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2 サジラド湾海戦(2)

 ナミカは弓と曲刀を装備し、火種の入った銅器をふたつかかえ、小船の一艘いっそうに乗り込んだ。火矢がありったけと銅製の盾が五つ、すでに持ち込まれている。

 港で一番操船がうまいという壮年の男たちに向けて

「よろしくお願いします」

 と声をかけた。スピリーも続けて同じ挨拶をして乗り込んでくる。スピリーは防御専門の要員として、盾でぎ手を守ってもらう。ファジィは川を移動するための舟ですら酔って吐いていたので、陸上組だ。

「よっしゃ」

「任せといてよ」

「やるかぁ」

 漕ぎ手の三人は笑顔でうと、小舟を桟橋さんばしに繋いでいたもやづなを外してから座り直し、両側に備え付けたオールを漕ぎ始める。大きく揺れたので、舟の縁にかけた手に力をこめる。桟橋に繋がれていた無数の小舟が、次々に舫い綱を外して、夕暮れのサジラド湾に漕ぎ出していく。

 火種の入った銅器を船のマスト――帆は外してある――にしっかり結び付けて固定する。舟は海人から借り受けた戦闘用の小舟で、一応舟の両側を、立ったナミカの胸の高さくらいまでの木の壁が覆っている。銅板で内側から補強してあるものの、相手は中型船、上から射かけられれば意味をなさない。火矢が突き立った時のために、消火用の水が入った銅器と大きめの手桶が備え付けてある。

 ナミカは立ち上がり、防壁の上から顔をのぞかせた。快晴だった昼間の明るさをとどめながらも、陽は徐々に沈みはじめ、水面をぼんやり黄色く染めつつある。視線をサジラド湾の向こう、一点に集中させると、異常に強化された視力が常人に見えるずっと先までの海面を映し出す。やがてナミカの目は、軍船の先頭をとらえた。船の全方位を覆う高い防壁を誇る、巨大な箱のようなずんぐりとした中型船が泳いでいる。漕ぎ手の隠された場所からオールだけが突き出て、ゆっくりと水面をいていく。石の都から発注を受けて、イシクラ村で作られた軍船だ。高い防壁をこえて、イシクラ村に襲来したときと同じく宮廷部隊の旗がたなびいている。その旗の反対側には、部隊番号を示したと思しき「二」の旗がある。

 第二大隊。

 あの酒臭かった男の隊だ。彼はよく部下を掌握しょうあくしているようだった。厄介な相手になるかもしれない。

 目を閉じて、また開いた。元に戻った視力が、サジラド湾の入り口を映し出す。腰につけた麻袋から額を保護する鉢がねを取り出して、前髪を押さえつけながら装着する。後ろ髪はすでに邪魔にならないよう結ってある。

 後ろを振り向くと、スピリーは盾をそれぞれの漕ぎ手の手前にひとつずつ置いて、自分の盾に手を置いていた。

「いよいよですね」

 呼び掛けると、彼は蒼白な顔で小さくうなずいた。スピリーを落ち着かせようと笑顔をひとつこぼしてから、ナミカも盾の一つをつかみ、マストの前に出た。

 向こうから、軍船の影がゆっくりとやってくる。

 この舟は、すべての小舟の先頭に位置している。影が見えればそれは敵だ。ナミカはひとつ深い息を吐いてから、火矢をひとつつかんだ。

 射撃は敵のほうが早かった。遠すぎたのか、狙いは全く定まっていない。ばらばらに海に落ちて小さなしぶきをあげていく。

 ナミカは近づいてくるのを待ってから、先端を銅器に突っ込んで火種にさらす。手袋をしている左手で燃え盛る矢をつがえる。引き絞り、夕雲に向けて放った。

 先ほど見たとき、船の外装は鉄板で補強されていた。ただし上下左右すべてが鉄でおおわれているわけではない。上から通せば矢は刺さるはずで、船体の下部は木の部分がむきだしになっている。近づけば的の選択肢になる。

 ナミカの矢を、すべての小舟から放たれた矢が一斉に追いかける。鉄板にはじかれたり、船の手前や横にぼちゃぼちゃと情けなく沈んでいく。何度かそれを繰り返したが、敵船に打撃を与えた様子はない。敵はただひたすら、その巨体をサジラド湾にねじ込んでくる。

「後退!」

「おう!」

 ナミカが叫ぶと、男たちがすぐさま反応して、舟がぐんと急加速した。よろめきかけて、スピリーとともに、いったんマストに腕を絡めてこらえた。開戦時の火矢で一隻くらいは破損させられるかと期待していたけれど、やはり無理だった。練度れんどと兵数が違いすぎる。

 ナミカの後退を合図に、ファジィの提案した作戦に移行することになる。

 作戦を円滑えんかつに進めるために旗を使ったやりとりも考えたが、全く人が足りないのであきらめた。仕方なしに声が届く間隔で配置しておいた小舟が、ナミカの舟の後退を伝えていく。するとナミカのかわりに別の小舟が前に出ていく。

 イシクラ船は、防御重視で見通しが悪い船だ。物見櫓ものみやぐらがひとつあるものの、防護された船体側面に開けられた無数の穴から見える景色が重要になってくる。この小舟はその側面の射界に入ったが最後、その穴から飛び出してくる矢の雨に降られて乗員が全滅するほかない。

 唯一、小舟がまさっている点は、速くて小回りがきくことだ。

 五艘ごそうからなる第一船隊が、猛然と進み続ける敵船の前に飛び込む。正面の、鉄板で防御されていない部分を目がけて一斉に火矢を放つ。十数本のうち、何本かが刺さったが、燃え広がらずに消えてしまった。敵船の正面に開いた穴から、敵の姿すら見えない応射が行われる。小舟は射った瞬間に後退をはじめていたので、応射は当たらない。そしてまた前に進んで射かける。今度はうまく火がつきかけたが、穴から落ちてきた水によって消火されてしまう。

 敵船が焦れたように右回頭を始めた。敵二隻目、敵三隻目が敵一隻目を両脇から追い越すような針路を取る。第一船隊が敵一隻目の正面に移動しようとすれば、敵一隻目と敵二隻目の二正面攻撃にさらされる。そのままでいれば側面がこちらを向いて的になる。第一船隊は敵一隻目に激しく火矢を射かけつつ、限界まで回頭中の敵の正面を維持した後で、素早く後退した。その間、第二船隊、第三船隊が、それぞれ敵二隻目、敵三隻目の正面へ移動していく。回頭をやめた敵一隻目が、元の針路に戻ろうとする。

 第一船隊はつかず離れずを続けたまま、第二船隊・第三船隊は彼らの動きを真似、前後運動を繰り返す。敵も火矢を完全には無視できないようで、船の速度も落ち始めた。第一から第三までの後方に第四から第六までの船隊が位置して、各船隊の判断で前後の交代を許し、疲労の分散もはかっている。

 やがてお互いがお互いの戦法に慣れ始めたところで、両軍に被害が出始めた。

 まず、敵一隻目が、火矢の度重なる斉射についに音を上げ、炎上した。夕闇を背に、船から次々に人が飛び降りて、鈍く暗い色をした海面に吸い込まれていく。

 それを受けて、二列縦隊のまま作戦を続行しようとしていた敵が船隊を崩した。敵一隻目の位置に敵四隻目が入り、敵三隻目のさらに外側に敵五隻目、敵六隻目、敵七隻目が敵から見て左翼に展開を始めた。左翼に広くなったのは、右翼側は水深が浅く、敵二隻目以上には広がれないためだ。敵二から四隻目までが進軍を止めて、敵五から七隻目までが速度を上げていく。

 こちらは第六船隊までしかないため、漕ぎ手の疲労も考えれば敵五隻目以降には対処できない。このままでは包囲殲滅ほういせんめつされてしまう。そのためナミカは、事前にファジィに言われていた通り、一斉後退を決めた。連絡手段がないので、ナミカは自ら舟を行き来させてそれを伝える。

 しかし敵五隻目の側面が、右翼に位置する第三船隊の先端にかかった。第三船隊のうち三艘が、側面からの火矢の斉射を浴びてしまった。乗員全てが矢の海に沈み、三艘はまたたく間に炎上を始めた。第三船隊の人びとの顔がすぐに浮かび、ナミカは歯ぎしりをして、強く握った右手を自らのももに叩きつけた。

 普段は押さえつけることができているはずの憎しみが、表に出てこようと暴れ出す。殺すことへのためらいが、消えそうになる。けれどどうにか激情を飲み込む。

 第三船隊が攻撃を受けたおかげで、敵に欲が出た。一秒でも早く上陸したい敵船は、この最大の好機を生かさんと加速する。敵は餌に食いつき、針を深く飲み込んだ。

 そこで、水平線のかなたをかすかに照らしていた陽が沈み切った。

 きょう、月は雲に隠れている。

 戦場に濃い闇が降りた。

 ナミカは二度、三度とひとりで小さくうなずいてから、一番近くにいる右翼第六船隊の一艘に向けて叫んだ。

「全軍、最大船速! 完全な撤退を開始してください! 死ぬ気で漕いで!」



 

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