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人獣見聞録・猿の転生Ⅷ 終わりなき夜に生まれつく  作者: 蓑谷 春泥
第1章 幽鬼(ゴブリン)再び
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第5話 告発

 朝靄のかすむ御所では早くから元老院の面々が顔を出していた。ネヴァモア=アリエスタ、オンリエドワード=レオンブラッド、アリワラ=ジェミナイア野風の代表としてはましらの代わりに外道法師が出席して12席の一角を埋めている。獄門院の変で院側に付いた族長らと、エルモリアの陰謀に巻き込まれ死亡したタウロ族からは既に新代表が選出されていた。入口と周辺を堅く近衛兵が閉ざし隙の無い警護を見せる。垂れ幕の内側に座した帝・サガが口を開いた。「始めようか」

「は」重臣のイタロが首を垂れる。「それでは兼ねてより告知しておりました通り、超大陸での戦争に伴う定海沿岸部の警備強化の案を……」

「お待ちいただきたい、イタロ殿」

 突然の横槍に、イタロは進行の言葉を止めた。カルキノス族長ドッペルフェルトが手を挙げている。フェルトは理知的な仕草で眼鏡を押し上げて言った。「近頃御所内を騒がせている、皇族拉致事件についてです」

「カルキノス族長殿、その議題は後半の予定だと……」

「その首謀者が、この場にいるとしたら?」

 思いもよらぬ発議に、代表たちの間でざわめきが広がった。フェルトは彼らの反応に力を得たと言わんばかりに、立ち上がり説明の許可を催促する。イタロが帝の方を窺う。帝が肯くのを見て、イタロも議題の順を変更することを認めた。もとより元老院の中で最も皇族問題に頭を悩ませていたのはイタロである。帝の右腕としてこの事件の犯人に関心があるのは彼も同じであった。

「して、その首謀者と言うのは?」

「それは被害者方の口から、直接お話いただくのがいいでしょう」

「被害者方? ……まさか!」

 カルキノス族長が手を打った。扉が開けられ、皇衣をまとった皇族たちがぞろぞろと階段を下りてくる。……皆、この度の事件で失踪を報じられた皇族たちであった。疲弊した様子で段を下りながら、一様に深刻な表情をして垂れ幕の奥を睨みつけている。

「驚いた……。いや、皆さまご無事で何よりです。レーウェンフック! 皆様に席と暖かいお飲み物をご用意しろ!」

「いや、それには及びません。イタロ議長」補佐官への指示を遮って年嵩の親王が言った。「我々は数日前に保護され、こちらのドッペルフェルト卿の元でかくまわれていたのです。今日ここへ来たのは、彼が言う通りこの事件の首謀者を告発するため」

「と、いうことは、やはり勾引の被害に遭ったのは事実なのですね」

 エドが気づかわしげに尋ねる。親王たちが肯く。「左様。我々はその者が遣わした配下によって誘拐され、半地下(アガルダ)の一画に監禁されていた。下手人の言葉から、誰がその犯行を唆したのかは明らかだった」

「では、その首謀者と言うのは一体?」レオニアのエドが急き立てる。親王はひたと垂れ幕の奥を見据え、ゆっくりと、しかし力強く人差し指を突き付けた。

「現帝サガ。貴殿です」

 一同がどよめきと共に帝の方を振り返った。イタロが動揺しサガを眺める中で、彼女は一人平然と構えている。その様子にイタロもいくらか平静を取り戻し、再び親王の方を振り返った。

「親王様方。貴公らは直接帝のお姿をご覧になったわけではないのでしょう。あくまで誘拐の下手人からそう伝え聞いたというだけの話。帝に罪を擦り付け、政の動乱を企てる謀反人の計略では?」

 たしかに、と同意する声も聞こえる。「下手人が方々に催眠を掛けている可能性もある」スコルピオの族長が補足する。「幸いここにはカプリチオの大家がいる。アテネ嬢、彼らが催眠状態にないか調べてください」

 族長たちの依頼を受けて、アテネは皇族たちの状態を検査した。ほどなくして振り返り、カルキノスの発言に同意する。「催眠の可能性はありません」

「……! しかし、下手人の罠の線は……」

「それについても裏は取れています。その下手人をここに連れてきています」

 ざわめきの中、合図で再び後方の扉が開く。ものものしい装備をした警察隊長のカミラタと、その手に捕えられ手枷を嵌められた野風の姿がある。静観を貫いていたネヴァモアが動揺する素振りを見せた。その野風の姿を知る幾人かの貴族たちは、まさかという風に息を飲んだ。

「エルロック=シーマス。またの名を『陰府法王(よもつおおきみ)』・リンボ=エルモリア。(せん)だって、カプリチオ貴族の襲撃を首謀したものです」

 フェルトの言葉に一同は嘆きの溜息をつく。モリアは拘束の下で不気味な笑みを浮かべ帝を一瞥した。犯人の両手を縛る鎖を握ったまま、カミラタが声を張り上げる。「この者から既に自白は引き出しています。ユードラ・ミーグル姉妹を利用したカプリチオ貴族虐殺、続く八虐モラン・カンケヴンソーダの脱獄幇助、ドクター・リリの死亡を招いた施薬院襲撃。そして今回の皇族連続拉致監禁事件。いずれも此奴の計画の元、自身や部下の手で行った犯行だと認めています」

「それだけの大事件を、全て?」

「これまで此の者が手引きしてきた事件を考えれば、納得でしょう。此奴は亜大陸の数々の国を崩壊させ、中つ國に渡ってからは半地下(アガルダ)を統一した。稀代の知能犯です」

 カミラタが渋い顔で行う説明に、ドッペルフェルトが肯く。

「カプリチオの族長殿には、エルモリア発見に大きく貢献していただきました。彼女がカプリチオ事件の線から独自に捜査を進めていてくれたおかげで、我々は親王様方の身柄を保護することができたのです」

 フェルトはそのまま帝に詰め寄った。「エルモリアは全ての犯行を、貴女の依頼で計画したと自供しています。これが本当であれば、貴女は自ら国政を動乱に陥れた首謀者ということになりますよ、陛下」

 帝は答えない。痺れを切らしたように、親王が正面に立ち、帝を睨みつける。

「現帝サガ、我々皇族団は、貴君の皇帝解任を要求する。恐らくはここにいる元老院の賛同も得られるだろう。……現状、皇帝を解任させる執行力を持った法は存在しない。裏を返せば、皆の同意に基づく実力による排除という手段を取らざるを得ないということだ。どうだサガ、そうなる前に自ら譲位する気概はないか。これが最後通告だぞ」

「……」

 サガは無言で会議の座を見下ろす。親王と元老院たちを眺め、それから腹心のイタロ、信を置くネヴァモアと目を合わせ、最後にモリアーティ、アテネと視線を移した。ショッキング・ピンクの瞳が促すように見返してくる……。


 〇


 昨夜。

 御所の一隅に寝所を構えるアテネがサガの元を訪ねてきたのは、蝋燭の弱い灯りの下で、サガが獄門院の形見を眺めていた時だった。

 取次の侍女から伝えられた来訪にサガははじめ戸惑いを覚えた。同じ御所に宿を与えているとはいえ、こんな夜更けに皇帝を(おとな)うというのは非常識である。無礼ですらあった。しかしあのアテネがそれを押してまで来るということは、それほど急を要する要件であるのかもしれない。特に翌朝には元老院会議を控えている。帝は文箱の中に紅い傘のような短剣を収め、アテネを通した。

 侍女に連れられてきたアテネは所払いを求め、帝の前に正座した。寝所のすぐ裏には4人の近衛兵が待機している。会話が聞こえる距離ではないが、何かあればすぐに駆け付けられる状態だ。帝は侍女を下がらせ、用件を尋ねた。

「端的に申し上げますと」薄暗い部屋の中で、静かにアテネは言った。「帝に譲位していただきたいのです」

 帝は耳を疑った。いや、疑うまでもなく、聞き間違いだと思った。たかだか一元老院に過ぎない貴族の身であるアテネが、皇帝に退位を促すなどということはあり得ないからだ。それは首を刎ねられてもおかしくないような大それた箴言(しんげん)である。

 しかしアテネはもう一度同じ言葉を繰り返し、証拠と言わんばかりに二度柏手を打った。がらりと四方の障子が開き、失踪したはずの親王たちがぞろりと顔を見せる。さすがの帝も目を見張った。

「これは……」息を飲んで皇族たちを見つめる。蝋燭の揺らめく影の中で、皆一様に酩酊したような淀んだ眼をしている。帝はもう一度アテネに視線を移した。「……なるほど。お前が(かどわか)したというわけか。アテネ」

 帝の言葉を、アテネはあっさりと認めた。「その通りです。彼らを外に連れ出し、この二か月の間洗脳を掛けていました」感情のこもっていない目で淡々と告げる。「深層心理のレベルで深くコントロールしています。生半(なまなか)な催眠ではありません、そのへんのカプリチオ兵では見破れないでしょう」

 アテネがもう一度手を打つと、皇族たちはいっせいにしゃっきりと背筋を伸ばした。顔つきも正常そのものである。先ほどまでの酩酊顔はこちらに事態を察せさせるためにわざと甘くしていたのだろう。この状態の彼らが催眠にかかっていると暴くのは、至難の業だろう。

「それで……、彼らを使ってどうするつもりだ? 皇族の一段と言えど、私を退位させる強制力はないぞ」

「そうせざるを得ない状況に追い込むのです。此度の誘拐騒動、黒幕は貴女であったと彼らに証言させます。犯人役も用意してあります。元老院たちも信じるはずです」

「いやだと言ったら?」

「内乱が起きます。夷や獄門院のような一部の武装勢力ではなく、今度は民衆の蜂起です。度重なる内戦と動乱で既に民衆の支持は揺らいでいる。貴族たちも貴女の裏切りを聞けば黙ってはいないでしょう。刺客によって貴女は絶えず命を狙われる。もちろん、春宮(とうぐう)もです」

「……!」

 帝は初めて動揺する素振りを見せた。狙い通りの反応にアテネが目を細める。

「当然でしょう。春宮が貴女によって帝王学を教育されていることは周知の事実です。生かしておいて得になることはない」

「孤立無援の私にそれを守る術はない、と? 舐められたものだな。叔父上の反乱を経て表立った反乱分子は一掃されている。今残っている連中は中立派か私に忠義を立てている者たちだ。そう簡単には崩せんぞ」

 帝は強硬に言ったが、アテネはすべてを見透かしたように続けた。「中立派の大半は事態を静観し様子見をしていた連中です。むしろ夷と言い獄門院と言い、度重なる裏切りで貴女は疑心暗鬼になっているはずです。実のところ手放しに信頼できる家臣はごく僅か。現にこうして私も貴女を離れ……。そうそう、私の能力が何か、お忘れになったわけではないでしょう?」

 ……カプリチオの催眠。二月(ふたつき)半もの間宮中に住まわせてしまった。皇族たちと同じように、既にアテネの手に落ちた味方もいることだろう。

「……事前に宣告をしに来たのは、私に勝機の薄さを理解させるためか」

「ええ。予告なしに元老院会議で告発することもできますが、貴女がその場で強く抗弁する限り、すぐには決着しないでしょう。このタイミングでこれ以上国内が割れるのは、私としても避けたいところです。それよりは、貴女という共通の敵を前に貴族、民衆ともども一丸となった方が良い。今後の政治を考えるならね」

「随分と回りくどい手を選んだな。皇族どもを操れるなら、私を傀儡にすることもできたではないか。あるいは遺書を書かせ、自殺に導いてもいい」

「常に狙われる立場の貴女なら、よくご存じでしょう。人目に分からぬほど洗脳をかけるには、週単位の時間がかかる。最も警備が堅く定期的に催眠のチェックが入る帝にそれを行うのは、事実上不可能。自殺にしてもそうです。謀殺を疑ってくれと自ら言っているようなもの。警察隊の厳しい追及が入るでしょうし、元老院たちも納得しません。貴女が自らの口で犯行を認めること。それが何よりも重要なのです」

 そこまで言って、アテネはふっと表情を緩めた。

「ご心配めされずとも、お命までは頂戴いたしません。要求にさえ従ってもらえるなら、皇子の自由と安全は保障します。貴女にかけられた獄門院の『呪い』も、解いてさしあげましょう。多少不自由な生活にはなるかもしれませんが……、生きて皇子の栄華を見守れるなら、安いものでしょう?」

 帝はしばし床に置いた火影を睨んでいたが、やがて大きなため息をついて姿勢を崩した。

「……大それたことをやってのけたな。皇族らの誘拐に洗脳……、二回は死罪にできるぞ。加えて退位の強要とは」

「覚悟は決まりましたか」

 アテネが懐から何かを取り出す。黒い漆塗りの器が闇に浮かぶ。帝が眉根を上げる。「それは、叔父上の……」

「その通り。獄門院の狂花帯から造られた奥土器(おくつき)です。貴女にかけられた血の契約、『呪い』同様……、約束を破れば心臓が破壊され死ぬ。今朝方保管庫から盗ませました。番人を操ってね」

 アテネがにこやかに笑む。「私も口約束では安心できません。帝にはこの場で新たな契約を結んでいただきます」

「……分かっているのか? その契約、私が破ればお前の心臓にもそれなりのリスクがかかる」

「破れないでしょう、貴女は。それに多少のリスクを負わなければ、勝負はできません」

「本気というわけか……」

 帝は小さくため息をつく。「心臓を懸ける必要はない」

「?」

「その盃は相互に等価の約束を結ぶことができる。その場合、約束を破っても心臓は

 破壊されず、ダメージを受けるに留まる。約束を破られた側はノーリスク。……お前は『皇子の自由と安全』、私は『明日の元老院会議で皇族誘拐の罪を(かぶ)ること』を互いに契約する。……その条件なら契約してやってもいい」

「春宮の保証の確約を採りましたか。……良いでしょう。口約束が信用できないのは、お互い様でしょうから」

 アテネは指を差し出した。合意は成立した。帝とアテネは互いに注いだ盃の血を飲み、契約を交わした。


「さあ、どうするのです、帝!」

 親王が催促する。

 侍女に催眠を掛け、見張らせていた。帝が昨晩からこの瞬間まで、外部と連絡をとれないように。彼女が部下と会う時も、二人切りの瞬間が生まれないように仕向けていた。契約の件を誰かに相談することは、不可能だったはず。

 アテネは微かに口の端を歪め、高らかに進言した。「帝、今こそ真実を」

 帝が目を閉じ、(おもむろ)に立ち上がった。「観念するよりないな」

 両手を御簾の内側に伸ばし、垂れ幕を掻き分ける。皆の前に、高貴な皇帝の姿を(さら)した。

「皇族誘拐の指示を行ったのは私だ。『象牙の浮彫』というべきか……。……私が黒幕だった、そう認めよう」

 近衛兵長・シェクリイが微かに反応する。元老院たちがざわめく。「ではやはり……」

「ただし」

 帝がぴしゃりと黙らせ、シェクリイに目線を送る。それから議場に向かって声を張り上げる。「玉座は譲らん……!! ……たとえこの御所を追われようともな!」

 言うが早いが、帝はシェクリイの腕に身を預ける。腹心の近衛兵長は既に飛び出していた。「な……!!」元老院たちが反応するより一瞬早く壁を破壊し、シェクリイは帝を抱えたままひらりと宙に身を投げ出した。

「! ……追って!!」

 アテネの喝ではっとしたように貴族たちが動く。しかし既に帝の姿は御所の屋根を伝い小さくなりかけていた。

「やるねぇ、皇帝陛下」

 捕縛されたまま、エルモリアが小さく口笛を鳴らす。愉快そうにアテネの方を見る。

「……黙りなさい」

 アテネは軽く憮然とした口調で共犯者を睨みつけ、その後ろの警察隊長に呼びかけた。「カミラタ、部隊を編成してすぐに帝を追わせて」

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