覚醒されし女神達
私は、イクミと旅に出ました。北へと進みました。車に乗りました。バスに乗りました。電車に乗りました。私は、イクミを何度も抱きました。ゆっくり、抱きました。幸せを作りました。旅先の店で、私は、シェイカーを振りました。イクミは、私が産み出した酒を、はじめて口にして、喜びの笑顔。この幾日か、幻覚の青い赤いイクミは、現われません。貯金を全て下ろした私は、彼女に、服を買いました。彼女に、ご飯を御馳走しました。彼女の喉を潤しました。イクミと住まいを共にしました。二人は、この街に慣れ、ホテルのチェックインチェックアウトを繰り返す毎日です。カメラを二つ買いました。写真をたくさん、撮っています。行き着けの本屋も見つかりました。本をたくさん読んでいます。いつも、いつも、二人でいます。
今日は、日曜。昨日は、土曜。その前日は、金曜で祝日。二人も、近くの砂浜で、体操座り。白い太陽が、温かく。彼女は、近くの酒屋まで、タバコを買いに。ここには、太陽と海と砂だけ。家族連れも帰ってしまって。二人以外には、誰もいない。今は、波音も聞こえてこない。
砂を見てしまうオレは、幸せなのに、これだけで充分幸せなのに、全て揃っているのに、なんだか満たされない気分、遣る瀬無い気分を胸の辺りに感じたんだ。イクミが、戻ってきて、オレは、タバコを咥え、火を付ける。白い煙が地から空へと上がる。浮かび上がる煙が、鬱陶しくて。美味しくなかった。景色さえ、鬱陶しく感じてしまう。すぐに、揉み消して、水をペットボトルで、補給。一滴も残さず、一気に飲み干すが、いまだ、喉が渇く。彼女の緑茶も補給。まだ、喉が渇く。
「行こう」
急かしてしまうのが、私の悪い癖。オレは現実から、まだ、逃げている。二人は、何処へ行けばいいの。誰かに聞いても、答えは出ない。答えは、心の奥の中にある。右脳左脳の中ではない。心の奥の中で、小さく、大きく、揺れている。
「もう、行くの」
座ったままで、答える彼女はぬいぐるみを抱く少女の様でした。
「見たいテレビが、あるんだ」
「でも、もう少し待って、海を見ておきたいの」
ゆっくり、彼女は、空と海の間を見つめていました。オレは彼女だけを見つめている。
イクミ。その姿にココロを奪われ、カメラを手にしてしまう。
イクミ。時を止めたくなかった。今、彼女と二人。
シャッターを押せなかった。
私は、今まで、一度もイクミの夢を見た事がない。彼女の夢には、時折、上原大地が出てくる。彼女が見る夢の中でオレは、一貫してシェイカーを振っている。だけど、夢の中でのオレはジーコンには、いない。森の中にいる。その中の小さな店で、働いている。そこには、絶え間なく笑顔のオレがいて、絶え間なく笑顔の客がいる。
現実の二人は、車の中。海を左手に見て、助手席のイクミは、両手のひらを鼻の前で合わせ、溜息を二つ。オレも、貰い溜息一つ。異国のFMラジオに、耳を貸す。ガソリンを、国道沿いで補給。彼女が、「いってくるね」トイレへと、歩いた。彼女の背中を、見送った私の体は、小さな身震い。赤色のスタンドで、赤い制服の店員さんによって黒い車が磨かれる。小さな身震い、もう一つ。
今、赤い青い光が国道に現われる、一瞬。
二人が、生きている、これもまた、一瞬。
ウインカーは、左を支持し、ホテルへ、向かう。イクミは、海へ、後ろへと、視線を向ける。人間二人が、車で動く。オレが、一つの言葉を投げる。彼女が、一つの言葉を受ける。彼女が、二つの言葉を投げる。オレが、二つの言葉を受ける。橋を渡り、駅前を幾つか通過して、二人の言葉が繰り返されて、信号待ちで、車が止まる。
「ねえ」
イクミは、彼女の左手に見えるミシン屋を指差した。そこには、黒く固く重い、手動ミシンが、展示されている。四台、五台。彼女が、言う。
「かっこいいね」
彼女の安らぐ表情で、私が満たされ、癒される。
「そうだね」
言ってみる私は、青信号に対して、アクセルを踏む。さっきの遣る瀬無い気分が、完全に消えていて、右手は、ウインカーを弄り、二車線の道路を大きく使うのだ。
「走ろうか」
「うん」
二人は、その夜、焼き鳥屋で、夕食をとった。原点は、テーブル。結局テーブル囲み笑いあったり、結局テーブル囲み悲しみ消えたり。
「あの時計、写真に撮ろうよ」
オレが、視線を送ったのは、黒い鬼瓦に、はめ込まれた、置き時計。
「鬼なのに、笑ってるね」
イクミの顔には、笑顔が、浮かぶ。そして、彼女は、店員さんを呼んで、「写真、いいですか」なんて、愛らしく。オレは、彼女の一眼レフを手にする。撮影。夢中だった。自分の体が、消えてしまいそうなくらい、夢の中だった。鬼瓦は、怒りを持ち合わせていない。笑いかけている。客連中も注目し始め、皆、愉快な酒を飲んでいる。
二人は、信号機を撮影した。オレが写したポラロイド写真は、赤黄青が、全て消えた瞬間、何も支持をしない信号機を撮影する。そして、二人は、あたりまえの事に気付き、声を出して、驚くのだ。オールクリア。二人は、車のドアを閉めたと同時に欠伸を残す。眠気が一緒に訪れる事に喜び、笑う二人。彼女は、言った。
「この街の全てが、キレイだから。きっと、神様が私達にご褒美を与えてくれてるんだよ」
神に愛されたイクミは、そう言って、眠りに就いた。
商店街の一角、いつもの場所。ホテルのロビーに到着。イクミが先に七階の部屋へと帰った。受付の自販機でコーヒーを購入する。フロントの女性は、もう顔馴染みでその女性は、山下さんと云う。
「彼女、とても、きれいな人ですね」
山下さんは言う。オレは少し照れ笑いながら二度三度小さく頷く。
「今日も撮影ですか」
「はい、29号線沿いの焼き鳥屋さんで撮ってきました」
「もしかして、鬼瓦」
「そうです」
「あそこの鬼瓦は、『選者』と云って、幸福な人には笑いかけて、そうじゃない人には怒った表情を見せるんですよ」
「笑ってくれました」
「上原様なら、勿論、笑顔ですよ。ごゆっくり、どうぞ」
ニコリとした彼女。ココチの良い疲れ、コーヒーが、美味い。ソファーに身を沈め、テレビを見る。今日は、快晴であるらしい。占い、街の情報、お買い得情報、空元気のアナウンサー。故郷と異国の違いが、楽しく。チョイスした旅先は、ベスト。この街をあちらこちら走り回るのだが、朝に欲しかったモノが夜には、写真に納まっている。このタイミングの良さに関しては、誰にも負けない写真家になってしまった。さて、部屋へ帰えろう。山下さんが、こちらへ、「おやすみなさい」と。オレも小さな会釈を返す。
エレベーターのボタンは、7を選択。ドアが、すんなりと開き乗り込み、予定通りドアが、再び閉まる。『死ね』と我が耳は、聞く。背中を誰かに刺されたような感覚を知る。上階へ行く度にその感覚は、重く大きくなり、首を締められる感覚も、味わい喉から吐き気。呼吸が重く苦しい。七階まで、いまだ、遠く。とにかくエレベーターと云う箱から出たいのだ。5階でたまらず、降りた。大きな溜息と同時に体操座り、灰皿の前、オレの心は狭く。流動的に、目を深く閉じる。
目を一瞬にして大きく開けると光る青い赤い文字を、白い床に見た。
そして。七階へと再び、苦痛のエレベーターに乗った。部屋に帰る。
三人のイクミがいた。
青い光を放つイクミ、赤い光を放つイクミ、黄色い光を放つイクミ。青いイクミは、言った。
「私達は、全てから赦され、私達は、全てから今、解放された」
黒い服の彼女達は、赤黄青の光を放つ。その、まにまに、テレビが、言った。
『あなたは、全てから、赦されたもうた。ココを出なさい。そして、帰りなさい』
小柄で姫様のような、ニュースキャスターが、涙を流し、原稿を読んだ。母の事が瞬時として、頭に過ぎる。愛すべき息子を見知らぬ場所へと送り出す母の気持ちが、涙に形を変える。母体の気持ちをほんの少し知る事が出来た。
フロントに山下さんを見つけた。
「もう、行かれるのですか」
「はい、これまで、ありがとうございました」
「そうですか。あの、よろしければ、選者様の写真を送っていただきませんか」
これから先、彼女に会う事も出来なければ、きっと、写真を送る事も出来ないだろう。
「お礼です」
写真の入った袋を手渡すと、彼女は、オレに聴いた。
「あの、上原様は、何者なのですか」
「どこにでもいる、普通の男です」
彼女は、唇を噛み、頷き、笑顔をかみ締め言った。
「また、遊びにきてくださいね」
目が細くなる彼女は、写真を小脇に抱え、私にお辞儀を残した。
私は、最期の駐車場に出た。ココから見える空は、とても、美しく。雲一つない。私は運転席に座り、エンジンを起動させ正面玄関へ。そして、イクミ達を迎えた。赤い彼女と運転を交代。私達は、東へと向かった。段々とこの街が、消えて行く。景色が次々と溶けるのだ。後部座席の二人のイクミも居眠りに勤しみ、私は赤い彼女と普段通りに会話をする。
「ねえ、何処に行くか知ってるよね」
「イクミの好きな場」
「うん」
オレは人が、何故走るのか。その答えを知った。ここに、自由自在に動かす事が、出来ない世界があり、自由自在を求める人がいる。そして、なによりも、愛する人の為に急いだり、帰ったり。人は、自由自在と愛の為に走るのだ。
段々と空は青と灰色。雲と太陽が、交互に顔を見せる。イクミが支持をした道を行くと大雨が降り出して、傘をさす人も見え、雷も気持ち良い。そして坂を上がり、坂を下がり。いつしか、紫色の木々達が、私達、四人を迎える。
そして、晴れた。太陽が、やたら大きく、我が瞳に映り輝き、車は、深く風を切り、行く。
その途中で鼓笛隊が男女四人ずつ、皆同じ顔をしていて。ラッパを吹き、太鼓を叩き、シンバルを揺らす。先導指揮者がこちらを見て、にこりと挨拶。その光景を見てオレは安心する。ここは、オレ達が暮らす森。三角屋根の家が、色取り取りにたくさん建っていて。イクミは目を丸くして、喜ぶ。彼女を見る私は、嬉しくて笑うのだ。紫の森。オレは、今、ブルーのアスファルト、駐車スペースに車を停めた。彼女達を起こし、オレは、胸に手をあて、心拍数が落ち着いた事を知る。キーを回し、エンジンを止める。三人の彼女達の光は、放たれたまま。空にはヘリコプターが、飛び交い、雲を裂く。そして、車を後にすると、さっきの先導指揮者がオレの手をとる。彼は、何処となく誰かに似ていて。ヘリコプターの音、近付きし、我、空を睨む。
「はじめまして」
あれは、何時の事だろう。殺風景な瞳を持つ彼を見ていると、何時かの、音楽室を思い出す。オレは、小学校の二年生か、三年生。はじめて、私の感情に女を美しいものだと感じさせた音楽教師の事を思い出す。彼女の瞳と彼の瞳が、とても、類似していて。その感情を持つ彼の案内の元、私は歩く。イクミ達は、知らせる。「先に帰ってるね」青い屋根のタバコ屋前、細道を右に曲がった。オレは左右中の道より、真ん中を選び、ゆっくりと歩いている。ココロが洗われ、いくつかの色の花。唇を強く噛み、痛みが神経を通じて脳に向かう事に、涙を流した。もうオレは、帰る事が出来ない。私が犯した罪に対して人々は罰を与えられず、真の自由自在を与えられた。そして、その御方は、言われた。
「私は主。君を突き動かす、主です。しかし、昨日までの事。君は、酒を作り、女神に捧げる事を続けなさい。君は、神の子。後は、君が決めなさい。よいですか。今日は、体を清め、汚れ多い体を忘れなさい。よいですか。君は、体を清めなさい」
私が頷くのを確かめると、彼は、黒いピストルをコートの中ポケットから取り出し、オレに銃口を向けて、激しく撃った。犬が鳴き、鳥達は逃げた。銃声は、数えて八回。オレの体は、粉々に消え去ろうとしている。無になる痛みが、快感であった。赤い血がちょうちょうと流れ、透明な水がじゃあじゃあと流れ、オレの体は完全に壊れた。分裂。粉々になった私の体は主の手によりピンクの冷蔵庫へと仕舞われる。そして、冷蔵庫は鼓笛隊の手により崖へと運ばれ、突き落とされた。見えない透明な穴へと、落ち行く中での快感がずっと続けばいいと感じたが、私は眠った。私の瞳は、ひとつの乾きを知らないまま、眠った。
音の無い場所である。私は、紫の木の下で目を覚ました。手のひらを見つめると赤い血が泳いでいる。薬指の傷から出血。赤い指を舐める。ここからはたくさんの木々が、私を優しく見つめていて。大きな噴水が三つ。空へしぶきを描いている。私は愛用のシェイカーを左手に抱いていて。私は、顔を拭うと、違和感。私は立った。遠くを見つめると、三角屋根の下にイクミが一人。私は、もう一度、木の下に座る。ゆっくりとした、あたたかい風が、ココチ良かった。再び立ち上がり、一歩、二歩、三歩、道を、歩き出した私。イクミへと我が体は、行くのだ。その途中に、美容院のウィンドウを見つける。そこに、映った私の体には、イクミがいる。主の悪戯に、私は理想とする体に理想とする子を宿している事を知る。夢中に留まるように裁かれた私は愛する彼女へと歩み寄る。今、歩み寄る。辿り着いた私は、イクミに申し彼女は私に申した。
「おはよう」
「おはよう」
私達は、一つの思いより。部屋へ戻り、暖をとる。キッチンには、私の仕事道具が揃っていて。二階へと上がれば、二人のイクミがまだ眠っていて。私は、空を飛び裂くカラスを見て、体を振るわせる。今日は、今日。明日は、明日。私とイクミはキスをした。邪魔するものは、いない。私達は朝食にパスタとチキンを見つけ食した。私は女神。愛する体を持ち、瞳には、愛する人を映し出していて。バスタブの前で、鏡に映った私の体は美しく。湯船に浸かるのだ。私の体には新しい主が宿っている。太陽は、強く、あたたかく、白く。世界はひとつでなくていい。女神が森へ舞い降りた。今の私は何も睨まずにいる。
主よ。汝。君のそのまにまに。汝。君、産まれ、生きるならば、そのまにまに、全ての術を教えたまおう。私は申す。私は主の母となりけり、女神が森へ舞い降りた。その瞳は、とても美しく、ずっと華やいでいる。その体は、とても美しく、ずっと咲き続ける。私達は、とても美しく、ずっと散る術を知らないまま。
朝が来ました。時と可能性とチカラを操る事が出来る我々に対して、主は敵を使わせ汝に牙を剥ける事もきっと大きく多くあるでしょう。私達はイクミの夢中にいます。私達は、儚い女神。太陽が近付いてきまいた。三日月が消えてゆきます。私達は冷たい月と白い太陽を抱く女神。私は彼女の心を奪う事が出来る唯一の存在なのです。彼女は私の心を奪った唯一の存在なのです。私達は彼女を完全に愛せる術を全て持ち合わせている、唯一無二の存在なのである。