5 強制移住の通知
ファジィは適当に見繕ってきたパンと魚の燻製と塩漬けを、壺にたくさん入れて抱え、盗賊たちが押し込まれている野外の共同牢に顔を出した。
守衛も慣れたもので、ファジィが顔を出しただけで檻の鍵をあけてくれた。ファジィが入りきると格子扉が閉じ、外から鍵がかけられた。ファジィはいつものように壺を盗賊の代表に渡した。盗賊たちの目つきは初めに比べていくぶんやわらいでいるとはいえ、まだ険しさがある。けれど荒っぽい人間たちの中に入って気後れするほどファジィは育ちがよくなかった。
代表から何も言われなかったので、ファジィのほうも何も言わずに地べたに座り、さらに寝そべった。ナミカがいたら、だらしないと注意されそうな格好だなと考えて、少し可笑しくなった。彼女の視点が自分の中に形作られ始めている。首だけ動かして檻の外に視線をやる。守衛の後ろ姿とその遠くにある星空と満月とが、さかさまに映っている。足元の向こうでは、ほんの少しばかり大きい魚をめぐって片足一本立ちゲーム――片足で立ち陣地の外に相手を押しあう遊び――が繰り広げられているようだ。ばかばかしい気もするが、腹をすかせた盗賊がばかばかしいことをするのはよくあることだ。
産まれた瞬間に社会からはじき出された人間でも、ヤーヌイツのいいところを、少なくともひとつは挙げることができる。もちろん人間に関することではなく、気候が一年を通して適温で安定していることだ。おかげでいつ外で寝ても凍死する心配がない。これはとても大事なことで、四季のある国だったら自分はとうの昔に死んでいた。
昔から、晴れた日は粗末なボロ小屋の中で眠るよりも外で土のにおいを感じているほうが落ち着いた。宿なんて大層なものを割り当てられている今でも、だ。家があることに慣れた人間には理解されないかもしれないが。
こうして地面に寝転がるのは、ファジィにとって大事な時間だった。その大事な時間になるのをわざわざ見計らったかのように、無粋な足音が遠くから聞こえはじめた。守衛はまだ気づいていない。仕方なく立ち上がって、
「ちょっと出して」
と守衛を呼んだ。
「なんだ? 今日はもういいのか」
気のいい守衛は微笑みながら開けてくれた。盗賊の態度がやわらいだのは、彼の人当たりのやわらかさもあるかもしれない。
足音の雰囲気からして一般人の移動には感じられなかったので、守衛には何も告げず、音の発信源へ注意深く近づいていく。もう十月十一日村の地理は頭に入っている。近道を繰り返して、足音がちょうど狭い街路へ入っていくところをとらえた。街路に面した二階建ての家の外壁をよじのぼり、屋根に身を伏せて行列を見下ろした。
まず目に飛び込んできたのは、黒地の上下を中央の赤のラインが貫く宮廷部隊のあの制服だった。二十人ほどの隊員たちが、槍を肩にもたせ掛け、新王の威を背負って立つかのように大仰な行進を展開している。天命石の加護とやらのせいか夜目がよく利き、兵士の顔まではっきり見える。ナミカの父を殺し、そしてファジィ自身のことも一度殺してくれたあの男の顔を探すが、なかった。
このわずかな兵数での行動から考えられる目的はひとつ。徴兵と税の引き上げの通知。
ここまで新王は悪手を二度打っている。見せしめか現場の暴走かは知らないが、イシクラ村の住民は殺戮などせず、支配下に置いて兵力や労働力として使うべきだった。今回の十月十一日村にしてもそうだ。わざわざリズ、ひいては傀儡の王家に対する敵意が煽られやすい祭りの前日を狙わずとも、もっと簡単な時期があったはずだ。
盗みだけで生きていくためには、さまざまな要素を考える必要がある。逃走経路、人の死角、作物の獲れる時期、人の多い時間帯少ない時間帯、警護兵の配置や実力や巡回の癖。考えに考え抜き、最良の手を打たなければ捕まって殺される確率を下げることはできない。
けれど対抗できない悪手――力あるものにだけ許される悪手というものがあることを、ファジィは認めざるを得なかった。
新王は畏れていない。この行動をとれば民の感情がこう動いて憎まれることになる、そういった感情の計算、やられた側がどう考えるかなど、歯牙にもかけていない。はじめから自らに従う者たち、あるいはリズとクロークルしか目に入っていない。
ファジィは列の最後尾を見送ったあと、伏すのをやめた。山側の家屋だから、二階建ての屋上でも、村がよく見渡せる。二十年前のリズ・クロークル紛争で破壊され朽ちるに任せてある建物が、この村にはいくつもある。たとえそれが重税と徴兵による村の破滅をふせぐためであったとしても、この傷跡を日々目の当たりにしている村人に、戦えと煽り立てる自分たちはおかしい。けれど、狂った時代が目の前まで迫っている。このままでは、第二、第三のイシクラが出る。リズとクロークルに挟まれたあの二十年前の再現が起きてしまう。それだけは、許せない。
二十年前の戦争で、戦災孤児が大量に生まれた。その中にはまだ産まれて一年もたたない赤ん坊もいた。ファジィもそのひとりだ。原因はわからないが、父親が戦死し、妊娠していた母親は養えず売るか捨てるかした。そんなところだろう。事実として残っているのは、戦利品に紛れ込むか何かして持ち帰られ、≪盗賊村≫の女たちの情けで生かされたと言うことだけだった。
らしくもない正義感と感傷が胸の内にあふれそうになり、舌打ちで栓をした。
「くだらねぇ」
幼いころ盗賊村の男に焼かれた、自らの顔の右側。村を見下ろし、醜くただれた黒い焼け跡を思い浮かべながら、ファジィは静かにつぶやいた。
頭の中を切り替えて、二階建ての屋上から飛び降りる。着地と同時に、薄い豚革の靴底を通って、脚全体ににぶいしびれが広がった。さらに砂に足を取られて滑りかけ、前かがみに手を突く。加護の力を試してみたくて飛び降りてみたが、本当に加護なんてものを受け取ったのだろうか。いまのところ、他人より利くほうだった夜目がさらによくなったくらいしか、違いがわからない。
多少は足になじんできた靴で、昼間よりひんやりとした夜風の中を走る。もともと靴は裸足に毛が生えたくらいのもの――ぼろぼろのくたくた、サンダル状のなにか――を長く履いていて、それに気づいたナミカが十月十一日村にたどり着いたその日に買ってくれたものだった。資金の出所はガエラタで、彼が道中掘り出した隠し財産の一部だ。彼は村に災害が起きたときのため、方々に隠し財産を作っておいたらしい。ただ、これはナミカから聞いた話で、直接聞いたわけではなかった。ファジィが村の蔵から食料をかすめ取っていた件についてはまだ許されていないようで、ろくに口もきいていない。このまま計画を進めていくなら、そのうち嫌でも話すことになるだろうが。
ガエラタは相手があそこまでの強硬手段に出ると言うことを読み間違えはした。だが市民部隊のほうを抱き込むなど、手は打っていた。ひるがえってこの村の村長はどうだろうか。ここまで後手後手でろくな対策もできていない。これから何を考え、何を指示するのか。
家々の屋上づたいに行進のあとをさかのぼる。途中の路地で、前から村長の家に網を張らせていた少女が、闇に身を溶け込ませて待っていた。彼女はファジィを見ると子供らしい笑みを満面に浮かべかけ、あまつさえ手までふりかけ、慌ててそのどちらもを引っ込めた。盗賊村を出るときについてきた八人の子供たちのうちのひとりだ。
衣ずれの音を出さず立ち上がり、少女が片目を一度だけつぶった。出す音は少ないほうが良い。この状況なら、場所を変えるという合図だ。
夜に出歩くものはわりといる村なのだけれど、騒動の気配を感じてか、今は誰も通りを歩いていない。それでも念のため、街中に作っておいた、いざというときに落ち合う場所の一つに二人して身を潜めた。二十年前の残骸に雑草が生い茂った一角だ。
「えっとねー。簡単にまとめるとね、村民の若者半数を首都に移住させる、税も二割上げる、みたいな内容だったよ」
「は? やりすぎだろ。確かか?」
「うん。喋ってる途中で、村長の声が床に向かい始めたから、頭をこすりつけてたんじゃないかなあ? どうにか許してほしいみたいなことも言ってた。あんまりみじめな声を出してるから、馬鹿みたいでちょっと笑っちゃった」
ファジィは少しだけ村長に同情した。彼女はあどけない童女のような喋り方も計算づくでやっている。ファジィの前だと気を許してくれているようで、よくぼろが出る。
「聞いた話の内容、今すぐヨルに伝えてもらえる? あと、すぐにいつもの場所に集まれって」
「うん。姉さんはナミカのところ?」
「そう」
「わたしナミカ嫌い。姉さんのこと独り占めしてるから」
「ばーか」
ファジィは、身を潜めている間は手の届きやすい少女の茶髪をぐしゃぐしゃと撫でてから、立ち上がり、ナミカの寄宿先へ体を向ける。
「さーお仕事お仕事」
後ろで同じように立ち上がった少女の呟きを背に、ファジィは再び走り始めた。