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6 娘の名を呼べず

 武装して出ていく娘・ナミカを見送ることしかできなかったバフィンは、仕事道具の予備が入った工具箱を何気なく開け、ノミや金づちを眺めた。手に取ろうとして、やめて、やはり金づちを手に取り、窓の板戸に向けて投げつけようとして、こらえ、しまった。こんなもの、今は何の役にも立たないが、ナミカをあそこまで育てられたのはこれらの道具のおかげだった。

 できることなら、娘の盾になってやりたい。先立った妻に約束したことでもある。だがそれは、戦いのための能力でバフィンをはるかにしのぐナミカに対しては、絶対にできないことだった。もし今ついて行ったところで、彼女の両手両足を縛り付けるだけだ。

 ナミカの言いつけ通り、家中にある銀貨銅銭、保存食、薬草、水の入った瓶などをすべてひとつの麻袋に詰め込んだ。あまり重くなるといけないと言われたから、生活に必要なもの以外は諦めるしかない。


「バフィン! 準備はできたか! 早く行かんと!」

「おお!」

 玄関のほうから聞こえた隣人の催促に応え、麻袋の紐を引いて立ち上がった。石で舗装された表通りはこれまで見たことがないくらい混雑していたので、舗装されていない裏通りをなるべく選んだ。雨の日はぬかるんでとても走れたものではない場所だが晴れた日は問題ない。石を組んで作られた二階建ての住居や店舗が裏道を上から見下ろしている。いつもの圧迫感を覚えながら、裏通りの終点まで走り、表通りに戻る。そこからは山に向かうにつれて日当たりのいい段々畑になっていて、一定間隔でゆるやかな傾斜の石坂が貫いている。この石坂は樋道といみちと呼ばれるもので、石を滑らせて運搬するのに使っている。樋道の終点は河から引き込んだ水路だ。ここでいかだを組んで港まで水面を運ぶ。若いころはこういった力仕事に割り当てられることがよくあった。

 道が広くなったので混雑もだいぶおさまってきた。この樋道をたどっていけば石切り場までたどり着けるから、人の流れも順調だ。見知った顔と無事を喜び合いながら坂を上っていく。途中で山に入ったが、木材を伐るほうの木伐り山と石切り山では、同じ山でも風貌がだいぶ違う。こちらでも木材をとることはあるが、あちらほどきっちり整備がされているわけではないので、石切り山のほうがどこか雑然としている。


 ここからここまでが石切り場、という明確な区切りはない。だんだんと道が開けて、採石途中の切り立った岩山がいくつも姿を見せるようになる。白くてきめの細かい花崗岩かこうがんがなめらかな断層を見せている。ふだんはさして意識しないがなかなかの威容だ。石切り仕事をしていない人間たちのなかには、それらの石山を指さして話している人たちもいる。

 今日作業する予定になっていた辺りにははしごがかかったままになっていて、石に打ち込む楔やノミ、大きな金づち、石を引く縄、砕けた石などが散乱している。危険な場所に人が立ち入っていないか見回してみるが、みな安全な場所を通って奥へ――マキナ村のほうへ――歩いている。先に到着していた仕事仲間が上手い具合に誘導してくれたらしい。

 運び出しやすい手前側からえぐり取られた石山の脇で、ようやく列の動きが止まる。十四年前ならこれほど進まなくても人が入りきれるはずだったが、それだけ人口が増えたと言うことなのだろう。ガエラタ村長の下で働いているのを何度か見かけた人間たちが声を張り上げて、避難民の整理をしている。その声を遠くに聞きながら、バフィンは何気なく、膝くらいある石の上に乗った。娘の走っていった方角を見ると、上ってくる避難民の列が見えるだけだった。

 どれくらい時間が経ったろうか。近くにやってきた仕事仲間と、どうせなら仕事の続きでもするかと冗談めかして話しているときだった。マキナ村とのあいだに横たわる山道さんどうのほうから何か大きな声がして、人混みがわらわらと動き出した。続けて起きた人の波に巻き込まれないよう、近くで一番大きな石の上に、バフィンと仕事仲間たち三人とはよじのぼった。

「止まれ止まれ! もう下がれん!」

 途中で人波がせき止められ、仕方なしといった様子で、止まる。

 普通の人より高い位置にいるバフィンたちにはその元凶がすぐにわかった。

 三つの隊列に別れて整列した、槍持ちの一団がこちらへ歩いてくる。

 その三つの隊列の真ん中あたりから、一人が一歩前に、踏み出した。

「我々は宮廷部隊第四大隊と第五大隊! この村はすでに占拠した。大人しく指示に従ってもらおう!」

 黒地の長袖長ズボン、真ん中に走る一本の赤く太い線、並んだ金ボタン。シンプルだが素材の良質さが一目でわかるその隊服は、確かに宮廷部隊のものだった。

「なに。おとなしく指示に従ってくれれば、悪いようにはしない。われわれは何も、領民を殺しに来たわけではないのだ」

 いま石の都に城を構える王家は、二十年前の戦争で敗北した際、都以外の領有権を取り上げられているお飾りにすぎない。だからこの村の人間は、正確には領民ではない。だがそんな正論を言ったところで、何が変わるとも思えなかった。

「まずは年齢別に別れてもらおう」


 年齢別のあとは男女別に、男女別の後は、四十代以上の人間が職業別に別れさせられた。

 狭くはあるが、腹の部分までえぐりとられた石山などに限界まで近づけば、まだスペースに空きはある。区分の要所要所に槍と曲剣で武装した宮廷部隊員が数十人ずつ立ち、間隔を適度に空けさせる。家族と別れさせられることによる軽い反発やパニックも、整然とした武力を見せつけられればすぐに収まらざるを得なかった。

 三十代以下の男たちがまず、山を降ろされた。全体から見れば十分の一ほどしかいない人間にいいようにされるのは、あまり気分のいいものではなかったが、鼻先に槍がちらつけば誰でも命は惜しい。加えて、敵――たとえばリズ兵やクロークル兵――を前にした興奮状態ならともかく、石の都の宮廷部隊はあくまで、自分たちがいちおう奉じている王家の部隊なのだ。

 次に三十代以下の女たちが降ろされる。発展途上の街だから、ここまでの層が消えただけで約半数の人間が山を下りることになる。

 残されたのは、四十代以上の男女だった。

 バフィンはもちろん、石職人のグループにいた。どの人間もこの道三十年近いベテランだ。

「このなかで石材、木材、材木、港湾、行商に携わる職業グループは下山してよし。女はそのまま……」

 壮年の宮廷部隊員の声がそこで途切れる。

 山の下のほうから、女の悲鳴が上がったからだった。

 悲鳴のあとに続く悲鳴はすぐには起きず、耳を澄ましていた宮廷部隊員が口をもう一度開きかけたところで、今度は同時にいくつもの悲鳴が上がり、雄たけびのような声まで聞こえ始めた。

「おい、様子を見てこい」

「了解」

 男が指示を出すと、そばに控えていた男が駆け出した。

 男は結局戻ってこなかった。

 戻ってきたのは、悲鳴を上げながら逃げ惑う女たちだった。

「今の隙に逃げるぞ!」

 誰かが叫んだ声に反応して、仕事仲間たちも一目散に山を目指して走り出した。

 呆けていたバフィンも背中を

「おい!」

 と叩かれて我に返った。

 もう二十年は顔を突き合わせている仕事仲間だった。彼が走りすぎていくとき、近くにいたあの壮年の男の槍が翻って、その背中をとらえた。槍はあっけなく彼の背中を刺し貫いた。

 バフィンは瞬間的に頭に血が上り、その男に殴りかかろうとした。けれどそのこぶしが届く前に、別の槍が、バフィンの胸板を突き破った。

 首を捻じ曲げてみると、先ほど様子を見てこいと言われていた男だった。

 槍が何の気遣いもなく引き抜かれると、冗談みたいな量の血が噴き出した。そこで初めて、痛みがやってきた。

 バフィンは歯を食いしばりながら胸を押さえた。鼓動が脈打つたびに、血が手のうちからあふれ出ていく。

 ナミカ……。

 最後に娘の名を呼ぼうとしたバフィンにはしかし、それすら許されなかった。胸を抑える力が抜けていき、バフィンは近くにあった石壁までふらふらと歩いて、体の側面をこすりつけるようにしてもたれかかった。それはバフィンが長年仕事場にしてきた、イシクラ村特産の、花崗岩の石壁だった。

 バフィンは、左手を石壁について、身体を支えようとするが果たせず、そのままずるずると地面に座り込んだ。

 いまわのきわ、バフィンはなぜか、娘がとおのとき、天命石を見つけ出してきたことを思い出していた。

『見てくださいこの石、おもしろいでしょう! 金づちとかノミとかくっつくんですよ!』

 バフィンは微笑を浮かべ、息絶えた。



 

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