルミナは雄斗の心を支え、励ましてくれたのだから。
「そう、ありがとう。私もまぁ、同じ気持ちよ。──つまり、そういうことなのよ。
あんたがどれだけ自分を卑下しても、あんたの剣は多くの人の命を、心を守ってきたわ。そして助けられた人たちはあんたに感謝してる。
だからいい加減、自分を蔑ろにるのは止めなさい。それはあんたを認める人や大切に想っている人達を蔑ろにするのと同じことなのだから」
悲しげに言うヴィルヘルミナ。
雄斗は思わず玉座の方──マリアたちを見る。彼女たちも同じような表情をしていた。
「……。俺は」
大切なものを持ってはいけないと。近づくべきではないと。彼らを守るためには生涯戦いの中に身を置いておく必要があるのだと。
ずっと思っていた。いや、そうあるべきだと決めていた。今までずっと大切な、守りたいと思った人を死なせていたから。
しかし、そう生きることが大切な人たちを悲しませているのなら、自分は──
(俺、は……)
祖父、キアラ、ヘンリク。守れなかった、失った人たちの姿が脳裏に浮かぶ。
少しは幸せになってもいいのだろう。求めていいのだろうか。それが彼らに対しての供養になるのだろうか。
そしてそれに内側から肯定の返事が返ってくる。【万雷の閃刀】だ。
(貴様が自分をどう思うかは勝手だが、我が担い手である貴様は英傑よ。幸せになる権利は十分にある。
だから細かいことは考えずとっとと嫁の一人でも娶り幸せパワーとやらでもっと強くなれ)
(何だその幸せパワーってのは)
(冬華を娶ってしばらくした後、明が言っていた。何でも一時的だが戦士を強くするものらしい。
まぁ実際、効果はあったぞ。そういうわけでさっさとあの四人の誰かを娶れ。個人的には雪菜を進める)
(……)
適当かつ自分の要望を思いきり入れた【万雷の閃刀】の言葉に雄斗は心中で嘆息する。
雄斗は視線をマリアたちに向ける。そして胸に抱いた、彼女たちへの素直な想いを口にした。
「マリア、雪菜、シンシア姫、アイシャ。
お前たちがジョン様達の無茶苦茶な提案に応じたってことは、俺に対してそれなりの好意を持っているものだと思う。
それは嬉しい。ありがとう。──だが今すぐに俺はお前たちの中から選べない。
お前たちに対して、即断するほどの強い想いは、俺にはない」
四人の中で特にマリアと雪菜に対しては一際強い想いはある。だがそれがかつてヴィルヘルミナに抱いた恋や愛と言われるものではないことも自覚している。
雄斗の言葉を聞いてマリアたちの表情が曇るが、撤回はしない。それが彼女たちに対する礼儀だと思うからだ。
「──ゼウス様。申し訳ありませんが一つ、望みを聞いていただけませんか」
「何だ?」
「嫁を娶ることは了承します。ですが一年間、時間を戴けませんか。
【神殺士】として戦う以上、【超過欲求】は避けられません。情交を交わす相手は必須です。
ですが今すぐに選べてといわれても今言った通り無理です。ある程度気持ちや覚悟が定まる時間が欲しいのです」
男として情けないと思われるかもしれないが、ただ必要だからと言ってマリア達の誰かを娶るほど気持ちを変えられはしない。
時間が欲しい。マリアたちの誰かに応えるようと思う時間が。ともに生涯を歩む相手を定める時間が。
「だが【神殺士】として戦う以上、【覇神力】の消耗で【超過欲求】が発生するのは避けられねぇぞ。その問題はどうする気だ?」
「クラリス様と相談します。あの人も【覇神力】の使い手。相談すれば何かしらの解決策を提示してくれるでしょう」
険しい表情のラフシャーンに雄斗は言う。
クラリス・ウォルフォード。【七英雄】の一人であり【アルゴナウタエ】の医療部門を統括する女傑だ。【アルゴナウタエ】はもちろん多元世界でも有数の医師としても有名だ。
リューンと共に雄斗の【神殺士】としての生体を調査した後は連れてきた医療チームと共に【神雷を制する天空】の先日のテロ活動にて被害にあった人たちを無料で観ているという。
「何より今、自分がここにいる──病室を出ることを許可したのはあの人です。すなわち今の自分は【超過欲求】が収まっているということ。
【超過欲求】を発現させている自分に退院許可を出すはずはありませんから」
つまりクラリスは雄斗の【超過欲求】に対して何らかの解決、又は沈静化させるための手段を持っているということだ。
「……鳴神君。一つ聞きたい。どうしてクラリスが【覇神力】の使い手であるとわかったのかな」
「クラリスさんのことは医務室で相対した瞬間、もしかしてと思いましたがさっきの話を聞いたあと確信しました。あの人は看護師が日々代わる代わる中、毎日平然とした様子で定期健診に来ていましたからね。
あの人は【アルゴナウタエ】最高の医者であり【神殺士】研究者の第一人者。【超過欲求】を発現した【神殺士】と相対するのに何かしらの対抗策を取っていて当然でしょう」
「はははっ、大した慧眼だ。──まぁその分、自分のことはお粗末だからバランスはとれているのかねぇ」
笑い出すラフシャーン。
愉しそうな、興味深そうな顔を雄斗に向けた後、横にいるジョン達に目を向けて言う。
「鹿島、ジョン、エドガー。鳴神からの要望、吞んでもいいんじゃねぇか。
一年後には嫁を決めると言っているしクラリスの奴もいる。その間なら何とかなるだろう」
「……。そうだな」
「私としては特に問題はないよ」
「事を急いて新たな【神殺士】の不興を買ってもいいことはない。
嫁を取るという確約をしたことで満足しておくか」
頷く鹿島、ジョン、エドガー。
「てなわけだ。これから一年、改めて頑張れよ」
「はい。ありがとうございます」
ジョン達に向けて深々と頭を下げる雄斗。
それから今後についてざっくばらんだがエドガーより話があり謁見は終了。部屋に戻り、ソファーに体を投げ出す。
「あー、疲れた……」
「やれやれ。少し会話をしただけでその様とは。これから立場が上のものと話す機会はいくらでもある。耐性をつけろ」
そう言うのは傍に出現する【万雷の閃刀】だ。
正式に契約を交わしたあと、こうして稀に姿を現すことがあるのだ。
「それと嫁のことだが、どうするにしても早めに決めておけ。
他の【神殺士】や【覇神力】を持つ神々から話を聞き【超過欲求】への対策を考えるのはいいが、一番簡単で手っ取り早く回復する方法は性交なのだから」
「……」
「少なくとも今現在で二人は確実に、お前の人生に付き合う気満々だろう。決めるのは難しくないだろうからな」
そう言って消える【万雷の閃刀】。雄斗が深々とため息をつき、ソファーに体を沈める。
しばし天井を見上げぼんやりとしていると、静かに部屋の扉が叩かれる。入出を許可すると入ってきたのはマリアたちだ。
「お前達か。良かった。少し話があったんだ」
「何かな?」
雄斗に問いにマリアがいつものように反応する。
が、微かに緊張した様子であるのを雄斗は気付くが指摘はしない。
「ヴィルヘルミナが言っていたが俺の過去を視たそうだな。一体どうやって?」
その問いにマリア、雪菜、シンシアの視線が一斉にアイシャに向く。
「ちょ、ちょっと勘違いしないでよ。好きで見たわけじゃないからね!」
慌てた様子のアイシャ。
その経緯を聞き、雄斗は鷹揚に頷く。
「なるほど。ならしょうがないか」
「そうよ。しょうがないことだったのよ」
「ま、制御できないと分かった時点で止めていれば満点だったが」
チクリと刺すように雄斗が言うとアイシャの表情が引きつる。
だが善意でやってくれたことなのでこれ以上は責めない。
肩を落としシンシアに慰められるアイシャから視線を外し、雄斗はマリアと雪菜に首を垂れる。
「マリア、雪菜。この間は悪かったな。
あいつの言う通り、俺は自分に酔っていた。自分はこうあるべきだと決めつけ、お前たちの想いを蔑ろにしていた」
「いいえ、雄斗さん。確かに悲しかったですけれど今ならあのような態度を取られた理由はわかります。
それに過去に捕らわれていたのは私も同じです。雄斗さんを責めることはできません」
「だからこそ今度はわたしがそうしたかったのだけれどね。ヴィルヘルミナさんにしてやられたわ」
悔しそうな顔で言うマリア。雪菜たちも似たり寄ったりの表情だ。
「全く。大した奴だよあいつは。もし可能なら俺の部隊に誘いたかったが」
ヴィルヘルミナは【オリュンポス】で元気に過ごしているし、シンジというパートナーもいる。誘うのは野暮だ。
そう雄斗が言うと、何故か場の空気が固まる。またマリアたちの、こちらを見つめる表情が訝しいものになった。
「? どうしたお前たち。妙な顔をして」
「雄斗さん、念のために一つ確認したいのですけれど」
「もしかしてヴィルヘルミナのこと、好きなの?」
マリアからの問いに雄斗は目を丸くする。
そして一泊置いて、雄斗は言った。
「あいつのことは、好きだったよ」
隣にいて笑顔をずっと見ていたい。命続く限り彼女を守りたい。幸せにしたい。
【クレタの魔宮】にいる最中、いつの間にか彼女に対して抱いていた熱い想い。おそらくあれが恋というものなのだろう。
今もヴィルヘルミナに対しての想いはある。だがそれは彼女が幸せでいてくれればいいという、以前のような炎のような熱ではなく家族に向けるそれに近い、陽光のような温かく柔らかい想いだ。
どうしてそのようになったのか、はっきりとはわからない。ただ、それでいいと雄斗は思っている。そう思うのは記憶を取り戻した後、現在のヴィルヘルミナについて知ったからだ。
【オリュンポス】の【パンクラチオン】に所属し、逞しく生きている彼女。シンジを始め友人に囲まれ、笑顔でいる彼女。
自分が望んだ彼女の姿が、そこにはあった。それを知った瞬間、彼女に対して抱いていた不安や思慕など、様々な想いは消し飛び、それだけが残った。
「ま、昔の話だ。
ところでお前たちは何しにここに来たんだ? もしかして俺の勝手な要望に文句でもいいに来たのか」
「え? ううん。そんなことはないよ。
むしろわたし達は雄斗君の嫁取り宣言に驚いたぐらいだからね」
「ヴィルヘルミナにあれだけ言い負かされたとはいえ、気が変わるのが早すぎるとは思っているけど」
先程の仕返しのつもりなのか少々嫌味っぽくアイシャは言ってくる。
「あいつの言っていることは的外れなことじゃない。指摘されて気が付いたが俺は自分の幸せや生きることを己の中で最下位に置いていた。
マリアや雪菜を傷つけてまで遠ざけたのも、ジョン様達からの提案を最初拒絶したのもお前たちの身を案じる以上に、俺自身が幸せになるべきじゃないと思っていたからだ」
自己陶酔とヴィルヘルミナは言ったが、まさしくその通りだった。
「ただ俺が爺さん達の立場になって考えたら、俺のやっていることに反発して説教しただろうな。
いや、雪菜にしたみたいに物理的説得も交えていただろう」
微苦笑する雄斗に雪菜も似たような表情となる。
「ヴィルヘルミナ全ての言葉を肯定しようとは思わない、
ただ爺さん達が俺の幸せを望んでいたというのも全くの嘘とも思えないし、そうであるなら俺は」
そこで言葉を止める雄斗。
心中で気合を入れなおし、少し上ずった声で言う。
「俺はもっと多くを、求めてもいいんじゃないかと思った。
だから、まぁ、なんだ。俺みたいな変人に好意を寄せるお前たちに応えてみようかと、思ったわけだ」
照れくさくなりそっぽを向く雄斗。
マリア達が小さく笑う声が聞こえ、軽く頬を膨らませる。
「雄斗君の気持ちはわかったよ。
ところで一つ、聞いてもいいかな」
「……何だ?」
「今の時点でわたし達の中で一番誰が好きなのかな。やっぱり告白もしてキスもしたわたしかな?」
艶っぽい顔つきで爆弾発言をかますマリア。
彼女の言葉に雄斗は顔をしかめ、女性陣は騒ぎだす。
「キ、キキキキスっていつですかマリアさん! 聞いていませんよ!?」
「あれ? 【アヴェスター】から帰る途中、告白したことを話した時に言わなかった?」
「やっぱり目下最大の敵はマリアのようね……!」
「あらあら。これはわたくしも頑張らなければいけないわね」
雄斗そっちのけで姦しく話しだす四人。
その騒がしくも温和な空気を見て雄斗は微笑み、そして心中に罪悪感が芽生える。
一年後にはこのうち一人を選び、三人を泣かせることへの。
(だが、もう決めたことだ)
一瞬、全員を娶るという考えが浮かぶが、すぐに放り捨てる。
そんなことをしたらどうなるか想像もできないし上手くやれるとも思えない。この手で抱えられるのはせいぜい一人程度だろう。
だが今は、楽しそうな彼女たちの様子を眺めていたいと、雄斗は思うのだった。
次回更新は2月7日 夜7時です。