5 震え
ズビニエクを拘束し続けて陽が天辺をすぎ、少しずつ位置を落とし始めたころだった。
ただ沈黙が下りていた第一荷揚げ場に、新たな船がやってきた。その船もこれまでと同じ軍船で、やはり宮廷部隊の旗を掲げている。
ズビニエクが鼻だけで笑った。
「どこの船だ! ズビニエクの副官は応えろ!」
「ズビニエク様と同等の権限を持っている第三大隊だ。隊長のソリス様は苛烈な性格で知られている。人質となったズビニエク様ごと、お前を殺すだろう。そして石切り場はいまごろ第四、第五大隊が占拠している。石切り場が避難場所になっているなどとうに調査済み。もうお前の抵抗は無意味だ。あきらめてズビニエク様を解放しろ、賊徒」
太陽の位置と今の言葉について考える。
朝方から避難が始まったのだから、避難者たちはとっくに村を発っているはずだ。もともと時間を稼いでいたのは避難を完了させるため。無事に避難ができるならここにとどまる理由はない。第三大隊長と第四、第五大隊の話はこちらを揺さぶるための嘘だとしても、ここまで部下に慕われている男を他の大隊長の前で辱めた場合、追撃の勢いはおそろしいものになるだろう。
第三大隊のものだという軍船が、荷揚げ場に船体を寄せてくる。
時間はもうない。ここが最後の均衡を取れる時間。
……そういえばガエラタは、グレックの家を通ってこいと言っていた。何か用意しておいてくれるのだろうか。
ナミカは少しずつ、自分より背の高い積み荷たちが置かれた場所へ歩み寄った。
そこで腕の締め付けを、喋れる程度に緩めた。緩めたとたん、
「さっさと俺ごとこいつを殺せ! 俺を笑い者にする気か!」
ズビニエクが嗄れた声で叫んだ。ナミカは短剣を鞘に戻し、拘束を解いてズビニエクを蹴り飛ばした。
これでズビニエクの面目はそれなりに保たれた。口にしないにせよ、酒に酔っていたという言い訳も立つ。
近くの荷の陰に隠れ、陰から陰へ走って材木町二番街の花屋横丁へ転がり出る。この花屋横丁のどこかの路地を折れたところすぐに、同じ警護兵のグレックの家があったはずだ。
少し路地に目が行ってしまって、足元への注意がおろそかになった。小さな段差に足を取られて転んだ。
すぐに立ち上がろうとして、足から力が抜ける。二度転んで、気づく。足が震えていた。それはやがて、全身にまで広がってきていた。動悸が激しくなり、汗まで一気に噴き出してきたところでようやく、ナミカは自らのうちに潜んでいた恐怖に気づいた。
話の通じない新王。宮廷部隊。石切り場。第四大隊。第五大隊。
「昨日まで……」
……昨日までいつも通りだったじゃないですか。
ナミカはかちかちと喚き始めた口もとを引き結び、自由の利く右手で足を何度も殴りつける。ようやく収まりかけてきたわななきが、近づいてくる多くの足音によってまたぶり返していた。けれど、けれどこんなところで死ぬわけにはいかない。まだ村人たちがどうなったのか、確かめていない。自分にはまだできることがある!
震えに耐えて立ち上がったとき、路地から何かが飛び出してきた。曲刀の柄に手をかけるが、すぐ手を下ろした。
「乗れ!」
手綱を引かれた黒い馬が一頭と、ガエラタとスピリーの乗っている栗毛馬が二頭。
鞍に足をかけて、飛び乗る。
「助かりました」
感謝してから、ナミカは馬の横腹を足で軽く叩いた。
石畳を蹴る蹄の音が、背後の敵との距離を空けていく。直面しなければならない現実との距離は詰まっていく。石切り場に向かう途中で第三、第四大隊の話をすると、ガエラタはいつものように顔を真っ赤にするのではなく、血の気の引いた顔で道の先を見据え始めていた。
「みんな、無事でしょうか」
答えを求めたわけではないのだろう。スピリーの小さなつぶやきがぽつりとこぼれた。
街の景色は、天命石を拾う前と後でずいぶん様変わりした。この花屋横丁も前は裏通りのような扱いで、道は舗装されていなかったし、馬車も通らなかった。名前とは裏腹に治安も悪く、父には何度もきつく花屋横丁にだけは行くなと言い含められていた。それが今や、昼には仕事で駆けずり回る人々たちでにぎわい、夜には仕事終わりの人々の明るい笑顔で満ちている。そんな場所が、この村には何か所もできた。天命石の力で、じゃない。村人の努力で、だ。十四年。この十四年の頑張りがあったからこそ、村はここまで発展した。
それを上澄みだけかっさらおうなんて、虫が良すぎる。
しかも連中は、この村に重税を課すなどと言う間接的な方法すら取らない。直接支配下に置こうと動いている。暴力にものを言わせて。
「もっと早く、我々は武装を強化するべきだったのかもしれんな。都に政治工作をしかけておけばなんとかなるという考えは甘すぎた。発展する前までの感覚が、いつまでも抜けきらなかった」
ガエラタが後悔の声を漏らす。
「そうでなくとも昨日の夜、せめてあの盗賊の言うことを信じて、すぐ村人を避難させればよかった」
「すべて新王のせいです。村長が悪いわけありませんよ!」
スピリーが慰めの言葉をかける。
「村長、新王を目にしたことはありますか? 彼はどこまでやるつもりでしょうか」
ナミカが尋ねると、ガエラタは首を小さく振った。
「わからん。それほど冷酷な印象はなかった……というよりもむしろ、人当たりがよく柔和で、天命石の引き渡しを求められた時も、特に身の危険は感じなかった」
「宮廷部隊にあまりいい噂は聞きませんが。宮廷部隊の暴走という線は」
「それはない。宮廷部隊の長官はやつの幼馴染らしいからな。常にかたわらに立ち意見交換をしている様子だった」
宮廷部隊の第二大隊長ズビニエクは、少しのあいだ一緒にいただけで血の気が多い男だというのが分かった。ズビニエクの副官によれば、第三大隊長はそれよりも気性が荒いという。それだけの男たちをまとめあげる長官とやらの、さらにその手綱をしっかり握っておける人物が、柔和なだけのはずはない。必ず隠し持った獰猛な本性がある。
舗装された街路が、河から引いた輸送用の水路をはさんでふたつに分断され始めたところで、
「石切り場の入り口に、立っている人間がいます」
目のいいスピリーがかすれた声で言った。
ナミカが馬の手綱を引いて速度を落とすと、他の二人もそれに従った。