2 焦り
「相手から攻撃された場合のみ、武器の使用を許可します」
「相手から攻撃されても、絶対に武器は使うな」
「わたしはあなたたちを無事に帰す責務があります。本当は使わないのが一番ですが、わたしはアシュタットが襲われた際、民兵として戦いました。土地鑑のある彼らの力は侮れません」
「わたしはお前らを無事に帰すためにここにいる。けど、わたしはイシクラ村で、軍の怖さを知った。いくらふだんは気のいいお前らでも、一度殺しが始まるときっと止められなくなる」
「あなたがたの無事には代えられません。武器をふるった責任はわたしがとります」
「大丈夫、これまでそのために訓練してきた。わたしもできるかぎりお前らを守る」
「相手は人ですが、武器を持てば敵です。油断しないでください」
「相手は人だ。殺せば殺人になる。忘れんなよ」
◆
厚い雲に昼の陽光はさえぎられている。ぽつりぽつりと雨の落ち始めた農村地帯、八月七日村郊外で、牧畜場と道路と畑をはさんだ平原に布陣していたナミカの率いる第一大隊が、村へ進み始めた。第二大隊に丘陵地帯で自警団を監視しておくよう言いつけ、あまりにも性急に動き出した第一大隊を見て、ファジィは舌打ちした。
「あのバカ……」
丘陵地帯から攻撃を仕掛けてきた自警団は相手にならなかった。数だけは多く、五百はいただろうか。彼らは第一大隊と第二大隊の二正面作戦を強いられた。すぐに包囲され、降伏した。
降伏した自警団は小さなまとまりにわけてそれぞれ兵士たちを見張り番につけている。帯剣はさせているが、どんなに口汚く罵られようと、決して抜かないようにと厳命してある。
「わかってんだろうな! こいつらはあとで味方になってくれるかもしれねー! 手荒に扱いやがったらぶっ殺すぞ!」
ジャオがわめきたてながら、兵士たちの間を駆け回っている。自警団の人々は、兵士たちよりも、言葉遣いの荒いジャオのほうを怖がっている。
アシュタットの軍勢は、リズ軍と新王軍から見れば些細なもの。けれどこれらの兵士たちはすべてアシュタットが給金を出して雇っている志願兵だ。徴兵された兵士と違い、略奪で生計を立てる必要がない。もともと盗賊だったファジィやジャオが律するのもおかしな話だけれど、アシュタットを成り立たせているものは「暴虐な新王に対抗する義勇軍」という大義名分だ。リズや新王に追い立てられた人たちが逃げ込める先としてしか、存在価値はない。ただの荒れくれものたちの勢力に、わざわざ人はやってこない。
アシュタットにいつあの第四大隊が現れるかも知れず、焦るのもわかる。少しでも早く死の都を制圧してクロークル軍に引き渡し、取って返したいという気持ちはファジィも同じだ。けれどナミカは自分以上に焦っている。別の天命石の加護を受けていると思しきグーヴェと生死のやりとりをして、思うところがあったのかもしれない。
髪にぶつかってくる雨粒が少しずつ大きくなってきていた。何かが起きそうでも命令は命令だ。ここで勝手な行動をとれば、余計おかしなことになる。
ひとまず目の前のことにだけ意識を向けることにした。
「支援中隊! 雨具は準備できてる?」
ファジィもまた見張りの一人として自警団の代表者を監視していた。目を外さないようにしながら誰に言うともなしに声を張り上げると、
「配り始めているようです」
近くにいた中隊長の一人が応えた。
「そっか。ありがとう」
「いえ」
ファジィ自身は、投剣――小さな鉄の棒――をしまっておくのにいつもコートを着ている。フードをかぶると、
「あんたって、本当にこの連中の頭なんだな」
自警団の代表者が話しかけてきた。白髪の混じり始めくらいの髪をした彼は、あぐらをかいて後ろ手を突き、捕虜とは思えない大きな態度でいる。
「ガキにしか見えないって?」
「まあな」
「どうして攻撃してきた。アシュタットとは〈名無し〉仲間だろ」
「うんざりなんだよ。戦争が起きるたびにしわ寄せがくる。新王の取り立ては確かにひどいもんだが、戦争がなきゃもっと少なく済む。兵隊もとられない。あんたらみたいなのだって俺らを苦しめてる一員だ」
「はっ。飼いならされてんな」
「何とでも言え。クロークルが支配した後はまたリズか新王が攻めてくる。リズに奪還されたら、クロークルに協力した人間が徹底的に調べ上げられて殺される」
「それが抵抗した理由か」
「あんたら北部の人間に、俺たちのことは一生わかんねえよ」
死の都。リズ・クロークル紛争の最激戦地。
リズ軍もクロークル軍も、自軍の兵士は大陸での戦闘用に温存し、支配したヤーヌイツ島北部と南部のあらゆる人間をかき集めて死の都につぎつぎ送り込んだ。代理戦争の結果として、ヤーヌイツの旧都は灰燼に帰し、ヤーヌイツ島全土に死があふれた。八月七日村は〈名無し〉の中で最も再激戦地に近い村だ。同じ〈名無し〉でも、違う歴史をかかえてきたのだろう。
「そうかもな」
ファジィは同意して、男を視界の正面にとらえて立ったまま、その背後で雨具を配って回る支援中隊の兵士たちに目をやった。勢いを増してきた雨に俯きながら「雨具早くくれー」と受け取りに行く兵士が出始めたころ、
「まずいな……」
フードを叩く雨音にまぎれて、自警団の代表者が小さくつぶやいた。
「何が?」
「村の連中には、リズ向けの言いわけ作りに適当に攻撃しろって言ってあったんだが」
雨にさらされてずぶ濡れの前髪が代表者の額に貼りついている。雨具を分けてやりたいがあいにく数に余裕はない。
「この雨だと、お前さんとこの連中が過剰反応するかもしれん」
「それを早く言えよ!」
ファジィは怒鳴ったあと、
「ジャオ! ジャオ!」
と叫びながら辺りを歩き回った。
「ここだここ!」
と、声が聞こえた。雨音がうるさくて方向が分からない。見回すと、丘の斜面からジャオが駆け上ってきた。ファジィはフードを取って、ジャオに
「ここを頼めるか!」
と怒鳴った。ジャオもまた雨具のフードをとり、
「わかった! 待機でいいんだな!」
「そう! わたしは自警団の代表を連れて村に行く!」
もう意味をなさなくなったフードをかぶり直さず、代表者の方へ駆け戻る。
「付き合ってもらう」
とだけ言い、強引に担ぎ上げた。天命石の力を借りるのはあまりしたくないが、自分の体格では男を担ぐことなどできない。仕方なく使って、丘を駆け降りる。目にも使って、吹き付けてくる雨水の中でほとんど見えなくなっている兵士や自警団の人々の間を縫い、村へ走った。
「いきなりなんなんだ! 降ろせ!」
ファジィはしばらくその言葉を無視し、ちょうど村の建物が見えてきたところで言われた通りにした。この運び方では会話がしにくい。
「その体のどこにそんな力が」
「そんなことはどうでもいい! 乗れ!」
ファジィは男の前にかがんだ。男が少し迷った後、言われた通り背中におぶさってきた。
「ナミカは村長に降伏を説きに行くはずだ。家はどこにある?」
「村の中心からだいぶ南西に行ったところある」
「背負ってくから案内頼む。民兵の武器と戦意は」
「槍。血気盛んな連中は自警団に連れてこようとしたが、従わなかったやつらが特に危険だ」
「そこまでわかっててよくのんきに構えてられたな」
「言っただろ。あんたらも新王も、俺らにとっては変わらん」
男の案内で、村の中央の通りを歩いている第一大隊の列と決して鉢合わせしないように走る。
人口がわりあい多いアシュタットやアシュタット港と違い、八月七日村は田畑や未開拓の土地が多く建物と建物の間隔が長い。隠れて走るには効率が悪すぎる。
ファジィは途中から諦めて隊列に合流し、第二大隊のファジィだと言いながら隊列に横付けして走った。背の低さで有名だからか、あまり疑う者もいなかった。
無造作に生い茂る細長い葉が雨の圧力に頭を押さえつけられ、耐えきれなくなったものからぱらぱらと落ちてくる。道なりに進んでいると、錆びた鋤や鍬が立てかけてある掘立小屋が突き当りにある三叉路に出た。大隊はそこから二手に分かれていく。
「どっちだ?」
背負っている男にたずねる。
「左だ」
左へ行くと道の両脇には、先ほどの作業小屋と大差のない高床式の家がぽつぽつあり、雨に打たれて大きな音を立てている。道があまりにもひどく、足を取られて走りにくい。
「ここは貧しい家が多い。この連中が特に」
男が言いかけたとき、三列になって歩いていた大隊の人波が崩れた。
ファジィは左目に加護の力を流し込んだ。一瞬であらゆる景色を飛び越え、何が起きようとしているのかをとらえる。
槍を突きだそうとする村人と、気付いてよけようとする兵士。無防備な横腹に穂先が触れそうになっている。
右手側の遠くになぜか、ナミカの気配を感じた。正確にはナミカの持ち歩いている天命石の気配かもしれない。
ファジィの感じている時間がぶつりと途切れた。雨音が気味の悪いほど遅く聞こえ、白い棒きれのようになった雨粒が、目の前に広がる。瞬きの間に、あれだけ遠くにあったはずの、自分と、村人との距離が縮まっていた。背負っていたはずの自警団の代表者が背中にいない。槍を突き出す村人の動きが止まって見える。ファジィはコートの内側から投剣を取り出して村人の手に投げつけた。
次にファジィが知覚した時間で、村人は槍を取り落として態勢を崩しかけ、逆に兵士の蹴りが村人の腹に入るところだった。
ナミカから聞いていた、時間が細切れになるという表現がよくわからなかったけれど、いま、はっきりとそれを知った。
次に、兵士のほうが転がった村人に向けて剣を引き抜こうとした時間になっていたので、ファジィはその右手を掴んで、もとの位置に戻してから、村人の腕を取って地面に軽く押さえつけた。
そこで、雨音がうるさくなり、頭にぶつかってくる雨も元通りになった。
「こいつを捕縛しとけ」
ファジィが言うと、兵士は何が何だかわからないというようにぼんやりと見下ろした後、
「わかりました」
と慌てたように姿勢を正して応えた。
ナミカとグーヴェがやりあったとき、ファジィには、何も見えていなかった。気づいたら、息を切らしたグーヴェとナミカが向かい合っていた。わけもわからないまま、隙をさらすグーヴェに斬りかかったのは、その瞬間だった。
周りの人間には、突然ファジィが現れたように見えていたのだろうか。だとしたらあまり多用しないほうがいいかもしれない。あのわずかな動きをしただけで、身体が異様に怠い。
「おい、置いてくな」
後ろから走ってきた自警団の代表者が言う。
「いつの間に俺を放り出してそんなとこまで行ったんだ? 俺は意識を失ってたのか?」
彼は不安げな顔で言い足した。
「言っても信じねえから教えない。おかしなことが起きたとだけ思っとけ。それよりナミカ……わたしらの代表がいるところが分かった。お前も連れてくから」
「またか。まるで赤ん坊扱いだな」
自警団の代表者はぶつくさ言いながら、またおぶさってきた。