ヒトコマの夏(あるいは、アナザーストーリー)
空を見上げると、真夏の空が広がっていた。
パステル調の青で染められたキャンバスに、もくもくとした入道雲の白のモノトーンな対比。
水平線の遥か彼方に連なる山脈と、雑木林に静かに佇む廃寺という立体的な構図。
実に絵になる良い眺めだ。どちらかと言えば、写実派より印象派の画家が描きたがりそうな。
ここまではいいのだが。
今は7月の終わり。いよいよ夏も真っ盛りの季節。
なにしろ暑い。暑くて仕方がない。
夏の風物詩として詠われる蝉の声も、この猛暑ではヒステリックな金属音と同じだ。湿度も高いのが腹立たしい。
クソ、小笠原気団のせいだなッ。
冬将軍どのよ、判官びいきでもなんでも致しますから、とっとと追い払ってはくれませんかね?
◆
俺は今、修学旅行に来ている。
京都に奈良といったド定番の地で名刹古刹巡り、思ってもいないカンソウを書き、イッチョマエのレポートとして提出させる。ステレオタイプの歴史教育が如実に現れている行事だと思う。
だいたい宇治拾遺物語でも読めばいい。風俗は違えど、心理は対して現代のそれと変わりやしない。それを、『昔は聖人君子ばっかりの理想郷でした。それに比べてサイキンノワカイモンハ……』と宣う権威的で懐古趣味なオエラガタのせいで、こんなにもつまらんものと化しているんだ。
そんな聖人君子、三皇五帝の時代でもそうそういないだろうがな。
「正一くーん、そろそろお昼でもいいよね?」
「まだ11時にもなってねえよ……。もうちょい我慢な」
「むー……」
俺は大原正一。ただの晴川高校の一年生で、名誉ある帰宅部の一員でもある。
「おーい、聞いてるのー?……もう!」
それで、さっきから話しかけてる奴は、河村玲音奈。今回の修学旅行でペアを組まされた女子だ。
こいつとは中学の時からの付き合いなのだが、天然そうに見えて、その実策士という、いろいろな意味で恐ろしい奴なのだ。
どこか近寄りがたい雰囲気があるのか、意外にも友達は少なめである。
スタイルもそこそこ良いし、整った般若のような顔も…………般若?
「正一ッ!」
般若は目の前にいた。
「ひっ!……すまん、考え事してた」
「女の子を無視するとかー、サイテー」
そう言うと、玲音奈はフイッと顔を背けた。どうやら相当ご機嫌ナナメにさせてしまったようだ。
◆
「悪かったって……」
「ホントにそう思ってる?」
こいつはだいたい顔を見れば何を言い出すかすぐに分かる。
これはなにか交換条件でも押し付けてきそうな顔だな?
「じゃあさ、レポート、ちょっと参考にしたいんだけど」
やっぱり。
予測可能回避不可能ってヤツだ。
「ほらよ」
そう返すと、途端に玲音奈は花が咲いたような笑みを浮かべる。
「ありがとー!正一くん優しいね!」
面白いくらいの喜色満面。
……ったく、仕方がない奴め。ありがたく使えよ。
◆
玲音奈はしばらくの間、自分のレポートと俺のレポートを見比べては推敲していたが、やがて飽きたのか、俺に昼食を取ることを提案してきた。時間も丁度いい頃合いだったので、首肯する。
玲音奈はリュックからパンフレット形式の地図を取り出すと、現在地からやや南の地点を指した。
ここから歩いて20分くらいの距離だろうか。
「ねえねえ、ちょっと行ったところに喫茶店があるみたいだよ。そこでいい?」
「いいよ。じゃ、行きますか」
「ほーいっ」
そう言うと、玲音奈は軽やかな足取りで歩き始めた。
雑木林の真ん中を通るゆるやかな坂道を降って、俺たちは下っていく。
涼し気な風が、林を駆け抜けていくのが、肌に感じられる。
横を見ると、柔らかい微笑みの隣で、ボブカットの黒髪が、風に吹かれて揺れていた。
こんな昼も、たまには良いのかもしれない。