第6話 照(てらす)
「どうだった?」
帝の追跡から戻ってきたドッペルフェルトにオンリエドワードが尋ねた。中座した元老院会議は破壊された議場から屋上の空中庭園に移された。枯山水のように小石の敷き詰められた閑寂な庭園だ。四隅とところどころに灰色の大きめの岩が設置してあり、そのまわりに水面の波紋のような形で紋様がつくられている。ドッペルフェルトは眼鏡を外し、汗を拭って答えた。
「ダメですね。シェクリイの奴、帝を抱えながらというのに随分俊い。後は警察隊に任せました」
「仮にも近衛兵団最強の男だからな。実力は八虐に匹敵するとも言われている。本気で追跡者を巻こうと思えば容易だろうよ」
エドワードが渋面を作って肯く。
「どさくさに紛れて幾人かの近衛兵も脱走したようですね。あくまで帝をお守りするつもりでしょう。……イタロ議長は?」
「あいつは帝との共謀の疑いがある……。カミラタに連行させた。リンボ=エルモリアと一緒にな。皇族方にも下がっていただいた」
「……で、問題は帝位ですよ」アクアライム代表の女が上品に述べた。「帝は皇族誘拐の指示を認め、あまつさえ議会から逃亡しました。既に帝位に相応しいとは思えません。次の皇帝を選出するべきでは?」
「何者かに脅されていたという可能性は?」外道法師が鋭く切り込む。「拉致監禁されていた皇族方は皆親帝派の面々だった。味方を誘拐して自分の立場を危うくする必要があるとは、私には思えないがねえ」
「度重なる裏切りに、帝も疑心暗鬼になっていたのでしょう」アテネがさりげなく否む。「乱心されたと言うほかないわ。いずれにせよここまで証拠が揃っている以上、帝には退位していただくほかない。本人も認めたことですし」
「帝が認めたのは、誘拐の一件だけ」
黙って議論を静観していたネヴァモアが、初めて口を開いた。アテネがちらりとその横顔を盗み見る。
「退位の意向についてははっきりと否定している。原則上皇帝の退任を決定できるのは本人だけ。私たちが決めることはできない」
「原則には例外がつきものですよ。帝が身罷られた時、重篤な病に冒され執政が困難と判断された時、帝が行方不明となった時、こうした状況下では皇族連と元老院の同意に基づいて新たな皇帝を据えることができると定められています。今はまさにその状況です」ドッペルフェルトが反論する。
「お待ちくだされ。帝の失踪時の代替わりには、行方知れずとなってひと月以上が経過していなければならないのです。それに正式な皇位継承には三種の神器が揃っている必要がある」
「三種の神器なら揃っているでしょう」
「いや、それが……」部屋の入り口で衛兵たちからなにやら報告を受けていたアリワラが、こちらを振り返った。「一つ欠けているのです。『天叢雲剣』がどこにもない。あれを禁庫から持ち出せるのは帝だけです。陛下が持ち去ったと見るべきでしょう。偶然手にしていたのか、逃走の際に回収したのか……」
「! 神器の一つが……?」
アテネが虚を突かれたように驚く。「……禁庫の守りは堅いはず。逃走時に回収するだけの時間が?」
「分かりません。しかし帝は亡き獄門院の形見として、たびたびあの剣を持ち出しては眺めていたと言いますから……」
そんなことは初耳だと言う表情で、アテネが顎に手を当てた。何か思案している様子だ。とりなすようにスコルピオの族長が言う。
「ひとまずは帝不在の状態、我々で政を進めるとしましょう。皇帝の選出権が発生する一か月後までの間は。幸い最近の元老院会議は、我々の主導で行っていたわけですし」
「だが、議長のイタロ殿がいないとなると、中心となるのは……」
一同は互いに顔を見合わせた。エドワードがぎらぎらとした目で牽制するように周りを見渡す。その様子を見て、アリワラがおずおずと言った。「順当にいけば、ネヴァモア卿でしょうね」
1万年以上の世紀を生きた古老。帝や院の師ですらあり、この国の歴史を誰よりも知り抜いている人物だ。誰も異論を挟める者はいなかった。「どうです、ネヴァモア卿」イクテュエスの老婆が尋ねた。皆の視線が集まる中で、押し黙っていたネヴァモアが静かに口を開いた。
「分かった。私が取り纏める」
〇
元老院会議の数時間後、俺の家を訪ねたモルグが事のあらましを説明した。モルグシュテット=アクアライム。旅籠屋の主人が今や警察隊の准次官である。カミラタの編成した帝捜索隊にモルグの名も連ねられていた。
「……そうか。それで次の会議からは俺も復帰せよとのことだな?」
「はい。詳細は現場にいた外道法師が引き継いでくれると思います」
モルグはクマの濃いやつれた顔で答えた。肉体は以前よりもずっと引き締まって警察隊らしくなってきたが、顔つきはどうも健康的とは言えない。二か月引き籠っていた俺が言うのも何だが。
俺の気遣わし気な目線に気付いたのか、モルグは苦々しく笑った。「俺達が顔を突き合わせていると、監獄みたいですね」
お互いに酷い顔だ。モルグは申し訳なさそうな表情で続けた。
「見舞いに行けずすみません。近頃はあれこれと任務に忙殺されていまして」
「ああ……、気にするなよ、見舞いに来た奴の方が少ない。どうも人望が無いみたいだな」
俺はにやりと笑って言った。見舞いに来れなかったという謝罪はもう三回目だ。モルグも釣られて笑い、それから付け加えた。
「本当を言えば、ましら君の所には結構な人が来ていたんですよ。ニミリさんやグラムシさんも東国からわざわざ足を運んでいましたし、ボアネルゲさんも衛生兵としてお世話しに来ていました。ネヴァモア卿も」
「ネヴァモアが?」
俺は面食らって鸚鵡返した。リリと同じアリエスタ族の族長、少女の見た目で何百年以上も生きているという謎めいた女……。感情の読めない奴ではあったが、心配して見舞いに来てくれるとまでは思っていなかった。
「俺も意外でした。ましら君、ネヴァモア卿と親しかったんですね」
「いや、親しかったも何も……、彼女は俺の死刑に一度賛成した身だぜ? 初対面だったってのに」
「初対面だからこそでしょう。純粋に政治的判断でそうした……。それとも何か、個人的に恨みを買うようなまねでも?」
それが、どうも俺の顔が気に喰わないらしい。と言うと話がややこしくなりそうなので俺は口を閉ざした。ネヴァモアは何か俺を見て思うところがあるらしく、本人でも分からないままに俺に関心を寄せているらしかった。多分サジタリオ族(俺の子孫)の誰かと過去に因縁があったとか、そんなとこだろう。
「ともかく、伝えるべきことは伝えました。俺はまた帝の捜索に戻るので、何か分かったことがあれば教えてください」
「ああ」
俺はモルグを見送って玄関の扉を閉めた。庭先からモルグの姿が見えなくなるまで確認して、俺は緊張の糸を切って息をついた。「もう出てきて良いぞ」
奥に向かって呼びかけると、地下室の古びた扉が重々しく開いて、二人の顔が現れた。
「やっと行ったか……。感謝するぞましら伯」
地下の扉から、近衛兵長に守られた帝が呟いた。




