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2 10月11日村・第2港解放戦(2)

「まだです」

 ナミカは物置から出ようとしたヘビの腕を取った。

「あんまりのんびりしてると、指揮官が逃げちゃうよ」

 切羽詰まったささやき声がひやりとした物置を小さく震わせる。

 ナミカたちが潜んでいる物置は教会の近くの民家にある。ナミカは膝丈くらいの古ぼけた棚に腰かけ、ヘビは入り口近くに立っている。

「教会のほうに向かっていた足音が逆戻りしてきてます。いま出ればはち合わせですよ」

「え……あ、ほんとだ。ごめんなさい、教会から出ていった足音かと思った」

 ヘビの腕を離して、

「この足音が過ぎたら出ましょう」

「うん」

 ヘビは素直に頷いてから、入り口に向けていた目を、ナミカのほうへ向けてきた。暗くてよく見えないらしく、目線は少しずれている。ナミカのほうは加護の力ではっきりとヘビの顔が見えている。まだ自分の半数ほどしか生きていないだろう幼い顔。

「ナミカ、落ち着いてるね」

「そうですか? わたしはヘビの落ち着きのほうが年に似合ってないと思いますが」

「姉さんに鍛えられてきたからね。イシクラでも訓練させてもらったし」

「わたしたちにしてみればいい迷惑でしたけどね」

「ナミカは本当にすごいよ。姉さんと半年も戦って無事なんだから。姉さんは盗賊村を出るとき、盗賊村を仕切ってた連中とわざわざ六対一で戦って、短剣だけで勝ったんだよ。相手は槍とか曲刀なのに。そいつらだって、姉さんが大人になるまでぜんぜん歯が立たないくらい強かった。姉さんは僕たちの根っこにある怖さを消すために、わざわざ不利な条件で戦ったんだ。だから僕たちは姉さんに一生ついてくって決めた」

 ナミカは笑った。ナミカを褒めるというよりほとんどファジィの自慢になっていたからだ。ヘビもナミカの笑いでそれに気づいたようで、照れ笑いした。

 話している間も、二人とも外の足音はしっかりと聞いていた。

 足音が去ったと感じたナミカが立ち上がると同時に、ヘビがドアを押し開けた。先行しようとするヘビの腕を再びつかみ、先に出た。

「一気に突入しますよ。絶対に離れないでくださいね」

「頑張ってついてくよ」

 物置の外、すぐ目の前には井戸があって、四つの家屋の共用にしては手狭な庭先に、兵士たちの服や下着が干された物干しがふたつ置いてある。それらの持ち主の兵士たちはとっくに持ち場に向かってしまった。静けさのなかだいぶ離れた場所から兵士の怒号と悲鳴が聞こえてくる。ファジィはいまごろ数十人を相手にひとりで立ち回っているのだろう。

 ナミカたちは屋根伝いに物置へ侵入した。兵士たちが出るときにドアを開けっぱなしで行ったので、いまここからは通りが丸見えで、向こうからも同じだ。ヘビが足音を勘違いして出ていれば、見つかる可能性が高かった。

 ナミカは特に背伸びもせず物置の天板に黒く塗った槍を先に載せ、そのあとでへりをつかみ、懸垂の要領で身体を持ち上げた。すぐヘビに手を差し出してやり、引き上げる。槍を拾って隣の集合住宅とのあいだの漆喰しっくいの壁の上に降り、伏せる。壁の上を這いつくばって進む。穂先にカバーのついた槍とはいえ、とても這いにくい。難儀しながらも集合住宅を迂回して、さらにその向こうにあった教会までたどり着いた。昼間あれだけ気を抜いていた鐘楼の見張りはいつでも異常を察知できるよう目をらしている。加えて、教会の裏口と正面玄関、それに窓、すべての出入り口を二十名以上の兵士たちで固めている。

 一気に突入、は諦めた。ナミカとヘビはいったん戻り、隣の集合住宅の一室で簡単な作戦のすり合わせをすることにした。

「正面玄関に五、裏口に五、四つの窓にそれぞれ二人、鐘楼に射手四人。屋根に射手二人。配置にそつがないし、思ったよりも残ってる……さすがにそこまで馬鹿じゃないか」

「ヘビくんの情報が正しければ、ファジィはいま、八十対一で戦ってるんですね」

「うえー。さすがの姉さんでも死んじゃうよ。天命石の加護なんて本当にあるの?」

「知りませんよそんなもの。あろうがなかろうが、ここまできたらやることはひとつです」

「ナミカ、どうしたのさっきから? 姉さんと別れる時もだけど、ずっと殺さずにいきたいみたいなこと言ってた人とは思えないな。ちょっと怪しい」

「そ……うですかね」

「うわっ。嘘下手」

「うるさいですよ」

「ひとりも殺さないつもりでしょ」

 ヘビはすでに考えていたらしく、間髪入れず答えにたどり着いてきた。

 ナミカは応えなかった。

「問題です。ナミカが戦闘不能にした敵を、僕が片っ端から殺していくとしたらどうしますか?」

 ヘビがくだけた声音で、けれどまったく笑っていない目で、こちらをじっと見ている。

「次の問題。僕には加護がありません。あなたが戦闘能力をくじいたと思った敵が、僕のことを殺したとしたら?」

 さすがにファジィの弟を名乗るだけあって、問いがいちいち自分の矛盾を突いてくる。

 最も危険な役割を引き受けるファジィの手前、虚勢も張らず送り出すことはできなかった。殺すことにためらいがある、もしかしたら指揮官を殺せないかもしれない、などと言うことはできなかった。

 けれどナミカのうちにいまだ、消えないくすぶりがある。

 いくら言葉で飾っても、人を暴力によって黙らせると言うことは、イシクラ村でもっとも体に恵まれ、力に恵まれたナミカの歩いてきたこれまでを否定する行いだった。

 幼いころから体が大きかったナミカは、力を有り余らせて粗野そやなふるまいをするたび、父にこっぴどく叱られてきた。あるとき、もう十六にもなろうかと言う村の悪童あくどうが、まだ九つになったばかりのナミカに喧嘩を吹っかけてきた。歳の差も男女の差も関係なくナミカが一方的に悪童をぼこぼこにして、仲裁に入った大人に暴言を浴びせたとき、いつも顔を真っ赤にして唾を飛ばしてくる父が、何も言わなかった。父は『お前がそう生きると決めたなら、それでいい』と、投げやりに言った。

 この、必要以上に丁寧な言葉づかいは、そのときに作った。大好きな父に嫌われたくないと、変わろうと決めた誓いの口調。はじめは気味悪がられたけれど、ただそこに立っているだけで威圧感を与えてしまうナミカには、このくらいの過剰な丁寧さがちょうどよかった。

 もちろん子供の自制心なんて大したものではなくて、父の叱責がぴたっとやんだわけではなかったけれど、だんだんと相手を必要以上に傷つけない喧嘩の仕方を覚え、やがて喧嘩自体をしなくなっていった。喧嘩はいつのまにか警護という仕事へ変わり、人々の平和な生活を守ることに喜びを見出すような気持ちの悪い人間になっていた。

 人を殺すというのは、もういない父との誓いを破ること。けれど人を殺さないというのは、父を殺し、これからもあらゆる人間を殺す連中に、機会を与えることになるかもしれない。

「ごめん。少し意地悪だった」

 ヘビが謝ってくる。

「ヘビくんが言ってることは正しいですよ。わたしがきちんと考えなければいけないことです……。いえ、考えなければいけないことでした」

 考えに考え抜けば、もっといい方法があるのかもしれない。血を流さずに新王の圧政から逃れるような方法が。

 けれどもう、時間切れだ。

「射手が厄介ですね」

「うん……」

 もう結論は出たのかと目で問うてくるヘビの視線に気づかないふりをして逃れる。

「ヘビくんは投剣、使えるんですか?」

「あの高さの弓と渡り合うのは無理だよ」

「わかりました。では、わたしが防壁になります。射程距離に入ったら横歩きに切り替えますから、頑張って合わせてください」

「いや……あの、矢だよ。すごい速度で飛んでくる。避けられないって。刺さっちゃうよ!?」

「わたし、ファジィの至近距離からの投剣も弾いたことありますよ。それに今は、天命石のおかげで夜目もよくなってますから」

「夜目以外の加護がなかったら?」

「わたしはあの石ころから復讐を請け負ったんです。戦えば何か助けがあるはずです。絶対とは言い切れませんから、ヘビくんはここに残る手もありますが」

「はあ……ここでぐだぐだやってるあいだに姉さんが死んじゃったら後味悪いからね。やるよ。ナミカだけだと本当に人が殺せるか心配だし」

「決まりですね」

「ナミカはよくわからないよ。迷ってるくせに強引」

「動けば、何か変わるかもしれませんから」

 ナミカとヘビはもう一度外に出た。

 降り出しそうな星空に不似合いな喧騒が聞こえてきて、それはまだファジィが生きていることの証だった。

 壁をよじ登って目だけで向こうを見る。厄介な配置は変わっていないだろうと、先ほどの光景を思い返しながら照らし合わせる。すぐに顔をひっこめたが、はっきりと見えた。このわずかな時間に、鐘楼に四人いた射手が二人になり、屋上の射手は消え、正面玄関と裏口の兵士がふたりずつになっている。

 それを伝えると、ヘビの顔つきが変わった。集中力が一段と増したように見え、それはこれからすることが、確実にやり遂げられなければいけない仕事に変わったことを意味していた。



 

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