第3話 Laugh
引き摺られながら胸中に浮かぶのは紛れもない嫌悪。まだ始まっていない悲劇を、しかし必ず起きるからと俯瞰するしかない苛立ち。村長は悪魔で、四角形から出されたサリーはまだ子供、その腕力に抗う術を持たない。
陽が完全に落ちきり、村人が皆寝静まった頃、四角形の扉が開かれた。物音に反応し目覚めたサリーの腹に衝撃が走る。悪魔が一寸の加減もせずに蹴りあげたのだった。鳩尾に目掛けて蹴り込まれたせいでサリーは呼吸が出来ず、口端から涎を垂らし、圧迫された呼吸器が空気の擦れた様な音を出した。腹を庇い蹲るサリーを何度か踏みつけた後で、悪魔はサリーの左手首を強く握り、外へと引き摺る。辺りは暗く、悪魔の表情は伺い知れなかったが、間違いなく笑っている、とサリーには分かった。
ぼろ切れ一枚に裸足で引き摺られるサリーは、寒さからか身体の感覚を失いつつあった。夜はどこまでも夜で、暗闇はどこまでも暗闇だ。
やがて悪魔が歩を止め、サリーの体を縄で縛り、馬車の荷台へと放り込んだ。荷台の中には何本かの蝋燭に火が灯っており、芯まで冷え切り震えの止まらないサリーを確認すると、悪魔は世界で一番幸せになったかのような笑顔を浮かべた。覗く歯は黄ばみ、目尻と額に皺を集めながら、最後にもう一度サリーを踏みつけてから荷台を出ていった。
荷台にはサリーしかおらず、外からは男の話し声がする。
これから自分が売られることだけは分かった。
しばらくして荷台に、村長と共に四角形に訪れていた男が入ってきた。蝋燭の灯りに照らされた欲望に濡れた瞳。丁寧に入力されたシステムの様に均等に吊り上がる口角。服の上からでも分かる程に猛った生殖器。サリーがこれから起こる事を理解するには十分だった。
サリーは寒さに麻痺して動かない身体を必死に捩り、男の手から逃れようとする。男はサリーが身に纏うぼろ切れを力任せに引き裂き、自らも荒々しく服を脱ぐ。仰向けに両肩を押さえ付けられたサリーの首筋に男の興奮した吐息がかかる。
麻痺した身体は痛まない。悪魔の連れが悪魔なのは当然のことか、とまるで他人事の様にサリーは考えていた。
追憶は唐突に終わりを告げ、サリーの意識は浮上する。窓からは朝の光が差し込み、周りを漂う埃までしっかりと見える。絶望も歓喜もなく、サリーは線の上を辿り、アプの実をかじる。
波は今日も生きていて、余計なものは何もない。潮風はやはり湿っていて、錆の臭いはどこまでも錆の臭いだ。
森を歩きながら、サリーは自身の死について考える。
首が無くなったら死か。胸を刺されたら死か。腹を切られたら死か。血をたくさん流したら死か。
身体が動かなくなったらそれは死なのか。それがサリーという個体の完全な死なのか。
思想はどうなるのか。
今考えていることや過去に思ったこと。こうしている間にも自分はどんどんと過去になっていく。その速度は刹那的だし、抵抗など出来ようはずがない。未来を捉えられる訳もなく、過去を携帯することも難しい。
開放されているのは今この時間だけ。この時間に身を置き、この時間を生きるのはサリーという一個体だけ。
ーーあぁなんだ、今に生かされてるのか。
サリーは笑う。腹を抱え、気が済むまで笑い続ける。
水色の歌声が聞こえてきたのは、それからすぐのことだった。