お嬢様とオペラの夜2
お嬢さまとオペラの夜2
風に花の薫りの交じりだす春の頃、そしてこの時期に届く王宮からの手紙となればその内容は一つしかありません。それはすなわち社交界シーズンを告げるオペラ会のお誘いです!
普段なら私からは余りお渡ししたくないお手紙ではありますが、今回は奥様が代理人を介してとは言え直接お送りいただいたもの、それもお嬢様の目の前で渡されたのですから、お渡ししないわけには行きません。
それに……
お嬢様はその幼気な指で封蝋を解くと、手紙を開かれました。
「……王宮からオペラ会のお誘いだわ」
お嬢様は幾ばくか緊張した面持ちで私のことを見上げられます。ごくり、私自身喉を鳴らすのが止められません。そう、ということはつまり。
「いよいよ、わたしも社交界デビューということね!」
仰る傍からお嬢様の顔は明るく弾けるように輝きだしました。本来社交界の始まりを告げる通知など家長でさる旦那様にお届けすれば良いだけなのです。いかにお嬢様が隔絶した方だとしてもあくまでまだ旦那様の庇護下にいらっしゃるのですから。けれど今回、お嬢様宛に招待状が差し向けられたのはお嬢様の令嬢としてプレ・デビュタントとしての正式な招待ということです。さすがにこんなものをなかった事にはできません。そんな事をしてしまえば、お嬢様としての貴族としての傷をつけてしまうのは勿論、私がお嬢様のお近くでお仕えする事もできなくなってしまう……私にとってはそれが何よりも許容できません。
いったい何があったか、こうして再びお嬢様にお仕えできるようになった以上、今度こそ私はお嬢様をお守りし、お幸せになるのを見届けなければなりません、いえ、私をお嬢様をお幸せにしなければなりません!
そのために、貴族として、ポルジェとしての地位は必須です。その基盤、貴族としての信用、品位、プライドを私の恣意で傷つけるわけには行かないのです。
すなわち、私に残された返事と言えば……
「はい、お召し物は何をご用意いたしましょう」
お嬢様を、誰よりも美しいレディにする。ただ、それだけでございます。
宮中オペラ会……毎年、春を迎えた最初の満月の夜、薪を起こし、広大な離宮の庭園を開放し開かれる薪歌劇でございます。このオペラ会によって社交界は始まりを告げ、年ごろを迎えた娘たちは貴族の、この国の上層の仲間入りをしてゆくのでございます。何より、この一年に一度の催しの最大の特徴とは平民、といっても私のような野良育ちではなく地方の有力者や、豪商などいわば平民の中の有力者にも招待状が届けられるということでございます。
本来であれば世俗を離れた神殿関係者にもその玉璽なき誘いは届きますので、その為の離宮の解放なのでしょう。揺れる馬車の中でそんな埒もない事ばかり浮かんでまいります。
車窓を覗けば頭上に暮れゆく夕日と、冴え冴えと光るのは満点の星々を従える大きな月。せめて雨でも降れば中止になったものをと溜息をつかずにはいられません。もちろん実際にはしないのですが……主家の方々の前ですので。
「もうプリジェも社交界に参加するような歳なのですね」
やはりどこか冷たいような、硬いようなお声で囁かれるのは奥様でございます。奥様のお召し物はさすがの一言に尽きます。今なお色あせないその花の容姿はまさに今が女の盛りと照り映える様でございます。お嬢様と同じ太陽を梳き込んだような黄金の御髪は今回のような夜会では目立ちすぎると倦厭もされましょうに、あえて高く結われてお花を簪されることで薪の火によく映えられるようになっております。
お召し物も今回の、夜会に合わせて新調されたイブニング・ドレスで、神殿風の古風な意匠でございますが、短いパフ・スリーブや異国風の裾模様はいかにも当世風で奥様の流行に対する感度の高さをしっかりを表していらっしゃいます。何よりラッフルの縁取りのついたお背中の襟から除くその白いお肌はとてもお子様がいらっしゃるとは思えぬほど引き締り、女の私ですら目が引かれてしまうほどでございます。しかし、こうしてお美しいお背中も一見古風な装いも、奥様の気品あるお顔立ちがあって初めて照り輝くのでしょう。いっそ、デコルテに輝く宝石の方がつつましく思われるほど奥様はお美しく輝いておいでです。
対する旦那様は奥様とは対照的に堅実な軍服をお召でございます。ポルジェ家は元は国家の剣としてその家名を戴いた家でございますし事実旦那様はクロスマン王国騎兵隊に名を列される軍人ですので、この度も騎兵用軍服をお召でございます。濃紺地に金のトッグルボタンが5つ並び、同じく金色の刺繍が詰襟と袖襟に施されていらっしゃいます。本来はさらに剣を佩かれるのが正式な装いですが今は馬車の中とてお控えされているようございます。
しかし、やはり、旦那様もまだまだお若くいらっしゃるのでもっとご夫婦そろったお召にされるべきと、使用人だけでなく出入りの被服屋も申し上げましたが、頑として聞き入られることはありませんでした。こうしたことになると途端に肯んじないご様子になって厄介なのは奥様よりも旦那様でございます。
そうでなくとも柔和なお顔つきの旦那様では厳めしい印象のある隊服ではどうしても不一致感をぬぐい切れないというのが真でございます。
そして、緊張のため顔を固くされてなお期待があるのでしょう頬を上気されたお嬢様もいかにもかわいらしいイブニングドレスをお召になっています、サーモン色のゆったりとした絹のドレスは長時間身に着けても疲れにくい事でしょう。さらに同色に染めた羽飾りが彩りを添えていらっしゃり、単純な作りですが決して見劣りしないようになっていらっしゃいます。
お嬢様はなれないのか、それとも緊張を紛らわしていらっしゃるのかグローブに包まれた指を落ち着きなくさ迷わせて、そろそろ4,5回は頭に冠られたティアラをとっては着け、着けては外しを繰り返されています。2度までは御髪が乱れるのでと私や奥様から御留もさせていただきましたが3度目からはもうなされるがままにされています。
そしてついに、馬車は王城の門を潜り抜けました。