第27話 リベンジ
地上の警察隊を目指し、元老院たちは螺旋階段を駆け下りた。壁には等間隔でステンドグラスの窓が設けられており、差し込む光で灰色の階段を虹色に染めている。アテネは元老院達の歩調に合わせて速度を落としながら後ろを走った。それから訝しむように目を細める。段の上に点々と落ちている彩光の溜まりに、さっと黒い影が差した。
ガラスの砕ける音が響いて緑髪の人影が飛び込んでくる。その突撃を潜り抜けたアテネの背後で、身代わりとなってカミラタが弾き飛ばされた。段の上を塊になってカミラタと少女が転げる。
「……追手は漏らすなと伝えておいたはずなのに……。あとでお仕置きが必要ね、八虐の奴ら」
「無理もない、こっちは隠密が売りなんだよ、お姉さま」
カミラタを組み敷きながらユードラが鞭をしならせる。アテネは無言で二人を見下す。特に、ユードラの下で伸びているカミラタをアテネは注視した。不意を突かれたとはいえ、この程度の体当たりで伸される男ではない。「……カミラタ?」
カミラタは呼びかけには答えず、困惑した表情で顔を上げた。
「……なんだ……、耳が聴こえん……。体の感覚も……」カミラタが聴覚の異常を確かめるように独り言ちる。ユードラは鞭を介した幻覚で相手の五感を奪う。カミラタは触覚も持っていかれたようだ。背中に乗っているユードラの存在には気付いていない。
こちらの催眠が解けたわけではなさそうだ。アテネは小さく息を付き、階下でこちらの様子を窺っている元老院たちに呼びかけた。「カミラタを下まで運んであげてください。まともに戦えない状態です。『医療班』へ届けるように」
用が済めば、議場のやりとりを知るカミラタは獄につないでおく予定だった。催眠を掛け予めこちらに引き入れておいた警察隊に引き渡す手筈はできている。おずおずと元老院たちが見上げたユードラにアテネは再び視線を移した。「ミーグルごっこは終わりかしら? ユードラ。忘れたわけではないでしょうね。姉妹二人がかりで……、いえ、一族束になって抵抗しても、あなたたちは私を止められなかったのよ? 今さらあなた一人仇討ちに来たところで、あの時の二の舞になるのが関の山」
「できるできないの問題じゃないんだよ。お姉さまが生きて手の届く所にいる限り、見逃すことはできない」ユードラは鞭を肩にかけ、カミラタを足の裏で押しのけながら立ち上がった。触覚を失ったカミラタがわけもわからないまま階段を転げ落ちる。元老院たちがそれを受け止めて肩を貸した。左右からカミラタを支えながら、元老院たちが転げるように逃げていくのを確認し、アテネはユードラに向きなおった。
髪の毛は透き通るような銅から斑に白が混ざっている。血で汚れた鞭は警察隊の保管庫でろくに手入れもされず放置されていたからか錆びついている。「……みすぼらしい姿になったものね。仮にもカプリチオ貴族の血が流れているとは思えない」
「メイドに汚れ仕事はつきものなんでね。……それによく言うよ、私達が貴族として生きる道を奪ったのは、他でもないアテネ様だろうに」
アテネはじっとユードラを見下ろし、それからやおら目を閉じる。
「ふっ……、そうね。今やカプリチオ貴族の血を持つのは私一人。あなたは所詮ユードラの亡霊……、血の通った人間ではない」
目を開き、冷たく呟く。「今度こそちゃんと、あの世に送り返してあげるわ」
ユードラの鞭が唸る。アテネは固めた拳で二、三度それを払いのけた。催眠の技術はアテネの方が上、ユードラの幻覚もかからない。
「けど、物理的ダメージは変わらない……!」
裏拳を繰り出すようにして、バックハンドから鞭を繰り出す。俊敏に躱したアテネの腕にユードラの蛇腕が絡みつく。
腕の蛇は威嚇的な擦れた音を立ててアテネの首に噛みつく。「獏鸚の尾から分離した蛇だよ!! 毒性はお姉さまにも有効でしょ‼」
アテネは冷静な表情で襟を開く。「……ちゃんと刺さってればね」
襟の下には偽鬼の葉鎧が仕込まれていた。蛇の牙は皮膚に届かず鎧に受け止められている。汗を浮かべたユードラを蛇ごと引き寄せる。その懐に鬼の強烈な拳を叩き込んだ。
地響きのような鈍い音を立ててユードラが壁に叩きつけられる。腹を押さえうずくまり呻き声を漏らす。
「息まいたところで力の差は変わらないわね。あなたは所詮半純血の使用人。ましてその記憶の名残でしかない……」
アテネがユードラの上に立ち見下ろす。ユードラは引き攣らせるように口角を上げ、アテネを睨み上げた。
「……へっ、死んでるからこそ、できる覚悟もあるんだよ」
ユードラが服の前を引きちぎるようにして開いた。「!」そこには発火した筒のような形状の武具が巻き付けられていた。狂気的な笑みを浮かべ、アテネの足を掴む。
「奥土器・『火劇弾』‼ 『地底回廊』の支柱を破壊できるほどの爆薬だ‼ ……私と死ね!!!」
「……っ!」腕を交差させ防御の姿勢をとったアテネを黄色い閃光が包み、爆撃が螺旋階段を崩壊させた。
〇
死刑のザフラフスカ。獄門院の右腕にして元八虐の一人。獄門院現役の時代には帝との政争で無数の死者を生み出した化け物。直接手を合わせた経験こそ鍔迫り合い程度だが、院と帝、同じそれぞれの守護者として、意識しあっていた。当然彼奴の蛮行にも注意を払っている。
肉体を触れた物質と同質化させる能力……。それが奴の能力だ。鉄に触れれば鉄に、水に触れれば水になる。二年前ましらに看破され打倒された男だが……、崇独院の口寄せ対象に入っていたとは……!
猿天狗が得意げに嘲笑う。防御無用の無敵の肉体。特に光へと身をやつした際の回避力と攻撃力は八虐でもトップクラスだ。
「だが……、その慢心が命取りだ! 光は光で貫ける‼」
シェクリイが真横に転がる。その背後に雷の蒼矢が浮かんでいた。「な……っ」猿天狗が回避する間もなく霹靂が体を射抜く。辛うじて光体にはなっていたが、同じ光の攻撃。猿天狗の脇腹に風穴が空いた。
今度は猿天狗が同じ呻き声を漏らし這いつくばる。「もう一つ……、お前の弱点を見つけたぞ、元法皇」シェクリイが雷を纏わせた槍を向ける。
「一度に口寄せることのできる人格は一つまで……。憑依者の能力は併用できない! 先の攻撃を大口で分解しなかったのがその証拠だ」
猿面の脇から血が零れる。シェクリイは容赦なく電撃の次弾を用意した。「口寄せ先の切り替えも……、制約がある。違うか?」
数本の雷矢と槍が猿天狗に激突する。が、意外な手応え。柔らかく突き刺さる槍の感触にシェクリイは事態を察した。「砂……!」
猿天狗は這うと同時に大地の砂をその手に握っていた。肉体の変性先を光から砂へ。砂上の肉体を槍の一撃は傷つけない。加えて、砂は電流を通さない不導体だ。
「効かないんだよォッ、馬鹿がッ!!」
猿天狗が扇を振るう。上昇気流が二人の体を荒々しく上空へと巻き上げた。猿天狗は上手く屋上へと戻る方向へ浮上したが、こちらは直上自由落下コースだ。口から血が吹き出る。致命傷こそ避けているが、体に開けられた小穴も馬鹿にはならない。しかしシェクリイは慌てなかった。歴戦の近衛兵長の経験がそうさせたのか、風が止む瞬間を待って冷静に足場を出現させた。
空中で大岩を蹴り、目前に白い霧を発生させる。雲のようにたなびく白霧の中から、無数の大小さまざまな槍が猿天狗に襲い掛かった。
「懲りずに同じ手とはッ‼ 一度効かなかった手が通じるかッ‼」
屋上に不時着した猿天狗の胴に再び大口が開け、槍の雨を飲み込んでいく。
「同じではない」
濃霧からシェクリイが飛び出した。猿天狗に向かって一直線に槍を突き出す! その槍を、……猿天狗の扇が直に塞いだ。
槍は畳まれた扇を抉り引き裂いたが、それでも軌道を反らされ標的に届かなかった。
「かぁッ‼ この大馬鹿野郎がっ! 精製物でない本物の槍を持つお前の一撃をッ、警戒しないわけがなかろうがァッ! 弾幕に隠れ不意を突くつもりだったのだろうがッ、麿はお前のような武官とは違うんだよッ、頭の出来がぁッ‼」
シェクリイは相手の体に覆いかぶさったまま、微かに口角を上げて囁いた。「同じではないと、伝えたはずだが?」
槍がシェクリイの手から消え、その両手が淀みなく猿天狗の体を掴んだ。
足を掛けられ任意の方向に放り出された猿天狗の左胸に、飛び込んできた一本の槍が貫通した。




