30
遠征の出立を控えたセシリアは、鎧を引き取るためにカイの店を訪れた。
セシリアが招かれて店の中に入ると、作業場の様子はいつも通りで変化がないように思える。
そして、広い部屋の中心には、数日前と同じように白い鎧が置かれていた。
セシリアは鎧に近づくと、実際に手に取ることなく、よくよく鎧の外観を観察してみた。
だが見た目だけでは、何がこの鎧に起こったのかは分からない。
ただ、先日この場で聞いた彼の説明を思い起こすならば、このセシリアの鎧には、劇的な変化が加わっているはずだ。
「見た目では分からないだろう」
穴が空くほどに、鎧を観察しているセシリアに向けて、カイが得意げに口を開いた。
「でも、触れれば明らかな違いがすぐにわかる。
――さあ、手に取ってくれ」
彼に促されるように、セシリアはそっと自分のために作られた鎧に手を掛けた。
そして、それから数瞬も経たぬうちに、感じた大きな変化に驚嘆の声を上げる。
「――!!
カイ、ちょっとこれ!?」
セシリアはそう言いながら、両手で軽々と鎧を持ち上げた。
元々素早い彼女のために作られた陶器の鎧は、彼女の動きを阻害しないほどに軽く作られてはいる。
だが――、
「軽いわ!
見た目から想像が付かない程に、恐ろしいと言っていいぐらいに軽い!!」
すると、その理由をカイが即座に説明し始めた。
「陶器の板に、軽量化の魔法を付与したんだ。
誰だって重い金属鎧を軽くしたがっているだろうが、残念ながら金属板には魔法が付与できない。
だから軽量化の魔法は、普段は役に立たない魔法の代名詞にもなっているが、この鎧にとっては全く別だと言っていい。
これほど地味で、これほど効果的なものは他に無いだろう」
「この重さなら変な話、普通の服と同じように、ずっと着続けられるかもしれないわ」
「一応、最悪の場合、そうなることを想定して付与したものだ。
何しろ君は騎士見習いを連れていない。
少し休むからといって、鎧を付け外ししようとしても、簡単にできはしないだろう」
カイの指摘を理解して、セシリアは思わず沈黙した。
確かに彼の言うとおり、彼女にはまだ自分を補佐してくれる騎士見習いが存在しない。
そうなれば遠征先で起こる様々なことは、基本的に自分一人だけでこなさなければならないのだ。
彼女が騎士見習いだった時は、一人で簡単に付け外しできる革鎧を身につけていた。
それに何か不自由があれば、騎士見習いの仲間が手伝ってくれたのだ。
だが、仲間だった彼らの助けは、今回は期待することができない。
今までの遠征とは違う――アルバート騎士団長もそう言っていたはずだ。
それを考えると今更ながら、アルバートが言っていた忠告がセシリアの心に重くのし掛かる。
「付与したのは軽量化だけじゃない。
取りあえずこの鎧の機能を順に説明しよう」
カイはそう言って鎧を手に取ると、白リザードの革を捲って無機焼結体の板を露出させた。
「この間も言った通り、魔法は導電性の高い金属には付与できないし、純度の低い物質や軟弱な素材にも定着しづらい。
だから、この鎧に付与された魔法は、基本的に全て陶器の白板の部分に集中している。
まず、主に胴体に仕込んであるのは、物理攻撃と魔法攻撃を弾くためのものだ。
腕にはそれらの防御機能に加えて、筋力強化の機能を追加してある。
同じように脚に追加してあるのは、走力強化の魔法だ。
だが、この走力強化というやつは、疲労や足にかかる負担を軽減することができない。
つまり走力は増すが、その反面全力を出し過ぎてしまうと、疲労感や脚への負担を高めてしまうということだ。
そこにだけは必ず注意しておいて欲しい。
次に、無機焼結体で補強した髪飾りには、精神障害を弾く魔法を掛けておいた。
実はこいつの付与が、すこぶる高くついてな――まあ、その話は後回しでいいだろう。
盾には裏側にいくつか陶器の白板を貼り付けて、防御力を高める魔法や、衝撃や痛みを吸収する効果を付けてある。
軽量化は剣の束にも仕込んでおいたが、軽くなった分、無理に振り回してしまうと剣自体を破壊しかねない。
何でも程々が重要ではあるから、扱いには慣れていって欲しい」
セシリアはカイの話す説明を、目を輝かせるようにしながら真剣に聞き続けた。
だが、そうして強化された鎧が、どのようにしてできたのかということを考えると、羞恥心で一杯になる。
あの事実は誰にも知られる訳にはいかない。
いいや、墓場まで持っていかなくては――!!
「カイ、それであなたの言っていた肝心の魔法というのはどれのことなのかしら?」
セシリアはカイの説明を聞きながら、彼が『肝心の魔法』と表現したものが、どの機能ことなのかが気になり始めていた。
確かにここまで説明された能力は、どれもが価値が高いものに間違いない。
しかしそれらが不可欠かというと、最悪なかったとしても補えるものばかりだ。
すると、カイはセシリアに向き直って、一層真剣な表情を作った。
続いて、彼は低く落ち着いた声を部屋の中に響かせる。
「ここからはしっかり俺の説明を聞いて、それを必ず覚えて欲しい。
今まで説明した軽量化や腕力強化といったものは、君が何かをしなくても常に性能が発揮されるものばかりだった。
それらは余計な操作を必要としない反面、発揮される性能は細やかなものに過ぎない」
「――細やか?
あなたは、これが細やかな効果だというの?」
セシリアは少し反論するように、カイに面と向かって問い掛ける。
軽量化ひとつとっても、セシリアにはこれが『細やか』だとは、とても思えない。
「そうだ。
この後に説明するものに比べれば、これは細やかなものに過ぎない」
断言された言葉にセシリアは完全に沈黙した。
カイはそれを見ながら、右手で剣を掴み取る。
「一つ目はこの君の剣に装着してある。
君の前にどうしても倒さなければならない強敵が現れた時――」
カイはそこで言葉を止めると、自らの言葉を否定するかのように首を横に振った。
「いいや、そもそも生死を分かつような敵とは戦うべきじゃないんだ。
逃げないことが美学と考える騎士もいるが、俺は決してそう思わない。
死ねば守るべき者も、果たすべき義務も、全て放棄することになってしまう。
君が本当の騎士でありたいと思うなら、勝てない相手からは勇気を持って逃げろ。
――そして、今から伝えるのは、それでも倒さなければならない敵に遭遇した時の話だ」
セシリアは考えの及ばない状況を想像して、小さく息を飲みながら続くカイの言葉を待った。
「一撃必殺と言えば聞こえはいいが、残念ながらこの魔法に即効性はない。
ただ、この剣の鍔に仕込んだ陶器の小札を押し込めば――次なる剣の一撃は、必殺の『超猛毒』を与える攻撃になる」
「超猛毒――」
セシリアにとって、その単語は初めて聞く言葉だった。
そもそも騎士は自らの武器に、毒を塗布することが許されていない。
騎士の精神に反するという理由と、単純に事故を防ぐための規則ではあるが、魔法による毒の付与は禁止されていただろうか――?
セシリアはそれをすぐに、思い出すことができなかった。
「こいつは不死者と魔法生物以外であれば、どんな相手であろうと効く。
言うまでもないが、人間だってこいつを喰らえば死は免れない。
だから使いどころは間違わないでくれ」
セシリアは説明を聞いて、口にする言葉を失った。
少し自分の心の中に恐怖が生まれたのを感じる。
使わなくて済むのであれば、これは使わずに封印しておくべきだろう。
「二つ目は『右の首元』にある陶器の小札を押し込むことで発動する。
こいつが発動すれば、しばらくの間、君の全ての能力は数倍に高まる」
「――能力が数倍に?」
「効果時間は恐らく二、三分程度というところだ。
効果が切れそうになると、身体が重くなるからその予兆を知ることができる。
だが、こいつには大きな副作用があるんだ。
効果が切れてしまうと、装備の重量が数十倍に膨れてしまうという作用が」
「重量が――?」
「そうだ。
いわばこの陶器の鎧や、鎧下が途轍もなく重くなる。
そうなれば君の筋力では、きっと身動きが取れなくなってしまうことだろう。
その副作用が続いてしまう時間の長さは、効果時間中に活動した量に比例する。
つまり君が頑張れば頑張るほど、動けなくなる時間が長くなるということだ」
「近くに自分を守ってくれる仲間がいなければ、使いどころが難しい魔法ね――」
「そうだ。
非常に難しい。
しかもこれが必要な時には、既に仲間の支援を期待できない状況になっている可能性が高い」
「カイ、あなたはこれを、どういう状況で使うことを想定しているの?」
セシリアはカイに向けて、率直な質問を投げ掛けた。
ところがカイは少し目を瞑ると、その質問を無視して説明を続けてゆく。
「次が最後の一つだ。
君がどうしようもない危機に陥ってしまった時――」
カイは左の籠手を持ち上げて、そこに嵌められた小さな宝石を指し示した。
それは先ほどまでの二つの陶器の板とは違い、一目で宝石とわかる緑色の煌めきを放っている。
「この『左手首』に埋め込まれた宝石を押し込んで欲しい。
ただ、こいつを使うのは、君が本当の意味で追い込まれた時だけだ。
つまり、次の一撃を喰らえば命に関わると判断した時に、使うようにして欲しい。
逆にそれ以外の状況では、使わないと約束して欲しいんだ」
「――わかったわ」
セシリアはカイの目を見ながら素直にそう答えた。
それは彼の口調からしても重い約束のように思えたが、一方でセシリアからすれば、そう答えるしかないのも事実だった。
「カイ、それにしても、こんな魔法をどこで――」
「この魔法は、俺が信頼する人物に付与してもらったものだ。
大丈夫。信頼できる相手だから、心配するようなことは起こらない。
無論、お金は掛かったけどな」
セシリアは苦笑するカイを見ながら、何となく自分の心に湧き上がった疑問を、はぐらかされたように思った。
本当に訊きたかったのは、魔法をどこで付与したのかということではない。
こんな鎧を作り上げることができるカイが何者なのか、という疑問だった。
だが、セシリアは、その疑問を努めて追求しないようにしてきた。
それを深く追求すれば、彼は自分の側から去ってしまうのではないか――?
そう考えた彼女は、これまでその問いに蓋をしてきたのである。
だが、セシリアは緑色に煌めく宝石を見つめながら、心に抱えた疑問をそのままにはしておけないと感じ始めていた。
「――これまで訊いちゃいけないんだと思って、敢えて訊くのを避けてきたわ。
でも、それも限界。
カイ、あなたは一体、何者なの――?」
だが、どうやらカイは、その質問が出てくるのを予め予測していたようだった。
彼は至極淡々とした表情のままで、彼女にとって一番詰まらない答えを吐き出した。
「俺は、単なる解体屋だ」
「そうね。
この街には沢山いるはずの、ただの解体屋さん――。
でも、ルサリアの悲劇に関わった元騎士であり、見たことも聞いたこともない技術で、美しい鎧を作り出す職人でもある。
そんな人が、他にもいると思って?」
セシリアの率直な追求に、カイは言葉を返そうとしない。
「わたしにはあなたのことを、教えてくれないのね?」
何も言わずに視線を外すカイを見て、セシリアは悔しさを滲ませ、唇をギュッと噛み締めた。
「わかったわ、カイ。
今、それを無理に教えて欲しいとは言わない。
でもね、知っての通り、わたしはとっても諦めが悪いの。
だから無理だと思われた騎士にもなれたというぐらいに――。
お願い。今じゃなくてもいい。
でも、わたしが遠征から戻ってきたら、あなたのことを教えて」
「――――」
答えを返そうとしないカイの両腕を、セシリアは小脇に抱えるようにして、強引に正面に立つ。
「ダメよ。カイ、こっちを向いて。
わたしが遠征から戻ったら、必ずあなたのことを教えてくれるって約束して。
わたしはその約束をしてくれなかったら、この遠征には行かないわ」
「セシリア――」
「卑怯な、脅迫じみた発言だとは理解してる。
でもわたしだって、本当に真剣なのよ――」
セシリアの声は、最後の方は掠れて涙声のようになってしまった。
どこからこんな風に、彼を追い詰める勇気が湧いてくるのかわからない。
ひょっとしたら遠征に出なければならないという状況に追い込まれて、自棄になっているだけかもしれなかった。
ただ、セシリアは今を逃せば、彼との関係がこのまま消えてなくなってしまうという恐怖に苛まれていた。
何しろカイは、セシリアに自身の秘密を教え、そして彼女を守るための『とっておきの鎧』を用意してくれたのだ。
だが、セシリアが遠征から戻った時、そこにカイの姿はあるのだろうか?
彼が秘密を打ち明けたのは、この後、彼女の前からいなくなろうとしているからなのではないか――?
――それからどれだけの時間が経っただろうか。
見つめ合う二人の沈黙を破ったのは、カイの方だった。
彼は自分を見つめるセシリアの想いに観念したように、小さく笑みを浮かべながら、降参の言葉を呟く。
「やれやれ、俺の負けのようだ。
――わかった。君が戻ったら俺のことを話すと約束しよう」
セシリアはカイの口から出た台詞を聞いて、見る見るうちに溢れ出すもので左右の眼を一杯にした。
彼女はそれが流れ落ちてしまうのを防ぐように、天井を見上げながら必死に堪えようとする。
だが、その努力は無駄に終わって、決壊した涙の川が、頬から床へと流れ落ちてしまった。
そして次の瞬間、セシリアは堪えきれずに、声を上げながらカイにしがみつく。
肩を震わせ止まらない嗚咽の中で、彼女はまるで自分に言い聞かせるように、一つの言葉を呟いた。
その美しい唇から紡ぎ出されたのは、掠れるほどに小さな、
「約束よ」
――という、一つの言葉だった。
◇ ◆ ◇
街を覆った朝もやが、次第に晴れ始めるのがわかった。
少し肌寒さが残る時間に、馬の吐き出す小さな嘶きが嫌に大きく響く。
陽が差してきているとはいえ、この早朝に街を歩く人影は少ない。
そして、そんな霧の晴れない街中を、一つの馬蹄の音が通り過ぎていった。
「――カイ、この先が集合場所よ。
見送りはここまででいいわ」
セシリアは馬を引いてくれたカイにそう告げると、彼に向かって柔和な笑顔で一つ会釈した。
その優雅な動作に合わせるように、彼女の美しい金髪がさらさらと流れる。
「そうか。
では、くれぐれも気をつけて」
自分を気遣う言葉を聞いて、セシリアは再び嬉しそうな笑みを浮かべた。
彼女はそのまま馬を進めていくと、カイから少しだけ離れた場所で、一旦足を止めて振り返る。
「ねえ、カイ、あなたは知ってる?
この街の名前の由来。
――この街は大昔、別の世界からやって来た人が、作り上げたという伝説があるの。
そして、その人は自分が愛した人の名前を、この街に付けたんですって」
彼女はそこまで言うと、再びカイの方へと馬を寄せていった。
そして、彼に向けて手を差し伸べ――それに応じてくれた手の平を、優しくそっと握る。
「この街を作ったという人が、本当に別の世界からやってきたのかどうかは判らないわ。
それに、今のこの街の姿は、きっとその時に作られた街とは、随分と違うのでしょうね。
でもね、そうして色々なことが分からなくなって、変わってしまったのだとしても――。
それでもこの街の名前は語り継がれていて、わたしたちはこの街の名前を知っている。
形は変わってしまっても、人の想いはそうやって、この街に変わらず詰まっているのよ。
わたし、そんな人の想いが詰まった、この街が好き。
どこから来たのかも判らない――あなたと出会えた、この街が本当に好きなの。
だから、わたしは必ず戻ってくるわ。この大好きな街に。
ねえ、お願い。カイ、約束して。
この街で必ずわたしの帰りを待っていると」
カイはその言葉に小さく微笑むと、セシリアの手を握り締めたまま口を開いた。
「わかった。約束する。
君の帰りを待っている」
セシリアは彼の言葉を聞くと、朗らかに安堵の表情を浮かべた。
そして次の瞬間、二人の間で繋がれた手が、するりと無情にも離れてゆく。
セシリアはそのまま背中を見せると、カイを振り返ることもなく街道を進んで行った。
一方のカイは、通りの真ん中に立ち尽くして、ゆっくりと霞むセシリアの背を見つめている。
必ず再び会うことになる――。
そんな思いを確信するように、カイはいつまでもセシリアの後ろ姿を見送り続けていた。
そうして美しい陶器の鎧を纏った騎影は、馬蹄の音を響かせながら、この街の外へと消えていったのである――。




