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カオスキッチン

作者: evergreen



「モーニングオーダー終了でーす」


フロアスタッフから声がかかった。

時刻は10時40分。


…よし、今日こそは勝つ! 


入社3年目の社員、田中はサロンの紐をキュッと締め直し、気合を入れた。


ここはファミレス『ジョニーズ世田谷馬沢(うまざわ)通り店』のキッチンである。


田中は作業中のスタッフ達に声をかけて回る。


「やっさん、11時までに仕込み終わりそう?」

「おう!問題ないよ」


スタタタタと高速で玉ねぎを刻みながら、アラカンバイトのやっさんが威勢良く答えた。


…さすがは人間スライサー、頼りになる!


続いて田中はモーニングオーダーを終えたスタッフに指示を出した。


「佐藤さん、グランド食材の補充しといてね。茂木くんはフライヤーとオーブンの温度チェックして」

「任せといて」

「ういっす〜」


この道20年のベテラン主婦、佐藤と学生バイトの茂木(もぎ)が返事をした。


田中は最後にデザートの作業台へ向かう。


「ゆなちゃん、今日から始まる苺フェアのレシピは頭に入ってる?」

「はい、ばっちりで〜す♡」


デザート担当の新人バイト、ゆなちゃんが苺のヘタ取りをしながらほんわかとした笑顔を見せた。


…おぅ

今日も癒やされる…


…っと、気を緩めたらいけない!

昨日は日◯大ラグビー部30名の奇襲に遭い、総崩れになってしまった

今日こそは大遅(おおおく)れを出すことなく11時から14時のピークタイムを乗り切る…!



そして時刻は11時。

早めのランチをとる客がちらほらと入店し始めた。


…さあ、戦闘開始だ!


「そろそろ来るよ!準備はいい?」

「おう!ドンと来い!」

「準備万端よ」

「ふわぁ〜、やば…ねむ」

「こっちも大丈夫で〜す♡」


約1名、不安要素はあるが、みな気合十分だった。


――ピーピーピー


電子音が鳴り響き、キッチンに緊張が走る。

最初のオーダーが入り、伝票がぴろーんと印刷された。

それをホルダーにかけながら、田中はオーダーを読み上げた。


「もりもりサラダ1、ナポ1、ミックスサンド1!」

「了解!」


スタッフはそれぞれのポジションで調理を開始する。

やっさんは麺類と炒め物系。

茂木はグリル、オーブン、フライヤー周り。

佐藤はご飯物と盛り付け全般。

ゆなちゃんはデザートと洗い場。

田中はフリーでなんでもやる。


手が空いているスタッフは他のポジションのサポートに回り、できるだけ同じ卓の料理は同時に出せるようにタイミングを見計らい、上手く連携しなくてはならない。


「ナポ、あがるよ」

「はい、サラダとサンド」

「5卓出まーす」


料理が揃うと、フロアスタッフが調理にかかった時間を知らせてくれる。


「提供時間5分です」


…よし!

いいペースだ


ちなみに、ジョニーズ基準ではオーダーが入ってから提供するまでに20分を超えることを『遅れ』、30分を超えることを『大遅れ』と呼ぶ。


『遅れ』はピークタイムではよくあることだ。

しかし、昨日は『大遅れ』を出しまくってしまった。

田中は『大遅れ』を出すとめちゃくちゃ凹む。


…汚名返上、名誉挽回!

今日は絶対に大遅れは出さない!



――ピーピーピー

――ピーピーピー


時刻は11時30分。

少しずつオーダーの入るペースが上がる。


「ひとつひとつ、落ち着いていこう!」


馬沢通り店の客席数はおよそ150。

満席になるまではどんどん客が入り、どんどんオーダーも入る。

この序盤のオーダーラッシュが第一関門なのだ。


「佐藤さん、とりあえずサラダから先に出して!」

「OK!」


…腹が減っている人間はイライラする

すぐに出せるサラダで腹を満たしてその場を凌ぐ、戦場のセオリーだ!


佐藤は作業台に皿をずらりと並べ、次々と彩り良くサラダを盛り付けていった。


…さすがベテラン主婦!

手際の良さはピカイチだ!


「茂木くん、手が空いたらネギトロ丼2お願い!」

「ういっす〜」


茂木は冷蔵庫を開いた。


「あ、田中さん。ネギトロがシャリシャリっす」

「なにぃ〜!?だから早めに冷凍庫から出しておけとあれほど…」

「かして!あたしの熱で溶かしたげる!」


佐藤は凍ったネギトロの入ったパックを茂木から奪い取った。

そして、(りき)みながら両手で握り締めた。


「はぁーッ!!」

「いや、流水解凍のほうが早いから!それにそのやり方なんかイヤ!」


※そのネギトロはあとでまかないとして俺と佐藤さんが美味しくいただきましたッ!


佐藤の小ボケにペースを乱されながらも、作業の手は決して止めない。


「続いてチキンドリア3 、オムハヤシ1!」


…今日は気温が低いからあったかメニューが人気だ

ドリアがよく出る

多めに仕込んで正解…!


「やっさん、ウォークインからドリア取って来て!」

「がってん承知の助!」


やっさんは駆けて行った。

そして、すぐに戻って来た。


「田中ちゃん、なに持ってくんだっけ?」

「ドリア!ドリア!」

「がってん承知の助!」


やっさんは再び駆け出した。

そして、ウォークイン冷蔵庫からドリアを持って勢い良く飛び出して来た。


ドリア皿は分厚く重たい。

そこに米とソースがみっちり詰まっている。

それがいくつも積まれたトレーを持ちながら走るのは自殺行為だった。


やっさんは床に積んであったバットに蹴躓(けつまず)き、ドリアの載ったトレーを持ったままヘッドスライディングをかました。


「やっさぁーん!!」


田中はすぐさまやっさんに駆け寄り、助け起こした。

やっさんは顔面を強打し、鼻血を出していたが、決してトレーを手放さなかった。


「…田中ちゃん、あとは任せた」

「やっさん…あなたの努力は無駄にしません!」


田中はドリアを受け取ると、コンベアオーブンへ走った。


やっさんは休憩室で鼻栓の応急処置をしてすぐに戦線に復帰した。

負傷兵すら駆り出さなければならない残酷な戦場、それがピークタイムのキッチンなのである。


やっさんが戻って来たところで、今度は茂木が手を挙げた。


「田中さん、俺、ちょっとトイレ行ってきま〜す」

「ちょっ、このタイミングで…!?」

「あはは、すんませ〜ん」


茂木は笑いながらフェードアウトした。


…だから、ピーク前におしっこに行っとけとあれほど…!

しかし、生理現象だからやむを得ない

俺が倍動く…!


「佐藤さん!そろそろポテト揚がるからよろしくね!」

「任せて!」


佐藤はポテトの入ったバスケットを両手に持ち、ものすごい勢いで大きく振った。


「…フンッ!!」


アッツアツの油が床で爆ぜて飛び散った。


「あっヅァーッ!!」

「ギャーッ!!」


とばっちりを受けた田中とやっさんは叫び声を上げた。


「佐藤さん、振り過ぎぃ!!ってゆうか、フライヤーの上でやって!床でやんないで!」

「ごめんなさい!あたし、学生時代ラーメン屋でバイトしてたから、ついクセで…」


…オバハン!

一体、何十年前のクセ引きずってんだ…!


幸い二人とも軽症で済んだが、冷やすのに時間をロスしてしまった。


――ピーピーピー

――ピーピーピー

――ピーピーピー

――ピーピーピー


無情な音は止むこと無く、田中達を追い立てる。


…猫の手でも借りたい修羅場だ!

ここはゆなちゃんを召喚しよう…


「ゆなちゃん!ちょっとこっち手伝える?」

「はぁい」


ゆなちゃんは、てててと走って来た。

そして、なにもないのに転んだ。


「きゃっ…」

「…!」


田中は咄嗟に彼女を受け止めた。


「大丈夫!?」

「すみませぇん…」


間近で見るゆなちゃんはめちゃくちゃ可愛かった。


…はぁ〜ん

なんかいい匂いするぅ…



…はっ

ロマンスしてる場合じゃない!


ときめきで更に時間をロスした田中は3倍速で動く。


…もってくれよ、俺の身体!


しかし、彼の奮闘むなしく料理を出せども出せども、伝票は一向に減らない。


「提供時間17分です」


…ヤバい!

もうそんな時間に…!?


その時、茂木が手洗いから戻って来て、さっぱりとした顔で持ち場についた。


「え〜っとぉ…」

「茂木くん!12卓の和風ハンバーグから!」

「ういっす〜」


茂木は凄まじい勢いで黙々とオーダーをこなし始めた。

田中はタコライスを盛り付けながら、横目でその様子を窺っていた。


…あのペースはヤバい

完全にスイッチ入っちゃってる


コンベアオーブンはあっという間に茂木が流した食材でいっぱいになった。

そうなると、今度は盛り付ける手が追いつかない。


「茂木くん、ペース落として!出口(アウト)が渋滞してる!」


そう言った直後、ハンバーグを載せたバットが後ろのドリアに押し出され、コンベアから落下した。


…あ、落ちる…!


田中は反射的にそれを素手でキャッチしてしまった。


「あっヅァーッ!!」


250℃に熱せられた鉄板は再び宙を舞う。


やっさんは反射的にそれを素手でキャッチしてしまった。


「ギャーッ!!」


250℃に熱せられた鉄板は三度(みたび)宙を舞う。


佐藤は反射的にそれを素手でキャッチしてしまった。


「…ふぅ、セーフ。盛り付けるわね」


佐藤はそのまま何食わぬ顔でハンバーグを皿に盛り付け始めた。


田中とやっさんは仲良くシンクで手を冷やしながら唖然としていた。


…つ、つよい


彼らは知らなかった。

ラーメン屋のバイトで鍛えられた佐藤の手のひらの皮が、象のように分厚くなっているということを…


◇◇◇


時刻は13時。

フロアが満席になり、食事オーダーのペースは落ちてきたが、今度はデザートラッシュが始まる。


「茂木くん!こっちはいいから、デザートのヘルプ入って!」

「ういっす〜」


茂木はもたもた歩いてデザートの作業台へ向かった。


…シャキシャキ歩かんかーい!


田中は卵を高速で掻き混ぜながら心の中でツッコミを入れた。


若者二人はせっせとパフェやケーキを仕上げ、受け渡し口に出していく。

しばらくすると、ゆなちゃんが田中に助けを求めてきた。


「田中さぁ〜ん、チョコソースが固まってて出ませぇ〜ん」

「湯煎してみて!温まり過ぎるとまずいから、少しだけね!はい、これお湯!」

「はぁ〜い♡」


田中が自分の作業に戻ろうとしたところ、今度は茂木が助けを求めてきた。


「田中さぁ〜ん、キャラメルソースが固まってて出ませぇ〜ん」

「お前は気合でひねり出せーい!!」

「はぁ〜い☆」


…くっ

つい声を荒げてしまった

ほんと自分の余裕のなさがイヤになる…


イヤになっても手は止めない。

片手でパスタをあおりながら、もう片手でオムライスの卵を割る。


田中は密かに悩んでいた。


…俺、この仕事向いてないんじゃないかな

新卒で入社して、もう3年目

それなのに未だにピークタイムを捌ききれない

きっと俺の采配が悪いからだ…


真面目過ぎる田中は気付いていなかった。

彼の能力に問題があるのではなく、日◯大から徒歩5分という立地と、極限を超えて削減を迫られる人件費に問題があるということに…


無心になって伝票を追い、手を動かす。

疲れも乾きも忘れて駆け回る。

一枚、また一枚と伝票が減っていき、とうとう最後の一枚に着手した。


「よし、ラスト!とん定1、たらスパ1!」


出来上がった料理を受け渡し口に置いた。


「提供時間19分です」


田中はチラッと時計を見る。

時刻は13時55分。


…よし!

ギリギリ遅れなくやり切った!

みんなよく頑張った…


スタッフ達を労おうとしたその時だった。

客の案内を担当するフロアスタッフが慌てた様子で受け渡し口から声をかけてきた。


「田中さん!大変です!」

「どうした?」

「日◯大相撲部、20名様ご来店です!」

「すもうぶ…」


田中の記憶はそこで途切れた。


――ピーピーピー…


◇◇◇


時刻は15時30分。

休憩室には向かい合って遅過ぎる昼食をとる田中と茂木の姿があった。


「はぁ…」

「……」

「ふぅ…」

「……」

「へぇ…」

「…田中さん、元気出して下さいよ。店長が善戦したって褒めてましたよ」

「そう…」

「……」


うなだれる田中を見て茂木はなにかを思いつき、キッチンへ向かった。

そして、小さな皿を持って戻って来た。


「はい、これ。ロスったやつですけど」


差し出されたのはベイクドチーズケーキだった。

皿の余白にチョコソースで『田中さん、おつかれさまです♡』とメッセージが書かれている。

その横にはネコの絵も描いてあった。


「茂木くん、絵が上手だね」

「それ、ゆなちゃんが描いたやつっすよ」

「まじか…」


途端にありがたみが100万倍に増した。


「ネコの横に描いてあるこのぐちゃぐちゃはなに?」

「それは俺が描いた肉球です」

「あ〜…言われてみれば確かに…」


…巻きグソかと思った


さすがに口には出さなかった。


「ありがとう。いただきます!」


…美味しい

甘いものは疲れた身体に沁みるなぁ…


田中はパクパクとチーズケーキを食べながら、茂木に尋ねた。


「普通に問題なさそうだけど、なんでロスになったの?」

「ああ…それ、俺が床に落として軽く踏んづけちゃったやつなんすよ」


――カラン…


田中はフォークを落とした。


「…ウソウソ。フロアの子がオーダー取るのミスったみたいで、出したけど返されちゃったんです」


…本当に?


真偽を確かめる術もなく、田中は皿の上に残っていた最後のひと口を食べる気になれなかった。


目の前に座る茂木はあくびをしながらスマホをいじいじしている。

食後のコーヒーを飲み終えた田中は、前々から疑問に思っていたことを尋ねた。


「…茂木くんはさぁ、この仕事辞めたいと思ったことないの?すごいキツいじゃん?」


茂木はスマホから視線を上げ、少し考えてから答えた。


「ないっすね。死ぬほど忙しいけど、俺はこの仕事わりと好きなんで。でも、田中さんがいなきゃ続いてなかったかな」

「なんで?」

「俺、めっちゃゆるいじゃないですかぁ。そこをビシッとツッコんでくれる人が必要なんすよね」


…ゆるい自覚あったんだぁ

じゃあ、もうちょっとしっかりしてくれよ…


田中は意外な答えに驚きつつも呆れた。


「だから、田中さんには長生きしてもらわないといけないんです」

「長生きって…茂木くん、俺と3つしか違わないじゃん」

「あれ?意外と若かったんすね。やっぱ日頃の苦労が顔に出ちゃってんのか」

「うるせぇよ」


茂木は笑った。

田中も笑った。


…『この仕事が好き』か

そうだな、俺も好きだ

特別な日でもそうでない日でも、家族や友達と気兼ねなくわいわい食事できるファミレスという空間が好きだった

それでこの仕事を選んだんだっけ…


友達や彼女と休みが合わなくても、

労働時間が長くても、

給料安くても、

スタッフが全然やる気なくても、

モンスタークレーマーに遭遇しても、

手荒れしても、

火傷しても、

毎日毎日汗かきながら、なんだかんだ続けちゃってる


俺はこの仕事が好きなんだ…


そして、休憩を終えた田中は再び戦場に立つ。

今度は夜のピークタイムが待ち構えているのだ。


…完璧じゃなくていい

俺は俺のベストを尽くそう

負けばかりかもしれないけど、昨日より一人でも多くのお客さんが喜んでくれるように頑張ろう

それでも納得できなかったら、その時はまた自分に問いかければいい

『俺はこの仕事が好きなのか?』って

それに、俺は一人で戦ってるわけじゃない…


時刻は16時30分。

今度は遅番のスタッフ達が出勤してきていた。


「田中さん、おはようございまーす」

「おう、おはよう!」


笑顔で挨拶を交わしながら、彼らは臨戦態勢を整える。


…さあ、戦いの幕開けだ!


◇◇◇


――ここは『ジョニーズ世田谷馬沢通り店』のキッチン。


僕らキッチンスタッフがお客様にお会いすることはほとんどありません。


それでも温かいお料理をお届けするため、毎日奮闘しています。

お客様が笑顔になることを願いながら…


たかがファミレスと笑われるかもしれませんが、僕はこの仕事に誇りを持っています。


感謝の言葉はいりません。

『美味しい』のひと言があなたの心に浮かんだら、僕らは間違いなく大勝利。


本日はご来店いただき、誠にありがとうございました。

スタッフ一同、またのご利用を心よりお待ちしております!




――ピーピーピー…



〜完〜



お読みいただき、ありがとうございます!

初めて短編を書いてみました。


お店により異なるとは思いますが、実際は料理を作るだけでなく、並行して洗い場を回したり、足りなくなった食材を仕込んだり、電話対応をしたり、しまいには欠員が出て準備もままならず、そのままピークを迎えたりと更にカオスな状況です。

加えてここ数年は容赦無くウー◯ーの注文が入るようになりましたしね…


現在、ムーンライトノベルズのほうでドロドロなラブコメディを連載中です。(※R18になります)

ご興味があればぜひ覗いてみて下さいね。

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