はじめに
私が筆を取ったのは、実に情けないことからである。そして、私が書く物語も実に幼稚で軽率な手順によって生み出された。単刀直入に言おう。自分が馬鹿だから、自分には書けないであろう小説を書きたくなったからである。肌で感じる空気も、鳥肌が立つような絶景も、心が塞がるような悲劇も、自分の頭でそれをはっきり理解し、言葉として表現することができない。表現どころか自分ですら分かり得ないのである。ここは一肌脱いで、言葉巧みに情景を語り、センスの効いた語彙で心の叫びを代弁しよう。ただそれだけの自己満足を目標として筆を執ったのである。自分は未熟である。本来小説家として、人間の内面に深く切り込み、他人の内面においても、その人が理解し得ない部分まで追求していく姿勢が望ましい。せめて興味を持つべきである。しかし、私はまったく他人に興味がない。そのため幼い頃から他人の気持ちを考えたことがない。言葉は喉を通って次々と繰り出され、一旦脳に留まり検問を受けることはない。小説家としては致命的な性格なのである。そのため私にはまだ他人の生涯を描いた小説や、空想豊かな御話は書けない。取材力と、想像力が無に等しい。よって、生み出された物語は、私の実体験に基づく。体験談であれば、当時を思い出し、その時の心境をなんとか書き搾り出せると考えたのである。これも、近所のコンビニに行って帰る間に考え付いた。ここで、この小説を読むのを辞めることを薦める。読んでも面白くないだろう。感動、感心することなど、更々無い。いやはや、私はどこまで自惚れているのだろうか。笑いがこみ上げてくる。そもそもこの文字の羅列を、物語や小説などと形容しているが、それ自体が厚かましい。一人の不憫な男が書いた日記に過ぎない。更には、この日記にすら満たない文章が他人に読まれることを予定していることが、もう致命的である。そんな自意識過剰なところが、自分の素直な告白や自己批判の吐露を妨げているのである。ここで書くのを止めたくなる程だ。では早速物語に入ろうか。
お読みいただいた方誠にありがとうございました。
己の未熟さを曝け出し、恥ずかしいの一言です。
しかし、未熟さ、弱さ、未完成さは人間の必ず持ちえる要素です。
未熟者から絞りに絞り、繰り出される一滴の雫にはきっと何か光ものがあるはずです。
そう考えれば、未熟な私のもその一滴の雫を内包しているのです。
それさえ絞り出せれば、私も本望です。
この小説は私の挑戦です。