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全て投げ捨てて愛している

作者: 夢

ちょうど秋になり黄色くなった銀杏並木の真ん中にあるカフェ「berry」。

その店は私の大学から自宅までの帰り道にあって、私菅野久美をいつでも迎えてくれるようだった。夕方になると優しい灯りが店内からあふれて、余計にそう思う。小さな白を基調としたおしゃれなカフェだ。だから今日も私は、落ち着いた色の木に金があしらわれたその扉を開けてしまう。


「いらっしゃいませ、菅野さん!」


そんな私に笑顔を見せてくれたのは、このカフェの店長さんである上田さんだ。男性らしい低い声が店内に響いた。

白いシャツの上に真っ黒なエプロンを着た上田さんは、カフェのちょうど入り口の近くのテーブルで接客をしていたようですぐに私に気が付いてくれた。

いつものようにくしゃっとした笑顔に、思わず私の胸がぎゅっと音を立てるようだった。この人は、私がひそかに片思いをしている人だ。


「いつもの窓際のテーブル、空いてますよ?あ!今日もカフェラテでいいですか?」


「ふふ、お願いします」


よく通うからだけれど、私の希望を知っている上田さんに私は自然と笑顔になった。


「かしこまりました」


そう言って上田さんは白くて丸いテーブルの席に座った私に、黒い短髪の頭を下げた。そして注文を伝えるために、私に背を向けて歩き出す。

その背中を見て、不意に上田さんとのこれまでを私は思い出した。

初めてここに来た時は雨が沢山降っていて上田さんが心配してくれたとか、大学のレポートを追い込みでカフェでやっていたら上田さんも他の店員さんも励ましてくれたとか、上田さんが独身と知った時は嬉しかったとか…。

気が付いたら私は上田さんに惹かれていて、いつの間にかここには店内が空いていて上田さんと話せる夕方によく来るようになっていた。


「でも…」


私はあえてそれだけぽつりと口に出してつぶやいた。もちろん誰にも聞かれていない。聞いているのは、テーブルぐらいだ。

そう、でもわかっている。上田さんにとって私は「お客」だ。それ以上の関係にはなれないだろう。ましてや上田さんはこのカフェの店長だ。お客さんから告白されたら、迷惑なだけに決まっている。


「どうしたんですか?難しい顔をして?」


気が付いたら上田さんが、カフェラテが乗った銀の丸いトレイを持ってすぐそばにいた。


「あ!」


驚いた私は変な声を出してしまって、次の瞬間恥ずかしくて仕方がなくなる。


「はい、いつものカフェラテ。ガムシロップたっぷりです」


そんな私には気にせず上田さんはそう言って、カフェラテが入ったグラスとガムシロップが入った小さなピッチャーをテーブルに置いた。私が甘党だと知っているから、ガムシロップは欠かさず一緒に持ってきてくれる。


「上田さん…」


私は深い意味もなく、上田さんの名前を呼んだ。


「はい?」


上田さんは不思議そうに私を見た。漆黒の瞳が輝いて見えるのは、恋の魔法だろうか?


「な、なんでもありません。いただきます」


私はそう言って、ごまかすようにカフェラテにガムシロップを入れた。でも恋は本当に不思議だと思う。見ているだけで幸せな気持ちになるのだ。こんな毎日が続けば、私はそれでよかったのだ。



「やっぱり、久美は上田さんが大好きなんだね」


翌日、大学の教室でさやかが頬杖を机につきながらそう言った。

さやかは大学入学してすぐ意気投合して、あっという間に呼び捨てで呼び合う親友になった。

ショートヘアが似合う彼女は、いつも私に的確なアドバイスをくれる。上田さんへの気持ちを実感してすぐに私がとった行動も、さやかに報告することだった。


「そりゃだって、優しいしかっこいいし…」


「でもそんなにかっこいいならモテそうだけど…」


「う…!」


さやかがもっともなことを言って、私は言葉に詰まってしまう。


「もう出会って半年だっけ?そろそろ彼女いるか聞いてもいいんじゃない?」


「でも上田さん、自分の話はあまりしないし…」


「じゃあ告白だ!」


「なんでそうなるのよ」


いきなりきっぱりと言ったさやかに私は笑った。


「久美の過去は知っているけれど、やっと久しぶりに好きになった人でしょ?他の女性にとられていいの?」


「それは…」


さやかの更に言う正しいことに、もう一度私は何と言ったらいいのかわからなくなった。

私は高校時代、とても好きな人がいて告白をしたのだ。しかし結果は「好きな人がいる」という答え。それから二年、大学受験もあり全く恋愛をしていない。

上田さんはそんな私に、もう一度恋心を教えてくれた。でもまた振られたら?と怖い。私が上田さんを見ているだけなのは、そういう理由もある。

そう考え事をしていたら、今日最初の授業が始まった。



数日後、その日は日曜日で雨だった。この日の出来事を私はずっと忘れないだろうと後から思う。

私は特にすることがなく家でカフェラテを飲んでいた。berryに通うようになってから、家でも作ってみるようにしている。まだコーヒーとミルクを混ぜるだけだけど。


「上田さん…」


ソファに座りながらカフェラテを飲んで自然と彼の名前が出た私は、どうしようもなく惚れているようだ。そんなことを考えながら、ザーと外から聞こえる雨音を聞いていた時だった。


~♪


不意に近くのテーブルに置いてあるスマホが鳴った。見てみるとさやかから電話だった。


「もしもし?」


『久美?大変だよ!』


電話越しにもさやかが慌てているのがわかり、私は嫌な予感がした。それだけで私の鼓動が早くなる。


「どうしたの?」


『今berryの前にいるんだけど、このお店来年三月で閉店だって…』


「え?」


私はそれ以上の声が出なかった。次の瞬間にはスマホだけを持って、上着を着て外に飛び出していた。



「あ、久美!」


雨は小降りになったけれど、傘を差しながら私はberryまで走った。息が切れてきた頃berryの看板が見えて、お店の前でさやかが待っていてくれた。


「これ…」


さやかが指さした方向には確かに「閉店のお知らせ」と書かれてあった。


「そんな…」


私の口からはそれしか出なかった。berryの閉店は私にとって幸せな日々の終わりと同じだった。しばらく呆然と傘をさしたまま、さやかと無言でその張り紙を見ていた。


「ありがとうございました!あれ?二人とも…」


その時ドアを開けたお客さんを見送ろうとした上田さんが、私達に気が付いたようだった。


「上田さん…」


「あの、ここ閉店って本当ですか?」


うまく聞けない私を察してくれたのか、さやかが代わりに聞いてくれた。それを聞いて上田さんは困ったような顔になった。眉間にしわが寄っている。


「ああ…そうなんだ」


「上田さんはどうなるんですか?」


そう聞いた自分の声は不安の色でいっぱいだったけれど、ごまかすことはできなかった。


「私はT県でまた店長をしますよ」


「そんな遠くに行っちゃうんですか?」


右隣にいたさやかも驚いた。T県はここから新幹線じゃないと行けない距離だった。


「あ…」


上田さんが短く声を出したけれど、私はそんな上田さんに背を向けるしかなかった。これ以上悲しんだら、気持ちがばれてしまいそうで怖かったのだ。


「またお待ちしております」


背中から上田さんの変わらない優しい声が聞こえて、さやかが会釈をした。でもあまりにも突然すぎてショックで、結局そのまま私とさやかはberryを離れた。


「…やっぱり告白してみなよ?」


berryから少し離れた交差点で信号待ちをしている時、沈黙を破ったのはさやかだった。


「でも…」


雨で湿ったアスファルトを見ながら、私はそれしか言えなかった。

自分の気持ちがぐちゃぐちゃになってわからなかった。こんなに好きになった上田さんに想いを伝えたい気持ちと、それが怖い気持ちと同じぐらいあって、ぐるぐると心の中で渦をまいているようだった。



そんな気持ちを抱えたまま、季節はあっという間に過ぎていった。

黄色一色だったberryの前の銀杏並木はあっという間に葉っぱが落ちて、かわりにイルミネーションが飾られた。その風景を見て、何度も考えた私は冬の終わりには気持ちを決めていた。

大好きな上田さんに迷惑はかけたくない。告げられない恋もあるのだ。

そして三月、berryの閉店の日がやって来た。その日はさやかと一緒にberryに行った。


「こんにちは」


「いらっしゃい。お待ちしておりました」


いつも通りにしたかったのに私も上田さんも、ちょっと声や態度がぎこちない。これが私達にとって最後の挨拶になるだろう。


「えっと…」


後ろにいたさやかが戸惑った声を出した。「それでいいの?」と言っているような声だった。


「どうぞ」


そんなさやかには気にせず上田さんはいつもの窓際の席に私達を案内してくれた。店内は最後の日だからかいつもより混んでいるのに、そこだけが空いていた。


「ここは菅野さんの特別席ですよ」


そう言って上田さんが「予約席」と書かれた札を手に取った。


「上田さん…」


予約なんかしていないのに、上田さんは席をとっていてくれた。それがたまらなく嬉しくて、泣きそうになるのを必死にこらえて席に着いた。


「私には両想いに見えるのにな…」


厨房にいる店員さんに「カフェラテ二つ」と伝えに行った上田さんの背中を見ながらさやかが言った。さやかには何度も私の気持ちを話していて、納得したようだったがやっぱりもったいないと顔に書いているようだ。


「まさか。上田さんのサービスだよ」


でも私は首を横に振った。

しばらくすると上田さんがトレイを持ってやって来た。


「お待たせしました」


カシャ!


上田さんが私達の席の横に着くと、さやかが持っていたスマホからシャッター音がした。


「え?」


「記念だよ」


ニヤッと笑ったさやかはきっと、ここに来る前からそれを計画していたのだろう。満足そうな顔を見て私はそう思った。


「えっと…」


「どうせならちゃんと撮ってくださいよ?」


突然の親友の行動に私が戸惑っていると、上田さんは驚いたことにそう言って私の隣に立った。


「え?!」


「お!いいね!じゃあもう一枚」


すぐ近くに上田さんがいて、もう私の心臓は壊れそうだったがさやかは嬉しそうにもう一度スマホのシャッターを押した。


「ありがとうございます」


「いいえ、私も嬉しいですよ」


そう言って上田さんはカフェラテを置いてお店の奥に戻っていった。


「もう幸せそうだなー」


さやかは本当に嬉しそうに、今撮った写真を見せてきた。確かに写真の私は幸せそうに笑っていた。


「さやか、ありがとう。あとで送ってね?ん?」


そう言ってから私はカフェラテを飲もうとして、あることに気が付いた。


「どうしたの?」


「このコースター、何か書いてある…」


いつもと同じ使い捨ての真っ白な紙のコースターに、何か文字のようなものが書かれているのに私は気が付いた。


『菅野さんへ

今夜、閉店時間にまたこちらに来ていただけますか?

上田』


コースターにはそう書かれていた。上田さんの書いた字は見たことがなかったが、彼だとわかるくらいその字は大人っぽく綺麗だった。


「え?これって…」


「絶対愛の告白だよ!」


興奮したさやかの声は少し大きくなって、周りの席にいた人が何人かこちらを見るぐらいだった。私は慌てて上田さんがいる方を見たが、姿が見えずおそらくさやかの声は聞こえなかったようで安心した。


「そういう、ことなのかな…?」


「え?だってほかに何かある?」


「…ないかもしれない」


さやかのもっともな指摘に、私の頬が熱を帯びていくようだった。

それからしばらく店内にいても、他の店員さんに感謝を伝えられてお店を出ても私はどこか上の空だった。ちなみにコースターは大切にバッグにしまった。お店を出る時は忙しかったのか上田さんの顔は見えなかったけれど…どんな気持ちであのメッセージを書いたのだろう。


「幸せな報告、待っているね?」


そう言ってさやかは手を振って、私とは反対方向の自分の家に歩き始めた。



ひとまず私は自宅に帰った。berryの閉店時間は夜八時。それまで私は夕食を食べても、明日の準備をしてもソワソワと落ち着きがなかった。そしてberryに再び着いたのは、ちょうど閉店時間ぴったりだった。


「お待ちしておりました、菅野さん」


お店の扉を私が開けようとしたら、上田さんが待っていたのか開けてくれた。いつもの笑顔はなく真剣な表情だった。店内に上田さん以外の店員さんはいなくて、いつも流れているBGMも止まって怖いくらいに静かだった。


「えっと…」


「こちらに」


上田さんが歩いて行ったのはいつもの席。そこにはいつものカフェラテとチョコレートケーキが置いてあった。


「よかったら召し上がってください。私の感謝の気持ちです」


そう言って上田さんは向かいの席に座った。客席に上田さんが座ったのを私は初めて見た。


「あ、ありがとうございます」


このために?と思いながら私は上着を脱いで席に座った。


「…菅野さん」


「はい?」


とりあえずガムシロップをカフェラテにいれながら私は上田さんの次の言葉を待った。


「好きですよ」


「え?」


ガムシロップがなくなったピッチャーを置く私の手が震えた。一瞬、聞き間違いかと思った。


「今、なんて…」


「何度でも言います、菅野さん。あなたが好きなんです」


「上田さん…」


やっと笑った上田さんの顔がゆがんで見えた。私が嬉しくて泣いているのだとわかるのに数秒かかった。


「あ…」


慌てて私は涙をこすった。そして自分の気持ちも言わないとと思った。今なら言える。


「私も上田さんが好きです、でも言ったら迷惑だと思って…」


「迷惑なんかじゃないですよ」


上田さんの座っている椅子が動いた音がした数秒後、涙をぬぐうのに必死だった私は上田さんに抱きしめられていた。


「上田さん…!」


本当にそれが嬉しくて、あとからあとから私の涙は流れた。私はそれをぬぐうのはやめて上田さんの背中に自分の手を回した。ずっと夢に見ていた上田さんの抱擁は、温かくて幸せな気持ちで私をいっぱいにしてくれた。


「berryにいたら菅野さんとはずっとお客です。でも私はそれは嫌なんです。だから私はT県には行きません」


「え?」


驚いて私はすぐ近くにある綺麗な上田さんの顔を見た。


「どうして?」


「berryは辞めます」


「でもそうしたら…」


上田さんは私の次の質問がわかったように、穏やかな顔でうなずいた。


「仕事を…全てを失っても貴方を想っているんです」


「上田さん…」


そこまでしてくれた上田さんが嬉しくて愛しくて、涙でぐちゃぐちゃになりながら私は笑った。


「久美さん」


そんな私に上田さんは初めて名前で呼んでくれて…次の瞬間には上田さんとキスをしていた。いつもの店内で、上田さんをこんなに近くに感じられて…きっと私は今人生の中で一番幸せだ。


「今度は自分のお店を出しますよ。そうしたらまた来てもらえますか?私の恋人として」


「はい!」


もう一度抱き合った私は、少し先の未来を想像した。

上田さんが開いたお店で飲むカフェラテはberryと同じでも、きっと満たされた両想いの味がするだろう。

そんな時間をこれからも上田さんと過ごせたら…それは私が無意識に描いていた理想かもしれない。


「ありがとう」


こんなにも想っていてくれていた上田さんの顔を見て、私は自然と笑顔になった。

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[良い点] 恋愛してる時の言葉に出来ない感情が伝わる良い作品でした。 [気になる点] 私としてはもう少し字数増やしてイチャイチャして欲しいです。あと上田さんの予約席以外のジャブをもっと読みたい。 [一…
[良い点] ふんわりと優しい気持ちになる、素敵な作品でした。 友達さやかも、とても良い友達だし、特に「聞いているのはテーブルぐらいだ」という表現が、とても美しい表現だなと思いました。
[良い点] 恋が実ってよかっです。そこに至るまでの経緯がしっかりと書かれていて、ご都合主義的だったりしないところご素晴らしかったです。 特等席が作られるまで通うのは、理由あってのこと。それが恋に繋が…
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