5
冒険者が集う酒場と聞くと、それこそあまり清潔なイメージはない。
しかし実際に目にすると、ちゃんと掃除が行き届き、古いながらも何とか小綺麗な印象がある。
木造の建物には所々に補修されたような跡があるが、かといって寂れたような雰囲気は感じられなかった。
「お腹の減り具合はどうだい?」
酒場の主人が戻ってきて、セシルに人懐っこそうな笑顔を見せながら声を掛けた。
髭があるからだろうか? 主人は四十代ぐらいの年齢に見える。
だが、上背があり体格もよく、決して弛んだ体つきはしていない。
元冒険者か何かに違いない――何となく、そんなような印象を抱く。
「朝から何も食べてないから――」
彼女が正直にそう言うと、主人はガハハと満足そうに奥歯まで見せて笑った。
「そうか、そうか。
それなら本日のおすすめメニューがある」
酒場の主人はそう言うと、親指を立てて任せておけという仕草をした。
そして彼はそのままカウンター奥へと下がって、調理場らしき場所で食材を次々に並べていく。
主人自ら調理するのだろうか?
セシルは興味深くその手際を見つめた。
途端にザクッ、ザクッと野菜を切る音がし始めた。
その小気味よい音を聞くと、それだけで口の中に唾液が溢れてくるような感覚がある。
主人は続いてあらかじめ蒸かしてあった芋を取り出すと、皮を綺麗に剥いて、一口大に切り揃えた。
セシルが我慢できなくなったのはその後に、主人が豚肉の塊を取り出したからだ。
肉が傷まないように軽く炙ってあるようだが、空腹過ぎる身には目に毒以外の何者でもない。
セシルが自宅や宮殿で食事をとる時は、ここまで詳細に調理過程を見ることはなかった。
その興味も相まって、もはや彼女の視線は、完成に向かう料理から離れなくなっている。
さすがにそれに気づいたのか、酒場の主人がふとセシルの方を振り返った。
あまりに物欲しそうな表情に見えたのか、酒場の主人は彼女の顔を見て苦笑する。
セシルは恥ずかしくなって赤面すると、何とか自身の視線を宙に泳がせた。
そして、赤くなった頬を隠すように肘を突いて待っていると、じゅうじゅうと肉が焼ける音と共に、何とも食欲をそそる香りが漂い始めた。
さっき、店の外に流れ出していた香りはこれだ――そう思い当たりながらも、何とか意識しないように、別の方向へと視線を向ける。
セシルはこれまで自分の食い意地を意識したことはなかった。
だが、いつまでもこの危険な匂いを嗅ぎ続けていると、どうにも我慢ができなくなってしまいそうだ。
彼女ができるだけ料理に視線を向けないようにしていると、酒場の主人がセシルの前に来て、フォークとナイフを配膳してくれた。
「随分と我慢させちまったかな。でも、味には自信があるんだ。
――さあ、どうぞ」
あさっての方向を見ていた彼女の前に、肉と香辛料の香りを放つ皿が運ばれてくる。
セシルが頑張って宙に浮かせていた視線は、その強烈な香気に簡単に絡め取られてしまった。
見ればこんがりと焼かれた豚肉の塊の上に、カットして炒められたブロッコリーとジャガイモが乗っている。
至極シンプルな料理には見えたが、漂う香辛料とガーリックの匂いが空腹には堪らない。
食欲をそそるそれらの香りに、彼女の胃袋は活発に活動を始めた。
セシルはフォークとナイフを手に取ると、肉を切り分け、早速それを口元へと運ぶ。
そして肉を口に含んだ瞬間、溢れる肉汁に合わせて、香辛料の香りがツンと鼻腔を抜けていった。
「――!!」
セシルはその鮮烈な刺激に、一瞬全ての動きを止める。
そして次の瞬間、酒場の主人も驚くような速度で、目の前の料理を平らげ始めるのだった――。
カランという乾いた音をさせて、セシルは木皿の上に手にしたフォークを置く。
目の前の料理は既にない。全て彼女の胃袋の中に収まった。
セシルは一口水を含むと、満足したように大きく息を吐いた。
そして皿の上に視線を留めながら、考え事をするかのように無言で佇む。
「お口に合わなかったかい?」
酒場の主人に掛けられた言葉を聞いて、セシルは慌てて首を横に振った。
「いいえ、美味しかったわ。これ以上ないぐらいに――」
だが、その賛美の言葉とは対照的に、彼女の表情はまったく冴えない。
先ほどまでこれ以上なく幸せだったのに、ふと現実に戻ると、思わず涙が零れそうになってしまうのだ。
「何か悩み事があるんだな」
表情を読み取った主人が、呟くようにセシルに声を掛けた。
「悩んで解決することなら、大したことじゃないわ」
食事の代金を手渡しながらも、セシルは可愛げのない言葉を吐き出す。
食べている間は、何も考えずに済んだのだ。
だが、食べ終わってからは自分の置かれた状況に、否が応でも気づかされる。
――何しろ、何も解決していない。
セシルの鎧を作ってくれる人は、どこにも見つかっていないのだから。
「どうだい?
試しに抱えていることを、ちょっとおれに話してみないか?」
「あら、話してどうなるというのかしら」
「そいつぁ、残念ながらわからんさ。
でもな、酒場という場所は、そういうのを吐き出すためにあるんだよ。
それに――」
そこまで言った酒場の主人は、ガハハと声を立てて笑う。
「何てったってここは、奇跡の酒場なんだからな」
セシルは正直、馬鹿げた話だと思った。
店の名前に『奇跡』が付いているからといって、本当に奇跡のような出来事が引き起こせるとでも思っているのだろうか?
だが、戯れついでに、話を聞いてもらっても良いのかもしれない。
いいや、聞き手など関係ない。
単に自分の心を楽にするために、弱音を言葉にして吐き出してしまいたい――。
セシルはしばらく考え込むと、俯きがちに小さく言葉を呟いた。
「――鎧師を探しているのよ」
「ほう?」
ポツリと吐き出した言葉に、酒場の主人は小さな興味を示す。
「有り難いことに、騎士にしてもらえることになったの。
でも、騎士叙任には金属鎧がいる。
それも既製品じゃなく、手作りの金属鎧が」
「その辺で買える鎧じゃあ駄目だってことか。
何とも貴族さまってのは、難しい生き物だねぇ」
「そうよ。難しいのよ」
侮辱されるような言い回しが気にはなったが、セシルとて貴族の滑稽なこだわりだと思っている。
「わたしは見た目を優先した鎧は好きじゃないけれど、叙任式に見窄らしい恰好は出来ないの。
でもね、もう何人も鎧師には当たったけど、みんな理由をつけて断ってくる。
――いいえ、言うことは多少違っていたけれど、恐らく本当の理由は一緒。
みんな女の鎧なんか、作りたくないのよ。
鎧師には鎧師特有の変な自尊心みたいなものがあるんだわ」
「そうか。
確かに冒険者はまだしも、女騎士は珍しいものな」
「わかったでしょう?
わたしは鎧を作ってくれる鎧師が見つからなくて困っていたところよ。
でも、鎧師に用があるは貴族だけでしょうから、冒険者ばかりの酒場で話しても仕方ない」
酒場の主人はセシルの言った言葉を聞き遂げると、考えるような素振りで眉を顰めて言った。
「ところでそれは、鎧師じゃないと駄目なのかい?」
「――どういうこと?」
セシルは酒場の主人が放った言葉を聞いて、思わず目を細める。
鎧師を求めて、今日も一日彷徨い歩いたのだ。
その自分に対して主人の問い掛けは、ある種の衝撃を与えていた。
「いや、鎧師じゃないと手作りの鎧は作れないのかと思ってな。
もし鎧師かどうかは別にして、しっかりとした手作りの金属鎧を手に入れるだけで良いのなら、おれは少しだけそれに心当たりがある」
「それ、本当に!?」
鎧師じゃないと作れないと、勝手に思い込んでいたのだ。
まるで、セシルは自分の目の前に眩い光が差したように思った。
彼女は主人の顔を見つめると、目でその先の話を促す。
「あんたの言う条件を、そっくり満たせるのかどうかはわからないが――。
だが、ヤツはおれの知る限り、とっておきの鎧を作る」
セシルはその言葉を聞き遂げて、思わず立ち上がりながら身を乗り出すのだった。