11
定例で開かれている騎士団の会合が、行われたある日のこと。
セシルはその会合が終わった直後に、アルバート騎士団長に呼び止められた。
「セシル、この後に少し時間が欲しい」
「わかりました。お部屋にお伺い致します」
騎士団の会合は、毎月の始めに、宮殿内で行われている。
会合では騎士団にとって重要な情報が、騎士や騎士見習いたちに共有されることになっていた。
そして、今日の会合で伝えられたのは、騎士遠征のための壮行会が、今月末に催されるという話だ。
その壮行会には、この街の貴族だけでなく、王族も出席するらしい。
セシルがアルバートの居室を伺うと、彼は部屋の中から「入れ」という端的な言葉を返した。
彼女が一言断って扉を開けると、そこにはいつかと同じように、植木鉢に水をやるアルバートの姿がある。
「よく来た。
話というのは他でもない、先ほど会合で伝えた壮行会に関する話題だ」
アルバートは半身のままで話し始めると、水をやり終えてから、ソファの方へと移動する。
「遠征を前に、今月末に催される壮行会の件ですね」
「そうだ。
端的に伝えると、君もその壮行会に出て貰いたい」
まさかそういう話であることを予測していなかったセシルは、一瞬返答に詰まった。
だが、彼女は直後に了承の答えを返す。
疑問を呈したり拒否したところで、得るものがなかったからだ。
「はい、承知しました。
――ですが、わたしの記憶が正しければ、通常壮行会は騎士のみの参加で、騎士見習いは参列できなかったように思うのですが」
春の叙任式はまだ先だ。
式を経ない以上、セシルは騎士見習いのままである。
「それについては、エリオット殿下から直接指示が出ていてね。
あまり例のないことにはなるが、君を騎士見習いのまま壮行会に出せと言ってきた。
どうもご自身の結婚の前に、相手方の家族に君の面通しをしておきたいらしい。
もっとも、相手方の家族といっても、出席するのはご結婚のお相手とその弟君だけではあるのだが」
それが少々苦々しいことであるかように、アルバートは眉間に皺を寄せながら、吐き捨てるように呟いた。
何しろエリオットは騎士団のエリートである上級騎士の中において、騎士公という贈り名こそあるものの、実際は騎士団の客分であってアルバートの上官という訳ではない。
逆にエリオット側にしても、騎士団長であるアルバートの指示を必ず聞かなければならない立場にはなかった。
ただ、その関係とは別に、エリオットには第十三王子という身分がある。
よって、国と王族への忠誠を求められる騎士としては、エリオットの指示を無視してしまう訳にはいかなかったのだ。
「アルバート騎士団長。質問があります。
壮行会に出よということは、わたしも次の遠征に参加するのでしょうか?」
そもそも壮行会の意味合いは、遠征に赴く騎士を見送るというものである。
アルバートはセシルの問い掛けに、静かにゆっくりと頷いて肯定した。
「恐らく、そういうことだろう。
次の遠征はそれほど大規模という訳ではないが、準備が必要なこともあって、実際の出発は四ヶ月後になる」
「四ヶ月後――。
だとすると、叙任式の翌月ですね」
「そういうことだ。
殿下としても、結局騎士になって遠征に行くのなら、壮行会に出れば良いと考えておられるのだろう。
――ただし、それに当たって、一つだけ厄介なことがある」
「厄介なこと?」
セシルが目を細め、その単語の意味を問い直すと、アルバートは再び眉間に深い皺を寄せた。
「通常、壮行会には騎士しか出られぬという部分だよ。
つまり、壮行会には必ず金属鎧を纏って出なければならない」
「――!!」
その説明を受けて、セシルは改めて自分が抱えている課題を再認識した。
しかも、叙任式にすら間に合うかどうか判らないのに、それよりも早く鎧が必要だというのだ。
「叙任式は三ヶ月後だが、君はそれに合わせて準備をしていたのではないかね?
今月の壮行会の時期に、君は金属鎧を前倒しで準備できるか?
当然のことながら、革鎧で出るようなことは認められぬ」
「それは――困りました」
アルバートの言葉を受け止めながらも、セシルは素直に困惑を表現した。
三ヶ月後ですら怪しいのに、今月中になど用意できる訳がない。
「準備ができぬなら、既製品でも仕方ないとは思うが」
「ですが、それでは――」
「嘲笑の種になるかもしれぬな。
だが最悪、それでも仕方ないと諦めねばならない」
笑いものになるのも勘弁して欲しいが、何より壮行会向けの既製品と叙任式向けの金属鎧で、二重にお金が掛かってしまう。
しかも既製品を買うにしても、その辺の安物では駄目に違いない。
一方でいくら高級な既製品を用意しても、今度は叙任式に既製品は認められないと言われてしまいそうだ。
「わかりました。何とかします――」
セシルはひとまず掠れそうな声でそう答えはしたものの、その重い課題を解決できる糸口を見つけられずにいた。
◇ ◆ ◇
その日、慌てて帰宅したセシルは、金髪が乱れてしまうのもそのままに、メイド長のリーヤを大きな声で呼び出した。
「リーヤ、急いで。
お父様の鎧を出して!」
父親の鎧など見るのも嫌だと言っていたセシルが、急にその鎧を引っ張り出せというのだ。
リーヤはさすがに何があったのかと、訝しげな表情を見せた。
「――かしこまりました。少々お待ちください。
ただ、用意はいたしますが、そのままの状態ではきっと使うことは出来ませんよ」
「当然よ。
埃を被ったままでしょうし、もう一度手入れしないと着たいとも思わないわ」
リーヤはセシルが父親の金属鎧を引っ張り出すだけではなく、「着たい」と表現したことに心底驚いた。
元々父親の鎧を見たくもないと、片付けてしまうよう指示したのはセシルだったからだ。
しばらくセシルが待っていると、メイドたちが大きな箱をゆっくりと運んで来た。
リーヤたちがその箱を叩きで払うと、部屋の中に濛々と埃が立ち上がる。
――僅か二年しか経っていないはずなのに。
セシルはそう思いながらも、顔を背けて咳払いをした。
そしてメイドたちが慎重に箱を開くと、中から見覚えのある鎧が現れる。
――古ぼけた金属鎧。
造形は実直で装飾が少なく、決して華美なものだと表現することはできない。
何より見た目の印象が、まったく今風ではなく、どう見ても無骨で実用性に富んだものに見える。
いくつかの場所に錆が浮いているようだが、それは表面を磨いてしまえば、どうにかなるだろう。
ただ、変色してしまっている部分は、差し替える部材が手に入るかどうか――。
「鎧下は新しいものを探されますか?」
リーヤが投げかけた質問に、セシルは首を横に振った。
鎧下というのは鎧の内側に着る、厚手の繋ぎのような専用の服のことだ。
「いいえ、それでは間に合わないわ。
今月末に催される壮行会に、これを着て出なければならないの」
リーヤはそれには心底驚いたのか、「まあ!」という大きな声を上げている。
「リーヤ、お願い。鎧を出来るだけ綺麗な状態にして。
ただ、手入れをする上で、街の鎧師は当てにできないと思うの」
「わかりました。
鎧下は今あるものを私が仕立て直すことにしましょう。
鎧を磨き直すのは、恐らく冒険者相手の防具屋でも引き受けてくれるはずです」
リーヤはセシルが言った「鎧師は当てにできない」ことの理由を、敢えて問い掛けようとはしなかった。
それは、彼女が長年セシルと接してきた経験からくる配慮というものなのだ。
だからこそ、セシルは彼女のことを一番信用している。
自室に戻って息をついたセシルの脳裏には、父の鎧を黒髪の男性に預けるという考えが浮かび上がってきた。
だが、ふと思いついたその考えも、可能性を吟味した後に跡形もなく消える。
何しろ時間が殆どないというのが、一番厄介な問題だった。
あの鎧をカイの手に委ねて作り替えるにしても、今からでは到底壮行会に間に合わせることはできない。
だから、セシルは帰宅する途中で考えて、結局あの鎧をそのままの形で引っ張り出すことにしたのだ。
自分の中で封印したはずの父の鎧を――『勇気』をもって、纏うことを決断したのだ。
◇ ◆ ◇
「何だって? 壮行会に?」
早朝、五番街奥の稽古場で、カイは訝しげにセシルに問い直した。
「ええ、急遽出なければならなくなったのよ」
セシルが答えた言葉に、彼は改めて指摘を加える。
「しかし壮行会は、騎士見習いは参列が――」
「そう。本来はできないはずだわ。
だけどエリオット殿下の指示で、出なさいということになったのよ。
鎧は仕方がないから、父の鎧を着ていくの」
カイは鎧の話を聞いて、少し厳しい表情へと変わった。
セシルが最初から父親の鎧を頼るつもりであったなら、彼女はわざわざ叙任式へ向けて、新しい金属鎧など作ろうとはしなかっただろう。
だが、カイはセシルが、新しい金属鎧を求めて駆けずり回っていたことを知っている。
「――セシル、必要がないなら構わないが、もし手直しを要するなら遠慮なく言ってくれ」
わざと自分に頼ろうとしていないことも考慮して、彼は控えめにそう申し出た。
「ありがとう。
でも今からできることと言えば、鎧の表面を磨くことぐらいだわ。
残念ながら、いくらあなたが凄い解体屋さんでも、一週間ほどで新しい鎧に組み上げるのは無理でしょう?」
セシルがそう返事を寄越すと、カイは思わず首を竦めた。
「確かに俺もたった一週間では、到底不可能だとは思うが――。
おい、それにしても凄い解体屋ってのは、どう考えても褒め言葉じゃないぞ」
「アハハ」
そうカイに抗議されると、セシルは悪戯っぽく楽しそうに笑った。
カイはその表情を見て、鎧を巡るセシルの気持ちが、沈み込んでいないことに安心したようだった。
それは今の苦境を、敢えて深く考えないようにしているだけなのかもしれない。
だが、たとえそうであっても、明るく笑えてさえいれば、きっと良い結果を導くことができるだろうと――。
その後、カイはいつも通りに、セシルに剣を教えることに専念した。
いつも通りに振る舞うことが、彼女の精神をより安定させると考えたからだ。
ところが身体が温まる頃合いになって、急にセシルの方が大きな声を上げた。
「そうか――。
そうよ、わかったわ!」
「何だ? わかったって、何がわかったんだ?」
彼女の言葉の意味が理解できずに、カイは剣を構えたままで問い掛ける。
すると、対戦途中であるにもかかわらず、セシルは剣を下ろしながら一方的に話し始めた。
「模擬試合の時のわたしの対戦相手がわかったのよ!
昨日、どさくさに紛れてアルバート騎士団長に探りを入れたら、『誰もが模擬試合の相手を事前に知りたがるものだ』なんて言って、本当に遠回しにしか教えてくれなかったの。
でもね、騎士団長の言葉を色々思い起こしてみたら、今になってその答えがわかった」
「ほう」
「誰だったと思う?
わたしの相手は、エリオット殿下の、結婚相手の弟だったのよ。
エリオット殿下は壮行会で結婚相手とその弟に、わたしの面通しをするつもりらしいって、アルバート騎士団長が言っていたのを思い出したわ。
でも、よく考えたら何でわざわざ弟が?と思ったのだけれど、それにはこういう意味があったのね。
だから殿下はわたしには、模擬試合のことを言いたくなかったし、勝たせたくもなかったのよ」
セシルはカイにそう伝えてから、心の中で密かに自分の発言内容を訂正した。
実際セシルを勝たせたくなかったのは、エリオットではなく、彼の結婚相手に違いない。
いいや、ひょっとしたら、エリオットの結婚相手は弟の勝利だけでなく、セシルの無様な敗北も希望したのかもしれない――。
どちらにせよ他人の感情に疎いエリオットが、こんな策を弄するとは考えづらかった。
「知らなければ良かったのかもしれないけど、知ってしまうと何だか微妙な気分になるわ」
「そりゃまた、どうしてだい?」
率直に理由を訊いたカイの顔を、セシルは溜息交じりに呆れ顔で眺めた。
「どうしてって――。
わたしはエリオット殿下付きの騎士見習いなのよ?
わたしが勝つと殿下が困るなら、勝っちゃったらどうしようとか、多少は気を遣うじゃない」
セシルの言い分を聞いたカイは、心底呆れた表情に変わった。
「多少気を遣う程度なのか。
――やっぱり君は、図太い神経をしているな」
「もう、そういうところばっかり揚げ足をとって!」
そうして、セシルが膨れた表情を見せた瞬間、カイが一気に彼女ににじり寄った。
「――!!」
カイの突然の攻撃に驚いたセシルは、何とか突進を剣で防ごうとした。
だが、彼女は完全に不意を突かれていて、カイの身体の勢いを止めることができない。
たちまち二人の木剣が激しくぶつかると、重量と体勢で劣るセシルが、後方へと弾き飛ばされた。
セシルが仰向けに尻餅をついて倒れると、即座にカイが上から覆い被さってくる。
彼女は慌てて逃れようとしたが、既に首元には木剣が突きつけられていた。
「対戦中なのを忘れていただろう?
お喋りに夢中になると、取り返しのつかない隙ができるぞ」
カイの顔が息が掛かるような距離にあるのを知って、セシルの頬は急激に赤らんだ。
彼女はその赤い顔を見られないようにと、顔を明後日の方向へと背ける。
「――わかってるわよ。ちょっと油断しただけでしょ。
でもね、模擬試合を真剣に戦うべきかどうか、わたしが悩んでるのは本当なんだから」
カイはセシルの言葉を聞くと、身体を退けて片手を差し伸べた。
セシルは不意を打ったカイを恨めしそうに見ながらも、手を取ってその場から立ち上がる。
そして、セシルが身体についた土埃を払っていると、カイが彼女に向けて口を開いた。
「君はもう騎士団での評判は、気にしないと言っていたじゃないか。
だとしたらそんな程度の悩みは、一瞬で答えが出るはずだろう。
相手は姑息な手段を使ってまで、君の大切な叙任式を台無しにしようとしているんだぞ」
ふとセシルが顔を上げると、カイが妙に悪戯っぽい表情で、ニヤニヤと笑っていた。
彼は浅黒く日焼けした拳を振り上げると、声に力を込めながらセシルへ言い放つ。
「そんな相手に気を遣う必要があるか?
俺は何のために剣を教えたんだ。
君は見世物じゃない戦いをするんだろう?
相手が誰であろうと関係ない。
そんなヤツは――思いっきりぶちのめせばいい」
セシルはカイの言葉を聞いて、一瞬唖然としてしまった。
そして次の瞬間、思わず「アハハ」と、白い歯を見せながら大きな笑い声を上げる。
その自身の笑い声が、胸につかえていたはずものを、綺麗に打ち消していくように思えた。
「そうね――。
いいえ、あなたの言うとおりだわ!
わたし色々なことを考えすぎたのよ!」
そうしてセシルは模擬試合の対戦相手を、容赦なくぶちのめすことに決めたのだった。




