4 生き方を変えるための
それから祭りの日まで、ナミカたちイシクラ村の生き残りはもちろん、事情通を装った協力者たちの手を借りて、村のあちこちで不安を煽る言葉を広めようとした。語られる危険は、事情を知る者にとっては、実際に切迫したものだった。しかし村の平穏な空気とは明らかに似つかわしくない不安の種は、芽吹かずにその場で踏みつぶされた。イシクラが≪名前つき≫の村だったため、何か怒りに触れるようなことでもしたのだろうと、どこか対岸の火事のような受け止めかたをされたのも大きかった。逆にナミカたちのほうが、危険を煽っている怪しい人間たちとして不審に見られつつあった。それでも、天命教の僧であるヨルのもつ信用や人脈を借りて、地道に訴え続けて協力者を増やした。
どうにか村民全体の十分の一ほどの協力は得られそうな道筋がつけられたのは、祭りの前日になってだった。本当ならこの時点で過半数にまで伸ばしておき、祭りで最後の仕上げをするのが目標だった。
ナミカは屋台や仮設劇場の設置など、祭りの準備でごった返す石畳の広場の隅に立ったまま、三回咳ばらいをした。声を出しすぎてのどがおかしくなっている。街頭に立って毎日毎日危険性を訴えても、何も響かない。ナミカにやったように、イシクラ村の惨劇の映像を見せることはできないのかと天命石に尋ねてみたが、ファジィをよみがえらせるので力がからっぽになった、今の俺にそんな力はない、というそっけない言葉が返ってきた。
「あーあーあー」
のどの異物感がどうにかならないかと嗄れ声を出してみるけれど、やはりどうにもならない。明日はもう祭り当日だ。こんな声で何かを訴えたところで、喧騒にまぎれてしまう。
「ひでえ声」
後ろから、まったくかすれのないファジィの声が聞こえてきた。
「ファジィのほうがひどい声です。絶対まじめにやってませんよね?」
「下手に出て人を説得するなんて、わたしにできると思う?」
「無理でしょうね。あなたでは。それで、代わりの何かはしていてくれたんですよね?」
「やってねえ……って、怖え顔すんなよ。冗談だよ。捕まえた盗賊どもと、協力した場合の報酬について話をしてた」
「本当に雇う気なんですか?」
「連中のやせこけた体を見ただろ。あいつらだって飢えてただけなんだよ」
「飢えていたら、人を襲ってもいいと」
こうなる前のファジィとナミカは盗賊と倉庫番だった。ファジィはナミカの村に何度も何度も食べ物を盗みにやってきた。それでもこうして向かい合っていられるのは、彼女は村人をひとりも傷つけなかったからだ。けれど彼らは、これまでに一人も殺さなかったのだろうか。
「お前、そんな善人ぶってるとそのうちつぶれるぞ。わたしたちは、新王を殺す計画の第一段階として、この村の連中を利用しようとしてる」
「違います。守るためです」
「ごまかすなよ。村を守る大義があるにしても、わたしたちがこれから村の連中にけしかけるのは、反乱だろ。死ぬかもしれない場所に人を送るんだ。もしなんの経験もない村人が、その準備段階で宮廷部隊に襲われたらどうする? わたしとお前だけでどうにかできるか? 本当に守りたいなら、戦力は多いほうがいい。考える余地なんてない」
「喉が痛いのであまりしゃべらせないでください」
喉が痛いのは本当だったが、矢継ぎ早に飛んできたファジィの言葉を一度、遮りたい気持ちもあった。彼女の言葉は、復讐や死などという言葉とは無縁でいられた昔のナミカを、穴倉から無理やり引きずり出して否定しようとしてきている。
「でも、喉を休める前に一つだけ言わせてください。ファジィは盗賊の人に慣れてるかもしれませんけど……わたしはやっぱり、守る側だったので、そう簡単には態度を変えられないんですよ。わたしがあなたを信じるのは、あなたがあなただったからです。他の盗賊を信用する理由にはなりません」
「この辺の盗賊はだいたい二種類いる。クズかグズか。クズのほうはもう完全なクソ野郎で、クズすぎてどこにも居場所がなくなったやつ。グズのほうは、産まれたときに何も持っていなかったから、人の作ったものをかすめとるしか能がないやつ。わたしは一応、うしろのほう。あいつらもたぶんそう。食えさえすれば、盗みはしない」
「だから喉痛いんですって。話はまた後でって雰囲気出したじゃないですか。続けないでくださいよ」
「喋れてる」
「うー」
「付き合え」
「わかりましたよ。最後まで付き合います。かわりに耳近づけてください」
「お前がでかすぎて無理。しゃがめ」
「はいはい」
ナミカは地面にしゃがみ、ファジィも近づいてきてしゃがんだ。広場の隅で肩を寄せ合う。
「誰かが問題を起こした場合、責任はファジィがとるんですか?」
声を限界まで小さくして喋る。
「はあ? なんでわたしが?」
「いや、あなたが監督するっていう話でしょう?」
「問題を起こしたのはそいつだろ。わたしが知るか」
ナミカはためいきをついた。
「言い方を変えます。あの盗賊たちに、戦うための規律を教えられるんですか?」
「自信ない」
「ふざけないでくださいよ」
「訓練してもないのに、ものになるかなんてわかんねえだろ」
「偏見がないのはいいことですけどねえ。物を盗むのは軽い罪じゃありません。わたしがこの村の警護兵だったら、そんなあいまいな態度で解放要求なんてされても拒否しますね。村人たちにどんな目で見られるか。ファジィは悪知恵が働くくせに世間を知らなすぎます」
「箱入り娘で悪かったな」
「クソとかクズとか平気で言うお嬢様なんかいません」
「ヨルに頼めばなんとかなるだろ。預けてくれれば、使えるようにしてみせるから。たぶん」
「手伝うなんて自由になるための口実で、裏切られたらどうしよう、とは考えないんですか?」
「飯が食えるか食えないかその日にならないとわからないのは、きつい。なんとなく想像くらいはつくだろ。わたしだって、あんな生活やめたかった。けど、わたしはそれ以外に食う方法を知らないからそうしてきた。わたしがお前に助けてもらったみたいに、生き方を変えるきっかけを、他のやつにもつくってやりたい」
「褒……めたって無駄ですからね。情は挟みません」
そんなふうに感謝されていたとは思わなかった。緩まないように表情を繕う。
ファジィが笑った。
「ちょっとうれしいと思った? 効いてる気がする」
「気のせいです!」
「さっきの言葉は本気。ナミカはきっと、いい指導者になれるよ。足りない部分はわたしが手伝う。ガエラタのジジイはまともに口もきいてくれないけど、無理にでも教わって、頑張るから」
ファジィは早口に言うと立ち上がって、わざとらしく伸びをした。照れているのかもしれない。
「わたしが指導者なんてぴんときませんが……そうですね。頑張ってください。この喉の痛みぶん、こき使ってやりますよ」
頷いたファジィは、その小さな体ですぐ人ごみにまぎれこんだ。
一緒にイシクラ村で盗みを働いていたファジィの仲間たちは、人波に溶け込むことを得意としていて、すでに情報収集や工作活動で活躍しはじめている。もし盗賊連中の決意が本物なら、彼女の手足となって活躍してくれるかもしれない。けれど、法を足蹴にするものを野放しにもできない。ただでさえ協力者集めの進みは鈍いというのに、余計な反感を買えばますます信用を失ってしまう。すでに山積している問題を処理しきれないうちに、またひとつ考えることが増えてしまった。頭の整理をしきれないまま、ひとまず天命石と悩みを分かち合おうと、寄宿先へと足を向けた。
寄宿先へ戻ると、場所を提供してくれた協力者のひとりが、青ざめた顔で玄関先を右往左往していた。彼は、港2を経由してやってきた新王の使者が、十月十一日村の村長と面会していることをナミカに告げた。ナミカはすぐ家の中に飛び込み、部屋の中に置いたままの天命石のもとへ走った。