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翌朝、セシルは宮殿に出仕すると、いつも通りに騎士見習いの控え室に入った。
控え室には相変わらず、何とも言えない重苦しい空気が漂っている。
彼女は無言のまま支度を調えてしまうと、早々に控え室を出ることにした。
昨日、エリオット騎士公がそのまま外泊してしまったため、今日もセシルは休養日の設定になっている。
にもかかわらず、宮殿に出てきたのは、昨日の相談結果をヨシュアから聞くためだ。
果たしてセシルが昨日のカフェに足を運ぶと、そこには既に空色の髪の青年が佇んでいた。
彼は窓際にもたれ掛けて、目を細めながら、差し込む朝の陽射しを楽しんでいるように見える。
「おはよう、ヨシュアさま。
――随分とお早いのね」
セシルが戯けるように声を掛けると、ヨシュアが彼女の方へと振り返る。
「おはよう、セシル。
でも、ヨシュアさまってのは、やめないかい?」
「あら、騎士さまに向かって、敬称を付けない訳にはいかないでしょう?」
「君ももうすぐ騎士になるだろうに。
そうやって、いつまでもボクをからかうんだから――」
そう言うとヨシュアは、不満げにやれやれといった仕草を見せて呆れた。
セシルは思わず苦笑すると、至極軽い調子で昨日の話を切り出す。
「昨日、鎧師を当たってくれると言っていた件だけど――」
その言葉を聞いたヨシュアは、急に柔和に綻んでいた表情を引き締めた。
何となくその変化が、これから耳にしなければならない答えを表しているような気がする。
そう考えたセシルは、事前に十分な心構えをした。
「正直に言うよ?
君にはつらい内容かもしれないけど、現実を知った方が良いと思うから。
――結果から言うと、紹介できそうな鎧師はいた。
実績は無くても、腕の良い鎧師を見つけるところまではいけたんだ。
でも、親とウチの鎧師から、誰に紹介するのかと尋ねられて――」
ヨシュアはそこで言葉を切ると、しっかりとセシルの目を見つめた。
彼が『つらい内容』と枕詞を付けたお陰で、セシルはその先の話を容易に想像することができる。
そして、聞き慣れた理由をまた聞くことになるのか――と、彼女は正直うんざりとした。
「君の名前を出したところ、女性の鎧を作ってくれという話だったら、鎧師の紹介は許さないと言うんだ。
一応、男性も女性も関係ない、女騎士にも立派な人はいると主張したんだけど」
ヨシュアはそこから先は、少し顔を伏せながら話す。
「今度は女性ならではの――その、何て言うの? 立体的な曲線?が作れる鎧師は、いないって言うんだよ。
型から作る冒険者向けの既製品ならまだしも、手作りの鎧でそれを作り慣れた鎧師はいないとね。
そんなボクが判断できない理由を盾にされてしまうと、さすがにそれ以上は何とも言えなくなってしまった。
だから本当に申し訳ないけど、この件については力になれそうにない」
彼が放った言葉は、セシルにとって想像のど真ん中に位置する内容だった。
逆にここまで予想通りだと、清々しくて後腐れがない。
「いいえ、訊いてくれただけでも助かったわ。
ありがとう、ヨシュア」
セシルが発した素直な言葉に、ヨシュアは微妙に頬を染めた。
彼は俯きがちになって頭を掻くと、「助けにならなくて御免」と小さく呟く。
こういう仕草はいつまで経っても、弟分であることを感じさせて、心の中に愛らしさのようなものが浮かんでくる。
「それで――ミラン騎士長のところには行ったのかい?」
「まだ話してないわ」
セシルはそう言うと、直後に自分の発言を否定するように首を振った。
「いいえ、一応昨日思い切って、訪ねて行きはしたのよ。
でもね、騎士長は不在だった。
謹慎中のはずなのに不在って、大丈夫なのかしらね」
「あらら、そうなんだ――」
「それと、廃業したアロイスの鎧師を追って、そこから紹介を受けられないかも確認してみたわ。
でもアロイスの鎧師だった人は、去年の始めに他界してたらしいの。
こっそり弟子を取ってたりしなかったのか、調べはしたんだけどダメだった」
ヨシュアはセシルの言葉を聞くと、腕を組みながら首を捻る。
「う~ん、本当に困ったね――」
「だから今日は非番だったけど、ここへ来てアルバート騎士団長に縋ってみることにしたのよ」
「セシル、一応訊くけどエリオット殿下には――」
その言葉を聞いた瞬間、セシルは首を横に振って表情を翳らせた。
「それは、事情があって出来ないわ。
殿下に頼るのは、本当に最後の手段にしたいの」
ヨシュアが言いかけた提案を、セシルは即座に拒絶する。
セシルが仕えるエリオットは、十三番目とはいえ王子であり、王族の身分である。
従ってこの手のことに関しては、強い調整力を持っていると思われた。
だが、セシルはこの件に関して、エリオットに助力を仰ぐのを強く躊躇している。
それは、準備すらエリオットに依存していては、エリオットが居なければ何も出来ない女と誹られるのではないかと考えたからだ。
それに今回の騎士叙任は、元々エリオットが推挙して実現したものだった。
加えてエリオットが準備まで手伝ってしまっては、エリオットとセシルの間に特別な関係があるとの憶測を生みかねない。
昨日、彼に聞かされた結婚相手の話を加味すれば、セシルがこれ以上エリオットに擦り寄るような行為は憚られる。
セシルはヨシュアに暇を告げると、アルバート騎士団長の居室に向かうことにした。
昨日の内にアルバートに相談があると申し入れ、面会の時間を設定してもらっていたのだ。
セシルがアルバートの部屋の扉をノックしてみると、すぐに入室を促す声が中から聞こえた。
彼女が扉を開けてみると、そこには窓際の植木鉢に水をやるアルバートの姿がある。
「セシルか。おはよう」
「おはようございます、アルバート騎士団長」
セシルは朝の挨拶を交わすと、部屋の中央へと進んだ。
だが、アルバートは植木鉢に向かったままで、植物の手入れを続けている。
その眼は優しげに、まるで幼子でもあやしているかのように穏やかだった。
「――よく意外だと言われるのだが、私は元々植物を育てるのが好きでね。
こうして植木鉢に水をやっていると、何となく自分の心にも潤いが差すように思えるのだ」
「はい」
「騎士になりたいと望む者は多い。
だが、何年も見習いを続けた上で、実際騎士になれるのはごく一部だけだ。
そしてその騎士も戦いとなれば、一瞬で命を散らせてしまうことがある。
――知っているか? 命を落とす騎士の半数近くが、初めての戦闘で帰らぬ者となることを」
時にアルバートは、こうして騎士に対して教訓を話すことがある。
だが、セシルは騎士見習いに対して、アルバートがこうした話をするのを見たことがない。
その意味でもアルバートは、セシルを既にひとりの騎士として扱っているのかもしれなかった。
セシルは身の引き締まるような思いを抱きながらも、アルバートの言葉を心に留めていく。
「育てるには手が掛かり、時間が掛かり、滅びるのは一瞬に過ぎぬ。
人も植物もその視点で言えば、大差がないように思う。
だが、それであっても私は、こうして水を与えて長い時間を掛けて、育てるのが堪らなく好きなのだよ。
だから君にも立派な騎士になってもらいたいと思っている。
性別など関係のない、自立した立派な騎士に――」
「ありがとうございます」
セシルは、これまでの自身の振るまいが、何度もアルバートを困らせていたという実感があった。
にもかかわらず、彼の言葉には、セシルに対する慈愛のような感情が含まれている。
それだけに彼女は、今から自分がしようとしていた相談内容に、若干のためらいを感じてしまった。
「――?
どうした、用があるのだろう。話を聞こうか」
言葉に躊躇して、ただ無言で佇んでいると、それを不審に思ったアルバートが声を掛けてきた。
先ほどの話は聞けて嬉しかった反面、相談しようと思っていた出鼻をくじかれてしまった感もある。
何しろ自立した騎士になれと言われたのだ。
ところが、これから自分が相談を持ち掛けるのは、自立という言葉からはほど遠い内容だった。
セシルは俯いたままじっとして、しばらく葛藤を続ける。
だが、心に踏ん切りを付けると、サッと顔を上げて、心の中にある言葉を吐き出した。
「アルバート騎士団長。
実は、騎士叙任の準備のことでご相談があるのです――」
アルバートはその言葉を耳にすると、見る見るうちに眉間に深い皺を寄せた。
◇ ◆ ◇
辺りは既に夜の帳が下りる時間になっていた。
暗くなった夜道を一人ポツリと歩いていると、何となく自分が人生の敗北者であるかのように思えてくる。
セシルは普段、こんな遅い時間になるまで街中をうろつくことはない。
多少帰りが遅くなったとしても、基本的には陽が落ちるまでに自宅に戻る生活をしていた。
――だが、今日は違う。
結局アルバートに思い切って相談を持ちかけた結果、彼は眉間に皺を寄せながらも、三人もの鎧師を紹介してくれたのだ。
そしてセシルはつい先ほどまで、その三人を訪ね歩いていたのだが――。
頭が落ち込み、丸まった背中が、そこでの惨敗を物語っていた。
一人目は女性用の鎧を、作る技術がないと言って断った。
二人目は予定が立て込んでいて、引き受ける余裕がないことを理由に断った。
そして、三人目に至っては――女性用の鎧を作りたくないと目の前で断言されたのだ。
仕方なく他の騎士から聞いた鎧師にも、手当たり次第当たってはみた。
だが、それも理由の違いはあれど、達した結論は同じだった。
貴重な非番の日を費やして得られた収穫は、セシルの鎧を誰も作りたがっていないという悲しい事実でしかない。
一日這いずり回った疲労が、身体にのし掛かってくるようで、憔悴しきったセシルは深く溜息をついた。
「――ふぅ」
その溜息に呼応するかのように、ぐぅ――とお腹の音が鳴る。
「お腹、空いたわ――」
よくよく考えれば、朝から何も口にしていなかった。
そうして一度空腹を意識してしまうと、途端に我慢が利かなくなってくる。
セシルは時折、騎士見習いの仲間と共に、街中へ昼食を食べに出ることがあった。
だが、それでもこの街中で、夕食を食べたことはない。
――と、セシルの前方から喧噪と共に、食欲をそそる香りが流れてきた。
すると、香りに引き寄せられるように、彼女の足は無意識に、ふらふらとその店がある方向へ向かっていく。
セシルがこっそり店の中を覗き見ると、どうやらそこは冒険者を相手にした酒場のようだった。
ごった返している訳でもないが、それぞれの客の声が大きい分だけ、随分と賑やかそうな雰囲気である。
「いらっしゃい!」
「あっ――。
い、いや、その――」
中を窺うだけにしようと思っていたのに、目ざとく自分の存在を酒場の主人に発見されてしまった。
こうなると空腹を抱えた身としては、席に着かざるを得ない。
セシルが怖ず怖ずとカウンター席の隅っこに腰掛けると、その様子を観察していた酒場の主人が声を掛けてきた。
「おや、その恰好――。
騎士さまかい?」
「いいえ、わたしはまだ見習いよ」
正直に答える必要はなかったのかもしれない。
だが、嘘をつくような気も回らなかった。
「そうかい。
ゆっくり楽しんでいってくれ」
酒場の主人はニヤリと笑いながら言い放つと、一度下がり掛けて、ふとその場で振り返った。
「歓迎するよ、騎士見習いどの。
奇跡の酒場へようこそ」
セシルは聞き心地の良いその店名に、思わず酒場の主人と顔を見合わせるのだった。