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心の闇を払うような清々しい朝の光が、セシルの全身を包み込むように容赦なく降り注いだ。
叙任式が行われるこの日、幸いなことに天気は快晴に恵まれたようだ。
「おはようございます、お嬢様。
今日はとうとう叙任式の日ですね」
リーヤが明るく声を掛けると、起き抜けのセシルはニッコリと微笑んだ。
「おはよう、リーヤ。
ええ、今日はアロイス家にとっても、大きな意味のある待ちに待った日だわ。
でも、わたしは実際に叙任されるその瞬間まで、やっぱり安心はできないと思っているの」
これまで様々な障害を体験してきたセシルは、最後まで気が抜けないと自戒の念を口にする。
セシルはカイと出会い、壮行会を切り抜けてからは、彼女自身が予想していたよりもずっと安易にここまで辿り着けたと感じていたのだ。
だが、まだ肝心の叙任式を無事に乗り越えたという訳ではない。
それを考えると、この後何が起こるのだろうかと、緊張と不安で身震いがしてしまう。
「お嬢様は本当に心配性ですね――。
あのように美しい鎧も用意できたのですし、私は今からお嬢様の晴れ姿が楽しみでなりません」
「リーヤ、ありがとう。そう言ってくれると、気が晴れるし少し楽になるわ。
――今日はリーヤも宮殿まで、一緒に来てくれるのよね?」
セシルがそう尋ねると、リーヤは本当に幸せそうに満面の笑みを浮かべてみせた。
叙任式には若干名ではあるが、宮殿に支度を手伝う人員を入れることが許されている。
何しろ叙任の際に着る金属鎧は、一人で装着するのが容易ではない。
そのためセシルは、支度役としてリーヤとカイの二人を指名していたのだ。
「はい。カイ様からお嬢様のご支度を、手伝うように申し伝えられております」
「頼りにしているわ。
いいえ、これまでリーヤに頼りっぱなしだったけど、これからはもう少し生活も楽になるはずだから」
リーヤはセシルの言葉を聞いて、再び優しく微笑んだ。
この街一帯の領主は、三大貴族家筆頭のメイヴェル家である。
そして正式な騎士になると、そのメイヴェル家から給金が出るようになるのだ。
これまで騎士見習いだったセシルには、領主からの給金は出ていなかった。
今まで彼女に支払われていた給料は、彼女を騎士見習いとして雇っていたエリオットから出ていたものである。
無論、騎士見習いの給料は、正式な騎士に支払われる給金よりもずっと少ない。
これまで生活するのにギリギリのやりくりが必要だったアロイスの家は、セシルが騎士になることで、生活にゆとりが生まれることになるだろう。
「そろそろカイ様も、こちらにいらっしゃる時間でしょうか?」
リーヤの言葉を聞いて、セシルはニッコリと微笑んだ。
「そうね。
そう言えば、今日は宮殿に入るから、カイもましな服装をしてくるって言ってたわ。
実はそれがどんな格好なのか、ちょっと楽しみなのよ」
――と、丁度その時、玄関の扉をコンコンと叩く音が聞こえた。
その音を聞いた二人が思わずお互いの顔を見合わせる。
「噂をすれば――ですね」
そして、リーヤとセシルが揃って客人を出迎えると――。
そこには明らかに気まずそうな顔をした、見慣れぬ服装に身を包んだ黒髪の男性がいたのだ。
◇ ◆ ◇
叙任式は、街の中心にある宮殿の中で執り行われる。
宮殿の中央には広い謁見の間があり、そこに王族と貴族が居並んで、叙任の儀式を執り行うのだ。
ただし、今回は残念ながら、領主のメイヴェル公爵が体調不良で欠席となる。
ゆえに叙任式自体は、公爵の娘であるオヴェリアを中心にして行われることになっていた。
謁見の間ではそのオヴェリアを中央に据えて、王都から派遣された王族と、この街を拠点にする貴族が左右に分かれて連座している。
そのうちの貴族の列に目を向けると、三大貴族家を最前列にして、中級、下級の貴族たちが後列にずらりと並んでいた。
そうして判りやすい順列が付けられているものの、謁見の間に並ぶどの人物もが、上等で煌びやかな衣装を纏っている。
彼らは順にオヴェリアの前に跪く騎士見習いを眺めながら、そこで生まれた新たな騎士を一斉にコソコソと論評するのだ。
「――では次。
アネスト家の三男である、クラウスどの」
密かに様子を窺っていると、隣の支度部屋から一人の騎士見習いが出て行ったのがわかる。
どうやらクラウスと呼ばれた騎士見習いは、かなり豪勢な金属鎧を仕立ててきたようだ。
彼が一歩足を踏み出すたびにガチャガチャという、重くて派手な音が鳴り響いている。
謁見の間の近くには、一〇を超える小部屋が並んでいた。
本来は、謁見の間を訪れる貴族たちの従者を待たせるための部屋なのだが、今日はその一つ一つの小部屋が、叙任を受ける者たちの支度部屋になっている。
叙任を受ける騎士見習いたちは、その支度部屋で自慢の金属鎧を身に纏って、自分の名前が呼ばれるのを、今か今かと待つことになるのだ。
「お嬢様の晴れ舞台に、こうしてご一緒できることが幸せでなりません」
割り当てられた支度部屋で、鎧を装着するセシルを見ながら、リーヤが感慨深そうに言った。
「リーヤ、まだ感動するには早いわ。
何しろあなたにお願いする支度は、まだこれからなんだから」
セシルはそう言って、少し緊張気味のリーヤに向けて笑いかけた。
ただその笑顔にも、少々ぎごちなさのようなものがある。
当然ながらセシルの方も、これ以上ないほどに緊張しているのだ。
それに対して普段通りなのは、粛々と準備を進めているカイぐらいのものであった。
「――プッ」
「おい。何がおかしい」
「ごめんなさい。
でも、だって――アハハ!」
セシルは支度を手伝うカイの姿を見て思わず、口元を押さえながら笑い声を上げた。
カイはクスクスと笑うセシルを横目で睨みながら、不本意そうに顔を顰める。
今朝、セシルの自宅を訪れたカイは、事前の宣言通りましな服装をして現れた。
ところがその服装というのが、七分丈のスーツに蝶ネクタイという何とも言えない恰好だったのだ。
確かにいつもの無精髭を剃ったことで、全体的に小綺麗な印象は受ける。
だが、それらはあまりにも、これまでの彼の姿とかけ離れ過ぎて違和感があるのだ。
そのせいで、セシルはカイの姿を見るたびに、笑いが止まらなくて仕方がない。
「チッ、失礼なやつめ」
カイは舌打ちをしながらも、セシルの身支度を続ける。
セシルは一頻り笑ったお陰で、自身の緊張が解れていくのを感じた。
カイがセシルの緊張を解すために、わざわざこの格好をしてきた――というのは、さすがに深読みをしすぎだろうか。
「よし、これで装着するものは全て揃った」
カイがそう言うと、彼はセシルの前からゆっくりと退いた。
セシルの目の前には大きな姿見があり、鎧を纏った全身を俯瞰することができる。
果たして姿見に映り込んだのは、まるでドレスを纏ったかのような、華やかな女性騎士の姿だった。
そして、カイが後ろへ下がったのと入れ替わりに、今度はリーヤが進み出る。
彼女は薄く透き通るような布地を、セシルの肩から掛けてくれた。
「リーヤ、これは?」
「これは薄絹のヴェールを外套のように仕立て直したものです」
そう言いながら、リーヤが薄いヴェールをセシルの肩に纏わせる。
すると一層セシルの鎧姿は、結婚用ドレスを彷彿とさせるものに変わった。
セシルは一瞬頭を過ぎった『結婚』という言葉に、思わず頬を赤く染めてしまう。
「――では、リーヤ。
あとは君に託す」
「はい」
リーヤはカイの言葉を受けて、ニッコリと笑みを浮かべながら頷いた。
そしてここから先こそが、リーヤにとっての本番になるのである――。
謁見の間に居並ぶ王族たちから、徐々に退屈を表す呟きが漏れ始めていた。
既にこれまで一〇人を超える騎士見習いが、オヴェリアから騎士叙任を受けている。
無論、叙任式が始まった当初は、王族たちも次々に現れる騎士見習いに興味を示していたのだ。
彼らは騎士見習いが身に纏った金属鎧を見て、あれやこれやと熱心に品評を加えていた。
ところが叙任式がかなりの時間に及ぶに従って、彼らの集中力は如実に切れ始めた。
しかも後半現れた騎士見習いの金属鎧は、どれも王族たちを満足させるようなものではなかった。
それもあって彼らの退屈度は、程なく頂点を迎え始める。
「――あと何人ほどかな?」
王族の一人はそう言って、憚らずに欠伸をしてしまった。
貴族の婦人たちに至っても、叙任式とは関係のない世間話を始めている。
ところがそんな時に響いた呼び声が、退屈しきった彼らの心に、ほんの小さな興味を芽生えさせた。
「次はアロイス騎士家の――長女である、セシリア――失礼、セシルどの」
辿々しい呼び声を聞いた王族貴族たちは、少し考えた後に、その言葉の意味を理解した。
何しろここまで叙任を受けた騎士見習いは全員男性だったのである。
いいや、そもそもここ数年の記憶を辿っても、女性が騎士叙任されたという話は聞いたことがない――。
そうした理解の中で発せられた長女という単語は、たったその一言だけで、王族と貴族たちを強く惹きつけた。
退屈さを隠さなかった貴婦人たちも、途端に姿勢を正して、広間の入口をじっと見つめている。
――コツ、コツという硬い靴音が、静寂に包まれた謁見の間に、厭に大きく響き始めた。
通常、騎士見習いがこの場に現れる時は、ガシャガシャと金属鎧が擦れる音が聞こえてくる。
だが、そうした耳障りな音は、誰の耳にも届いてはこない。
代わりに次第に大きくなる靴音だけが、その場にいる全員の期待感を大きく膨らませていった。
そして次の瞬間。
彼らの視線を一身に浴びながら、彼女はその姿を現したのだ。




