一話
「いい天気だなー」
町はずれにある廃工場で鳴神雄斗は呟く。見上げる空は雲一つない晴天だ。
冬の冷たい空気と太陽の温かさが混在する昼過ぎの今。こんな時間は公園の原っぱに寝そべって軽く眠りたいところだ。さぞ気持ちよく眠れるだろうなーとぼんやりと考えていると、左から刺々しい声が聞こえてくる。
「兄さん、気を緩めてないで早く準備をしてよ」
そう注意したのは腰に手を当てたポニーテールの少女だ。
雄斗と同じ黒髪黒目の彼女は鳴神未来。つい先日中学を卒業した雄斗の妹だ。元々気が強く溌溂とした性格の彼女が眉を吊り上げている顔はなかなかおっかない。
「準備ならすでにできてるぞ。呪符も用意しているし【紫電】もちゃんと腰に収めているだろ」
右腰に備え付けてある携帯ポーチを軽く叩き、左腰に差してある代々実家に伝わる名刀【紫電】を左手で撫で上げる。
しかし妹は怒りの顔を崩さず、言う。
「戦う準備をしてって言っているの。もう今にでも【歪穴】ができて【異形種】が出現してもおかしくない状況なんだよ」
「わかってるからそう目くじらを立てるな。天空が言う可愛く凛々しい顔が台無しだぞ」
「な……! 兄さん!」
「まぁまぁ未来ちゃん。戦う前だしこのぐらいにしておこうよ」
頬を赤くして声を張り上げる未来と雄斗の間に割って入るのは眼鏡をかけた気弱そうな少年だ。
とはいえそういう風にみられるのは彼の優し気な顔立ちのせいだ。身長は187と高く、細身に見える体つきはしっかりと戦士の筋肉で構成されている。
そして彼の背後には鮮やかな黒色の翼がある。彼は雄斗達兄妹と違い純粋な人間ではない。黒翼族と呼ばれる亜族だ。
もっともそんなことは雄斗にはどうでもいい。彼──風見天空は親友であり、魔術師として彼ほど頼りになるものはほとんどいないからだ。
「雄斗もそろそろ【紫電】ぐらいは抜いておこうよ。もしいきなり【異形種】が出現したら、僕や君はともかく未来ちゃんはすぐに動けないだろうし」
「そうだな。もし未来に何かあればお前と兄貴、義姉さんに怒られ、可愛い可愛い可愛い愛理に泣かれてしまう。
前者はともかく後者はよくない。とても、よくない」
妹から冷たい眼差しを、そして親友からは微苦笑を向けられるのを感じながら雄斗が【紫電】を鞘から抜き放ったその時だ。まるで図ったかのようなタイミングで晴天に亀裂が走る。
一瞬の後、破砕する空。そしてその割れ目から無数の怪物たちが飛び出してくる。
怪物たちの姿は多種多様だ。子供ぐらいの小鬼に三メートルほどの巨体の大猿、ギラギラとした目つきで涎を垂らしている双頭の狼、しっぽに蛇を生やした猪等々──
これらが【異形種】。魔術師である雄斗達が有史以来敵対し、駆逐してきた人類の敵だ。
地面に降り立った【異形種】の群れはこちらの姿を見るや突撃してくる。その様子を見て雄斗は嘆息し、稲妻を【紫電】と体にまとわせる。
(考える頭もない突撃しかしないタイプか。今日も楽に済みそうだ)
そう思いながら雄斗は剣を向かってくる【異形種】の群に向けて振り下ろす。すると切っ先より放たれた稲妻が目前まで迫っていた巨猿を吹き飛ばす。
「稲妻よ!」
雄斗の一撃に続くのは未来だ。手のひらから無数の雷が放たれては迫る【異形種】を消し飛ばす。
鳴神兄妹が放つ雷撃は一撃で十数匹の【異形種】を消滅させる。しかし襲来した怪物の数は軽く見ても百は優に超えており、そして他の【異形種】達は同胞が蹴散らされるのを全く気にせず、迫ってくる。
もっともそれらに対しても雄斗は微塵も心配はしていない。ちらりと後ろを見て、小さく微笑む。向けた視線の先には黒翼を広げ、空中にいくつもの魔方陣を展開し終えた天空の姿があったからだ。
「発射」
いつもの優しそうな表情が戦士のそれとなった天空が言うと同時、魔法陣よりいくつもの魔術が放たれる。
放たれる炎、氷、光、闇、稲妻など無数の魔術は一つ一つが鳴神兄妹の雷よりも威力が大きく数も多い。雄斗達の雷撃の雨を耐えて通過した【異形種】たちも、天空が放つ魔術には抵抗できず、体を四散させる。取りこぼしは一つもない。
さすが地区一番の魔術師であり、雄斗と同時期で魔術師となった若き俊英なだけのことはある。雄斗と違い一人前の魔術師として活動しながらも東京にある魔術師育成の名門校──四月から未来も通う──に在籍し、ずっと主席である彼。
何事も無ければ学園を卒業する来年、日本政府直属の魔術師組織【陰陽衆】に配属されることが確実だという。
雄斗達が放つ術の雨あられが十分近く続き、出現した【異形種】たちが残らず片付いたのを見て、未来が大きく息を吐きながら、言う。
「これで終わりみたいね」
「いや妹よ、どうやらまだ残っているようだな」
雄斗の言葉に気を緩めていた未来はすぐさま臨戦態勢を取り、空を見上げる。
【異形種】が現れた空は出現する前のように見える。だがよく見れば幻のように揺らいでいるのだ。当然だが雄斗はその様子に気づいていた。
(【歪穴】がまだふさがっていない)
【歪穴】とは【異形種】が生まれ故郷である【次元の狭間】から雄斗たちのいる世界へ出てくる穴のことだ。出現した【異形種】を倒し一定の時間が経過すれば自然と収まるのだが、消えていないところを見るとどうやらまだ敵は残っているようだ。
そう雄斗が思った時、蜃気楼のように揺らぐそこから一匹の【異形種】が姿を見せた。地響きを鳴らし着地したそれは片手に分厚い鉈を持つ、牛の頭部と三メートルを超える屈強なる長身の【異形種】。
わかりやすく言えばギリシア神話に登場するミノタウロスと言うべき存在か。
もっとも【異形種】なだけあってミノタウロスそのものと言うわけではない。顎をこちらに向けた二匹の大蛇がミノタウロスの背部より出て、殺意満々の瞳を雄斗たちに向けている。
「ヴォオオオオッ!!」
咆哮を上げる【異形種】。そして鉈を振り上げ突進してくる。その速度は先程の雑魚と違い段違いに速い。
とはいえ、もちろんこちらにすんなり近づけるはずもない。後ろにいる天空から再び魔術のフルバーストが放たれる。
だがそれらをミノタウロスの背部に見える大蛇が炎を吐き出していくつか迎撃してしまった。そして天空の魔術に傷つくことをいとわず距離を詰めた【異形種】は、もっとも近くにいた雄斗に向けて鉈を振り下ろす。
まともに当たれば体が吹き飛ぶミノタウロスの一撃を雄斗は右に回避する。直後に今度は二匹の大蛇が炎を吐き、牙をむいてくる。
並みの魔術師なら反応できないそれらを、雄斗はまたしても軽々とかわしながら、ミノタウロスを見つめ続ける。
(C。いやC+ってところか)
ミノタウロスの放つ圧に攻撃の鋭さから敵のランクを察する雄斗。
【異形種】は強さや危険度に応じてランク分けされている。A~Eの五段階でありAが最上位でEが最下位だ。
先程一蹴した群れはE~D程度だったが眼前の怪物はC+。一流の魔術師でも単独で倒すのは苦労する強さだ。
「兄さん!」
悲鳴に似た声を上げる未来。だが雄斗としては全く慌てていない。この程度の相手、雄斗はもちろん天空一人でもどうにでもできるレベルの相手なのだから。
轟音とともに繰り出され続けるミノタウロスの鉈と大蛇のコンビネーション攻撃。絶え間なく放たれるそれらを雄斗は悠々とかわしながら、まだ未熟な可愛い妹に万が一のことがあってはいけないと思い──体から放たれていた稲妻を【紫電】の刀身に集めながら──彼女たちから離れる。
ミノタウロスの動きや攻撃は速い。だが稲妻や光さえも見切り捉える武芸の奥義の一つである【心眼】を会得している雄斗の目から見れば、鈍いのだ。例え一時間絶えず攻撃を繰り出されても当たらないという確信がある。
そして妹たちから十分に距離を取ったところで、雄斗はミノタウロスへ剣を構える。
(もう残っているはこいつだけみたいだな。──じゃあ未来に声を張り上げさせないためにも、さっさと終わらせよう)
回避し続けながらまだ別の【異形種】が出現しないか探っていたが、もう残敵がいないと確信する。そして【紫電】を握る右手に力をこめる。
一層強い雷光と周囲を照らす輝きに、ミノタウロスが狼狽える。
鳴神家は代々、雷の術と剣術を武器とする魔術師の家系だ。もっとも個人個人にとって剣術か術、どちらが得意不得意といった違いはある。それに当てはめるなら雄斗は剣術、未来は術のほうが得意と言うべきだろう。
(雷斬)
十数回目となるミノタウロスの鉈の一撃を回避すると同時、雄斗は【異形種】の懐に入り逆袈裟に切り上げる。
雷が圧縮され白く放電する【紫電】の刃はミノタウロスの頑強な体をいともたやすく切り裂く。そして雄斗が切り上げたのと同時、【異形種】の体に刻まれた傷口から莫大な稲妻が発生し、その巨漢を包み込み焼き尽くす。
雷斬。雷を圧縮した刀で切りかかり接触、又は切り裂いた部位に刀身に集めた稲妻を放って敵を焼き尽くす鳴神流剣術一之剣だ。
「終了っと」
雷と炎に包まれ消え去っていく【異形種】の残骸を見つめながら雄斗は呟き、再び空を見上げる。【歪穴】はなくなっており、【異形種】が出現する前の晴れ晴れとした青空がある。
もう問題がないと確信し【紫電】を鞘に納めようとしたときだ、どこからか見られているような感じがして止める。
(敵意はない。観察、興味の類か──)
そう思いながらわざと周りを見渡し、視線が感じた方へほんの一瞬、戦意を放つ。
雄斗の反応に対し、見ていたほうからのリアクションはない。見ていた何者かは気づかなかったのか、それとも反応したこちらに驚き固まったのか。はたまたはこちらの勘違いだったのか。
ともあれ何も起こる様子がないことを確認すると、今度こそ【紫電】を鞘に納める。そしてこちらへ駆け寄ってくる妹と親友の元へ歩いていくのだった。
◆
「ははは、こちらの視線に気づきやがったな。噂通り、いやそれ以上にやるみたいだな」
「ただの偶然じゃないの? 見られたのは一瞬だったし」
「いやソフィア、ルクスの言う通り気づかれていたと考えるべきだな。戦っていた【異形種】はCか、C+。攻撃は速く変則的で一流の魔術師でも苦戦は必至だ。
それをああまで完璧に攻撃をかわし続け一蹴しただけではなく、こちらの視線に気づいたことといい、情報通り【心眼】を会得しているのは間違いないようだ」
「【心眼】だけじゃなくて【閃電の太刀】もだろ。……あいつ、いいねぇ」
「この戦闘バカはまた盛り上がって……。マリアはどう思う?」
「わたしもルクスやラインハルト君の意見に賛成かな。多分一瞬だけだったのはわたしたちが観察していただけだったからだと思うし。
もし敵意や戦意を出していれば牽制の一撃ぐらいはこっちに放っていたかも」
「ふーん。……で、どうするの? 彼、スカウトするの?」
「入手した情報通りならスカウトせざるを得ないだろう。【神財】の保有者を放置はできない」
「だが【神財】を持っていると確定したわけじゃないんだよなぁ。使っている刀は魔道具だろうし。
……俺個人としてはスカウトしたいと思っているんだが。なぁ、マリア」
「却下だぞルクス」
「何も言ってねーぞラインハルト」
「大方自分と決闘でもさせれば【神財】を保有しているかどうかわかるって言おうとしたんだろう。それは駄目だとエドガー様からも言われていただろうに」
「ラインハルト君の言うとおり許可はできないよルクス。わたしやラインハルト君、ソフィアならまだしも君の場合、やりすぎるから」
「ちっ、つまらねーね」
「とにかくわたしが一度会ってみるね。スカウトはもちろん【神財】の保有者がどうか、確かめる必要もあるし」