3 「ごみあさり女」ファジィ
夜になると、村のあちこちでかがり火が焚かれ始めた。ナミカは昼間よりもだいぶ気を張って、宝物庫の屋上に上っていた。天幕はたたんである。
きょうは吹きつけてくる風の音が強くて、物音が聞き取りにくい。ひときわ強くなった時には砂煙も舞う。こういう夜はあの女に有利で、いつも以上に神経を使う。諦めずにじっと聞き耳を立てていると、河のほうで音がした。
河ならここから近いから、何かあってもすぐに戻れる。
「ちょっと河のほうを見てきます。何かあったらすぐ呼び戻してください」
「わかった。気をつけてな」
今日の深夜番は昨日とは別の四人だ。深夜番はナミカ以外、日替わりが多い。
槍を持ったまま、なるべく音を立てないよう飛び降りる。盗賊の足音を察知するため周囲に敷き詰めた砂利が、大きな音を立てる。こちらの位置は知られているから多少の足音くらいは気にしない。飛び降りたのを気づかれて逃げられても問題ない。どうせあの女は捕まえられないのだから。
腰を低くして、河原まで歩く。案の定というべきか、あの女がちょうど川を泳ぎ切ったところだった。
こちらに気づいた女は、いつもの牛の仮面をつけて河に左足を残したまま、裸足で蛇でも踏んだような声を出した。
「耳よすぎるだろ。ちょっと水面が揺れただけなのに」
この距離なら槍を投げても当たる確率のほうが高い気がしたけれど、この女相手だと外す気がする。さすがに素手でこの女とは渡りあえない。
「今日はそのまま泳いで帰ったらどうです? 追いませんよ」
「いけると思ったんだけどなあ、河からの奇襲は」
「もうこれからは別の標的を狙ってください。それがお互いのためです」
女はその言葉を聞いているのかいないのか、返事の代わりに
「お前と、少し話がしたい。大事な話」
と言った。
相手が何を思ってそんな言葉を発したのか、意図がまったく読めない。
「わたしのほうには話すことなんてありません」
「わたしの名前はごみあさり女」
ナミカの言葉なんて必要としていないかのように、女は話し出した。
そして意味のわからないことを言い始めた。
「え?」
「だーかーら。名前がごみあさり女なの。別に盗賊には珍しくもないでしょ?」
「盗賊の名前なんて聞いたことないです」
「それで……」
「ちょっ、ちょっと待ってください。ごみあさり女なんて呼びにくいですよ。わたしはこれでもきれいな言葉づかいを売りにしてるんです」
「売りってなんだよ。わけわかんねえ。でもまあ……そうだなあ。じゃあ死体喰らい女は?」
「悪化してるじゃないですか! せめてそうと分かりにくい外国語で……ネクロファジィ……ファジィと呼びますね」
「勝手にしろ」
「じゃなくてですね! わたしは盗賊であなたは警護兵ですよ! 何をのんびり会話してるんですか!」
「落ち着け。わたしが盗賊でお前が警護兵。で、話の続き」
ファジィは言いながら、いつもつけている朱色の牛の仮面を外した。あまりにも自然なしぐさだったので、攻撃を仕掛けるのには絶好なタイミングを、ナミカは逃してしまった。
そこにあったのは、いままでやりあってきた中で描いていた彼女の顔そのままだった。眉間に力強さのある凶悪な目つき。ショートカットで、右の頬と額のあたりに、大きな影があった。暗闇でよく見えないけれど、やけどの跡だろうか。
「この村を頻繁に襲っている情報がどこかから漏れたんだろうな。わたしは一週間前、石の都の皇太子に話を持ちかけられた」
ファジィは牛の面をもった右手を、右のほうへ流す。石の都がある方角だ。
右手がふさがっているのは罠だろうか、それとも好機だろうか。ファジィの表情をもう少し見やすくしようと、二、三歩、進む。ファジィはもちろん気づいているけれど、あまり気に留める様子はない。
「何を言ってるんですか。石の都とイシクラ村は共存共栄。つい先日も、村長が宮廷の晩餐会に招かれて、他の村の人たちからあまり調子に乗るなとくぎを刺されたたくらいですよ」
「だから、よく聞けよ。わたしを雇ったのは皇太子。やつは天命石がどうしても欲しいらしい。村長とは水面下で何度もやり取りしてるが、村長が突っぱねてるんだと」
「なぜそれほど欲しがるんです」
「知らない。わたしはあんな石、どうでもいいから」
ナミカは思わず、指をさす代わりに、槍で勢いよくファジィのほうを示した。二度も。いま口を開けば幼いころに矯正された汚い罵りがあふれるに違いなかった。
「はあ? もしかして、まだ気づいてねえの? わたしたちが盗んでるのは食料だよ食料。備蓄庫から毎日少ーしずつちょうだいしてる。本気でわたしが石を狙うなら、村人を殺しまくりゃいいだろ」
確かに、備蓄庫の食料は、毎日毎日きちんと量り直したりはしない。虫やネズミやその他小動物に袋が破られていないか、袋や箱の数はきちんと合っているかを確認するくらいだ。下手をすれば次の収穫の時期まで気づかなかった可能性すらある……。
「あー! もしかして、十七日前、わたしが夜食に取っておいたパンが消えたのも……」
「あ? 盗んだような盗んでないような……よく覚えてるなお前」
「武器を構えなさい! 今日こそ捕まえてやります」
「そろそろふざけんのはやめとけ。本当に大事な話だ。お前の村の行く末にとってのな」
ナミカはふざけているつもりはなかったけれど、急に声のトーンを落としたファジィに気圧され、槍を構えたまま、黙った。
「今朝、石の都の王が死んだらしい。跡継ぎは皇太子になった。これがどういう意味か、わかるか?」
「皇太子が王となって、本格的に天命石を狙ってくると言うことですか?」
「違う。わたしが失敗したら、後発の、正式な軍隊が出てくる。そういう手はずになってる。もういきなりそういう段階だってことだ」
「なぜ一国の王になる人がそこまで……。あれは、わたしが拾った、鉄を引き寄せるだけの石なんですが……」
「お前が拾ったの?」
「はい。子供のころに」
ファジィが笑った。
「はははっ。すげえ。そのせいでずっと守らされてきたのかよ。話が早くていいな。さっさと渡しちまえ。お前も役割から解放されて、村も傷つかずに済んで、わたしも任務を果たせる。いいことずくめじゃねえか。ほら、くれ」
ファジィが左手を差し出してくる。
「それはできません」
「は?」
「第一に、あなたが信用できません。あなたのような盗賊を、皇太子が雇うでしょうか。石を持ち去るための虚言と見るのが普通です」
「んー……まあ、そうだな。わたしだっていきなり声をかけられてちびったし」
「第二に、この村にとって、天命石は紛れもなく最上の宝となっています。わたしは信じていませんが、村の多くの人々にとってはすでに心の支え、信仰の対象となっています」
「なるほどね」
「第三に、天命石を勝手に持ち出したものは死罪です。親や子はもちろん、祖父、祖母、曾祖父、曾祖母、おば、おじ、大おば、大おじ、甥、姪、いとこ、はとこまでが死罪になります」
「うげ」
「第四に、天命石はこの宝物庫にはありません。本当のありかを知っているのは、警護責任者のわたしと、村長や一部の幹部だけです。わたしが盗んで渡した場合はすぐに露見して、わたしの親族が皆殺しになります」
ファジィはそこまで聞くと、前髪をゆっくり引っ張ったりやめたりを繰り返しながら、言葉を探していた。
「なら、誰かに言いつけて、村長と主だった連中を連れてこさせろ。わたしがここで説得してやる」
「ファジィ。あなたほどの力があれば村人を簡単に殺せるのに、あなたとのこれまでの戦いで、村人はひとりも死んでいません。それどころか、負傷者すら出ていません。わたしは第一の理由にあなたを信用できないことを挙げましたが、感情だけで言えばあなたを信じています。
……けれど。けれど村長は、わたしほどあなたのことを知りません。天命石を手放すことは絶対にないでしょう。あなたはそれでも、この村のために自分の身を危険にさらすつもりですか?」
「ここはガキが多くて活気があって、ジジイもババアものびのび生きてる。犯罪も少ない、食いもんも水もうまい」
ファジィは盗賊に不似合いな優しい顔で笑ったあと、牛の面をかぶり直した。
「おかげでわたしたちは半年、寿命を延ばせた。食い逃げ分くらいは、役に立ってやるよ」
甘いのかもしれないけれど、その言葉が天命石を盗むための嘘だとは、あまり思いたくなかった。
警護兵のひとりに告げて、ガエラタ村長たちを呼んで来させた。やたらと時間がかかったが、来てくれるだけでも奇跡のようなものだった。今、村は一番大事な時期だ。ガエラタも幹部も、毎日毎日深夜まで働いている。
ガエラタを含めた四人には、ナミカから事情を説明した。ファジィは河を背にしたまま退屈そうにストレッチをしている。
彼、彼女らは四人とも、皇太子が石を欲しがっていることは知っていた。ファジィの言っていることはどうやら本当で、天命石の引き渡し要請は何度も断っているらしい。
「渡さぬのなら代わりに村の支配権をよこせだのなんだのほざくが、この村は伝統的に自治が認められてきた。それを、規模が大きくなったからよこせというのは、まともな統治者の発想とは思えない」
「ですが、あまり強気に出てしまうと、本当に軍隊がやってくるのでは」
幹部の一人が声をあげる。
「手は打ってある。石の都は主に王直属の宮廷部隊と市民部隊のふたつにわかれている。宮廷部隊は、その名の通り都を離れることはない。市民部隊の指揮官どもには銀貨を握らせてある。都とイシクラは共存共栄。さすがに攻め滅ぼすほど愚かではないだろうが、市民部隊が来たら来たで、落としどころをうまく探るさ」
「さすが村長。もうそこまで根回しを」
「おだてても何も出ない。というわけだ、ナミカ。理解できたか?」
「はい。理解は」
何か嫌な予感がする。
この話からすると、ガエラタにファジィの手助けは、必要ない。
「では後始末を済ませよう」
ガエラタが右手を挙げる。
おりからの強風に混じって、空気を裂く何かの音が聞こえた。
よけて、と叫びかけて、口を結んだ。
……半年間、村を襲い続けた賊に、「よけて」?
ファジィに……この女に対処するためだけに専任の警護兵ができた。深夜番が常駐するようになった。天命石を盗むと見せかけて、村人が汗水たらしてた食料を毎日毎日、盗んでいた。
そしてナミカは半年間、ずっとあの場所に縛り付けられていた。殺すつもりはないのかもしれない、けれど油断していたら本当に殺されるかもしれない、そんな不安定なやりとりを繰り返してきた。ほとんどの村人が寝静まったころ、晴れの日は代わり映えのしない星空を見上げながら、曇りの日はただ街並みを眺めながら、雨の日は天幕を張ってファジィが来るまで待ち、来たらやりあう。そんな毎日だった。来るたび取り逃がしても、許してくれる気のいい村人ばかりではなかった。ただめし喰らいを置いておく余裕はないと、賊を捕えきれぬ不甲斐なさをそしられ、なじられたこともある。
ただ一度。ただ一度よい行いをしようとしたからといって、許せる相手ではない。ないはず。
強風のせいで、物影からファジィを狙った矢がそれた。一本目がそれただけで十分だった。ファジィは牛の面を放ってから駆け出し、河に飛び込んだ。矢も追いすがるが、この風の中で正確な射撃は難しい。
どうして射ったのかと怒りも、追撃を申し出もしなかった。ガエラタが激して弓衆を怒鳴りつける様子、連れてきた警護兵に追撃を、ナミカに宝物庫の守備を命じる様子をぼんやりながめた。
喧騒が去ってから、ファジィがいた場所へと歩いた。
そしてファジィが捨てていった牛の面を拾い上げ、宝物庫まで持ち帰った。
石の都の宮廷部隊が急襲をかけてきたのは、その朝だった。