1 10月11日村・第2港解放戦(1)
ファジィの眼下に広がる港2の街並み、そしてその根として延びる川は、両側を山に挟まれて細長い。この"基地"から見て川をずっと左上、北東へいけば十月十一日村に着く。右下、南西へ向かっていけば港湾部から海へ出られる。
遠征軍は街の中心部、川岸の建物をまとめて接収して拠点としているようだ。その総数はヘビの諜報によれば百名から百十名前後だという。思ったよりは少ないけれど、それでもまともに当たれば三人でどうにかできる数ではない。
「遠征軍の指揮官が生活している建物はあれ」
ヘビが指さしたほうへ目をやると、天命教の様式で建てられた鐘楼だった。横から何かがぶつかればぽきりと折れてしまいそうな石づくりの細い塔。それほど高さもなく、三階建ての教会におまけのようにくっついている。建前上は華美を許さない天命教の教えに沿った地味な建築物だ。
他の村でも同じような塔はいくつも見てきた。ここのものも同じなら、鐘のある最上部までは内部のはしごで行けるようになっていて、鐘の周りには足場があるはずだ。そこではいま、四人の兵士が四方それぞれを退屈そうに眺めている。
「盗賊村の誰かが言ってた。人を支配したいなら音を支配しろ。大きな音に人は意識を奪われるって」
ヘビがつぶやく。
ファジィは鼻を鳴らした。盗賊が恐怖で支配する方法はそんな上等なものではなかった。
「にしてもお前、こんなとこに基地作るなんて度胸あるな」
「夜に作ったし、そもそもあいつら真面目に監視するつもりないよ。巡回ルートも決まってなくて、仕事中に女と仲良くやってるやつらもいるくらいだから。ただ、食べ物にだけは気をつかって、持ち込んだ保存食しか食べてない。指揮官の周りも数で固めてる。力押しでいくしかない、姉さんがいちばん嫌いな相手だね」
「あのー、もしかして……わたしたちってやりやすい相手でした?」
ナミカが口をはさんできた。
「昼番も夜番も気を抜かないできっちりしてたからな。イシクラは。生真面目だからすぐ陽動に引っかかるし。だいぶ盗りやすかった」
「わたしがあの半年、どれだけ苦労したと……。教えてくださいよ……」
「わざわざ教えてやるわけねーだろ」
「ばか盗賊。ばーかばーか」
子供のようにナミカが言った。ファジィは小さく笑った。そして今ナミカの言った言葉が、自分が何者であったのかを思い出させてくれた。わざわざ難度の高い毒殺に挑まなくても、自分自身であることのほうが簡単だ。
「その夜に起きたことは次の夜に起きないこともあるんだ。僕も何度か潜入しようとしたけど、予想外のことが多くて、途中であきらめたよ」
「こういう相手とは」
「一発勝負になる、だよね」
ヘビが得意げに先回りする。
「ああ」
ファジィは同意して、詳しい街路の状況をヘビからしつこく聞き出した。盗賊村にいた子供たちには、経路を頭の中に描くのが苦手な人間もいるが、ヘビはファジィの相談相手になれるひとりだ。どこのどういう経路で進めば危険が少ないか、よどみなく流れ込んでくる情報に、ファジィは舌を巻いた。子供たちは成長が早い。半年前とはまるで違う。能力を追い抜かれるのも時間の問題かもしれない。
「ヘビ、本当にありがとう。助かるよ」
「へへ。僕は姉さんの弟でも弟子でもあるからね」
「さっそく今夜、仕掛けるか」
「今夜? 今夜って言ったんですか、今」
「言ったけど」
「うん。姉さんは材料がそろえばすぐ動くよ」
「事故に見せかけて殺す方法、思いついたんですか?」
「さっき自分で言ったじゃねえか。要は、敵がいても、敵が十月十一日村じゃないと思わせればいいだけだった」
言っている間にも、監視役の四人の兵士からひとりが減った。残った三人は外も見ずお喋りに夢中になっていた。けれど教会の周辺には足音の大きく鳴りそうな砂利が敷き詰められているという。音がすればあの三人はすぐ反応して鐘を鳴らすだろう。無防備に見えるのに、無防備ではない。やりにくい相手だ。
それから夜までナミカやヘビと話し合った結果、ファジィが倉庫を襲って故意に見つかり警備を引き出している間に、ヘビとナミカが指揮官のいる鐘楼までたどり着くという単純な作戦に落ち着いた。計画は実行する手数が多いほど失敗が入り込む余地が生まれる。どちらにせよこのずさんな警備に精緻な計画をぶつけても仕方ない。
持っていくものは、ファジィとヘビが短剣に投剣、ナミカが槍に曲刀で、防御に役立つものは何もない。攻撃を受けたら終わりの軽装。
「元倉庫番一人と元盗賊二人で軍人百人に挑むって、ただの間抜けでしかないですけど、天命石の加護、期待できるんですかね」
「この前試したんだけど、二階から飛び降りても普通に足が痛かった。夜目がよくなったくらいか」
「なんですかその地味な加護は……」
「姉さんたちはまだいいよ。僕なんてそのていどの加護すらないんだよ。頑張って目を閉じっぱなしにしておいたけど、昼間みたいには見えないよ」
「もし本当に何も起きなかったら、あの石、割りましょうね」
「そうだな」
ファジィは応えて、"基地"から這い出した。ナミカとヘビが後から出てくるのを感じながら、身をかがめて山中を素早く下る。
ひとりで百人近くの兵士を呼び寄せるのは荷が重い。けれどナミカの背の高さでは隠密行動には向いておらず、慣れていない人間をひとりで敵のど真ん中に放り出すほど怖いものはない。目的をやり遂げるにはこの割り当てしかない。
短剣で、ツタや枝を切り裂いていく。未整備の道の終わり、果樹が数十植わっている畑に出る手前で、後ろを振り返る。背が高いせいでファジィには絡まなかった蔦や、身体に傷をつけなかった枝にも対処しなければならないナミカは、だいぶ遅れていた。その後を行くヘビは楽そうだ。
しばらく待ち、ようやくやってきたナミカは、すでに息が上がっていた。
……不安すぎる。
「何ですかその顔は。そんな顔しなくたって、ちゃんと仕事はしますよ」
「姉さんは心配性だなぁ。僕がついてるから大丈夫だよ」
「一応言っとくけど、これが失敗したら終わりだからな。反乱なんて起こせる隙があるのは、相手もまとまりきれてない今だけだ。宮廷部隊が実戦経験をこれからどんどん積んでいったら、こんな油断もしなくなる。リズやクロークルだっていつ介入してくるか……」
くどくどと説教めいた言葉を口にしていたら、ナミカが笑った。
「ファジィってけっこう怖がりなんですね」
少し、顔が熱くなる。
言い当てられた、のだろうか。
確かにいつもの自分なら、ここまできて何かを念押しするようなことはしない。ここまで来たら、ただ黙ってやるだけだ。
「大丈夫ですって。イシクラでわたしをさんざんコケにしてくれた盗賊が、新王軍の使い走りに道をふさがれるいわれはありませんよ。もちろんその盗賊から傷ひとつ受けなかったわたしもね」
「それもそうだな。ガラじゃなかったか」
「わたしこそ、ふたつの村の命運を握るなんてガラじゃないんですけどね。やりましょう。わたしたちならできるはずです」
ナミカが手に持った槍に、見てわかるほど力を入れた。
「父と、イシクラのみんなのために。こんなところでしくじるわけにはいきません」
ファジィは頷いて、果樹園側に足を踏み出した。
黄色い楕円形の実がなっている樹のふっくらとした枝葉の隙間を縫い、駆ける。果樹園の管理者の住んでいそうな大きな木造の家を注意しながら通り過ぎる。家に引き込まれた専用の馬車道を行くと主要の街路にぶつかった。ところどころ石の道が壊れている街路は水路と仲良く場所をわけあっていて、今は遠征軍の影響かかがり火も焚かれておらず、水はひっそりと暗く、よどんでみえる。街路と水路に沿って住居や商店があるが、ぼうっと歩いていたら落ちてしまう人間もいそうだ。
ここまで、ヘビに教えてもらった情報をもとに組み立てた地図は、実際の地形と合っていた。この道の一本向こうが、遠征軍の占拠している区画になる。
路地に打ち捨てられた腐臭をはなつごみを避けていると妙なステップで走る羽目になり、自分の不格好な走りを思い浮かべ、少し笑ってしまった。笑うと余裕が出てきた。
路地の終わり、路地を挟むようにさっそく二人立っていて、飛び出したファジィはぼんやりよりかかっていた片方に、不意の回し蹴りを見舞った。その回し蹴りに続いて急所へ連打をするのが普段なのだけれど、不思議なことが起こった。背は低い、足も短い、体も軽い、比較するまでもなく常人より軽いはずの自分の足技に、生まれて初めて、なまの感触が乗っていた。男はそのまま弾き飛ばされた。くぐもった悲鳴を上げて脇腹を押さえ、石づくりの街路をのたうち回っている。
天命石のしわざ……なのだろうか。
なかば呆然としながらも、背後の空気の揺れにもファジィは感づいていた。考えるよりも先に体が動く。なぜか、もう一人の攻撃が上段からの曲刀の切り付けだとわかっている。横に素早く避けると曲刀が街路の石を思い切り叩いて、甲高い嫌な音がした。ちょうど膝蹴りが当たりそうな位置に横腹が来たので、宮廷部隊の制服をつかんでから思い切り入れた。柔らかで手触りのいい制服に重みがやってきて、相手の体から力が抜けたのが分かった。いちいちおかしな威力が出る。反応が速すぎて、自分の体ではないみたいで気持ちが悪い。
「食料庫と武器庫、物資が置いてあるところでもいい。言え」
ファジィはうつぶせに制圧した男の襟元を後ろから引っ張って締め上げる。
応えない。
「どうした? 言えよ。ため込んでるもん全部寄越せ」
「賊に与えるものなどない!」
「あっそ。じゃあ自分で探すわ」
本当はどちらの位置もすでにつかんでいる。
この二人が騒げば騒ぐほど、ナミカたちがやりやすくなる。必要以上の攻撃は加えず、そのまま立ち上がって走り出す。
背後で怒号と複数の足音がし始めたところで、ファジィは手ごろな位置に窓があった家屋の外壁をよじ登った。二階の建物の屋上で伏せていると、鐘楼の鐘が常にない速さで激しく打ち鳴らされた。慌てて通りに出てきた兵士たちが手にしたランタンの数を視界の限り数える。三十一。ファジィがひそんでいる家屋からも兵士が三人、飛び出していく。ひとりはよほど慌てたらしく、制服の脚衣の履きかけで飛び出し、足で踏んずけて転んだ。ファジィは声を出さずに笑った。
上から見ていると、彼ら彼女ら一人一人に生活のにおいが漂っている。彼ら彼女らを殺す、ということは、今後一切、食事の途中で文句を言いながらパンをつかみ、非常呼集に応じる必要をなくすことだ。
三人一組になってた複数の隊が武器庫や食糧庫に向かい、複数の隊が指揮官のいる教会へ向かう。
ファジィは立ち上がって、教会へ向かおうとした隊を追った。本気で走ると足まで速くなっている。鼠色の外套の内側に手を突っ込み、鞘のない棒状の投剣を三つつかんだ。順に投げつける。
天命石の加護によって力が増幅しているのか、牽制のはずのそれが、運の悪い一人の頭を貫通した。彼は受け身もとれず不格好にくずおれた。
「上だ、上にいるぞ!」
盗賊村の一員として、幾度となく見てきた光景だった。そのはずなのに、体中からすっと熱が引いて、重苦しい何かに胸を押さえつけられた。
それとも、幾度となく見てきた光景だからこそ、だろうか。自分があの侮蔑すべき盗賊たちと同じことをしたから、なのだろうか。
こちらへ駆けてくる中の一人の女が、
「ひとり死んだ! 奴に殺された!」
と叫んだ。動きにどこか機敏さが足りなかった兵士たちの動きが変わった。どの兵士も、血相を変え、全速力でこちらへ向かってくる。
もう後戻りはできない。
自分は今、周囲全ての人間から、早急に消滅するべき存在として忌まれ、憎まれている。ここにいる数十人全員が、自分を殺そうと迫ってきている。
恨みもない。憎んでもいない。そんな見ず知らずのものを平然と殺す殺人者として、盗賊村の連中と同じ場所まで堕ちた。言い訳はできない。
けれど、創りかえなければならない。
産まれ落ちてすぐ路上へ棄てられた自分のいのち、盗賊に心も体も犯されつくした自分のいのち。空っぽの自分に生きる意味を与えてくれた弟たち妹たちのいのち、そのほか大勢の、いまも掃き溜めで寄り合ういのち。
打ち捨てられゆくいのちばかりの世界は、創りかえなければならない。いつまでも自分たちのいのちを、王の機嫌ひとつに委ねておくわけにはいかない。
そのために自分はここへやってきた。咎人となった重みに冷え切っていたファジィの体を、逆に烈しい熱が満たしていく。ファジィの身体中で、血が煮えたっていく。目がくらみかけるほどふつふつと。
凍りかけた体が再び動き始める。牽制の道具でなくなった投剣を、目前に迫った新王の手足たちへと次々はなつ。はなってすぐ、弓射手の的にならないよう、屋上を走り、跳び、渡っていく。