27
夜、セシリアは、いつものようにカイを伴って、奇跡の酒場で夕食を共にしていた。
彼女はカイとの会話の中で、アルバートから「ゴブリンを侮るな」と忠告を受けたことを話の種にする。
無論、その前にアルバートから「思い残しがないように」と言われたことは、心の中に伏せておいた。
さすがにその話題に触れてしまうほど、彼女に勇気は備わっていない。
談笑しながら食事を終えたセシリアは、食後の果実酒に口を付けた。
「――それで、ゴブリン絡みの話を聞いたせいで、ルサリアの悲劇なんて話を思い出しちゃったのよ」
彼女はお酒の力もあるのか、いつもより饒舌にその話題を切り出した。
「ルサリアか。
あれは、悲劇というよりも失態の類いだとは思うけどな――。
良かったら君が、その話をどう伝え聞いているのかを教えてくれないか?」
カイがそうセシリアに頼むと、彼女は静かに頷きを返す。
そして、セシリアは自分の知るその逸話を、ゆっくりと語り始めた。
――セシリアが語ったルサリアの悲劇とは、こんな話である。
ある街の騎士団が遠征を行っていた。
すると、騎士たちが向かった先で、住民から一つの情報が持ち込まれる。
それは辺境のルサリア村の近くにゴブリンの巣があるという情報だった。
騎士たちは相談の上で、五人ほどの部隊を組み、その村に赴いて巣の様子を見に行くことにした。
すると、その部隊は村へと向かう街道途中で、数体のゴブリンに遭遇する。
部隊の中の最も若い騎士が、
「ゴブリンはこちらに気づいていません。
このままやり過ごして、村への到着を急ぐべきでしょう」
と言った。
それに反対した中堅の騎士は、
「ゴブリンを見つけた以上、騎士として見逃すべきではないだろう」
と主張した。
結果、その部隊を率いていた騎士隊長は、ゴブリンたちを退治すべきと判断したのだ。
街道近くにいたゴブリンは五匹。
だが、それを追う騎士たちは全員、金属鎧を身につけている。
そのせいで鎧が擦れ合う音が響いて、騎士たちはゴブリンに気づかれてしまった。
結果、騎士たちは三匹のゴブリンを討ち取ったものの、残りの二匹を討ち洩らしてしまう。
すると、部隊の最も若い騎士は、
「取り逃がした二匹を、今すぐ追うべきです」
と主張した。
彼は巣に戻ったゴブリンが、加勢を呼んで反撃に来る可能性が高いことを知っていたのだ。
だが、騎士隊長はこれ以上の寄り道はできないから、二匹を追わずに村への道を急ぐべきだと判断した。
結果、取り逃がした二匹のゴブリンは、無事に巣へと辿り着いてしまう。
そして、ゴブリンたちは仲間を集めて、そこから最も近い人間の集落をいきなり襲った。
突然の襲撃を受けた集落の人々は、凄惨な皆殺しに遭って、その集落は崩壊。
そんなことをつゆ知らぬ騎士たちは、翌日ゴブリン退治をするための計画を、ルサリア村で相談していた。
ところがその夜、ゴブリンの大群が、ルサリア村を襲撃する。
寝静まったところを夜討ちされたルサリアの村は、まさに阿鼻叫喚の地獄と化した。
しかも、その騒ぎに気づいた別の巣のゴブリンたちが、村への襲撃に加勢してしまう。
結果、五人いた騎士たちの部隊は、ゴブリンの群れに圧倒されて全員が殺されてしまった。
守る人のいなくなったルサリアは崩壊してしまい、村は夥しい死傷者で溢れかえったという――。
この事件は、均衡状態にあったゴブリンと住民との関係を、騎士たちが掻き乱して崩壊する切っ掛けを作ってしまったという話だ。
仕留め損なったゴブリンは仲間を呼ぶ上に、誰かを殺すまで止まらない。
冒険者であれば誰もが知るような基礎知識を、騎士たちが知らなかったのが原因である。
つまり、ルサリアの悲劇というのは、ゴブリンを侮った騎士が取り返しの付かない失敗を引き起こしたという戒めの逸話なのである――。
そこまでをセシリアが語ると、カイがその話の終わりに口を開いた。
「なるほど。
そういう内容と結末で、この街の騎士団では語り継がれているのか」
「どういうこと?」
セシリアはカイが放った言葉に、訝しげな表情を見せて問い掛ける。
「実はルサリアの悲劇には、もう少し続きがあるってことさ」
「続きですって?
それは、聞いたことがないわ」
「ひょっとしたら、続きという言い方は、適切ではないのかもしれない。
むしろ真実と言った方がいいのだろうな。
何しろ実際は、ルサリアの村は全滅しなかったし、五人の騎士の中にも生き残った者がいる」
「なっ――!?
本当なの? それ」
村の被害は元より、騎士の失敗まで誇張されているというのは俄には信じがたい。
ところがカイは頷いて肯定すると、セシリアの知らないルサリアの悲劇の真実を語り始めた。
彼が言うにはルサリア村は、半壊したものの村人の大多数が生き残ったのだという。
これはゴブリンの来襲を感知した最も若い騎士が、早々に戦線を離脱して、近くの騎士隊に援助を頼んだからだ。
結果、救援に現れた部隊の活躍で、村は何とか全滅せずに持ち堪えた。
だが、最初にルサリアに向かった五人の騎士たちは、助けを呼びに行った最も若い騎士を除いて、全員が死亡した。
逆に言えば、最も若い騎士だけは、ルサリアの悲劇で生き残ったというのである。
ただ、その後、彼が戦場を離脱して、援軍を頼みに行った行為が問題になった。
「それを、戦線の放棄とみるか、村を守るための適切な判断とみるかで意見が分かれたんだ」
カイがそう言うと、セシリアがそんな馬鹿な話はないというように口を挟んでくる。
「ちょっと待って。その騎士が救援を呼ばなかったら、村は完全に崩壊してたじゃないの」
「普通に考えればそういうことになる。
だが、普通に考えたくない奴らも沢山いた、という訳だ」
「普通に考えたくない――?
誰なのそれは?」
セシリアが問い掛けると、カイは果実酒を呷ってから話し始めた。
「この事件は、騎士団にとっての汚点になる。
それは誰もがわかっていたことだ。
だが問題は、誰の責任でこの事件が起きたのか――ということだ」
それだけでは十分に理解できなかったのか、セシリアがカイの目をじっと見つめている。
「この事件で死んだ騎士は、誰もが有力貴族の出身だった。
彼らは死んだ自分の息子たちを、この事件の主犯にはできなかったんだ。
死んだ我が子に、罪を着せることができなかった。
だから、貴族たちは汚名を回避するために、最も若い騎士がゴブリンを刺激したのが事件の発端であるとねつ造したのさ。
そして、戦場を早々に離脱したその若い騎士を、蛮族誘引と戦線放棄の罪で、街からも騎士団からも追放した」
「なっ――何てこと!?
そんな酷い話が――」
「ある。いや、実際にあった。
君も知っているだろう?
今からたった、七年ほど前の話だ」
カイが断言したことで、何とも言えない沈黙が二人を包み込む。
セシリアは知らなかったとはいえ、あまりに理不尽な話に、どこかモヤモヤとした気分を抱え込んでしまった。
だが、考え事をしていたセシリアの頭の中に、ふと素朴な一つの疑問が湧き上がる。
「それにしても、カイはこの事件のこと、随分と詳しいのね?」
彼はセシリアの言葉を聞くと、ニヤリと表情を崩した。
どうも彼の顔を見ていると、その質問が来るのを待ち受けていたようだ。
そして、カイは干し肉を摘まみながら、何でもないことのように言う。
「そりゃあ、詳しいに決まっているだろう。
何しろ、この話に登場する最も若い騎士というのは、俺のことなんだからな」
「――なっ――何ですって!?」
セシリアはあまりの驚きに、それ以降の言葉をうまく繋げることができなかった。
「もう六、七年も前の話だ。
今更、特別な感情も湧き上がっては来ない」
カイは気にせずそう言って、手にした果実酒を勢いよく一口で呷った。
隣の席に腰掛けたセシリアは、カイの横顔を眺めながらも、掛けるべき適切な言葉を見つけることができない。
確かにこの『奇跡の酒場』の主人は、カイを元騎士だと言っていた。
ただ、セシリアはそれを積極的に、真実かどうかを確かめようとしたことがない。
それは彼の過去を詮索することが、二人の関係にどのような作用をもたらすのか、想像できなかったからだ。
だが、セシリアは事情を聞かされて初めて、彼の元騎士という肩書きが、実は重い過去を背負うものであったことを知る。
「今の俺がルサリアの件について、語れることはそう多くない。
恐らく語れることでもっとも有用だと思えるのは、そこで得たいくつかの教訓だけだと思う。
まず一つ言えるのは、自分がどんなに慎重であっても、共に戦う騎士たちが同じ慎重さを持つとは限らないということだ。
もっと言ってしまえば、同じ目的を持つはずの仲間に、足を引っ張られてしまうことすらある。
特に隊を率いる上官の善し悪しは重要だ。
上官の出来不出来が、隊の全員の運命を左右してしまうことも多い」
最終的に貴族たちに責任を擦り付けられ、街からも騎士団からも追放されるに至った彼の心中は察するに余りある。
だが、「特別な感情はない」と断言していた通り、カイの発する言葉は至って淡々としているように思えた。
カイはどうやって、自らの身に起きた悲劇を心の中で受け止めたのだろうか?
追放されてしまった彼はなぜ、この街に辿り着くことになったのか?
彼はどういう経緯で元騎士から、解体屋になるに至ったのか?
そして、彼はなぜあれほど、見事な出来映えの鎧を作ることができるのか――?
セシリアは疑問が次々に湧き上がる頭を抱えて、グラスを傾けながら、カウンターに肘を突いた。
そして、淡々と話し続けるカイに向けて、少し思わせぶりに頭を傾げる。
「ねぇ、カイ。
わたしもっと、あなたの話が聞きたいわ」
カイは視線だけセシリアの方に向けると、それを何でもないことのように返答した。
「話を?
別に構いはしないが。
ただ、俺の過去に大して面白い話がある訳でもないと思う」
その答えを聞き遂げると、セシリアは小さくフフフと悪戯っぽく笑って、彼の身体に躙り寄った。
どうやらお酒の力が、彼女を少し大胆に変えているのかもしれない。
「いいのよ、それでも。
わたしはもっと、あなたのことを深く知りたいだけだから」
それが今のセシリアにとって、彼との距離を詰めるための精一杯の言葉ではあった。
ただ、カイは耳に届いたその声色に、セシリアの感情の高まりを感じ取ったようだ。
それに、彼がセシリアの方を振り返ってみると、彼女の上気した顔が徐々に近づきつつある。
――これはきっと、お酒のせいに違いない。
セシリアもカイも二人共が、心の中で同じ理由を考えた。
だが、少しずつ距離を詰めるセシリアを見て、カイは照れるようにしながら別の方向へと視線を外す。
「どうしたんだ、今日は随分――」
カイはそこまで言ったものの、続く言葉を吐き出さずに飲み込んだ。
一体、その後に続く言葉は、何だったのだろうか?
普通に「積極的だ」という言葉だったかもしれないし、ひょっとしたら「魅力的だ」などという嬉しい言葉だったのかもしれない。
とにかくカイは言葉を飲み込んでしまって、その真意を知ることはできなかった。
そうして、少し見つめ合うようにしている二人の間には、静かな沈黙の時間が流れていく。
すると、カイが再び視線を外して、席を立ちながらセシリアに向かって微笑んだ。
「――今日はもう遅い。
少し酔っているようだし、俺が家まで送って行こう」
さすがに衆人の目のある場所では、口づけする訳にも、抱擁する訳にもいかない。
セシリアはそれを頭で理解した上で、少し俯きながら口を開いた。
「ごめんなさい。確かに酔ったのかもしれないわ。
迷惑を掛けてしまったかもしれないわね」
セシリアは自分の想いが、彼にとって不必要な重荷になっているのかもしれないと思った。
先ほどの言葉は、それも示唆した謝罪だったのだが、カイはそこまでの理解をせず、単に彼女を家まで送らなければならないことへの謝罪と受け取ったようだ。
「いいや、気にすることはないさ。
君を守る鎧を作る以上、君自身を守るのも当然だからな」
セシリアは、カイが発した「君自身を守る」という言葉が嬉しかった。
だがその歓喜の反面で、少し消沈した想いも抱いてしまう。
何しろカイはどこまで行っても、セシリアに鎧越しでしか接してくれていないのだ。
もちろん彼は自分のことを、大切にし、気に掛けてくれているような気がする。
自分に大して少なからず好感を抱いてくれているような――そんな、朧気な実感もあったのだ。
だが、自分と彼との間には、あの陶器で出来た鎧が存在している。
結果、彼の想いは、まずは鎧に向かっていて、二番目に自分に向いているように思われた。
例えばカイは、鎧のことがなかったとしても、セシリアが誘えば夕食を共にしてくれるのだろうか?
セシリアはそれでもカイが自分に応えてくれるという、絶対的な自信を持つことはできなかった。
そして彼女はその時、浮かんできた自分の感情に思わず苦笑してしまう。
まさか自分の鎧にまで、嫉妬することになるとは思いもしなかったのだ。




