物凄く強そうな人と遭遇し不安を感じる俺。
ん。
背中が痛い。
俺のベッドこんなに堅かった?と目を開ける。
視界に入ってきたのは草。
草!?
と驚いて上半身を起こすとやっぱり草、っていうか草原が広がっている。
地面に寝転がっていたら背中痛いよな、と背中や尻に付いている土を払いながら立ち上がる。
太陽の位置からして今は、何時だろう。
分からん。
とりあえず、この世界、月も太陽も一つだけみたいだ。
今俺が見ているもの、そして昨夜俺が見ていたものが太陽でも月でもない可能性もあるけれど、
とりあえずそう仮定しよう。分からないことが多すぎて不安になるのは良くない。
昨日は暗いから、という理由でこの場に留まったが今はもう明るい。
俺の視界には危険な生物は見当たらない。とりあえず歩いた瞬間何かに殺される、という事態に
陥ることはなさそうだ。
ということで俺はよく分からないまま歩き出した。
あ、朝のトイレは草原でさせてもらった。周りに人いないし。小のほうだけ。
さて、今の俺が欲しい物は二つ。
靴とティッシュだ。
まず靴。これは単純に足が痛い。草原だからまだなんとか平気ではあるけどこれが舗装されて
おらず、石が転がっているような道に変われば確実に怪我する。草原歩いているだけでも結構
痛い。
次にティッシュ。これも単純で大の方のトイレをしたくなった時に困る。
いや、まぁ最悪草を使うという手があるが、それは本当に最悪な場合だ。
俺は今まで幸いなことにケツはティッシュでしか拭いたことない。できればこれからもそうで
あって欲しい。ウォシュレット付きのトイレであればなおの事ありがたいがさすがにそれは今の
俺の状況からすると求めすぎだろう。
そう思いながらも手近な草をむしり取りポケットに突っ込んだ俺は最悪の場合もちゃんと想定
している。
どのくらい歩いたか。
時間が分かるような物は身に着けていないため分からない。
そう、今の俺が身に着けているのはパジャマだけだ。
腕時計はおろか、スマホもない。だって寝る前のトイレに行ってただけだもんな。
それに俺のスマホは長いこと機種変更をしておらずすぐに充電が必要になるから身に着けて
いたとしてもそう役には立たなかったことだろう。
歩いていると腹が空いてきた。起きてから食事はおろか、何も飲んでいない。
喉がカラカラだ。
水が欲しい。あとティッシュ。
結構腹が限界になってきている。
俺、お通じは良い方なんだ。
やっべ、本当に腹が痛くなってきた。ちょっと、休憩っていうか、お花摘みというか、一旦座ろう、
と思った時だった。
獣の鳴き声が聞こえた。
獣、っていうか馬かな。ひひぃんといった具合に聞こえた。
そして何かが近づいてくる気配。
え、なに、これ、もしかしてやばい?
どうする?
俺はとりあえず地面に匍匐前進態勢になる。
しかし気配はこちらに近づいてくる。
どうしよう、え、まじでこれどうしたらいいの?俺、終わった?
それまで目を閉じていたが近づいてくる足音が止まったので顔をあげる。
するとそこには馬が居た。2頭。2頭の馬は荷車を引いている。
何となくだが高貴な方が乗っていそうな気配がする。なぜそう思ったかというと荷車を引いていた
2頭の馬にはそれぞれ人が乗っていたんだけど、片方の人がものすごく頑丈そうな鎧と巨大な剣を
背負っている。そして何か得体のしれないものを見るような、物凄く怖い目つきで俺のことを睨み
ながら馬から降りた。
たぶんこれ、護衛的なポジションの人だよな。
喧嘩したことなど一度もないけど断言できる。俺が出会ってきた人たちの中で今目の前にいる男
が一番強い。あんたが大将。
怖い。え、なに、これ、なんか職場に居る時とは違う恐怖を感じる。直接生命に影響がある感じの。
男が背負っていた剣の柄を握り一気に抜き放つ。
それだけで風が起きた。
これ、斬られるパターンのやつ?
でも俺、歩いてて、身の危険を感じてうつ伏せになっていただけなんだけど。
「貴様、そこで何をしている」
男が剣を構えながら聞く。もっともな質問来た。けど俺も分からん。
「答えろ」
答えたいんだけど俺も分からないんだよな。
「あの……」
「貴様からは魔力を感じない。何者だ?」
魔力?俺のいた地球には俺が知る限りそういうものは存在しなかった、からな。たぶん。
「得体の知れない奴め。どうしたものか。ツバキ、どう思う?」
男が背後の御者に視線を送る。それは一瞬ですぐにその険しい視線を向け直した。
「放っておくのは危険かと」
「同意見だ。なればここで斬るか……」
え、斬るって、そんな剣で斬られたら俺絶対死ぬ。確実に死ぬ。
ちょっと待って。
「あ、あの」
俺はとりあえず体を起こす。
「動くな!」
男が吼える。ちょっと、なにこれ、怖い。この人俺の上司より怖い。
俺の「ひぃ」という小さな悲鳴が聞こえていないことを祈る。
「もう一度聞く。貴様、そこで何をしていた。答えによってはここで斬る」
「他国からのスパイの可能性もある。口が利けるようにはしておいて」
ツバキと呼ばれた者が告げる。声音からして女性か。
「俺は、昨日、いや、今日突然気が付いたらここに居たんです。あの何を言っているのか
分からないでしょうが」
「ああ、分からん」
男が一歩ずつ近づいてくる。
そうだよな、そら、分からんよな。俺も分からねぇんだもん。ただ、俺の身に危険が迫っていることは
確か。どうしたらいい。逃げるか。いや、たぶん逃げたら背中から斬られる。
かと言ってこのまま動かずにいれば一歩ずつ近づいてくる男の剣で斬られるのは間違いない。
「話を聞いてください。俺は危険な存在ではありません」
俺は両手を上げる。何も武器は持っていませんよ、と示すように。
「手に武器は持っていなくとも、何かしらの攻撃手段を用意している可能性はある」
男が目の前に来た。
デカい。2m以上あるのではないか。
俺は165cm。少し分けてほしいくらいだ。
「口が利ける程度にしてよね」
ツバキが念を押すように後ろから声を掛ける。
「分かっている」
男が剣を上段に構え、今にも振り下ろそうとしている。
俺は恐怖で足が震えている。剣は怖くて見れない。かといって地面を見ていたらいつ来るか分からぬ
斬られるという恐怖に怯えることになる。ということで俺は男の目を見ていた。
その目は、かつて俺が職場で向けられていた目だった。相手を見下したような。
また、その目で見られるのか。
怖い。
不安で何も考えられなくなる。
けれど男の目から目を離せない。
「話は後でじっくりと聞かせてもらうが、危険度は下げておきたいのでな、両腕はもう無いものと
思え」
そう言って男が剣を振り下ろそうとした。
俺は目を瞑りたかったが、男の目をただひたすらに見ていた。
あの目。俺を苦しめたあの目。もう見たくないと思っていたその目が今目の前に。
駄目だ、何も考えられないー
その時だった。男の動きが急に止まった。
目を見開いたまま。
「うっ」
短い呻きが聞こえた直後、男が握っていた剣が鈍い音を立てて地面に落ちた。俺の目の前に。
何が起きた?
「ルド?」
馬に乗ったままだったツバキという御者が馬から素早く降りてルドと呼んだ男に駆け寄る。
男は目を見開いたままだ。その目は俺を見つめてはいるが焦点は合っていないように感じた。
「ルド!?ちょっと」
男の背中をツバキが叩くとはっとしたように男が数度瞬きをする。
「どうしたの?」
ルドを覗き込むツバキ。
男は自身の両手、先ほどまで剣を握っていた大きな両手を握っては開く、という動作を繰り返す。
「分からん」
男がツバキに視線を送る。
「は?」
ツバキは訳が分からない、と言う風に首をひねる。
だが男は続ける。
「分からん。何が起きたのか、分からなかった」
「急に動きが止まったかと思ったら剣を地面に落としたのよ」
「動きが止まった?」
男は俺を見る。
「俺に、何をした?」
男が油断なく剣を地面から拾い上げる。だが先ほどと違い距離を取るように後ろに後退する。
「ツバキ、魔法反応は?」
「ないわ」
ツバキもようやく何かを感じたようで戦闘態勢に入るように腰から短剣を一本抜く。
「次は私がやるわ」
そう言うや否や、ツバキが疾走を開始。
一瞬で俺の眼前へと迫る。短剣の刃の部分が緑色のオーラを纏っている。もしやそれが先ほど
から単語として出ている『魔法』というやつか。斬られたらめちゃくちゃ痛そうだ。
女と目が合った。
鋭い眼光。怖い。綺麗な顔だけど、この人から殺気しか感じない。死ぬ……。くそ。
しかし刃が俺を切り裂くことはなかった。
なぜならばツバキは俺に斬りかかる直前で動きを停止していたからだ。
「ツバキ!?」
男が呼ぶもツバキは止まったまま、そして短剣が地面に落ちる。さらに前傾姿勢のままで止まって
いたことからバランスを崩し、横向きで地面へ転がった。
地面に転んだ直後、彼女は意識を取り戻したように素早く体を起こすとバック宙の要領で後ろに飛んで
俺から距離を取る。
ツバキも、そしてルドも俺に驚愕の眼差しを向けている。
たぶん同じことを考えていると思う。
何が起きたのか、と。
俺も知りたいので誰か分かる人が居たら教えてほしい。