なにがお嬢様をそうさせたか2
お嬢様はお小さいころからお美しかった。
それこそ、私が野草を食ったり、カエルを鷲掴みしていたような時からお嬢様は礼儀作法は勿論。いつ何時でも令嬢らしい書を書き、令嬢らしい言葉で話し、令嬢らしいふるまいをなさった。それは私がお嬢様に初めてお会いした、8歳のころから変わらず、お嬢さまは常にお嬢様でした。
「あなたがわたしの側使え?」
私は初めてこんな美しい幼女を見た。黄金を梳き込んだような髪、勝気に吊り上がった、意地悪そうにも見える金の眦、傷一つない玉のような肌は輝くばかりに白く、眩しくて目がつぶれるかと思った。
もうヒューマンステージが違った。というか人間じゃありません。300カラットくらいある。
思わず手で顔を覆ってしまった。
「なんで顔を隠すのよ!」
「いえ、目がつぶれるかと思いましたので」
「どういうことよ!」
私がお嬢様に忠誠を決めたのはこの瞬間でした……
このノリの良いお嬢様を、勝気な目の中になにか危険な色の含まれる少女を何とかお守りしなければならないと、そう心に決めたその時でした。
私が御傍に仕えだしてわかったことは、お嬢様はやはりお美しいということでした。何よりお仕えするポルジェ候家といえば、やはりお貴族様の中でも押すに押されぬ社交界の花、その唯一子となれば周りも放っておくはずがありません。お嬢様はお生まれになったその日からご縁談のお手紙が絶えぬ日はないと言います。
そんなお手紙も奥様。お嬢様のお母さまの言いつけで暖炉の肥やしにするのも、私の朝いちばんのお勤めの一つでした。ある一つの差出人を除いて……
「クルジャン伯、だめ。フリッポ神官長、だめ。国王陛下、あ……」
この国王陛下の御璽御名のついた高級そうなお手紙こそ、奥様より仰せつかった、お嬢様へお届けする唯一のお手紙。すなわち、奥様がお嬢様にふさわしい縁談の相手とお認めになった方からのお手紙です。
お嬢様のお父様であるポルジェ候閣下その人は、さすがに辞めるようにと奥様をやんわりお叱りすることもありましたが、決して強くは出られないのでした。
残りの十把一絡げの紙屑を暖炉に放り投げ、お嬢様へ朝のご挨拶を申し上げるまでが私の朝の大きなお仕事です。
長い事極まりない廊下を抜けてお嬢様のお部屋をノックする。朝の弱い私とは違い、お嬢様はいつでもしゃんとされています。
「お嬢様、おはようございます」
「おはいりなさい」
扉を開けるとそこには女神が……と思ったらお嬢様でした。寝間着姿のお嬢様はいつでも艶めしくいらっしゃいます。寝乱れた髪は返って色っぽく、閉じているかと見紛う目は長いまつげが影を落としているのでした。
「陛下の御名のついたお手紙が届いております」
「また? 王子殿下のお茶会のお誘いかしら」
たとえ寝起きであったとしても、いかにも気品もってお手紙をとられるのがお嬢様です。とても8歳の所作ではありません。白くなよやかな指で封印を解いて顔色一つ変えずに紙面に目を滑らすお嬢様は今まさに妃にあげられても困らぬと言わんばかりです。
本来主人が個人的なお手紙。それも身分のはるかに高い方からのお手紙を読むのに使用人が同席すべきではありませんが、これこそ側仕えメイドの特権です。
「やっぱりね、でもどうして何時も殿下からばかり届くのかしら。師父様や他の方からのお便りはないの?」
先ほど火にくべましたので。とは勿論言えません。
「皆様お忙しいのでしょう。お返事はいかがいたしますか?」
「お昼に書くわ。陛下の名前で届いているということは参加は必須だし、断れるものではないものね」
この時は、そう、この時まではお嬢様は決してあのぼんくら殿下に懸想などされていませんでした。ただ、ご自身の貴族としての役割を、正しく理解し、ただ貴族らしく振舞っていただけ。しかしお嬢様は美しすぎ、同時に賢く在りすぎたのでした。
すべてが変わってしまったのはその二年後、お嬢様が10歳になられて暫くの時でした。
「殿下は凄いお方だわ! ううん、すごい方というのはずっと知っていたけれど、それだけでなく、色々なことに通じていらっしゃるのよ!」
「ええ、ええ。お嬢様も四方八方隙が無いほど素晴らしいですよ」
「それだけじゃないのよ! 私よりも速い男の子なんて初めて見たわ!」
これこそ、後々、以後10年お嬢様を呪い、お嬢様を破滅させた恋慕の火の点火の時でした。何につけ優秀なお嬢様にとって同年代でご自身よりも優れたところのある殿方というのはそれだけで憧れ、特別な目で見るにたる存在であったようです。今でもこの時、何が何でも頬を2、3発引っぱたいてでも目を覚まさせて差し上げればよかったと、悔やんでも悔やみきれません。
お嬢様はあまりにも賢くありすぎたのでした。
「お母さまが王子殿下とお会いする機会を多く設けていたのも、陛下からの度重なるお手紙も、すべて、私を王家へ嫁がせるためよね! 今までは余り納得はできていなかったけど、今日からならはっきりと分かるわ!」
――ご自身の貴族としての役割をしっかりと全うされる程に。
ご自身に芽生えた恋心をお嬢様は急速に育てていかれました。そのことに何よりお喜びになったのは他でもなく奥様でした。この頃になると旦那様は時々奥様を強くお叱りになっておいででしたが、奥様はそんな事で止まられる方ではありませんでした。
「プリジエ。今日は殿下のお名前で夜会のお誘いが来ています。ポルジェ家の名に恥じないお返事を書くようになさい」
何時からか王家からの手紙以外もお嬢様にお届けすることが許されるようになっていましたが、王家からのものは奥様が直々にお嬢様へ届けられるようになりました。
もっとも、そのころにはお嬢様は殿下からのお手紙以外、気にも留めぬようになっていたのですが……
「もちろんですわお母さま。すぐにお返事さし上げますわ」
「あなたも今度からは学院で、殿下とはご学友の立場になりますからね。くれぐれも殿下のご勘気にお触りないようになさい」
学院こそ、お嬢様の人生を決定的に狂わし、破滅へと追い込んだ舞台でした。
国王の名のもとに建設されて早数百年。体面こそ国家繁栄の為の学府ですがその実態は王都に有力諸侯や勢いのある商家の子息を軟禁し、国王への人質とすることでした。王権が安定するにしたがって優秀な平民などの受け入れもするようになりましたが、やはりその実態は檻。そんな外界から離された特異な環境の中において、お嬢様は着実に殿下への恋慕を募らせていきました。
あの平民の女があらわれるまでは……
マリー=ルビ様。
薄い銀の髪を持ち、異国風だとか、神秘的だとか言われたその涼やかな顔も私に言わせればちょっと幸薄そうなだけで美しさはお嬢様の足元にも及びません。
美しさは勿論、書、言葉、ふるまい。その何もかもがお嬢様に遠く及ばず、マリー様の後ろ盾はというと、表向き平等を歌う学是と、その幸薄そうなお顔ばかりでした。
ばかりだったはずなのに、なにが起きたのか王子が惚れた。あのぼんくら王子が!
事あるごとにあの平民娘を庇い、助け、当てつけのように二人仲睦まじく過ごすようになったのです! そうなれば当然、お嬢様は面白くありませんでした。それからはお嬢様は日を追うごとにお加減を悪くされて行き、ある面では燃え上がるような力を感じさせるのに、比例するようにその目は暗く、光を失われていくのでした。
それは行動の面でも明らかでした。お嬢様はだんだんとそのふるまいは卑屈に、その言葉は陰湿に、その書は優雅さを失っていき、すべては殿下への愛と、マリー様への憎悪に向けられるようになってしまったのでした。
今でこそ私がすべきはお嬢様の目を覚ましてさし上げ、もっと誠実でお金持ちの殿方とのめぐりあわせをご準備して差し上げる事あとわかりましたが、あの頃の私は本当に愚かでした。
お嬢様の命に従い、陰に日向にお嬢様と殿下との仲を取り持ち、時にマリー様の妨害をしたりと、私自身がお嬢様の破滅へと加担してしまっていたのです。
そして、奥様の強権とお嬢様の狂気とが合わさり、ついに、学院で過ごされる最後の年、国王陛下からお嬢様とあのぼんくら王子の婚礼の、その勅許が下りたのでしたが……
事ここに至ったのが数週間前の事でした――
その日は、6年の学院での生活の総決算の日。即ち学位勲章授与式典。いわゆる卒業式の日でした。
学位勲章は一般の勲章とは違い年金が支給されることはありませんし、国家式典としての勲章授与式を行うものではありません。貴族としては持っていて当たり前であり、商家としては箔が付くといった程度。しかし平民にとっては途方もない恩恵をもたらすだけの、ただの学院の卒業証明であり、国王の人質の役割を終えたというその証にしかならないものです。
けれども勲章は勲章であり、授与は授与。その日ばかりは学院生だけでなく、その後見たるご親族の方がたが一堂に介されるのでした。
すなわち、王権の盤石を揺るがしかねない有力諸侯に、お貴族様以上の財力を持つ大商人。それに神殿から多数のお客様をもお招きする、それはそれは華々しい式典なのでした。
そして、そこであのぼんくら王子がやらかしたのでした。
「オリヴィエ=プリジェ・パルファム・ポルジェ・オード・ムスキー。ぼくは、お前を花嫁とは認めない……! お前との婚約を破棄する!」
それは全ての卒業生へ勲章が授与され、これから名残を惜しむパーティーが始まるという、その瞬間。その一瞬の静寂の間隙を縫って王子殿下は高らかに宣言されたのでした。
諸侯の、豪商の、この国のあらゆる有力者たちの前で――!
婚礼の勅許は下りていたとは言え、まだ表に出されてはいない情報。しかし、ある程度の力のあるものならば知っていて当たり前の情報。お嬢様も、ポルジェ家も、そして国王陛下もまた、公にするのはこの式典でとお考えであったはずです。
それを逆手に取られた……
「彼女に対する非道の数々、ぼくが知らぬと思っていたのか! 例えお前が家の力を使い、神殿を利用して父上を説得したとしても、ぼくはそんなものには屈さない! ぼくは……お前を、愛さない!」
殿下の澄み渡る正義に満ちた声はホールの端から端まで届きました。酒に浮かれる笑い声も、卒業を惜しむ声も聞こえない。誰もが殿下の次の言葉を待つほどに。
そんな人々の視線など構わず、ぼんくら王子は傍らに立つ銀髪幸うす娘の腰を取り寄せられました。思いのほか力強く抱かれたのか、勢いよく殿下の胸に収まったマリー様はその顔に驚きを浮かべて殿下の顔を仰ぎ見られていました。
びっくりしたいのは私たちなんですけどね。
「ぼくが真に愛しているのは、ただ一人、マリー。君だけだ」
そういうと我らがぼんくら王子殿下はマリー様へ力強い視線を送られました。
たちまちその幸薄そうな顔に朱が点じるマリー様。まさにこんな幸せ信じられませんと言わんばかりです。人の前で、何より、お嬢様の前で。
いつのまにかホールの人々は中央へ輪を作るように渦中の三人を取り巻かれていました。
殿下、マリー様。そしてお嬢様。
重たいほどの沈黙があった後、ついに口を開いたのはお嬢様でした。
「でんか……うそ、ですよね? 婚約の破棄など……」
「いや。僕は本気だ。オリヴィエ=プリジェ」
確固とした固い声を聴いたその瞬間、お嬢様の膝が崩れた。あまりのショックに床に倒れるのかと思い、思わず駆け出そうとしたその瞬間、お嬢様は髪飾りの一つを抜き取り、お二人に迫ろうと一歩を踏み出されていました。
「ならば……! わたくしが殿下の御目を覚まさして差し上げます! そしてっ――」
わたしを愛してください……
そう言おうとしたに違いないお嬢様のその一歩はしかし、衛兵に阻まれて最後まで紡ぐことはできませんでした。
「っ貴様! 殿下を害そうとしたか!」
「放せ! 無礼者! お前たちは国家を、殿下をお守りする筈……! なぜ私の邪魔をするのです!」
簪が抜かれ、解けた髪を振り乱したお嬢様は忽ち数人の衛兵に取り押さえられた。その正面で殿下がマリー嬢を庇うように立つその姿があまりにも悲しく……
お嬢様もその光景を目の当たりにされたのでしょう、男たちに捕まりながら藻掻いたその抵抗は次第に小さくなっていきました。
「っ連れていけ! ……殿下、マリーさん。ご無事ですか?」
お嬢様が連れてゆかれるのを傍目に、殿下の忠臣と名高い近衛騎士の一人がそのそばへ行きぼんくら王子たちの安否を確認したのを皮切りに、ホールは俄かに騒がしくなった。
そして、いつしか誰もみな、先ほどの騒動などなかった事にするように、ホールの輪は人で埋まっていった。――
お嬢様へ判決が下るのは早かった。
あれほどの衆人環視のそれも国家の有力者たちの元、王族を害そうとしたお嬢様に対し下ったのは死刑。
それに対し減刑するように求めたのは毎度同じように茶々を入れてくる神殿とそれに追従する一部の平民ばかりでした。
王族を害する、すなわち反逆罪に問われたものは一族郎党が死罪。そこへ助命嘆願など出そうものなら反意ありとみなされ、同じ罰を課せられるに決まっているということもあり、お嬢様に手を差し伸べる方はほとんどいらっしゃいませんでした。
そう、本来であれば……
「王子殿下からの嘆願も受理はされなかったそうです」
「そう、ですか……神官長様……」
「肩を落としてはなりません。王子殿下も続けてご嘆願くださるそうです。我らも併せて祈りを捧げましょう……プリジエ様は、決して喪われてはならないお方なのですから」
そう。ほかならぬ、王子殿下その人がお嬢様への減刑を願い出たのでした。
殿下としても、式典でお嬢様への婚約破棄を告げることが目的であり、決して死んでしまえだとかと狙ったわけではなかったらしい。そもそもそんな策謀のできる方ならばあの場で平民への愛など誓いはしなかったでしょうし。
そして、私はお嬢様へ判決の下ったその日から神殿とともに助命を願い出ている。
私だけが。
宮廷裁判での罪状を言い渡されるごく短い間に、お嬢様は余りに多くのものを失われました。その最たるものが、ご家族。ポルジェ候家との方々との、全てでした。
法廷に提出された一枚の書類は、奥様の名と、国王陛下の調印によって、お嬢様がその生家ポルジェ家から縁切りをされた事を証明する書面であり、その日付は2年前、お嬢様が殿下との婚姻を無理やりにも漕ぎつけたその日から、お嬢様は奥様から見捨てられていたのでした。
奥様は、ポルジェ家はその王の御名により、王への反逆者とは何の関わりもない事が保証され、死刑を免れていたのでした。
「こんなこと……許されません……!」
「ええ、このような事、許されてはいけません。必ず、私たちでプリジエ様をお救いしましょう」
私は神官長様の勘違いをあえて正さなかった。
しかし、私たちがどれほど声を上げても、なにも変わりませんでした。お嬢様は今こうして、民衆の前で辱めを受け、断頭台の枷にうなだれています。
私は、すべてが許せませんでした。鎮痛な顔を浮かべた殿下も、その横で同じ表情を浮かべるマリー様も。この場に現れないポルジェ家の方々も、この国も!
何より、ジャックのように駈け出せない、お嬢様を断頭台に送ったも同然な私自身が、許せない……!
ついに、裁判官による長い罪状の読み上げは終った。民衆の顔は興奮と憎悪で歪み、誰もが血の流れる瞬間を待ち望んでいる。
ジャックの叫ぶ声が鈍く聞こえ、神官たちの祈りの言葉も遠く聞こえる。時計塔が午後の鐘を打ち鳴らし、驚いた鳥たちが空に白く斑をまぶした時、断頭台の刃は不快に鋭い音を立て――
私の意識は暗転した。
逆行モノなのに2話まで逆行しないとはどういうことだ!




