第2話 And I love her
サリーの生活サイクルは決まっている。最初に引いた線の上を丁寧に辿る様に、毎日決まった時間に決まったことをする。時計などは持っていないが、体に染み付いたその線をサリーが違えることはない。
朝目覚めると軽く伸びをしてからアプの実をかじる。小屋の裏手の森にはたくさんのアプの実が生っている為、大変に重宝している。アプの実を蔕ごと胃に収めた後は、窓から見える海をじっと眺める。波は今日も生きている。
所々補修されていない壁から潮風が入り込み、小屋の老朽から来る錆の臭いと混じり合う。肺一杯にそれを吸い込み目を閉じる。あまり思い出せなくなった母親のことを考える。誰か分からない父親のことを考える。あの日浴びた返り血のことを考える。自分を造る細胞や組織の一つ一つを考える。考える。考える。
やがて頭には波音だけが響き始める。力強く打ち寄せ、何も言わずに引いていく。サリーは嬉しくなる。今日も、ここには余計なものは何もない。
しばらくして小屋から出ると、森へと歩を進める。木々はあまり密集しておらず、小屋の先人が使用したと思われる獣道もあるため、ただ歩く分には苦労もない。たまに道に生えている毒草や薬草を摘み、腰に提げた小袋に入れながらどんどんと奥地へと進む。やがて空気を弛緩させる様な、優しい歌声が聞こえてくる。それは水色で、それ以上薄まることのない完結性を感じさせる。
サリーの目的地。森の中で円形に拓けた場所には、今日も少女がいる。目を瞑り、どこかと通信する様に、一語一語丁寧に歌っている。
白いワンピースから覗く手足は細く、白い。青く浮き出る血管に、サリーはセックスを連想する。風が吹き木々が揺れる度に、彼女を照らす光がさざめく。
サリーは彼女の前の横倒しの木に座り、歌声に集中する。それは空気より軽く、雨より静か。降り始めの雪の様にただしんしんと積もっていく。
しばらくして歌い終えた彼女はサリーに一礼する。サリーは心からの拍手を送る。隣に座り、2、3言葉を交わす。時は止まり、時間は早送りに過ぎていく。
彼女はサリーの頬へ軽く口づけを落とすと、吹き、消える。遥か上空へと舞い上がり、そこで新しい風となる。
帰り道でサリーが口ずさむのは、彼女が歌った歌だ。彼女の手足を、彼女の口づけを思い出しながら何度も何度も繰り返し口ずさむ。
サリーは急に不安になる。自分が幸せなことに胸が苦しくなる。忘れたいことと、忘れたくないことの区別がつかなくなる。
けれど、彼女を愛しているとは、間違いなく思う。