第7話 密会
地下の霊安室から出てきた帝は警戒するように窓の外を見回しながら階段を上ってきた。気を利かせて俺はカーテンを閉める。
霊安室はリリが検死の依頼を請け負っていた時に使っていた部屋だ。暗くじめじめとした空間で、おそらく「緑衣の鬼」として誘拐してきた人間を監禁するのにも利用していたのだろう。モルグの訪問に咄嗟に二人をその部屋に隠した。帝は難を逃れてほっとしているようだったが、シェクリイは帝をあのような辛気臭い部屋に閉じ込めやがってと不満たらたらの顔だった。……感謝してほしいものだ、匿ってやったのだから。
帝とシェクリイがこの家の門をたたいたのは、モルグが来るほんの15分前だった。二人は追われていると言って議場でのことのあらましを説明した。アテネのたくらみによって皇族誘拐の濡れ衣を着せられたこと、その件をネタに皇帝の位を退くよう、元老院会議で突き付けられたこと……。
彼らの話を聞き終わらぬうちに、モルグがやってくる予知が見えた。追っているのは警察隊らしい。俺は二人を窓のない地下室に隠し応対に出たのだった。
「……それで、会議のことだけど……」
俺は改めて水を向けた。帝はその話がしたかったのだという風に肯いた。
「議場で起こった事実に付け加えることはない。私はシェクリイに有事の際の合図を与え、その場から逃走することに成功した。といって皇室御用達の隠れ家はすぐに抑えられるに決まっている。それでお前の所へ来た」
「そこまで俺を信頼していたとは驚きだな」
皮肉のつもりはなかったが、シェクリイが顔をしかめた。帝は気にした風もなく答える。
「いや、お前を頼るのは賭けだったよ。どうやら正しい判断だったようだがな。……お前、アテネの豹変に気付いていたのだろう」
俺は無言のまま唇を引き締める。素直な反応に帝がくつくつと笑う。
「当たりか。驚かない様子を見るにそうではないかと思っていた。実を言えばその可能性に期待してここに来たのだ。今のアテネの状態を知る者でなければ、とても私を匿おうとは思わないだろうからな」
「私はお守りしますよ。陛下がどう変わろうと」シェクリイが朴念仁らしく口を尖らせる。「ふ、お前とイタロは特別だ」帝が目を閉じて口角を上げる。
「リリの最期を見届けたのはましら、お前だったな。アテネの犯行と理解したのもその時だろう。どこまで知っている?」
「全部だ。カプリチオ貴族虐殺を起こしたこと、その背景にどんな事情があったかも。……『阿頼耶識』でアテネとカプリチオ貴族たちの記憶を読んだ。……あいつは実の母親に虐待されていたんだ。父親もそれを許容し、異母姉妹のユードラとミーグルはアテネを殺そうと狙っていた」
俺は吐き捨てるように言った。「ほう、それは初耳だな」帝は珍しくもないといった態度で反応した。
「あの家族は貴族社会の生んだ一種の歪みと言えるな。アテネはその犠牲者というわけだ。もしアテネがこの貴族社会そのものを憎んでいるとすれば、その大本である私や皇族を狙うのも当然のこと。これは復讐の始まりに過ぎないのかもしれん」
「……あんたを追い落として、その先アテネはどうするつもりかな」
アテネは世界を憎んでいると言った。その世界が閉鎖的な貴族社会を指すのか、はたまたジパング全体に及んでいるのか……。復讐の矛先がどこにまで向いているのか気がかりだった。
「分からんな。搦手を使ってくるところを見ると、少なくとも考えはありそうだ。……実を言うと私はネヴァモアから既に警告を受けていたのだ。カプリチオ事件を起こしたのはアテネ本人であるという疑いがあると。奴を監視しておくためあえて手元に置いていたのだが……。全くの逆効果だった」
「危険を承知の上で、なぜみすみすやられた?」
「アテネの催眠能力が、我々の知るそれを遥かに超えて成長していたのだ。アテネには尾行と監視を付けさせていたが、ここまで怪しい報告は全くのゼロだった。監視者は同じカプリチオ一族など、全て催眠に耐性や対抗手段を持つ者たちで、相互に確認もしているはずだった。だが、奴は尾行を巻き監視の目をごまかし、恐らく一部の監視者には耐性を上回る催眠までかけていた。私の知る奴の実力では、そこまでの強力な幻覚を操れるはずはなかった。いや、国内で言えばどのカプリチオ民にも不可能だろう。世界を見てもここまで隠密に大規模な集団を操れる人間は、『四大君』の一角エディプス=ラ・カプリチオくらいのものだからな」
「アテネには雑種強勢の力が働いてる。リリの異種間混交施術で『銀将門』の細胞を撃ち込まれていたんだ。本来のアテネの成長限界を遥かに超えた力を手にしているはずだ……」
リリの話と盗み見たカプリチオ貴族たちの記憶から、俺は推察する。少なくともカプリチオ貴族全員を造作なく虐殺し、あのリリを打ち負かすほどの力が、今のアテネにはあるのだ。その実力と脅威は『八虐』以上と考えていいだろう。
「……ともかく、俺がアテネの豹変ぶりを知っている以上、ここにも正式な捜査の手が及ぶのは時間の問題だろう。あんたたちを安全な場所に転移してやる。俺の力を頼ってきたってことは、そこまで計算に入れてのことだろ?」
俺の空間転移能力なら、二人を王都から離れた好きな場所に連れていくことができる。
「そうさな……。並大抵の隠れ家ではすぐに見つかってしまう。アテネにはエルモリアも付いているからな。奴の推理の及ばぬ場所を考えねばならぬ」
「ちょっと待て、エルモリア?」
俺は聞き覚えのある言葉に反応した。
「エルモリアって言えば、探偵のエルロックのことだよな。奴が悪玉だったという話は聞かされていたけど、アテネとグルなのか?」
「そう考えていいだろう。アテネは陛下を首謀者に仕立て上げる前に、モリアに全ての罪をかぶせていた。そのモリアが大人しく捕まって証言したんだ。アテネに従っていると考えて間違いない」
断片的な情報が、シェクリイの言葉によって立体化した。言われてみればそうだ。しかしエルモリアがアテネと共犯関係にあるとすれば、
「エルモリアはカプリチオ事件の真相を、ネヴァモアに伝えていたんだよな?」
「ああそうだ」
帝は冷静に肯定した。
「ネヴァモアは犯人がアテネだということを知っている。それだけではない。順当にいけば私のいない元老院を束ねるのは奴だ。必然、アテネたちが次に狙うのは……」




