12
壮行会の当日、セシルは普段よりも随分と早く目を覚まして支度を始めた。
彼女はリーヤの補佐を受けながらも、父の金属鎧を身に纏っていく。
本当はもっと早く、身体に合わせてみたかったのだ。
だが、磨くだけでよかったはずの金属鎧の仕上がりは、ギリギリの時期まで掛かってしまった。
一方、リーヤが仕立ててくれた鎧下は、彼女の体型にしっかりと合わせられている。
ただその上から金属鎧を着てみると、どうしても鎧の上半身がグラグラと揺れ動いた。
実際に着てみて初めてわかることだが、体型に合っているところと合っていないところが明確に存在する。
特に腰回りは壊滅的で、引き締まった体型のセシルとは、全く腰回りの太さが合っていなかった。
仕方なく彼女は幾重にも腹にさらしを巻いて、何とか違和感を少しでも解消しようと試みる。
一方で大丈夫だと思っていた胸回りの方も、意外なことに寸法が合わなかった。
高さや幅は十分な余裕があるのだが、それに比べて身体の奥行きが随分と窮屈に感じるのだ。
「最近、胸が大きくなったのではありませんか?」
リーヤに素直に指摘されると、セシルは恥ずかしげに顔を真っ赤にした。
誰にも言っていなかったことなのだが、最近下着が合わなくて、窮屈で仕方なかったのだ。
この年齢になって成長もないだろうと、高を括っていたのだが。
「な、何を言い出すのよ。そんなの大して変わってないはずよ。
確かに最近ちょっと太ったかなと、思ったことはあるけれど――」
リーヤはセシルに金属鎧と鎧下を脱がせると、鎧下を再び縫製しなおして胸元と腰回りを調整した。
そしてセシルが再び金属鎧を纏い直すと、先ほどとは違って随分と鎧が安定している。
「リーヤ、凄いわ!
鎧下を直すだけでこんなに違うなんて、まるで魔法みたい」
「フフフ。
得意の裁縫仕事が、役立つときが来て良かったです」
何とか身に纏った金属鎧を確かめてみると、やはりどうしても上半身が不恰好には見えた。
それでも鎧の表面が磨かれたことで、以前よりは随分と見られる外観になったのだ。
だが、この姿はどう見ても、鎧に着られているという表現しか思い浮かばない――。
「――ちょっと、お嬢様には大き過ぎるようですね」
横から様子を見ていたリーヤが、小さくポツリと感想を呟いた。
「そうは言っても今更仕方ないわ。
馬に乗ってしまえば、まだましでしょう」
セシルはそう言って鎧を纏ったまま、自宅の玄関へと歩いて行く。
――重い。
単なる重量はもちろんのこと、父の存在が鎧に重みを加えているように感じた。
果たしてこれで今日一日を、堪えきれるのだろうか?
身体に掛かる想像以上の負担に、全身が悲鳴を上げている。
それに、このあまりに無様な恰好は、きっと多くの侮蔑や失笑を浴びせ掛けられることだろう。
――だが、そうであっても構わない。
勇気をもって、この鎧を纏うと決めたのだから。
セシルはそう心に強い決意を抱くと、リーヤに助けられながら、借り物の馬に跨がるのだった。
◇ ◆ ◇
壮行会の会場となるのは、宮殿前にある石畳の広場である。
広場の中心には建国王の石像があり、その石像を取り囲むように、円形の道路が広がっていた。
そして、騎士たちは宮殿向かいの道から、騎乗したままこの広場へと入っていく。
宮殿の正面部分にある一段高いテラスからは、この広場が一望できる設計になっていた。
王族たちはそのテラスに陣取って、広場を練り歩く騎士へと手を振るのである。
手を振るだけとはいえ、直接王族と顔を合わせることもあって、壮行会に参列できるのは、正式に叙任を受けた騎士だけとされていた。
騎士見習いの身分にあるものは、一般人と同じように、円形の道路の外側から壮行会の様子を見守ることしか許されていない。
セシルがその日、集合場所に到達すると、そこには既に数名の騎士たちが集まっていた。
よく見ればその中には、煌びやかな金属鎧を纏った騎士団長アルバートの姿がある。
セシルも随分と朝早く出てきたつもりだったが、アルバートはそれにも増して、早くから準備していたようだ。
彼女がアルバートに近づいていくと、アルバートもセシルがやって来たことに気づいたようだった。
そして、彼はセシルの姿を一瞥すると、その恰好を見て、眉間に深い皺を寄せる。
だが、途中で彼女が纏う鎧が、亡き父親の金属鎧であることに気がついたのだろう。
アルバートは極力、それ以上表情を変えずに、セシルに向かってその事実を確認した。
「おはよう、セシル。
――それは、お父上の鎧か」
「おはようございます、アルバート騎士団長。
はい。仰る通り、父の形見の金属鎧です」
「なるほど。
いささか古風なものではあるが――。
それを敢えて選んで纏ったと理解してよいのだな?」
「はい」
セシルは迷うことなく、アルバートに微笑んでみせた。
彼の問い掛けの真意は、「他の鎧でなく、敢えて父の鎧を選んだ」という意味だろう。
対してセシルの肯定の返事には、それとは別の含蓄があった。
何しろ鎧を選ぼうにも、選べる金属鎧は父の鎧しかなかったのだ。
だが、セシルはそれであっても、父の鎧を纏うことを選んだと思っている。
何故なら彼女が採りうる選択肢の中には、『壮行会を辞退する』というものがあったのだから。
無論、その選択肢は、エリオットの顔を潰すことになってしまう。
下手をすれば、それによって、騎士叙任の話自体も潰してしまうことになるのかもしれない。
だが、一方でそれは全く取り得ない選択肢という訳でもなかった。
自分やアロイス家の名誉を優先すれば、十分に取り得る選択肢ではあったのだ。
故にセシルはアルバートへの肯定の返事に「壮行会を辞退せず、たとえ笑いものになろうとも、出席することを選んだ」という意味を込めた。
しばらくセシルたちが集合場所で待機していると、続々と騎士団の騎士たちが集合し始めた。
騎士たちはそれぞれ自慢の金属鎧に身を包み、姿勢正しく隊列を作っていく。
そして彼らは一様に、セシルの姿に気づくと、ギョッとした表情を見せた。
中には遠慮なく彼女を指さして、クスクスと笑いながら私語を挟むものまでいる。
当然セシルの方も、自分が笑いの種になっていることを十分に認識していた。
だが、それを一切気にかけることもなく、涼しげに佇んでいる。
「セシル!」
不意に騎士の隊列の中から声を掛けられて、セシルはその声の方向を振り返った。
「あら、ヨシュアじゃない」
青い装飾の入った金属鎧を纏ったヨシュアは、馬を巧みに操って、セシルの横に並び掛ける。
「セシル、おはよう。壮行会に出られるんだったよね。
――って鎧は、それで大丈夫なのかい?」
ヨシュアはセシルの鎧姿を見て、掛けようとした言葉を思わず言い淀んでしまったようだ。
彼はセシルの騎乗姿をもう一度見回してから、小さく苦笑いして彼女に語り掛けた。
「結局鎧師は見つからなかった、ってことだよね」
セシルはヨシュアに微笑み掛けると、特に悪びれることなく、それを肯定した。
「フフ、そうね。
そうだけど、たとえ見つかっていたとしても、今日はこの鎧を着たと思うわ」
「そうか、それはお父上の鎧なのか――。
ただ、そうだとしても、その姿は貴族や王族たちが何というか」
「いいのよ、それぐらい。
別に何と言われようと、わたしは構わないわ」
「う~ん、いいのかなぁ――」
ヨシュアは頭を掻くような仕草をすると、セシルから徐々に離れて隊列に戻っていく。
するとそれから間もなくして、アルバートが全体に号令を掛けた。
「よし、では出発する。
今日の壮行会は、騎士団の権威と格調を見せる重要な機会である。
決して粗相のないよう、堂々とした立ち振る舞いをせよ」
その号令を切っ掛けに、騎士たちは隊列を作り、ゆっくりと広場へ向けて進んでゆく。
集まった騎士は一〇〇人を超えるほどの人数だった。
ただ、大規模遠征になると五〇〇人を超えることもあるというから、今回の遠征は、そこまでの規模ではないと言えるのかもしれない。
広場が近くなると、壮行会の開始に合わせて、宮殿の方から音楽が流れてきた。
広場の周囲には既に多くの一般人が詰めかけていて、騎士たちが現れるのを、今か今かと待ちわびている。
そして、その期待が高まった場所へ、先頭のアルバートが姿を現すと、彼の姿を見つけた観客から一気に大きな歓声が上がった。
「ねえ、ヨシュア。
ミラン騎士長の姿がないわ」
セシルは隊列の後方から、前の様子を窺ってみて、その中にミランの姿がないことに気づいた。
「騎士長は今日の壮行会は欠席だと聞いているよ。
ただ遠征の時には謹慎が解けているだろうから、随行はされると思うけどね。
――さあ、もうお喋りはなしだ。もうすぐ出番が来るよ」
ヨシュアはセシルに片目を閉じて合図すると、隊列に戻って真っ直ぐ広場へと入っていく。
小柄な青年騎士の姿を見た幾人かの女性から、黄色い歓声が上がったようだった。
ああ見えてヨシュアは、一部のご婦人方に人気があるらしいのだ。
ヨシュアが広場に出てすぐ後に、セシルの順番が回ってきた。
彼女は意を決して表情を消しながら、広場の方向へと馬を進めてゆく。
そして、彼女が広場に姿を現した瞬間――。
歓声の音量が、二段階ほど落ちたような気がした。
セシルが無言で周囲を見渡すと、数多くの非難や侮蔑を込めた視線が、自分を射貫いてくるように感じる。
だが、彼女はそれをものともせず、円形に形作られた道路を堂々と進んで行った。
それから間もなくすると、宮殿のテラスに居並んだ王族の姿が、視界の中へと入ってくる。
姿の見えた王族たちは、盛んに何かを談笑しているようだった。
その内容は定かではないが、明らかにセシルを指し示して嘲笑している者もいる。
ところが彼女はそうした者を見かけると、むしろ王族たちに対して、手を振り微笑みを返して見せた。
恐らく今日この場にいる王族たちは、誰一人としてセシルの名前を知ってはいないだろう。
だが、『不格好な鎧の堂々とした女騎士』の姿は、きっとその目蓋に焼き付いてしまうに違いない。
そして、セシルが父の鎧を着た一番の目的は、どちらかというとそこにあった。
「――そこの騎士、止まりなさい」
セシルは王族の中から立ち上がった声が、即座に自分に向けて放たれたものであることに気づいた。
セシルは一人隊列から抜け出すと、宮殿の方へと馬の頭を向ける。
彼女がテラスを見上げて一つ敬礼すると、そこにはエリオット騎士公と、見知らぬドレスを着た女性、そして女性の後ろに控えるように一人の見知らぬ青年の姿があった。
どうやら状況から考えるに、セシルに声を掛けたのは、エリオットの隣にいる派手な女性のようである。
「あなたが、セシルとかいう騎士見習いね?」
「はい」
そう声を掛けられたセシルは、目の前の女性がエリオットの結婚相手であることを悟った。
見れば妙に肌が白くて、真っ赤な口紅が目立つ、気の強そうな美女である。
その瞳は意思が強そうな光を湛えて、まさにセシルを見下しているように思えた。
だとすれば、その後ろに控えている青年は、恐らくセシルの模擬試合の対戦相手となる弟君とやらに違いない。
その青年はニヤニヤとした薄ら笑いを浮かべていて、あまり好感が抱けなさそうな表情をセシルに晒し続けていた。
「殿下付きの騎士見習いが、その姿はさすがに見窄らしいのではなくって?」
エリオットの結婚相手が放つ声色には、明らかな侮蔑の色が含まれている。
明確な言葉になっていなくても分かるのだ。
まさに今から嘲笑してやろうという魂胆が、見え隠れしている――。
セシルがエリオットの方を窺ってみると、彼はこのやり取りにあまり関与したくないのか、素知らぬ表情で視線を背けてしまった。
「申し訳ございません。
ですがこれは、わたしの父の形見の鎧なのです。
――わたしは幼少より父に導かれて、この街の騎士になりたいと望みました。
ところが先年、父は病で亡くなってしまい、わたしは騎士になった姿を見せることができませんでした。
ですから、わたしは父に敬意を表して、どうしてもこの形見の鎧を着て、晴れ舞台に立ちたかったのです」
それはどちらかというと、嘘に近い発言だった。
何しろセシルは長い間、父の鎧を目にすることすらも避けてきたのだから。
だがこの時の彼女は、自信を持ってその言葉を伝えていた。
「――わかりました。
形見ということに免じて、今日だけは特別にその姿を許しましょう」
エリオットの隣にいる女性は、セシルを冷たく見下ろしながら言葉を続けた。
その表情を窺ってみると――明らかに苦々しげに、歪んだものになっている。
「ですが形見に縋るのは、これを最後にすると誓いなさい。
次はその鎧もその姿も、認めることはありませんから」
「承知しました。父の形見の鎧に掛けて、これを最後にすると誓います。
今日、ご理解いただけたことを、心より感謝いたします」
セシルはそう元気よく告げると、嫌悪の籠もった視線を浴びながら、再び騎士たちの隊列へと戻って行った。
――全てセシルの予想通りだった。
きっと、こうなると思っていたのだ。
恐らく今日、セシルがどんな鎧を着て行ったとしても、あの女性には「見窄らしい恰好だ」と酷く詰られていたに違いない。
何しろあの女性にとっては、高級な既製品も、改造鎧もどれも価値のないものだからだ。
とにかく彼女はセシルがどんなものを用意したところで、「見窄らしい」と、蔑むことを決めていたのだ。
それに、そもそも今回の壮行会への招待は、セシルの金属鎧の準備が間に合わないということを把握した上でのものだった。
つまりセシルがこの壮行会へ招待された真の目的は、セシルを公衆の面前で、悪し様に嘲笑することにあったのだ。
だから、セシルは考えた。
――残念ながら公衆の面前で、ある程度、嘲笑されてしまうこと自体は避けられはすまい。
だが、そうだとしても最低限の誇りを維持して、お咎めを受けない方法はある――。
それが不格好で寸法の合わない父の鎧を纏って、壮行会に出るという選択だった。
そして、彼女は殊更「形見の鎧である」ことを強調し、それが身体に合わないことを隠さずに壮行会に出たのだ。
結果、事情を知らない人は、その見た目の無様さを笑いの種にしたことだろう。
だが、彼女が纏った鎧が父親の形見であり、父親への敬意からそれを纏っていることを知った人たちは、彼女の姿を笑うことができなくなってしまった。
そもそも騎士の世界というのは、王族に忠誠を捧げ、親族を尊ぶものである。
彼女が自分の父に敬意を払い、形見の鎧を着けてきたのであれば、その心意気を決して嗤ったり、咎めることなどできはしない。
もし、仮にそれを詰るなら、それは騎士の理念に反する行為なのである。
セシルは様々な思いを抱きながら、真っ直ぐに前だけを見つめて、残りの広場を進んで行った。
その姿は一見不恰好ではあったが――彼女自身の心意気を表すように、実に落ち着いたものだった。
最初、セシルの恰好をあげつらった街の人々も、あまりに堂々とした姿を見て、笑ったり罵ったりすることを、すっかり忘れてしまったようである。
あとは、ただセシルの姿を、無言で見送るだけになってしまっていた。
そして、そうして彼女の姿を見送る街の人々の中に、薄らと微笑みを浮かべる黒髪の男性がいたことに、セシルは最後まで気づくことがなかったのである――。




