7
カッ――と小気味の良い音が、路地の中で響く。
セシルが道端に落ちた石ころを、思いっきり蹴り飛ばしたのだ。
石は路地を転げていくと、近くの建物の壁に当たって止まった。
「何なのよ、あいつ!」
思わず口に出して悪態を吐いてしまう。
カイと名乗った黒髪の男性は、防具の寄せ集めから別の防具を作る『解体屋』だったのだ。
百歩譲って言い方を改めても、防具の修理屋というのが適切なところだろう。
元々専門の鎧師でないことは判っていた。
ただ、鍛冶師あたりではないかと予想していたのだ。
だが、散々期待を膨らませたセシルに提示されたのは、何か元になる鎧を入手して、それを解体して新しいものに作り替えるという話だった。
寄せ集めの材料で作った鎧を、叙任式に着ていけばどうなるだろうか?
確かにあの場で見た小型の白い籠手は、見事な出来映えだったとは思う。
ただ、それもどこからどこまでを、彼が手掛けて作ったのかは分からない。
ひょっとしたら元から美しかった部品を、貼り合わせて仕上げただけかもしれないのだ。
セシルはそう考えた瞬間、ここで鎧を作る相談をするのが、意義のある時間だと思えなくなってしまった。
自分からお願いに来ておいて拒絶するようではあるが、セシルはできるだけ穏便な言葉を選んで、カイの店から離れようとした。
だが、その去り際にカイが放った一言が、彼女の感情を逆撫でしたのだ。
『あんたも結局、見た目で選ぶんだな』――。
それは彼女にとって、一番言われたくない言葉だった。
セシルは自分の装備を外観を優先して選ぶ嗜好を持っていない。
もちろん不格好なのは願い下げだが、華美なものよりも実用的なものを選ぶ。
なのに、見た目が重要な叙任式用の鎧であることを、カイに意識させてから拒絶してしまったことで、彼はセシルが断った理由を完全に誤解してしまっていた。
無論、カイに鎧の製作を依頼しない以上、今後彼とは会うことはないのかもしれない。
だとすれば今日起こってしまったことは、たまたま出会った男性が、ちょっと自分のことを誤解してしまったというだけのことである。
ところが、セシルは自分が想像していた以上に、強く落胆を抱く自分の心に気がついた。
恐らく彼に対する好感や期待感が、必要以上に高まっていた反動なのだろう。
――いいや、違う。
『元になる鎧や盾はあるか』――?
無言で歩いていると、カイが放った質問が再び頭の中を駆け巡った。
――そうだ。
彼女が必要以上に不機嫌になってしまったのは、言われたくない言葉を浴びせかけられたからだけではない。
セシルが心のざわつきを押さえられなくなったのは、その質問を受けて真っ先に思い浮かんだのが、あの父親の古ぼけた金属鎧だったからだ。
確かにあれは、古くさい上に寸法も合わない代物だった。
だが、今となってはかけがえのない、父の忘れ形見なのである。
何か利用できるものを――と問われた時、セシルは真っ先にあの鎧を思い浮かべてしまった自分を、心から恥じた。
いくら意見の合わなかった父親だったとはいえ、あまりにも薄情すぎる自分自身に、一番落胆を抱いていたのだ。
午後ずっと不機嫌だったセシルが自宅に戻ると、メイド長のリーヤが、珍しく彼女の帰りを屋敷の前で待ち構えていた。
「お帰りなさいませ、セシリア様」
「ただいま、リーヤ。
――どうかしたの?」
珍しく女性としての名前を呼ばれたセシルは、何事があったのかとリーヤに尋ねる。
するとリーヤは片目を閉じながら咳払いして、至極真面目な調子で事の次第を伝えた。
「いえね、実は殿方から言づてを預かっておりまして」
「と、殿方――!?」
聞き慣れない言葉を聞いたせいか、不機嫌だった気分がどこかに吹き飛んでしまう。
「いらっしゃったのは使いの方でしたが、何やら仰るには、お嬢様のお力になれるのでは、と」
その言葉を聞いて、セシルの頭の中では様々な考えがぐるぐると回った。
お力になれるというのは、金属鎧絡みのことだろうか?
ひょっとしてセシルが困っているのを、どこぞの貴族の御曹司が知って、見るに見かねて手を差し伸べてくれるという話かもしれない。
いいや、ひょっとしたら今日会ったカイが、「俺が悪かった。ぜひ君の鎧を作らせて欲しい」などと、慌てて申し入れに来たのだろうか?
「そ、それで――誰からの言づてだったの?」
セシルは待ちきれないと言った様子で、どもりながらもその人物の正体を尋ねる。
「ミラン騎士長さま、と仰っていましたよ。
騎士長さまからお声が掛かるなんて、とても光栄なことですよね、セシリア様!」
「――――。
――ミラン」
その名前を聞いて、セシルはリーヤの前で、へなへなとくずおれた。
◇ ◆ ◇
「――はぁぁ」
朝の美しい中庭に相応しくない、陰気な声が漏れ聞こえた。
押さえようとしても、どうにも溜息が出てしまうのを止められないのだ。
今日は朝目覚めた時から、ずっとそんな調子だった。
昨日、リーヤからミランの名前を聞いて以来、セシルは自室で塞ぎ込んでしまった。
眠れない夜を過ごしたことで、目の下にはくっきりと青黒い隈ができてしまっている。
ただ思い悩んだとしても、上官にあたるミランの呼び掛けを無視してしまう訳にはいかなかった。
セシルはミランの部屋の前で立ち止まると、いつかと同じように一度深呼吸をした。
そうして息を止めたまま、扉をコンコンと静かに叩く。
すると間髪入れずに部屋の中から応答があった。
「入りたまえ」
覚悟を決めてセシルが部屋に入ると、妙に睨め付けるような視線のミランが真正面に立っている。
彼は顔に薄ら笑いを浮かべていて、普段の数倍にも増して、不気味な様相に見えた。
「昨日、使いの方経由で、お声掛けいただいたと聞きました」
セシルが素直にそう切り出すと、ミランはさも楽しそうに笑いながら言った。
「アハハ。そうだ、声を掛けた。
――よく来たね、セシリア」
その名で呼び掛けられた瞬間、セシルは得も言われぬ、悪寒のようなものを感じてしまった。
「聞いたよ。
騎士叙任の準備があまり上手くいってないんだって?」
ミランはそう言い放つと、備え付けのソファに腰を下ろしてニヤニヤとセシルを見上げた。
――聞いたというのは、誰から何を聞いたのだろう?
彼女の準備の状況を知るのは、アルバート騎士団長かヨシュアぐらいのものである。
だが、ヨシュアがミランにそれを話すとは思えないし、厳格なアルバート騎士団長はもっと可能性が薄い。
そう考えた瞬間、セシルの中に一つの可能性が立ち上がった。
確かに金属鎧の準備が上手くいかず、セシルが困っていたのは事実である。
だが、それにしてもミランが声を掛けてきたタイミングは、あまりにも良いタイミングではないか?
いいや、タイミングが良すぎてむしろ、声を掛けられた意味を邪推してしまう。
「問題はありません。準備は順調に調っています」
無駄とは思いながらも、セシルはそう抗弁してみせた。
「おや、そうかい?
でも、キミは、昨日も宮殿を抜け出して鎧師を探しに行っていただろう」
何故、そんなことを知っているのだろうか!?
セシルは唇から出掛かった言葉を、必死に口の中で留めた。
――いいや、そうではない。
仮にセシルの直感が正しいとするならば、今までのことは全てミランの差し金に違いないのだ。
つまり、彼が事前にこの街の鎧師たちに手を回して、セシルの鎧を作らせないように手を回していた可能性が高い――。
それに加えて、ミランは人を使って、セシルの動向をずっと監視していたのだろう。
だから彼はセシルの細かい行動を、いちいち見ていたように把握しているのだ。
「――監視していたのですか」
セシルは俯きがちに、そう小さく呟いた。
心の中だけに留め置こうと思っていたのだが、堪えきれずに声となって、零れ出てしまったのだ。
「ハァ? 監視? 人聞きの悪い!
騎士見習いの動向を、騎士長が把握しているのは当然だろう!
それとも何か? キミは私には言えない、何か悪いことでもしようとしていたのか!?」
「いいえ、そんなことはありません」
過剰に反応するミランを見て、セシルは苦々しげにそう呟いた。
恐らくここで、何を抗弁しても無駄だろう。
ミランがセシルを呼びつけた以上、何か明確な意図があるはずだ。
セシルはそれをまず、確かめるのが先決だと考えた。
「それで、騎士叙任の準備は順調に行きそうなのか、問題があるのかどちらなんだい?」
「――金属鎧の――準備の目処が、立っていません」
弱みを見せたくない相手なのだが、悔しさを紛れさせながら、セシルは絞り出すように呟いた。
するとミランが立ち上がって、まるで楽しい事実を聞いたようにケタケタと笑い始める。
「アハハ、そうか。いや、そうじゃないかと思ってたんだ!
今日はその件で、私がセシリアの力になれるんじゃないかと思ってね」
ミランは意識してその名を呼んでいるのだと思うが、女性としての名前を呼ばれるだけでも、生理的な嫌悪感が拭いきれそうにない。
「ありがとうございます」
抵抗が無駄であることを理解するセシルは、心にない言葉を何とか吐き出した。
「実はキミのために素晴らしい金属鎧を作れる職人を、私は用意することができる」
一瞬、声を上げて反応しそうになったが、この後にどんな罠が待っているのかわからない。
即座に飛びつきたくなるのを抑えながら、セシルはミランの続く話を待った。
「それに、春の叙任式には、新たに叙任された騎士同士が戦う模擬試合が行われることはキミも知っているだろう?
毎度数組の試合しか行われないが、今回キミはその出場者に選ばれる」
「――!!」
セシルは思わず目を剥く。
確かに叙任式では毎年、新たに騎士になった者たちが対戦する模擬試合と呼ばれる模擬戦が催されている。
だが、観戦する王族たちの時間の都合もあって、毎回披露されるのはほんの二、三組の試合だけだった。
故に出場するのは、基本的に三大貴族家のような身分の高い貴族家の者だけであって、それだけにセシルは今までその存在を殆ど意識していなかったのだ。
「アルバート騎士団長にも訊いてみるといい。
キミは模擬試合の出場者に選ばれる」
騎士団長の名前を出してきたということは、ミランは何か出場者に関する確実な情報を掴んでいるに違いない。
とはいえ、疑いを投げ掛ける台詞が、喉元から出そうになった。
だが、セシルはそれをグッと飲み込んで、この場では自重することに成功した。
訊いてしまえば、きっとミランの思う壺だ。
これ以上はミランと対話せず、アルバートやエリオットに尋ねた方が良い。
ただ、模擬試合は金属鎧を纏い、剣と剣で闘う御前試合のはずだった。
セシルはもちろん剣を扱ったことはあるが、槍の方を得意としていて、正直剣の扱いには自信がない。
本当に自分が模擬試合に出るというのなら、剣を使った戦いも誰かに学ばなければならないだろう。
「金属鎧の件だが、必要なのであれば、私は今からキミに合った最適なものを作らせることができる。
それにキミが希望するのなら、模擬試合に必要な剣を学ぶこともできるし、何ならそれらの費用も気にしなくていい」
「費用も――?」
心底、胡散臭い話だと思った。こういう話には絶対に裏がある。
そう思った直後、ミランはその予想に違わない言葉をセシルに投げ掛けた。
「ただ、一つだけ条件がある」
そう言いながらミランは、セシルの全身を撫で回すように見つめる。
別に触れられた訳でもないのだが、何となく全身に、蛇が這い回るような悪寒を覚えた。
「当然ながら私の鎧師は、我がギャレット家と専属契約を交わしている。
それは、剣を教える剣術師範とてそうだ。
だから彼らはアロイスの家名を持つキミに、剣を教える訳にも鎧を作るわけもいかない。
――わかるだろう? キミはひょっとしたら考えもしなかったかもしれないが、そういう選択肢もあるということだよ。
つまり、この機にキミがギャレット家の養女になるというのであれば、キミの悩み事は一気に解決する」
セシルはミランの話を聞き遂げて、一瞬、目の前が暗くなるような錯覚を覚えた。
――こんな馬鹿げた求愛があるのかと思った。
一方でセシルは、ミランが自分のことを、これっぽっちも諦めていないという事実に唯々戦慄した。
結果的に酷い振り方をしたことで、ミランは自分を恨み、嫌っていると勝手に思い込んでいたのだ。
いいや、恨まれているのは事実だろうし、嫌われているのも事実かもしれない。
だが、彼はそれでもなお、セシルを自分のものにしたいと思っている。
それがいくら屈折して不純な、昏い情念であったとしても。