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1 倉庫番ナミカと盗賊女

大陸歴674年2月 アシュタット山道


 アシュタットへ向かう連合軍の総勢は推定十二万。

 アシュタット駐留軍はおよそ二千。手勢は一千。

 間に合ってもどうにかできる数ではない。けれどそれでも、ただ見捨てることはできなかった。

 ファジィは馬を走らせるなか、ふと、六年前のあのときのことを考えた。


 奴はあのとき、ナミカと自分に復讐のための力を押しつけてきた。

 はじめは肉体を強化するに過ぎなかった力はやがて、この世のことわりを無視したものへと変質していった。

 人はその力を呪術と呼んだ。

 そして特によく呪術を駆使するナミカとファジィを、人びとは、アシュタットの双翼、捕食者、殺戮者、死体喰らい女などと呼んでおそれた。

 けれど、変わってしまったナミカを目の当たりにして思う。

 奴は……天命石は、力を与える代わりに、何を奪っていったのだろうかと。




   1




大陸歴668年8月 リズ属領イシクラ村



 ナミカは、油断なく槍を構えた。

「お前さあ、いい加減『あれ』、渡してくんないかな」

「駄目です」

 石づくりの街並みにまぎれる灰の外套がいとうをまとった女が、月を背にして壁の上に立っている。いつも朱色の猛牛の仮面をつけているから、女かどうかはわからないけれど、声の調子と背丈の低さから勝手にそう判断している。月明かりとかがり火に照らされた彼女は、灰色のさやに収まった短剣の剣先を、ナミカの背後の宝物庫へと向けている。

「わたし、平和主義の盗賊だからさあ、血なんて見たくないんだよね」

「奇遇ですね。わたしも平和主義の警護兵なので、血なんて見たくありません」

 左手で首から下げた警笛けいてきを取ろうとすると、仮面の下から小さく漏れた声とともに、女の左手も動いた。

 ナミカは槍の穂先ほさきで、正面に飛んできた小刀をはじいた。

「だからさー、目がおかしいんだよお前は。夜になんでそんな真似ができるの? 半獣の化け物か何か?」

「盗賊におくれを取るほど訓練をおこたったりはしていません」

 警笛を取ろうとしたら今度は石が飛んできた。さらに警笛を取ろうとして石。警笛、石。

「イラつかせてくれますね」

 ナミカは小さくつぶやいたあと、

「賊だ! 賊だ! 賊だー!」

 と怒鳴る。

「いつも思うけど、喋る前にそうしとけばいいのに」

「大きな声を出すのはめんどくさいんですよ。それにあなたはいつも、本気で誰かを殺そうとしたり、石を盗もうとしたりはしないじゃないですか」

「これでも殺そうとしてんだよ」

 最後にもう一度小刀が飛んできて、ナミカはそれを少し首を曲げただけでよけた。

「お前は石のみやこで将軍はれる実力者だって何度言ったらわかる? 都へ行け。行って志願兵になれ。男だってそこまで背の高いやつはそういないし戦場で目立てるだろ。お前は都で立身出世、わたしは陽動に簡単に引っかかる間抜けどもから『あれ』を盗む。お前が野心を持てばみんな丸く収まるんだってー」

「お前お前うるさいですね。わたしにはナミカという名前が」

「そろそろ帰る。ばいばい」

 ナミカの言葉を最後まで聞かず、女は壁の向こうに飛び降りた。ほとんど同時に、他の警護兵たちが駆け込んでくる。

「賊は!?」

「逃げました」

「なら、何を突っ立ってるんですか! 追ってくださいよ!」

「追っても無駄です。あいつ、この村の地形をわたしたち以上に知ってるんですから」

「僕は追いますよ!」

 きのう警護兵になったばかり、最年少のスピリーが走り始める。一緒にやってきた他の三人のうちのひとりは、

「無駄無駄」

 とつぶやいて、他の一人はあくびした。もう一人はまぶたをこすっている。

 スピリーも含めたこの五人が、きょうの深夜番の警護兵すべてだ。

 この人数では、どうあがいても捕まえられないのだ、あの女は。

 ナミカたちだってはじめからそう思っていたわけではない。他の同僚はもっと早く、ナミカは十七度失敗してようやく悟った。あの女は逃亡の才の持ち主なのだと。家渡り、木登り、潜水、潜伏、村人への変装、袋に入った砂つぶてを使った目くらまし、小刀の投射による牽制、逃げ足の持久力、そして何より、複雑に練られた逃走路の選択。短距離では追いつけそうなのに、長く走れば走るほど持久力で水をあけられ、疲れでぼやけた頭の中の地図を書き換えられる。隅から隅まで見知っているはずの村なのに、いまどこにいるのか混乱しかけるほどだ。全力で逃げる野良猫でも追いかけたほうがまだ楽かもしれない。


 結局、天命石の保管されている――ことになっている――宝物庫の前で酒盛りをはじめた三人が酔いつぶれるまで、スピリーは帰ってこなかった。戻ったのはやさしい朝日が村の向こうの山から昇り、三人が伴侶や家族に叩き起こされ連れ去られたころだ。軽装の革の鎧はあちこちに傷がつき、顔が青白くなり、見るからに疲れ切っている。

「ずるいですよ。僕だけに追わせて……」

「あの女を捕まえられる気、しました?」

「……そのうち、捕まえてやりますよ。それより、賊だなんて叫んでる間があったら、ナミカさんが追えばいいじゃないですか! この村でナミカさん以上の使い手なんていないんですから」

「あいつはときどき、ひとりじゃなく、少数精鋭の仲間を連れてるんですよ。だからわたしは、ここでじっとして動かないほうがいいんです。何度か裏をかかれかけて学習しました」

 首を上に曲げてわたしを見上げているスピリーが、じっと目を見てきたあと、視線を村のあちこちにさまよわせ、またナミカの目を見上げてきた。

 スピリーは男の中で特別背が低いわけではない。ナミカの背が高すぎるだけだ。ナミカの七つ年下、まだ十七歳で、もう少し身長が伸びるのかもしれないけれど、とても追いつかれそうもない。

「もしかして、ずっとここで寝泊まりしてるんですか?」

「そうですよ。あいつが現れるようになってからだから、もう半年になりますかねぇ。とっくに知ってると思ってました」

「たしかに、よくここにいるなあとは……」

「だいぶにぶいですね。警護兵になったばかりとは言っても、この村に来て一年は経つじゃないですか」

「ナ、ナミカさんににぶいって言われた……」

 大げさに驚かれる。

「というわけでわたしはもう寝ますから。引継ぎはお任せしましたよ。かがり火のたきぎもちゃんとしておいてください」

 ナミカは壁に手をかけてよじ登り、石造りの宝物庫の屋上に設置した、四角形の天幕の中に入った。

「それってナミカさんの寝床だったんですね……」

 下からそんなつぶやきが聞こえてすぐ、ナミカは眠りに落ちていった。


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