一
「ゆきちゃん、メロン食べない」
と、深夜になってお隣の椹木柾貴がやってきた。片貝木綿の茶縞に、角帯を片ばさみに締めている。和装にしろ洋装にしろ、すらりと背の高い柾貴は、何を着てもよく似合う。これでまだ、雪緒とおなじ大学一年生なのだから驚きだ。
「きいちゃん」
朝見雪緒はバスタオルで濡れ髪を拭いながら、冷蔵庫から麦茶を取り出してグラスに注いだ。時刻はすでに深夜一時過ぎだったが、柾貴のこういう訪れはけっして珍しいことではなく、雪緒もすっかり慣れたものだった。
柾貴は勝手知ったる様子で茶箪笥から皿を出し、キッチンでメロンを切り分けはじめた。とろりとした赤肉が、見るからに美味そうである。
「冷えてるよ」
「うん、美味しそう」
柾貴がメロンを盛ったのは、かすかに青みを帯びた、すずやかなガラス器だった。柔らかなオレンジ色の果肉がよく映えて、美しい。夜風が窓から吹きこんできて、小さく風鈴を揺らした。日中こそまだまだ夏の暑さだが、夜になるともう秋の気配のほうが濃い。
雪緒は、熟れた果肉をゆっくりと口にふくんだ。よく冷えた、あまいメロンだ。メロンを食べる雪緒を、柾貴はじっと見つめている。昔から、柾貴にはこういう癖があった。
「あまい。美味しいよ」
と雪緒が言って、ようやく自分も食べはじめる。
「どうしたの、このメロン」
「生徒さんからのいただきものだってさ」
柾貴は、日本舞踊・椹木流宗家家元、椹木芳秀の次男坊なのである。昔から女はとっかえひっかえ、その美貌と金まわりを武器に毎晩遊びあるくような放蕩息子ではあるが、きりりと帯を締めた和装姿を見ている限りでは、まるでそういうふうには思われない。
「お父さんの? いいの? これ絶対高いやつだよ、一玉六千円とかするやつ」
「いいんだよ。親父が持ってけっつったんだ」
柾貴は言って、最後の大きな果肉を口に放りこんだ。
「そんなことよりさあ」
(来た)
雪緒は身がまえた。メロンではなく、たぶんこれが本題だ。
「ゆきちゃん、おまえ本当に明日の同窓会、行くの?」
「うん。行くけど。ていうか、きいちゃんだって参加で返事出したんでしょ?」
高校の同窓会の知らせが来たのは、ゴールデンウイークが明けたころのことだった。何の思惑もなく参加の欄にマルをつけ、葉書を送り返した雪緒だったが、それを知った柾貴が機嫌をそこねた。「行くな」とは言わないが、しかし、本当は「行くな」と言いたいのだ。
(自分だってひとりで参加にマルつけて葉書出したくせに……)
わりに扱いの面倒な男なのである。高校在学中からそうだった。体育祭の打ち上げ、文化祭の打ち上げ、合コン、男友だちをまじえたカラオケや映画。とにかくそういう類の遊びに雪緒が参加することを、柾貴はずいぶん嫌がった。
(私のことが好きなのかな?)
と思ったこともあったが、そのわりには柾貴本人の夜遊び女遊びはとどまるところを知らない。「幼馴染の過保護と独占欲」なのだろうといつしか雪緒も割り切るようになったが、柾貴のその束縛ぶりはいささか過度なものとも思われた。
「そんなに行きたいの。好きな男でもいるのか?」
などと言う。
「いないってば。そんなのきいちゃんだって知ってるでしょ。けど、麻衣もトコちゃんも来るんだよ。会いたいもん」
「…………」
柾貴は、不満げな顔で麦茶を飲み干した。
「ぜったい酒は飲むなよ」
「でもきいちゃんは飲むんでしょう」
「俺はいいんだよ。酔わないから。でもおまえはだめ。ゆきちゃんはぜったい飲むな」
ハイハイ、と雪緒はうなずいた。はなから飲む気はないが、何にせよ、明日は柾貴が雪緒の隣に陣取って、しっかり目を光らせるのに違いない。顔はいいが性格に難があるし、「ゆきちゃんはぜったいに夜歩きするな。世の中には変態がいっぱいいるんだから」という柾貴の執拗さがまさに変態っぽい、とさえ思う。それでも雪緒にとっては、唯一無二の、大切な幼馴染である。
「明日は、いっしょに行って、いっしょに帰るからな」
と、柾貴は何度も念を押した。
「わかったよ」
扱いにくい男だが、二十年来の付き合いである。ふんふんと素直にうなずく雪緒にようやく満足したのか、しっかりとメロンの皿を片付けて、彼は自宅に帰って行った。